鬼村という作家

篠崎マーティ

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四十話「帰省 続」

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 よもや鬼村の実家に来る日がこようとは思わなかった。
 秋の京都は観光にぴったりの季節だ。この小旅行が本当に観光だったなら、同伴者が鬼村だったとしてもかなり楽しめただろう。
 鬼村の実家、改め藤原宅は、私が恐々妄想していた家に比べずっと庶民的だった。
 大きな古い日本家屋は二階建てで、申し訳程度の家庭菜園をしている庭がついていた。駐車場には車が二台。一台は軽自動車でもう一台はロードスターだ。
 門に表札は無かったが、”地元では裕福なお宅として皆知っているようなお家”といった風の家である。
 神奈川の鬼村家に似通っている節があるのは、鬼村が実家に似た家をわざと選んだのかもしれないし、たまたまなのかもしれない。
 鬼村は道中ずっとうっすら不機嫌で、家の前まで来るといよいよしかめ面を取り繕う事もなくなった。ぶっきらぼうに鍵を使って引き戸を開ける。開いたそばから、線香のにおいが漂ってきた。
「上がって」
「あ、はい、お邪魔しますー……」
 私達が玄関で靴を脱いでいると、奥から一人の女性がやって来た。
 眠そうな顔立ちの年配の女性は、鬼村の鷲鼻にそっくりな鼻を持っていた。どう見ても彼女は鬼村の母親である。失礼な話だが、この顔立ちの母親からどうしてこんな不細工な娘が生まれたのか不思議でならない。父親似なのだろうか。
「エリ、おかえりい」
 母親はそう言って疲れたような笑い方をした。
 エリ? おかしい。鬼村の本名はマコトのはずだ。まさか私のことをエリと呼んだのか? それとも、私に見えていないだけで、エリと言う名の誰かが居るのだろうか。いくら鬼村の実家だからって、そんな早すぎるホラー展開があっていいのか。勘弁してくれ。
「アタシの母親」鬼村は何も気にした様子はなく無遠慮に母親を顎で示して私に言い、それから今度は母親に向き直った。「こっちはアタシの担当、一口さん」
 私は慌ててお辞儀をした。
「はじめまして、鬼村先生にはいつも大変お世話になっております」
「あらあ、この人の担当じゃ、何かと苦労しますでしょう?」
「いえいえいえ、いつも勉強させて頂いてます!」
「まあ、ええ娘さんだこと。アンタ、こんなええ子に迷惑かけちゃあかんよ」
「かけてません」
 涼しい顔してなんたる嘘つきか。
 たまらずツッコミたくなったがそこはぐっとこらえ、完璧とは言えない笑顔をどうにか保ち続ける。まさか母親に向かって、おたくの娘さんのせいで日々得体のしれない怪現象に悩まされていますなんて言えるわけもない。
「おい」
 廊下の奥からしゃがれた声が聞こえた。
 和装の高齢男性が、険しい顔つきでこちらを睨みつけている。鬼村の祖父だろうか。だとしたら一体何歳だ、百歳くらいじゃないのか。年月を感じさせるシミと皺だらけのたるんだ肌とは対照的に、姿勢は驚くほどまっすぐでしゃんとしており、一点の曇りもない眼光は老人のものとは到底思えない鋭さを放っている。
 違和感がある。どことは言えないが、あまりにも異様に思える。
 何故こんなにも人間らしさが感じられないのだ。
「グダグダ喋ってへんで早う来んか。リョウ、お前、何しに来たんや」
 彼は鬼村をリョウと呼んだ。
 そのしゃがれた声が放たれる度、空気がざわついている気がする。胃の中に手を突っ込まれたような不快感で勝手に身が縮こまる。
 怖い。
 鬼村のご家族に対して初対面のくせに失礼だが、それしか頭に浮かばない。
「今行くって」
 鬼村は荷物をそこら辺に放り出すと、少し寛いでてと私に言って祖父と一緒に廊下の奥に消えて行った。
「荷物、そこにおいてね」母親が委縮する私を気遣うように優しく言いながら、居間のソファに導いてくれた。「お茶でいい? 何か食べます? あっ、ぶぶ漬けでもどうどす?」
「えっ!?」
「アハハハ、うそうそ! 京都ジョーク!」
 軽やかな母親の笑い声でようやく私は緊張がほぐれ、まともに呼吸が出来るようになった。
