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本編
演戯は真剣に。
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ラウエンシュタイン家の広大な屋敷に帰ると、執事のロベルトを筆頭に、使用人さん達が私を迎えてくれた。最初は慣れなかったけど、ここは割り切るしかないと諦めた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。奥方様がお待ちでいらっしゃいます」
「お母様が?」
リリーナにコートを預け、私は屋敷の奥に進むロベルトについていく。この先は、確かお母様お気に入りの薔薇園だ。
「薔薇園にいらっしゃるの?」
「はい」
ロベルトは、必要最低限のことしか答えない。執事さんってそういうものなのかしら。
中庭に通じる扉を開けると、夕日が射し込んだ薔薇園は幻想的に美しい。そこに、お母様――ルイーサ・カルロッタ・ルア・ラウエンシュタイン公爵夫人が佇んでいた。
「お母様?」
「アレクシア。お帰りなさい」
私を見て微笑むと、お母様は数本の薔薇を切り取った。
「あなたの部屋に飾ろうと思ったのだけれど。どの色がよいかしら」
「お母様が選んで下さるなら、どんな色でも嬉しいわ」
元々のアレクシアの好きな色がわからないので、私は無難な答えを返す。お母様は嬉しそうに笑って、薄紅の薔薇を選んでくれた。
「バシュラール侯爵令嬢はお元気だった?」
「ええ。……私の迂闊な言葉で、困らせていないかと心配だったの」
「……そうねえ……盗み聞きなどはしたないこととはいえ、あなたも少し注意が足りなかったわね。お父様はバシュラール侯爵に謝罪なさったし」
「はい。ごめんなさい」
「でも、驚いたあなたの気持ちもわからなくはないから、叱れないわ。……皆、薄々は察していたことでもあるし……」
そう溜息をついたお母様に、私はさりげなく切り出した。
「お母様。エージュがとても心配なの。今日……未来視をしてほしいと頼まれたの」
「未来視を? ……エルウィージュ様の、お生まれのこと?」
「ええ。私に視えるのは未来であって過去ではないわ。そう言ったのだけれど……なら、この件がどう決着するのか知りたいと言われて」
ここで俯いて言葉を切るよう、エージュに演技指導を受けている。俯いて黙った私に、お母様は困った声で先を促した。
「アレクシアは、どうお答えしたの?」
「……同じ結果しか視えなかったの。エージュが……陛下の……」
そっと、忍ばせていた目薬を使って涙を溜める。……結構目に沁みてくれるじゃないのよ、この目薬。さすがエージュの愛用品だわ。
「……アレクシア」
「わ、私、どうしていいのかわからない。エージュは気にしていないと言ってくれたけれど、嘘よ。私達は親友だもの、エージュは強がっているだけだとわかるわ。だけど、エージュ自身が何でもないと言うなら、私は何もできない……!」
言っているうちにノッてきて、私はすらすらと台詞を口にした。うん、ちゃんと涙声になっている。
「お母様、私、どうしたらいいの……あ」
「アレクシア、落ち着いて。お母様はあなたの味方よ」
切り取った薔薇をそのまま打ち捨てて、お母様は私を抱き締めた。薔薇の移り香が、お母様からふわりと薫る。
「……お母様……! エージュが、エージュが死んでしまうわ!」
「アレクシア?」
「今、視えたの。真っ暗な部屋で、エージュが倒れている……嫌よ、こんな未来視は嫌!」
本当に、倒れているエージュの姿が見えた。――臨場感ある台詞になるようにと、実際に倒れてみせてくれたエージュの演出のおかげだ。
「エージュが死んでしまう……私のせいだわ、お母様、私、私……!」
「落ち着いて、アレクシア。個人の未来は視えないと言ったのはあなたよ、だから大丈夫」
「エージュは特別だもの! 私の大事な親友だわ!」
