美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛

らがまふぃん

文字の大きさ
1 / 72
出会い編

しおりを挟む
 残酷な表現を含む話となっております。苦手な方はこのまま閉じてください。


*~*~*~*~*


 「これはなんだ」
 「え、あ」
 いつついたのかもわからないほどの小さな傷を、少女の左手小指の付け根側面に見つけた少年は、掴んだ手に力を込める。華奢な少女の手は、少年の握力で握り潰されてしまいそうだ。申し訳ありません、と震える声で謝罪を口にする少女の目には涙が溜まり始めていた。こぼれそうな涙を、少年はベロリと舌で舐め取った。少女の喉が、ヒッと引きつる。
 「勝手に傷を作るな」
 わかったな、と少年は耳元で囁くと、するりと少女の頬を撫でて離れていった。恐怖で顔色を無くした少女はその場に座り込み、動けなかった。
 少年はこの国の最高位、公爵家の嫡男だった。美しい銀色の髪は、光を反射してキラキラ輝き、ダイヤモンドのようだ。アクアマリンのような淡い水色の瞳は優しい印象ではなく、なぜか冬の凍てつく海に見える。恐ろしいまでに整った容姿の少年は、どこまでも酷薄な印象しかない。それでも公爵家。上位貴族の令嬢たちの釣書が山と積まれる。
 しかし少年は誰にも興味を示さなかった。
 それなのに。
 「いつまでそうしている」
 凍えそうな冷たい声に、少女はビクリと肩を揺らす。
 「も、申し訳」
 「謝罪はいらん」
 少女の言葉に被せて否定する。冷たい目が少女を見ている。少女は恐る恐る立ち上がった。それを見ると、ソファに座って本を開いていた少年は再び本に目を落とした。少女はどうしていいかわからずそのまま立ち尽くす。
 話をするわけでもない、何かをさせるでもない、ただ同じ部屋にいるだけ。一体何だというのだろう、と少女は泣きそうだった。虐めたいのだろうか、辱めたいのだろうか、嗤いたいのだろうか。同じ貴族でも相手は公爵家。それも筆頭だ。たかだか伯爵家でしかない家、呼ばれれば応じないわけにはいかない。
 視線を下に落とし、おなかの辺りに手を重ねて待機する。本当はドレスを握りしめてしまいたいけれど、矜持きょうじがそれを許さない。唇を強く結んで耐える。
 「本当に何をしている」
 少年は声に怒気を滲ませる。何を失敗してしまったのか、少女は顔を青くさせた。
 「ここだ。それとも私の隣には座れないとでも言うつもりか」
 読んでいた本で隣を指し示しながら、不機嫌な少年はそう続けた。少女は戸惑う。異性の隣に座るのは、夫婦や家族を除いて婚約者だけだ。そう考え躊躇ためらっていると、少年の不機嫌なオーラがどんどん強くなる。だが少女が躊躇ためらうのはそれだけが理由ではない。先程まで確かに隣に座っていたが、大人三人が余裕で座れるソファであった上に、少年から隣に座ってきたため動けなかったというものだが、今少年が座るソファは、一人掛け。大人用のため、子どもの体であれば二人は座れる。体が密着してしまうが。
 「あ、の」
 「なんだ」
  少女の喉が、コキュ、と音を立てた。
 「そちらは、わたくしと、公爵令息様の距離では、ないかと」
 少年の眉がピクリと上がった。少女の肩が揺れる。部屋の温度が下がったような錯覚を起こす。本当に自分はなぜここにいるのかわからない。少女は俯いて泣くまいと唇を噛みしめる。
 ふと、空気が動いた。少年が目の前に立っている。思わず少女の足が一歩下がりかけた瞬間、少年が少女の顎を掴んだ。
 「噛むな。傷を作るなと言っただろう」
 少年は躊躇ためらいもなく少女の唇を舐めた。
 「甘いな、アリス」
 そう言うと、アリスの唇を何度も舐める。アリスは、何をされたかわからなかった。繰り返される内、自分が何をされているか理解し、羞恥に顔を染める。
 「公しゃ」
 「名を呼べ」
 いつの間にか腰に手を回され、体が密着している。アリスはその腕から、行為から逃れようと体をよじる。しかし、逃さないというように腰に回された腕に力が入り、顎を掴む手は両頬を掴んだ。
 「聞こえなかったか」
 苛立つ声が耳に落とされる。アリスは震える唇を動かす。
 「エリアスト、カ」
 「エル」
 アリスは目を見開く。愛称で呼べというのか。恐れ多いと辞退しようとするが、
 「エル」
 アリスの考えを許さないというように繰り返す。チラリとエリアストに視線を向けると、冷たい目が見下ろしている。アリスは恐る恐る小さく、エル様、と言うと、今度は唇を塞がれた。他でもない、エリアストの唇で。噛みつくような激しさで、碌に息もつけない。苦しい声を上げるも一向に止める気配がない。いよいよ酸欠になったアリスは体の力が抜けた。そこでようやくエリアストの唇が離れた。
 意識が朦朧もうろうとしているアリスの体をしっかり支え、そのまま先程のソファに座る。アリスを自分の足の間に座らせると、後ろから抱きしめるように腕を回す。まだデビュタント前だ。この程度のドレスであれば、邪魔ではあるが問題ない。くたりと力の抜けたアリスの体が、エリアストに全幅の信頼を寄せるようにもたれ掛かり、肩口辺りの小さな頭がエリアストの呼吸に合わせてゆるく動く様がたまらない。
 「アリス」
 美しく整えられたアリスの黒髪をほどくと、星空が広がったように錯覚する。
 「アリス。リズ。リジィ、リサ」
 いくつかの愛称候補を口にする。
 「ああ、エルシィ」
  声に喜色が混じった。
 「エルシィだ」
 私の愛称と似ている。それに気付くと嬉しくなった。
 「なあ、エルシィ」
 愛称を呼ぶと、アリスはピクリと体を動かした。
 「おまえは私のものだ」
 ゆっくりとエリアストの手がアリスの胸へ伸びる。心臓の上に手を置くと、まるで抉り出そうとするかのように爪を立てた。アリスの喉がくぐもった音を出す。その首筋に顔をうずめ、ベロリと舌を這わせる。
 「忘れるな」
 壊してしまうほど強い力で抱きしめる。
 「忘れるな」
 アリスは無意識の内に、はい、と返事をした。