 明るい人だ。鬼村と違ってこの女性には人を惹きつける魅力がある。こんな人に育てられて、どうしてあんな偏屈魔人に成長してしまったのか。母親の十分の一の魅力があれば、鬼村ももっと生きやすいだろうに。
 聞きたい事は色々あったのだが、何なら尋ねて良いのか分からなかった私は、結局当たり障りない会話でお茶を濁しながら母親と共にテレビを見つつ鬼村の帰りを待った。
 見た感じ家の中は外観と同じくらい古いが、手入れが行き届いていて十分住みやすく見える。かなり昔から住んでいるのだろう。先祖代々受け継がれた立派なお家といったところか。
 鬼村は、ここで育ってきたのか。
 改めてそう思うと、妙な感慨が胸に広がった。
 一体どんな子供時代だったのだろう。どんな学生時代だったのだろう。確か、初めて小説を書いたのは中学の頃だと言っていた。作家鬼村悟の誕生は、彼女の自室で起こったのだろうか。どんな部屋だろう。きっと年頃の少女らしくない部屋だったに違いない。書き上がった小説は誰かに見せたのだろうか。学校の友達とか……そもそも、あの性格で友達がいたのだろうか。毎日一人で教室の隅に座って本を読んでいた、そんな子供だったのかもしれない。
 もし同い年だったら、私達は仲良くなれていたかな。
 ――なんて。
 不意に足音が近づいてきて、顔をあげた。
 不機嫌全開の能面顔で鬼村が帰って来た。
「しょうがないからアタシ行くわ」
「うん、そうして」
 何かが決まったらしい。
 私は母娘を交互に見やり「あの、どちらへ……?」と聞いた。
「山」
 説明ゼロで突き放すように言い捨てる。実家に来ても相変わらずの鬼村節である。
「帰って来るの明日の朝になるから、あんた今日うち泊まって」
「えっ、いや悪いですよ! ホテル泊まりますから!」
「いや、うちの方が安全だから」
 安全ってなんだ。何か起こるとでもいうのか。
 母親が眉根を寄せて娘に言った。
「東京帰したげた方がええんやないの?」
「いや、今回は下手に遠くない方が良い。変に目つけられても困るし。悪いけど、面倒みたげて。お金後で渡すから」
「よそ様の前でお金の話なんてみっともない! ごめんなさいね、一口さん」
「いや、そんな……」
「部屋案内するから来て」
 母親に頭を下げながらその場を離れ、私は鬼村の案内で一つの部屋に通された。
「ここ、仏間」
 見なくても分かる。分かりすぎるほど分かる。
 畳敷きの部屋の奥には仏壇、右の壁の長押には私に全く関係のない方々の遺影が飾られている。ああもしかしたら、あの中の誰かが九十を過ぎて自殺した例のおばあさまなのではないだろうか。他の人々も一体どんな最期を迎えた人達なのか分かったものではない。
 ここで、一晩を過ごせというのか。
「人ン家の仏間で寝るの嫌だろうけど、逆に安全だから」
「逆に」
「なんか物音聞こえても、逆に守ってくれてる的な感じだから」
「逆に」
 手慣れた様子で押し入れから布団を引っ張り出し、てきぱきセッティングする鬼村。ああ、その角度すっごい遺影が見える。最早私の意見や気持ちが介入する隙は無い。
 用意を全て整え終えると、鬼村はそのまま大きなリュックを持って玄関に向かったので、恨みがましく見送る事にした。
「じゃ、後よろしく。なるはやで帰って来るから」
「先生、気を付けてくださいね……」
 自分で言っておきながら、一体何を気をつけろと言うのか。
 もどかしさに苛まれつつ、なんとかそれだけを餞別の言葉にする。鬼村は人より大きな歯を見せて不細工な笑みを私に返し、引き戸を開けて外に出た。
 家の前に黒塗りの車が一台停まっていて、後部座席の、ドアの前に、
「あっ」
 あの男だ。
 鬼村の家で鬼村と口論していた、あの男が立っている。
 思わず声をあげた私を一瞥した男はやはり嫌悪感も露に私を睨みつけて、鬼村が乗車するやさっさと運転席に乗り込んでいった。
 車は、よそよそしく走り去った。


 夜になった。
 鬼村の母は申し訳なくなるほど私に良くしてくれて、美味しい夕飯とお風呂を頂いた後は、迷惑にならないよう早々に仏間に引っ込んだ。テレビもない仏間はそれこそ墓場のように静まり返っているが、スマホさえあれば別段不自由はないのだからこの時代は素晴らしい。
 何もする事がないので十時には電気を消して布団にもぐりこみ、イヤホンをして動画を見ながらうとうと舟をこぎ出した。