「そうね、では、明日の朝一番に、バシュラール侯爵家に使いを出して、エルウィージュ様のご様子を伺いましょう。ね、だから安心して、落ち着いて」
お母様は、私を宥めるようにそう言うと、ぎゅっと抱き締めた。……この優しいお母様を騙しているのは気が引けるんだけど、私とエージュが目指しているのは悪役令嬢ですから、自己嫌悪と申し訳なさには目を瞑るわ。
「お母様……今夜は一緒に休んで下さる? 私……私、怖くて……」
「ええ、もちろんよ、アレクシア。エルウィージュ様に何事もないとわかるまで、あなたが安心できるまで、お母様が傍にいてあげますからね」
……本当にごめんなさい、お母様……。でも、娘が嫁き遅れるよりはマシだと思って下さい。
「さ、もう泣き止んで……温かいミルクを飲んで、気持ちを落ち着かせなさい」
私の涙を拭ってくれながら、お母様は天女のように優しく美しく微笑みかけてくれた。
「アレクシア。夜が明けたらすぐにバシュラール侯に使いを出す。心配することはない」
お母様から説明を受けたお父様も、私を安心させるように請け合ってくれた。……すみません、今夜0時に自らバシュラール侯爵邸に駆け込む予定です……。
「……はい。ありがとう、お父様。ごめんなさい」
「謝ることはない。それほど、令嬢が心配なのだろう? 大切な友人なら、当然のことだ」
「はい」
エージュは私の参謀で仲間で共犯で……何より、友達だ。本当のことを言える、たった一人の相手。そういう意味では、唯一無二の存在だ。
「ルイーサ。アレクシアのお守りをお願いするよ」
「はい」
「お父様、ひどい!」
私の気持ちを解そうと、お父様が下手な冗談を口にしたので、ちゃんと拗ねてあげました。
――暗闇の中、目を凝らす。広いベッドには、隣にお母様が静かな寝息を立てている。少しずつ目を闇に慣らして、壁の掛け時計を見た――深夜11時。0時には早いけれど、遅れるわけにはいかないから、先に行動を開始する。
「エージュ!」
私は、できるだけ悲痛な声で親友の名を呼んだ。同時に跳ね起きて、お母様の様子を窺う。眠りを妨げられたお母様が、ゆるやかに覚醒していくのがわかり、私はベッドから降りた。
「お母様、私、バシュラール侯爵のお屋敷に行きます。エージュが……エージュが!」
言いながら、懐に輝石があることを確認。準備は万端、だけど夜着にガウンだけで外出などできるわけがない。着替えは、リリーナがいないと無理だ。
「誰か! リリーナを呼んで! 私、出かけます!」
部屋の外に向かってそう叫ぶと、押し殺した足音が走っていく。夜警の者が、リリーナの部屋に行ってくれたようだ。
「アレクシア!?」
完全に目を覚ましたらしいお母様が、慌ててガウンを羽織りながらベッドから降りてきた。どうしたのと訊かれる前に、私は憑かれたように口を開いた。
「お母様、エージュに何かあったわ、視えたの。すぐに、すぐにバシュラール侯爵邸に行かなくては」
「落ち着いて、アレクシア。こんな時間に……」
「時間なんて関係ない! お母様、お願い、エージュに何かあったら、私、私……!」
半分以上、演技じゃない。本気だ。遅れてしまったら。何かの間違いで、エージュが致死量の毒を飲んでしまっていたら。あり得ないわけじゃない、だってエージュはカンタレラの効能や調合方法は知識として知っていても、「必要量」を実体験で知っているわけではないのだから。
「お願い……!」
私の声は、知らず、悲鳴に近くなっていた。おろおろとうろたえるお母様にごめんなさいと言って、部屋を飛び出す。目指すは、お父様の寝室。
「お父様! お父様、お父様!」
夜警の者から異変を聞いたのか、お父様の姿が廊下の奥に見えた。私を折ってくるお母様の慌てた足音も聞こえる。
「お父様、お父様、バシュラール侯爵家に行かせて!」
「いきなり何を……ルイーサ、アレクシアはどうしたのだ」
「未来視をしたらしくて……バシュラールの姫君が……」
その言葉ですべて察したのか、お父様は私のガウンの前を合わせた。
