鬼村という作家

篠崎マーティ

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十四話「湯舟で逆立ち」

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*安全性の観点から、儀式の工程は一部省略しており本編内の手順を踏んでも無意味だという事を先に記しておく。

 ある日鬼村に実験の助手を頼まれた。曰く、異世界に行く方法だという。降霊術ならまだしも異世界などと言うどこぞのラノベのような単語に私は呆れたのだが、鬼村は真剣至極だった。
「湯舟の中で逆立ちするんだ」と彼女は言った。だがそれは物理的に難しい(そもそも普通に逆立ちが出来ないらしい)ので、足を持っていてくれと。断る事さえ面倒で、私ははいはいとその申し出を引き受けることにした。どうせ断ったとしても、彼女は一人でなんとか強行するだろう。なら、まだ私が居た方が安全というものだ。
 鬼村は意気揚々と湯舟の中に入り、四つん這いになって私を見上げた。
「やばくなったら引き上げてね」
「やばくってなんですか」
「やばくはやばくだよ」
 大きく息を吸い込み、上半身を湯船に沈める。すぐに大きな尻を浮かせたが、それ以上足が上がってこないので、仕方なく湯舟の中に手を突っ込んで彼女の足を持ち上げた。びしょびしょだ。不愉快だ。ズボンの裾がめくれ上がり、すね毛を剃っていない足が露わになる。重い。私のシャツの袖が濡れる。……私は何をしているんだ。
 不意にぐっと鬼村の体が上に伸び、どうやら水中での逆立ちを完成させたのが分かった。きっと今頃逆さになった鼻の中に水が押し寄せて後悔するほどの苦痛に見舞われているに違いない。痛いんだよな、あれ。
 そんな事を考えていると案の定鬼村の足がバタバタと暴れ始め、湯船の中の体もしぶきを上げながらもがきだした。
 慌てて足を湯船の中に下ろすと、シーソーの片側が持ち上がるように頭が水面に上がってきた。濡れて長い髪が顔にへばりつき、土座衛門そのものと言った風体だ。
 鬼村は咳き込み、何度も鼻から水を出そうと苦労しながら、よたよたと湯船から這い出してきた。うむ、見事なホラー映画っぷりだ。
「鼻痛かったんでしょう」
 呆れて私が問うと、鬼村は力強く首を横に振った。濡れた犬が体を震わせる要領で辺りに水が飛び散る。
「なかったの!」半狂乱で鬼村が叫んだ。
「なにが?」
「この、このっ」それ程大きくない浴槽の片面を手でバンバンと叩きまくる。「これ! この、壁! なかったの! 先が見えないくらい広がってて、向こうからなんかが来たんだよ!」
 だから、その正体がわかってしまう前に死に物狂いで出てこようとしたのだと。
 あまりにも突拍子がないので私が何も言えずにいると、鬼村は湯舟の底に沈む自分のスマホを引き上げた。
「撮影してたんだ、今の映ってっかな」
 なんと、用意周到な事だ。その場で濡れ鼠の鬼村と肩を寄せ合い、スマホの画面をのぞき込む。
 鬼村が水中で逆立ちをしようとしている様が映し出され、入水と同時に鬼村のアップが映し出された。正直、普通でもきつい彼女のドアップが、水中に潜っているせで二倍は醜く見えて正視に堪えないレベルである。鬼村は逆立ちを成功させた後、カメラを掴んで浴槽の中に向けた。ただの浴槽だ。壁は四方にきちんと存在している。一度持ち直したのか映像が激しく揺れ、その後鬼村の顔を写した。
 私は悲鳴を上げてスマホごと鬼村を押しのけた。
「は、なに?」
 鬼村が不思議そうな声を出す。私はひっくり返った声でスマホを指さして喚いた。
「今、今、先生の顔だけ逆さじゃなかった!」
 鬼村は特に驚いた様子もなく動画を少し戻し、該当部分を確認して小さな声で「キッショ」と呟いた。
 十数秒後、動画を全て見終えた鬼村は怯える私に首を振った。
「残念、映ってなかったわ」
「いや、十分ですよ! 十分心霊動画ですよ!」
「まあね」画面をタップし、何のためらいもなく今の衝撃映像を削除する。あまりの潔さに私は呆気にとられてしまった。「なんにせよ、これはやばいわ。誰でも簡単に出来ちゃう上に、止めてくれる人がいないと確実に引きずり込まれる。危ないから、これ、やり方誰にも言っちゃだめだよ」
「言いませんけど……先生はどこでこの儀式を知ったんですか?」
「ネット」
 日本の年間失踪者数が何名だったかという疑問がふと頭をよぎったが、もう私は考える気力もなかった。
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