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学園編
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「では、何があったか説明をしていただけますか」
一刻もせず日付も変わろうかという時間、ディレイガルド公爵が開始の合図をした。学園理事、学園長、タリ夫妻をゆっくり睥睨する。いつも穏やかな笑みを浮かべている公爵しか知らない者たちは、冷や汗が止まらない。公爵の隣に座る夫人も口元を扇で隠しているが、その目は冷ややかだ。そして右腕を三角帯で吊った、この世の至宝と言っても過言ではない顔の嫡男エリアストの目には、はっきりと闇が映っていた。タリ夫妻は青ざめつつも、ルシアが何としてでも欲しがった理由を知る。こんな時だというのに、その容姿に目を奪われそうになる。
学園長が生徒たちから聞いた状況を説明している。それと共に、普段のルシアの所業に対応を苦慮していたことも加えている。少しでも公爵家の怒りを逸らそうと必死だ。
「あの女、どうなった」
ふいにエリアストが口を開いた。まさか死んではいるまいと、何の感情も浮かんでいない顔のエリアストが恐ろしくて仕方ない。
「は、あの、生きて、は、おります、が」
歯切れの悪いタリに、エリアストは無表情のまま先を促すように見つめる。
「その、今は、その、正気を、失っておりまして」
その言葉に、エリアストの眉がピクリと動いた。
「早々に自分を手放したのか。折角獣に襲われないよう忌避石を置いてやったんだが」
まあこの程度で終わらせるつもりなど毛頭ないがな、という言外の言葉に、タリ夫妻は言葉を紡げない。
山や森には獣が棲息している。血の臭いに敏感な生き物なので、血塗れのルシアや死体となった異形の犬は恰好のエサだ。それなのに、ルシアも犬の死体も漁られることなく無事だったのは、この忌避石にある。気休め程度から半径一キロ圏内に寄せ付けないものなど、幅広く種類がある。今回のように血や死体があっても寄せ付けないようなものは、最高級品にあたり、金額が平民の平均年収五年分だ。それを惜しげもなく置き去りにしてくるとは。
「あの犬はなんだ。毒に慣らした私の体でさえ、痺れている。感覚が鈍い」
曰く、毒に耐性をつけたものを掛け合わせると、毒を内包できる程の耐性を持つものが稀に生まれる。毒の影響か、見た目がどうしても醜悪になるのだという。
「それをおまえたちの娘が購入したことに、何故気付かない」
今度は公爵が冷たく問う。だがタリ夫妻は答えられない。裏の家業を娘が知っていたなんて知らなかったのだ。ルシアを見つけ、その口に突っ込まれた首を見て心底驚いたのだ。仲介人を問い詰めると、ルシアから絶対に黙っているようにとかなりの金を握らされたようだ。
この毒、調べたところ、ゆっくり体を麻痺させ、最終的に心臓も麻痺させる。ジワジワと自由の利かなくなる体に恐怖し、声を無くし、視力を失い、聴力を奪われ、やがて死に至る。死の直前まで脳は働き続けるせいで、恐怖と絶望の中で息絶えるのだ。エリアストが非常に高い毒耐性を持っていたため、この程度で済んでいる。
ちなみにルシアがそんな危険なモノを口に突っ込まれて毒に犯されなかったのは、仲介人に言われ、万が一に備えて血清を打っていたからだ。
「随分気の利いた効能ですこと。余程アリスちゃんをお気に召していたようね、おまえたちの娘は」
ほほほ、と優雅な笑い声を公爵夫人は上げる。しかし部屋の空気が確実に下がっている。
「それに随分躾の行き届いた有能な部下たちのようだ。恐れ入るよ」
公爵夫妻の皮肉にも、タリ夫妻は申し訳ございませんと、床に這いつくばって謝り続けるしかない。
「ああ、学園の方についてだが」
突然公爵の矛先が向いて、理事長と学園長はビクリと体を震わせた。
「生徒たちや教師たちの絶え間ない配慮に、アリス嬢はいつも感謝をしていたよ。アリス嬢は既に休んでいるので彼女の意向を聞いてからになるが、今のところこちらから言うことは、登下校時はもちろん、それ以外の人の出入りをより厳しくチェックするように、と言ったところだ。学園での状況を説明して欲しかったから呼んだに過ぎない。不問というわけにはいかないが、それは追って連絡をしよう。ご苦労だった」
公爵夫妻は二人を帰した。これ以上付き合わせるのは忍びないと。
表向きは。
本当の理由は。
「さて。おまえたちの時間だ」
これから起きることを、見せないためだ。
赦されると思うなよ。公爵家の三人は、口元だけを笑みの形にした。
「わ、たくし、どもは、どう、どう、すれば、どう、つぐなえば」
娘があんな状態になったのは、最早自業自得でしかない。やり過ぎだと詰ることなんて出来ようはずもない。償うしかない。赦されないことを承知で、償い続けるしかないのだ。贖うことなど出来はしない。
「償い、ね。貴様らが償うことなど出来ないだろう」
エリアストの言葉に、タリ夫人はどういう意味だと眉を顰める。だがタリは、正しく理解した。償うためのものが、何も残されないのだと。商会は取り上げられ、国外追放されて、この国から存在を消される。国から存在を抹消された者が辿る末路など、悲惨なものでしかない。タリは頭を掻き毟り、叫びながら蹲った。タリ夫人はその様子に困惑しきりだ。
「黙れ」
エリアストはタリの頭を踏みつけた。
「あんな醜悪なモノを生み出した貴様らの罪」