「ラウエンシュタイン家の娘が、そのような姿で人前に出ることはならぬ。……着替えて来なさい。その間にバシュラール侯に使いを出そう」
「あなた」
「これほどに思いつめた顔をしているのだ。バシュラール侯爵家に伺って、令嬢がご無事だと確かめたら落ち着くだろう。何、私がバシュラール侯に頭を下げればよいだけのことだ」
咎めるようなお母様の声に、お父様は私の髪を撫でながらそう言った。
「……ごめんなさい、お父様。お母様にも」
でも、と言おうとした私に、お母様は仕方ないわと息をついた。
「……いつの間に、エルウィージュ様とそんなに仲良くなったものかしら。いらっしゃい、アレクシア。深夜であろうと、他家に赴くのなら、身だしなみはきちんとしなくては」
私の手を取って、お母様はリリーナの待つ衣装部屋に向かった。
バシュラール侯爵邸に着いたのは、たぶん0時前後だと思う。貴族の館の立ち並ぶ街の中、馬ではなく馬車を走らせたのは、少しでも多くの人に「ラウエンシュタインの令嬢がバシュラール家に急いでいた」と印象づける為だ。これもエージュの指示。安眠妨害して申し訳ないです。
「ラウエンシュタイン公……これは、あまりにも非礼が過ぎませんか」
先に使いを受けていたバシュラール侯爵は、苦々しい顔を作って私達を出迎えた。
「申し訳ない。娘が、どうしても卿の令嬢にお会いせねばと泣くものでね」
私、泣いたっけ?と思ったものの、突っ込まない。お父様にもお付き合いや体裁があるのだし。
「侯爵様、どうか、エージュに会わせて下さい。一目会うだけで構いません」
私は、その時既に「演技」を忘れていた。0時を過ぎている。エージュはもうカンタレラを煽ったはずだ。早く解毒しないと、命を取り留めたとしても後遺症が残るかもしれない。
「未来視の姫君。……そのおかげで、我が侯爵家が困ったことになっていることはご存知かと思うが」
「侯爵様。お叱りは後で受けます。今は、エージュに……」
そこを通せと言ってすり抜けたいけど、私の真正面にバシュラール侯爵が立っているおかげで、隙間がない。また、私を守るかのように、お父様が微妙にその間に入り込んでいる。
一度バックしてからフェイントをかけようかと思った時、正面階段から、優雅な声が響いた。
「お通しすべきでしょう、父上。未来視の姫君だけでなく、公爵閣下までいらしている。結局はエージュにお会いいただくことになるのなら、無益なことはなさらぬがよい」
濃い金髪と、青い瞳の美青年は、そう言った。――それは、エージュの兄、エセルバートさんだった。
「エセル」
「アレクシア姫、どうぞこちらに。妹の部屋までご案内します。案内は不要でしょうが、この深夜に他家の姫を一人にはできませんから。――父上、よろしいですね」
「……ああ」
バシュラール侯爵の許可の声と同時に、私は一礼してエセルバートさんの元に駆け寄った。エージュが待ってる、急がなきゃ。
「姫。お手を」
貴公子的としか言いようのない仕種で私の手を取り、エセルバートさんはエージュの部屋に案内してくれた。……訂正します、私が引っ張りました。
エージュの部屋の前に着くと、エセルバートさんがコンコンとノックする。
「エージュ。深夜にすまないけれど、おまえの親友がいらしているよ」
だけど当然、返事はない。エセルバートさんは何度かノックを繰り返し、段々とそれが強い音になるにつれて、表情が厳しく引き締まっていく。
「エセルバート様……!」
私が思わず声を出すと、エセルバートさんは頷いた。
「姫、下がっていて下さい。蹴破ります」
貴族の館の、姫君の部屋の扉。それは簡単に蹴破れるようなものではない。なので、エセルバートさんは小さく呪文を唱えた。
「劣化」
そして、ぼろぼろと崩れていく木製の扉を、容易く蹴破った。
「エージュ……?」
私は、部屋の中を見渡した。エージュは、「神問い」をした後だから、鏡の前に倒れておくと言っていたはず。
だけど、大きな姿見の前にエージュはいない。
「エージュ? どこにいるの?」
不安になって探す。――ベッドの中?