 *つづく*


 
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

あなたの愛が正しいわ

来須みかん
恋愛
旧題:あなたの愛が正しいわ~夫が私の悪口を言っていたので理想の妻になってあげたのに、どうしてそんな顔をするの?~  夫と一緒に訪れた夜会で、夫が男友達に私の悪口を言っているのを聞いてしまった。そのことをきっかけに、私は夫の理想の妻になることを決める。それまで夫を心の底から愛して尽くしていたけど、それがうっとうしかったそうだ。夫に付きまとうのをやめた私は、生まれ変わったように清々しい気分になっていた。  一方、夫は妻の変化に戸惑い、誤解があったことに気がつき、自分の今までの酷い態度を謝ったが、妻は美しい笑みを浮かべてこういった。 「いいえ、間違っていたのは私のほう。あなたの愛が正しいわ」

これって政略結婚じゃないんですか? ー彼が指輪をしている理由ー

小田恒子
恋愛
この度、幼馴染とお見合いを経て政略結婚する事になりました。 でも、その彼の左手薬指には、指輪が輝いてます。 もしかして、これは本当に形だけの結婚でしょうか……? 表紙はぱくたそ様のフリー素材、フォントは簡単表紙メーカー様のものを使用しております。 全年齢作品です。 ベリーズカフェ公開日 2022/09/21 アルファポリス公開日 2025/06/19 作品の無断転載はご遠慮ください。

悪役令嬢の涙

拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

処理中です...