踏みつけた足に力を込める。足下でくぐもった声が漏れる。
「この世の何よりも重いことを自覚しろ」
*つづく*
一刻もせず日付も変わろうかという時間、ディレイガルド公爵が開始の合図をした。学園理事、学園長、タリ夫妻をゆっくり睥睨する。いつも穏やかな笑みを浮かべている公爵しか知らない者たちは、冷や汗が止まらない。公爵の隣に座る夫人も口元を扇で隠しているが、その目は冷ややかだ。そして右腕を三角帯で吊った、この世の至宝と言っても過言ではない顔の嫡男エリアストの目には、はっきりと闇が映っていた。タリ夫妻は青ざめつつも、ルシアが何としてでも欲しがった理由を知る。こんな時だというのに、その容姿に目を奪われそうになる。
学園長が生徒たちから聞いた状況を説明している。それと共に、普段のルシアの所業に対応を苦慮していたことも加えている。少しでも公爵家の怒りを逸らそうと必死だ。
「あの女、どうなった」
ふいにエリアストが口を開いた。まさか死んではいるまいと、何の感情も浮かんでいない顔のエリアストが恐ろしくて仕方ない。
「は、あの、生きて、は、おります、が」
歯切れの悪いタリに、エリアストは無表情のまま先を促すように見つめる。
「その、今は、その、正気を、失っておりまして」
その言葉に、エリアストの眉がピクリと動いた。
「早々に自分を手放したのか。折角獣に襲われないよう忌避石を置いてやったんだが」
まあこの程度で終わらせるつもりなど毛頭ないがな、という言外の言葉に、タリ夫妻は言葉を紡げない。
山や森には獣が棲息している。血の臭いに敏感な生き物なので、血塗れのルシアや死体となった異形の犬は恰好のエサだ。それなのに、ルシアも犬の死体も漁られることなく無事だったのは、この忌避石にある。気休め程度から半径一キロ圏内に寄せ付けないものなど、幅広く種類がある。今回のように血や死体があっても寄せ付けないようなものは、最高級品にあたり、金額が平民の平均年収五年分だ。それを惜しげもなく置き去りにしてくるとは。
「あの犬はなんだ。毒に慣らした私の体でさえ、痺れている。感覚が鈍い」
曰く、毒に耐性をつけたものを掛け合わせると、毒を内包できる程の耐性を持つものが稀に生まれる。毒の影響か、見た目がどうしても醜悪になるのだという。
「それをおまえたちの娘が購入したことに、何故気付かない」
今度は公爵が冷たく問う。だがタリ夫妻は答えられない。裏の家業を娘が知っていたなんて知らなかったのだ。ルシアを見つけ、その口に突っ込まれた首を見て心底驚いたのだ。仲介人を問い詰めると、ルシアから絶対に黙っているようにとかなりの金を握らされたようだ。
この毒、調べたところ、ゆっくり体を麻痺させ、最終的に心臓も麻痺させる。ジワジワと自由の利かなくなる体に恐怖し、声を無くし、視力を失い、聴力を奪われ、やがて死に至る。死の直前まで脳は働き続けるせいで、恐怖と絶望の中で息絶えるのだ。エリアストが非常に高い毒耐性を持っていたため、この程度で済んでいる。
ちなみにルシアがそんな危険なモノを口に突っ込まれて毒に犯されなかったのは、仲介人に言われ、万が一に備えて血清を打っていたからだ。
「随分気の利いた効能ですこと。余程アリスちゃんをお気に召していたようね、おまえたちの娘は」
ほほほ、と優雅な笑い声を公爵夫人は上げる。しかし部屋の空気が確実に下がっている。
「それに随分躾の行き届いた有能な部下たちのようだ。恐れ入るよ」
公爵夫妻の皮肉にも、タリ夫妻は申し訳ございませんと、床に這いつくばって謝り続けるしかない。
「ああ、学園の方についてだが」
突然公爵の矛先が向いて、理事長と学園長はビクリと体を震わせた。
「生徒たちや教師たちの絶え間ない配慮に、アリス嬢はいつも感謝をしていたよ。アリス嬢は既に休んでいるので彼女の意向を聞いてからになるが、今のところこちらから言うことは、登下校時はもちろん、それ以外の人の出入りをより厳しくチェックするように、と言ったところだ。学園での状況を説明して欲しかったから呼んだに過ぎない。不問というわけにはいかないが、それは追って連絡をしよう。ご苦労だった」
公爵夫妻は二人を帰した。これ以上付き合わせるのは忍びないと。
表向きは。
本当の理由は。
「さて。おまえたちの時間だ」
これから起きることを、見せないためだ。
赦されると思うなよ。公爵家の三人は、口元だけを笑みの形にした。
「わ、たくし、どもは、どう、どう、すれば、どう、つぐなえば」
娘があんな状態になったのは、最早自業自得でしかない。やり過ぎだと詰ることなんて出来ようはずもない。償うしかない。赦されないことを承知で、償い続けるしかないのだ。贖うことなど出来はしない。
「償い、ね。貴様らが償うことなど出来ないだろう」
エリアストの言葉に、タリ夫人はどういう意味だと眉を顰める。だがタリは、正しく理解した。償うためのものが、何も残されないのだと。商会は取り上げられ、国外追放されて、この国から存在を消される。国から存在を抹消された者が辿る末路など、悲惨なものでしかない。タリは頭を掻き毟り、叫びながら蹲った。タリ夫人はその様子に困惑しきりだ。
「黙れ」
エリアストはタリの頭を踏みつけた。
「あんな醜悪なモノを生み出した貴様らの罪」
踏みつけた足に力を込める。足下でくぐもった声が漏れる。
「この世の何よりも重いことを自覚しろ」
*つづく*
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