「エージュ? 眠って……」
エセルバートさんが近づき、眠っているように見えるエージュを覗き込もうとして、顔色を変えた。
「灼光毒!」
それは、猛毒と名高い劇薬だ。その瓶が、ベッドの隣のテーブルに転がっていた。
「エージュ!」
「誰か! 父上をお呼びしろ! 医師もだ! エージュ、しっかりしろ、エージュ!」
蒼白になったエセルバートさんは、部屋を飛び出して叫ぶ。私はその隙にエージュに近づいて、彼女が弱々しく呼吸していることを確かめ――力が抜けた。
元々が色白のエージュの顔は、血の気が全くない。そっと触れると、恐ろしく冷たかった。
「エルウィージュ!?」
バシュラール侯爵が駆け込んできた。後ろにエセルバートさんや、エージュの侍女達もいる。――ここからが大事だ。
「エージュ……ごめんなさい、私のせいで……」
侯爵達に引き離される前に、私は輝石を取り出した。
「あなたの生まれなんて、どうでもいい。私にとって、あなたは大切な親友だということに変わりはない。だから、神が下さったこの輝石は、あなたの為に使う」
輝石をさりげなく侯爵達に見せつけながら、私は癒しの呪文を紡いだ。
「完全治癒」
蒼い輝石が眩い光を放ち――消えた時、エージュは薔薇色の口唇で、「よくできました」と私にだけ囁くと、薄っすらと瞳を開けた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。奥方様がお待ちでいらっしゃいます」
「お母様が?」
リリーナにコートを預け、私は屋敷の奥に進むロベルトについていく。この先は、確かお母様お気に入りの薔薇園だ。
「薔薇園にいらっしゃるの?」
「はい」
ロベルトは、必要最低限のことしか答えない。執事さんってそういうものなのかしら。
中庭に通じる扉を開けると、夕日が射し込んだ薔薇園は幻想的に美しい。そこに、お母様――ルイーサ・カルロッタ・ルア・ラウエンシュタイン公爵夫人が佇んでいた。
「お母様?」
「アレクシア。お帰りなさい」
私を見て微笑むと、お母様は数本の薔薇を切り取った。
「あなたの部屋に飾ろうと思ったのだけれど。どの色がよいかしら」
「お母様が選んで下さるなら、どんな色でも嬉しいわ」
元々のアレクシアの好きな色がわからないので、私は無難な答えを返す。お母様は嬉しそうに笑って、薄紅の薔薇を選んでくれた。
「バシュラール侯爵令嬢はお元気だった?」
「ええ。……私の迂闊な言葉で、困らせていないかと心配だったの」
「……そうねえ……盗み聞きなどはしたないこととはいえ、あなたも少し注意が足りなかったわね。お父様はバシュラール侯爵に謝罪なさったし」
「はい。ごめんなさい」
「でも、驚いたあなたの気持ちもわからなくはないから、叱れないわ。……皆、薄々は察していたことでもあるし……」
そう溜息をついたお母様に、私はさりげなく切り出した。
「お母様。エージュがとても心配なの。今日……未来視をしてほしいと頼まれたの」
「未来視を? ……エルウィージュ様の、お生まれのこと?」
「ええ。私に視えるのは未来であって過去ではないわ。そう言ったのだけれど……なら、この件がどう決着するのか知りたいと言われて」
ここで俯いて言葉を切るよう、エージュに演技指導を受けている。俯いて黙った私に、お母様は困った声で先を促した。
「アレクシアは、どうお答えしたの?」
「……同じ結果しか視えなかったの。エージュが……陛下の……」
そっと、忍ばせていた目薬を使って涙を溜める。……結構目に沁みてくれるじゃないのよ、この目薬。さすがエージュの愛用品だわ。
「……アレクシア」