 そういえば、おじいさんをあれ以来見かけていない。一緒の食卓を囲む事になったらどうしようと思っていたので、これは正直助かった。それに鬼村の父親が見当たらないのも気になった。家に居ないのか、実は離婚しているのか。鬼村と過ごす時間は長いが、お互いそこまでプライベートな話はしてこなかったので分からない。もしかしたら、亡くなっているのかも。
 ああ、何を聞いても地雷を踏みそうだ。彼氏の家に挨拶に行った時の方がよっぽど気が楽だった。
 そんな事をぼんやり考えながら夢現を漂っていると、ふと、瞼越しに瞳が何かを見つけた。光だ。顔の先に、何か光源がある。真っ先に電気だと思った。だが、電気は間違いなくこの手で紐を引いて消したはずだ。スマホは私が右手に持っているので顔の先で光っているはずがない。
 では、一体何が部屋の中で光っている。
 なんて事だ、どう転んでもこの光の正体は恐ろしいものに確定しているじゃないか。霊的なものでも怖いし、人由来のもの……例えば、鬼村の家族が寝ている私を懐中電灯か何かで照らして見ている……でも怖い。何をどうしたって怖い。身動きが取れない。
 ……しかし、だ。
 鬼村は、ここにいる方が安全だと言って私を実家に泊まらせたのである。目の前に何が居るにせよ、そしてそれがどれ程恐ろしい光景であるにせよ、危害はないはずだ。
 大丈夫。私は、鬼村を信頼している。
 あの人が安全だと言うのなら、私は安全なのだ。
 目を開けた。
 鬼火だ。
 床から二メートルくらいの場所に、青白い鬼火が浮いている。まばゆく輝き、熱くなさそうな炎の縁がめらめら揺らめいている。あまりにも鬼火らしい鬼火であるが、予想に反してかなり大きかったので二重に驚いた。いや、鬼火を見るのは初めてなので鬼火の大きさのアベレージなんて分かる訳もないのだが、絵で見る鬼火は大体拳くらいのイメージだったのに対し、この鬼火はバスケットボールくらい大きいのだ。
 鬼火はただじっとその場に浮いていた。襲ってくる様子もないが、かといって消える様子もない。
 何かするべきなのだろうか。それとも、無視してまた眠ってしまうべきなのだろうか。どうしたものかとしげしげ鬼火に目を凝らす。
 次の瞬間、弾かれたように悲鳴をあげた。
 鬼火の中に生首が浮いている。
 鬼村だ。
 鬼村の生首だ。
 生気のない瞳で私を見下ろしている。
「どうしたの、大丈夫!?」
 私の悲鳴を聞きつけた母親と、祖父までが仏間に駆けこんできた。
 私は鬼火を震える手で指さし叫ぶ。
「か、顔! 先生の首! 生首です!」
 二人は一切顔色を変えず、鬼火をちらりと見ただけでそのまま私の所にやってきた。私の手を取る母親の手がハッとするほど温かい。
 私は今にも泣きそうだった。
「し、死ん、じゃったんですか? 先生、死んじゃったんですか?」
「様子見に来ただけや」
 答えたのは祖父だった。彼は鬼火を見上げ、しっしと手を振る。鬼村の生首がゆらりと揺れ、光のない瞳が祖父の方を一瞥した後、ふっとそのまま消えた。
 室内に暗闇が戻った。
「驚かせてごめんなさいね。貴女が心配やったみたい。タイミング悪い時に起きてしもたねえ」
「先生は無事なんですか? 生霊とか、そういう、念を飛ばす的な……?」
「そうそう、そんな感じ。なにもあんなお化けみたいに出てこなくてもええのにな。しょうのない子やわ」
 そう、平然と笑って見せる。
 鬼村の家族は、しっかりと鬼村の家族であった。
 すっかり落ち着いた私は夜中に叫んだことを詫び、もう大丈夫だと二人に引き上げてもらう事にした。すると、すぐに祖父だけがとって返して襖から顔を覗かせた。
「せや、一口さん。イモアライいうんは、ヒトクチと書くイモアライですか?」
「はい、そうです」
「京都にも一口って場所があるんです。忌み祓うから来た地名で、まあ昔の疫病避けの事なんやけども、えらい心強い謂れですな。貴女はご先祖様によう守られてるし、滅多な事じゃ危ない目に遭わないから、安心しい」
 先ほどまで恐ろしかったしゃがれ声が、驚くほどに優しくなっている、その声はなんだか鬼村に似ていて、だから思わず、私は口を開いてしまった。
「あの、一つ聞いても良いですか」
「どうぞ」
「お汚れさんって、なんですか」
