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三十八話「影膳」
しおりを挟む「おはようございまーす」と朗らかに笑う三木麻朝は、おおよそ芸能人とは思えない親しみやすさを漂わせて鬼村宅の玄関前に立っていた。
何故か猛烈に料理をしていて手の離せない鬼村が客を迎えてくれと言うので出てみたら有名人が居るものだから驚いたが、彼は”鬼村組”の一員なのでこの来訪にもすぐ納得がいった。
「あれ、打ち合わせですか?」
「うん、それもだけど、ちょっと個人的な用事もね」
整った顔に柔和な笑みを浮かべる三木。やはり芸能人のキラキラオーラは凄い。目の保養になるイケメンと関われるのは、鬼村の担当として数少ない役得と言えるだろう。勿論、私には同棲中の彼氏も居るし、あくまで仕事の相手なので鼻の下を伸ばしているわけにもいかない。……それに、日々降りかかる奇怪な出来事が、イケメンと出会えるで帳消しになる訳もないし。
私達は連れ立って台所に歩いて行った。
「おう、いらっしゃい」と、物凄い量の料理を盛りつけながら鬼村。「六人?」
「だと俺は思うんだけどあってる?」
「あ、あってるあってる」
不可思議な会話をしつつ、三木は勝手知ったる様子で机にどんどん料理を並べていく。美丈夫と醜女が二人でキッチンに立っている様は妙に違和感を覚えるが、彼らは友人のように他愛ない話をして笑いながら料理を運び続けた。
「どこ行ったのよ」
「埼玉の飯能」
「あそこ心スポ多いのに」
「貴女の小説で舞台にしちゃったから俺が行かなきゃいけなかったんでしょ!」
「アタシのせいかい」
「100鬼村だよ」
そういえば二人は同い年である。割と接点はあるのかもしれない。
そうして暫くするとギッチギチに机の上に料理が並べられた。きっちり六人分。メニューは様々だ。よもや私達のために作ったものではないだろう。
「誰か来るんですか?」私は問う。
三木は笑った。
「もう居るよ」
悪戯っぽく、しかし、どこか疲れた笑顔。
「は?」
「じゃ、アタシ達は外居るから」
私は鬼村に促され、何が何やら分からないまま外に出る。
台所兼ダイニングであるその部屋の扉を閉めた鬼村は、軽く肩を竦めた。
「終わったら、怪談居酒屋の打ち合わせしようね」
「あの、何が……?」
「あれ、説明してなかったっけ」
「1mmも」
「三木さんね、憑かれやすいのよ」鬼村は言った。「普段は自分でなんとか出来るんだけど、今回一気に六人ついちゃって厳しいから、アタシがやンの」
六人というのは、そういう意味だったのか。
「あの料理はね、影膳。影膳分かる?」
「亡くなった人のご飯ですよね」
「そうそうそう。六人分用意して、たらふく食わせる代わりに離れてもらうわけ。だから食べ終わるまでちょっと待機」
なるほど、何が起こっているのかは理解出来た。
……出来たのだが、しかしである。
「……めっちゃ肉料理ありましたよね」
影膳は本来精進料理を出すはずだ。確かに豆腐やお漬物もあったが、少なくとも豚の生姜焼きと唐揚げはこの目でしっかりと見た。
私の指摘を受け、鬼村はひょっとこのようにふざけた顔をして言った。
「精進料理で満足するような穏やかなモンが、人に憑りつくわけないでしょ」
カチャン。
食器が触れあう音。
次の瞬間、中でイノシシでも暴れているのかと思うほどの騒音がドアを揺らしだした
瀬戸物が割れる音、机が叩かれる音、椅子でも投げて壁に当たったような音――けものの鳴き声。それらが数秒間室内で荒れ狂い、そして、突然ぴたりと止んだ。何の余韻もない。元からそこには静けさしかなかったと言いたげな沈黙が流れる。
鬼村は五秒ほど待ってからドアを開けた。
室内は出た時と変わらなかった。ただ、食卓の料理は全てなくなっている。三木は座った状態で天井を向き、白目をむいて気絶していた。
「食器触ンないでね」
鬼村は早口で私にそう言いながら、シンクに用意していた洗面台を持ってきて三木の前に置き、聞き取れない程小さな声で何かを唱えながら彼の頬をぴしゃぴしゃ打った。
ひゅっと息を吸い込むと同時に目覚めた三木は洗面台の上に覆いかぶさり、げえげえ苦し気な声をあげて吐き始めた。が、口からは何も出てきていないようだ。湿った咳を何度も繰り返している。
「よしよし、食事抜いてきたね」三木の背中を撫でながら鬼村が子供でも褒めるように言う。すぐに彼の吐き気は収まり、ティッシュで口元を拭うと大きな溜息をついて顔をあげた。なんだか肌色が良くなっている気がする。
「あーっ、きっつ!」
目尻に涙が浮かんでいるが、晴れ晴れとした笑い顔だ。
「六人だもんねえ」
「久しぶりだよ、こんなの」
「まあ、危ないの居なくて良かったじゃない」
「それはそう」
和やかに笑っている二人から室内に目を移す。机の上に使用済みの食器が散乱している以外室内は特に変わった様子はなく……否。壁に虫が居る。種類は分からないが、少し大きな芋虫だ。普通ならこんなの気にしないが、状況が状況だけにその存在は怪しくて仕方がない。
私が見つめていたせいで芋虫の存在に気づいた鬼村は急に顔を顰めると、芋虫に向き直って腹いっぱいに空気を吸い込んで叫んだ。
「出てけえっ!」
瞬間、机の上の食器が鼓膜を劈く悲鳴のような音を立てて一斉に割れた。実際、それは悲鳴だったのかもしれない。あまりにうるさ過ぎてまともに認識出来なかった。
「食い意地はってんじゃねえぞてめえ!」鬼村は更に大音声を張り上げて、怒鳴った。「さっさと消えろ!」
バンと芋虫のすぐ横を平手打ちすると、芋虫はぽろりと壁から離れた。が、床に落ちていない。離れた瞬間、瞬きする間に消えたようだ。
ぶつぶつ恨み言を呟いている鬼村を見ながら、三木が笑って私に言った。
「鬼村先生の担当、退屈しないでしょ」
むしろ、私は退屈したい。
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