「わ、私、どうしていいのかわからない。エージュは気にしていないと言ってくれたけれど、嘘よ。私達は親友だもの、エージュは強がっているだけだとわかるわ。だけど、エージュ自身が何でもないと言うなら、私は何もできない……!」
言っているうちにノッてきて、私はすらすらと台詞を口にした。うん、ちゃんと涙声になっている。
「お母様、私、どうしたらいいの……あ」
「アレクシア、落ち着いて。お母様はあなたの味方よ」
切り取った薔薇をそのまま打ち捨てて、お母様は私を抱き締めた。薔薇の移り香が、お母様からふわりと薫る。
「……お母様……! エージュが、エージュが死んでしまうわ!」
「アレクシア?」
「今、視えたの。真っ暗な部屋で、エージュが倒れている……嫌よ、こんな未来視は嫌!」
本当に、倒れているエージュの姿が見えた。――臨場感ある台詞になるようにと、実際に倒れてみせてくれたエージュの演出のおかげだ。
「エージュが死んでしまう……私のせいだわ、お母様、私、私……!」
「落ち着いて、アレクシア。個人の未来は視えないと言ったのはあなたよ、だから大丈夫」
「エージュは特別だもの! 私の大事な親友だわ!」
「そうね、では、明日の朝一番に、バシュラール侯爵家に使いを出して、エルウィージュ様のご様子を伺いましょう。ね、だから安心して、落ち着いて」
お母様は、私を宥めるようにそう言うと、ぎゅっと抱き締めた。……この優しいお母様を騙しているのは気が引けるんだけど、私とエージュが目指しているのは悪役令嬢ですから、自己嫌悪と申し訳なさには目を瞑るわ。
「お母様……今夜は一緒に休んで下さる? 私……私、怖くて……」
「ええ、もちろんよ、アレクシア。エルウィージュ様に何事もないとわかるまで、あなたが安心できるまで、お母様が傍にいてあげますからね」
……本当にごめんなさい、お母様……。でも、娘が嫁き遅れるよりはマシだと思って下さい。
「さ、もう泣き止んで……温かいミルクを飲んで、気持ちを落ち着かせなさい」
私の涙を拭ってくれながら、お母様は天女のように優しく美しく微笑みかけてくれた。
「アレクシア。夜が明けたらすぐにバシュラール侯に使いを出す。心配することはない」
お母様から説明を受けたお父様も、私を安心させるように請け合ってくれた。……すみません、今夜0時に自らバシュラール侯爵邸に駆け込む予定です……。
「……はい。ありがとう、お父様。ごめんなさい」
「謝ることはない。それほど、令嬢が心配なのだろう? 大切な友人なら、当然のことだ」
「はい」
エージュは私の参謀で仲間で共犯で……何より、友達だ。本当のことを言える、たった一人の相手。そういう意味では、唯一無二の存在だ。
「ルイーサ。アレクシアのお守りをお願いするよ」
「はい」
「お父様、ひどい!」
私の気持ちを解そうと、お父様が下手な冗談を口にしたので、ちゃんと拗ねてあげました。
――暗闇の中、目を凝らす。広いベッドには、隣にお母様が静かな寝息を立てている。少しずつ目を闇に慣らして、壁の掛け時計を見た――深夜11時。0時には早いけれど、遅れるわけにはいかないから、先に行動を開始する。
「エージュ!」
私は、できるだけ悲痛な声で親友の名を呼んだ。同時に跳ね起きて、お母様の様子を窺う。眠りを妨げられたお母様が、ゆるやかに覚醒していくのがわかり、私はベッドから降りた。
「お母様、私、バシュラール侯爵のお屋敷に行きます。エージュが……エージュが!」
言いながら、懐に輝石があることを確認。準備は万端、だけど夜着にガウンだけで外出などできるわけがない。着替えは、リリーナがいないと無理だ。
「誰か! リリーナを呼んで! 私、出かけます!」
部屋の外に向かってそう叫ぶと、押し殺した足音が走っていく。夜警の者が、リリーナの部屋に行ってくれたようだ。