 たるんだ瞼にのしかかられ、ただでさえ細い彼の目が更に細められた。一瞬怒らせたかと思ったが、その目には明らかにバツの悪さやうしろめたさの類が滲んでいる。
「孫が言うてたんですか?」
「はい。私はお汚れさんだって」
 それが盗み聞きであった事は秘密にしておく。
 祖父は鼻からゆっくり息を吐き出した。
「まあ、簡単に言うたら忌み子ですわ。分かりますか、忌み子」
「なんとなくは……」
 果たして鬼村の祖父はどういう意図でその言葉を使ったのだろう。忌み子には色々な意味がある。望まれなかった子供、昔の感覚では呪われているように見えた姿で生まれて来た子供、不吉な出自の子供。勿論、どれをとっても良い意味にはなりえないが、どの意味で使っているかによって話が変わってくる。
 祖父は深い声で続けた。
「悪いモン抱えて生まれて、悪いモン抱えて生きていく。生まれた時から汚れ役を押し付けられると決まっとったわけです。でも、あれはうちの一族で一番強い子ぉでね、むしろお汚れさんでちょうどええんですよ。はなから汚れてるなら、なんぼ汚くなっても構へん。あれに怖いモンなんてありゃあせんのですわ」
 だから、誰よりも自由に生きられるのだと。
 祖父は私と目が合うと、いかつい顔から力を抜き、顔中の皺を深めて汚く笑った。鬼村によく似た笑顔だった。
「貴女みたいな娘さんが担当で、うちの孫は幸せ者ですわ。これからもよろしくお願いします。実は孫の本は全部買うてるんです。内緒にしといてくださいね」



 朝になった。
 朝食を頂いている時に、鬼村は帰って来た。
 山に行くと言っていたが、まさか山の中を這いずり回っていたのだろうか、泥だらけで擦り傷まで出来ている。髪はボサボサ、ただでさえいつも目の下にクマがあるのに今は何か塗ったのか疑いたくなるくらい黒い。そして据えたような酷い匂いがした。
「やだ、あんた早うお風呂入ンなさい!」
 母親に返事もせず、鬼村はのろのろ家の奥に歩いて行った。
 鬼村の帰宅に気づいたのだろう祖父が廊下の奥から現れた。酷い有様の孫娘に。眉一つ動かさず言う。その様子は初めて会った時に戻っていた。
「おう。どやった」
「ん、ちゃんとやった」
「えらい怒ってはったやろ」
「ちゃんとやったって!」
 掠れた声で鬼村が答える。祖父はそれ以上何も言わず、這う這うの体の鬼村を見送った。
 それから二時間近く使ってお風呂で汚れを落とした鬼村は、あがって来るなり母親が用意したブランチを無言でがっつき、心配になるほど大量にお茶を飲んでから、いきなり立ち上がった。
「じゃ、もう行くわ」
 言うなり、私を呼んでさっさと身支度をしろと命令する。
 今回は三日間京都に泊まるはずだったのだが、予定を切り上げるのだろうか。否、無理もない。あの様子を見るに、恐らく相当大変な何かが行われたのだろう、さっさと帰って休みたいに決まっている。
「新幹線、日付変えられるか見てみますね」
 私がスマホを弄りならが言うと、鬼村はほとんど開いていない小さな目で私を睨んだ。
「なんで? あんた帰ンの?」
「え、先生、もう行くって……」
「この家から出てくって意味。後二日は、遊んで帰るに決まってるでしょ! ほら、ホテル探して!」
 こんなフラフラの人間から、よもや遊ぶなんて言葉が飛び出して良いのだろうか。
 母親は呆れた顔で四十の娘を見ていたが、諸々言いたい言葉をぐっと飲みこむことに決め、ただ家を出る前に「気ぃ付けて。たまには帰っといで」とだけ言い、鬼村はぞんざいに目を合わせて「うい」とだけ答えた。
 こうして鬼村の帰省は慌ただしく終わりを迎えた。
 しっちゃかめっちゃかな旅であったが、しかし、帰りしな勇気を出して山で何があったのか聞いた私に寄越された答えが、この旅の一番の衝撃だったかもしれない。
「アタシ、山と結婚してるんだよね。山って女が多いんだけど、男の山もいくつかあってさ。昔は人身御供つって生贄山に捧げてたんだけど、死ぬのヤだから、まあ形式的にお山に嫁ぐっていう形で落ち着いたわけ。で、たまーに旦那様のご機嫌取りしないとさ、怒って地震とか来ちゃうのよ。弟がお山をよいしょして濁してくれりゃ良いのに上手くいかなかったみたいで、あいつ本当使えねーや」
 本当に、この人はめちゃくちゃだ。
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