「アレクシア!?」
完全に目を覚ましたらしいお母様が、慌ててガウンを羽織りながらベッドから降りてきた。どうしたのと訊かれる前に、私は憑かれたように口を開いた。
「お母様、エージュに何かあったわ、視えたの。すぐに、すぐにバシュラール侯爵邸に行かなくては」
「落ち着いて、アレクシア。こんな時間に……」
「時間なんて関係ない! お母様、お願い、エージュに何かあったら、私、私……!」
半分以上、演技じゃない。本気だ。遅れてしまったら。何かの間違いで、エージュが致死量の毒を飲んでしまっていたら。あり得ないわけじゃない、だってエージュはカンタレラの効能や調合方法は知識として知っていても、「必要量」を実体験で知っているわけではないのだから。
「お願い……!」
私の声は、知らず、悲鳴に近くなっていた。おろおろとうろたえるお母様にごめんなさいと言って、部屋を飛び出す。目指すは、お父様の寝室。
「お父様! お父様、お父様!」
夜警の者から異変を聞いたのか、お父様の姿が廊下の奥に見えた。私を折ってくるお母様の慌てた足音も聞こえる。
「お父様、お父様、バシュラール侯爵家に行かせて!」
「いきなり何を……ルイーサ、アレクシアはどうしたのだ」
「未来視をしたらしくて……バシュラールの姫君が……」
その言葉ですべて察したのか、お父様は私のガウンの前を合わせた。
「ラウエンシュタイン家の娘が、そのような姿で人前に出ることはならぬ。……着替えて来なさい。その間にバシュラール侯に使いを出そう」
「あなた」
「これほどに思いつめた顔をしているのだ。バシュラール侯爵家に伺って、令嬢がご無事だと確かめたら落ち着くだろう。何、私がバシュラール侯に頭を下げればよいだけのことだ」
咎めるようなお母様の声に、お父様は私の髪を撫でながらそう言った。
「……ごめんなさい、お父様。お母様にも」
でも、と言おうとした私に、お母様は仕方ないわと息をついた。
「……いつの間に、エルウィージュ様とそんなに仲良くなったものかしら。いらっしゃい、アレクシア。深夜であろうと、他家に赴くのなら、身だしなみはきちんとしなくては」
私の手を取って、お母様はリリーナの待つ衣装部屋に向かった。
バシュラール侯爵邸に着いたのは、たぶん0時前後だと思う。貴族の館の立ち並ぶ街の中、馬ではなく馬車を走らせたのは、少しでも多くの人に「ラウエンシュタインの令嬢がバシュラール家に急いでいた」と印象づける為だ。これもエージュの指示。安眠妨害して申し訳ないです。
「ラウエンシュタイン公……これは、あまりにも非礼が過ぎませんか」
先に使いを受けていたバシュラール侯爵は、苦々しい顔を作って私達を出迎えた。
「申し訳ない。娘が、どうしても卿の令嬢にお会いせねばと泣くものでね」
私、泣いたっけ?と思ったものの、突っ込まない。お父様にもお付き合いや体裁があるのだし。
「侯爵様、どうか、エージュに会わせて下さい。一目会うだけで構いません」
私は、その時既に「演技」を忘れていた。0時を過ぎている。エージュはもうカンタレラを煽ったはずだ。早く解毒しないと、命を取り留めたとしても後遺症が残るかもしれない。
「未来視の姫君。……そのおかげで、我が侯爵家が困ったことになっていることはご存知かと思うが」
「侯爵様。お叱りは後で受けます。今は、エージュに……」
そこを通せと言ってすり抜けたいけど、私の真正面にバシュラール侯爵が立っているおかげで、隙間がない。また、私を守るかのように、お父様が微妙にその間に入り込んでいる。
一度バックしてからフェイントをかけようかと思った時、正面階段から、優雅な声が響いた。
「お通しすべきでしょう、父上。未来視の姫君だけでなく、公爵閣下までいらしている。結局はエージュにお会いいただくことになるのなら、無益なことはなさらぬがよい」
濃い金髪と、青い瞳の美青年は、そう言った。――それは、エージュの兄、エセルバートさんだった。
「エセル」
「アレクシア姫、どうぞこちらに。妹の部屋までご案内します。案内は不要でしょうが、この深夜に他家の姫を一人にはできませんから。――父上、よろしいですね」
「……ああ」
バシュラール侯爵の許可の声と同時に、私は一礼してエセルバートさんの元に駆け寄った。エージュが待ってる、急がなきゃ。
「姫。お手を」
貴公子的としか言いようのない仕種で私の手を取り、エセルバートさんはエージュの部屋に案内してくれた。……訂正します、私が引っ張りました。
エージュの部屋の前に着くと、エセルバートさんがコンコンとノックする。
「エージュ。深夜にすまないけれど、おまえの親友がいらしているよ」
だけど当然、返事はない。エセルバートさんは何度かノックを繰り返し、段々とそれが強い音になるにつれて、表情が厳しく引き締まっていく。
「エセルバート様……!」
私が思わず声を出すと、エセルバートさんは頷いた。
「姫、下がっていて下さい。蹴破ります」
貴族の館の、姫君の部屋の扉。それは簡単に蹴破れるようなものではない。なので、エセルバートさんは小さく呪文を唱えた。
「劣化」
そして、ぼろぼろと崩れていく木製の扉を、容易く蹴破った。
「エージュ……?」
私は、部屋の中を見渡した。エージュは、「神問い」をした後だから、鏡の前に倒れておくと言っていたはず。
だけど、大きな姿見の前にエージュはいない。
「エージュ? どこにいるの?」
不安になって探す。――ベッドの中?
「エージュ? 眠って……」
エセルバートさんが近づき、眠っているように見えるエージュを覗き込もうとして、顔色を変えた。
「灼光毒!」
それは、猛毒と名高い劇薬だ。その瓶が、ベッドの隣のテーブルに転がっていた。
「エージュ!」
「誰か! 父上をお呼びしろ! 医師もだ! エージュ、しっかりしろ、エージュ!」
蒼白になったエセルバートさんは、部屋を飛び出して叫ぶ。私はその隙にエージュに近づいて、彼女が弱々しく呼吸していることを確かめ――力が抜けた。
元々が色白のエージュの顔は、血の気が全くない。そっと触れると、恐ろしく冷たかった。
「エルウィージュ!?」
バシュラール侯爵が駆け込んできた。後ろにエセルバートさんや、エージュの侍女達もいる。――ここからが大事だ。
「エージュ……ごめんなさい、私のせいで……」
侯爵達に引き離される前に、私は輝石を取り出した。
「あなたの生まれなんて、どうでもいい。私にとって、あなたは大切な親友だということに変わりはない。だから、神が下さったこの輝石は、あなたの為に使う」
輝石をさりげなく侯爵達に見せつけながら、私は癒しの呪文を紡いだ。
「完全治癒」
蒼い輝石が眩い光を放ち――消えた時、エージュは薔薇色の口唇で、「よくできました」と私にだけ囁くと、薄っすらと瞳を開けた。
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「良いだろう。お前を私の『籠の中の真紅の鳥』として、この手ずから愛でてやろう」
その日から私の運命は激変!
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皇帝陛下からの凄まじい独占欲と息もできないほどの甘い溺愛に、スカーレットの心臓は鳴りっぱなし!?
その頃、王宮では――。
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