鬼村という作家

篠崎マーティ

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四十五話「2001ー2」

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「じゃあね、先生」
 玄関で真が振り返ると同時、待ち構えていた神保にキスされて思わず笑ってしまった。最近、帰りしなはいつもこうだ。
「やっぱ送ってこうか」
「駄目だって。見られたら先生クビだよ」
 教師の家に行くのだってヒヤヒヤものなのに、真の家まで二人して歩いて行こうものならたちまち噂がたってしまうだろう。学校自体は電車で通う距離だが、同じ神奈川県内である。どこで誰に出くわすか分からない。
 真はニヤニヤと悪戯めいた笑みを作った。
「それとも、うちに挨拶くる?」
「うん、そのうち行かないとな」
 さらりと言うものだから、面食らったのは真の方だった。
「いや、いいよ。まだ流石に……」
「まあ、真が卒業してからじゃないとな」神保はそう言って苦笑いを浮かべる。流石に後ろめたさはあるようだ。
 もしこれが親に知れたら、どれだけ怒られるか想像も出来ない。
 藤原家は基本的には放任主義である。特に誠に関しては、弟と違って将来に何かしらの期待がされている訳でもないので、好きにしたらいいというスタンスだった。しかし、未成年の娘が大人の男と、それも通っている学校の教師と関係を持っているとなれば、流石に好きにしろ等とは言えまい。
 ドライな関係の家族だが、だからといって好き好んでがっかりさせたい訳ではない。それなりに愛情もあるし気にもかける。その為、この関係はある程度の時が経つまで秘密にしておくつもりだった。
 ――それだけの猶予があれば、真の家系について、神保にきちんと説明する事も出来るだろう。
 前途多難の四文字が行く手に聳え立っているのが見える現状だが、とにかく、挨拶に行く意思があると分かっただけで真は嬉しかった。
 どちらかがそうと言った訳ではないのだが、気づけば二人の間で、そのうち結婚するのだという暗黙の認識が出来上がっていたのだ。


 その日の夜、真が寝る準備をしているとまた死神が現れた。
 作者と読者という奇妙な関係は、あれ以来、新作が書きあがるごとに渡すという定期的な接触をもって続いており、不意に死神が立っていても真はそれほど驚かなくなってしまっていた。
「こんばんは」
 ご近所さんとすれ違ったような気さくさで挨拶をすると、机の上の茶封筒を手に取る。新しく書き上げた分をプリントした原稿が入った茶封筒だ。新作を書いたら死神に渡すという一連の儀式のために、詳細は伏せて母にプリンターを購入してもらったのでいつでも準備は万端である。
 死神は封筒を受け取ると、ちらりと一瞥しただけで何も言わず真に視線を戻した。おかしい。普段なら嬉しそうに封筒を貰い、あれやこれやと感想を述べてくるのに。
 まさか、前回がつまらなかったのだろうか。そう思い至った途端、真は冷水を浴びせかけられたようなショックを覚えた。あんなに楽しみにしていたのに満足させられなかったのか。何か言いたげにしているのは、もう小説は要らないと言うつもりだからじゃないのか。
 たった一人の読者に、見捨てられてしまうのか。
「どう、しました……」
 どんな駄目だしを浴びせられるだろう。
 不安で仕方がなくても、これだけ見つめられては聞かないでいられない。
 死神はすっと俯くと、笠の下に顔を隠してしまった。
「――やつがれは」固い声で言う。「人間じゃありやせんがね。――大人がガキに手ぇ出すのは、どうかと思いやすよ」
「……は……?」
 予想だにしない事を言われ、ほとんど吐息のような声が出た。
 僅かに笠が持ち上がり、窺うように死神が覗き込んでくる。
 頭が、真っ白だった。
「なんの……いや、だって……どうして……」適切な言葉が見つかるまでに時間がかかった。「……なんで知ってるんですか」
 何も言わず、死神は再び笠の下に隠れた。
 それを見た途端、真の中で感じた事がない程激しい焦燥感が爆発した。
「後つけたんですか?」
 思わず一歩詰め寄る。
 だが、本当に聞きたいのはそこではない。
「どこで? どこまで、何を見たんですかっ?」
 違う、違う、本当に心配しているのは――
「……誰かに言うつもりですか?」
 溜息を吐いたような肩の落とし方をして、死神はようやくちゃんと顔をあげた。怒っているのか、呆れているのか分からないが、じっとりと真を睨みつけてくる。
「後ろめたいならやめなさい。いつか酷い目みやすよ」
「違う、違うんです、大丈夫なんです」真は必死に言った。「ちゃんと結婚するなら良いんです、だって女は十六で結婚出来るし、悪い事してるわけじゃ」
「ご家族に言えるんで?」
「時期があって! ちゃんと一緒に考えて、相談してるから大丈夫です! だから……」
 死神が溜息を吐いた。今度こそ、はっきり聞こえる音で。
「……まァ、あんたの人生だ。好きにしたら良い」
 冷ややかに言う。
「どんな馬鹿をするのもあんたの勝手だが、あの男に嫁いで、物書きはやめちまうつもりですかい」
「いや、別に、小説はいつだって書けますけど……」
「辞めろと言われるかもしれませんぜ」
「言われませんよ、私の趣味なんだから」
 無表情で死神は真を見つめている。チリリと何かが肌を刺すような奇妙な感覚を覚え、思わず呼吸が乱れた。
 ややあって、彼はまた茶封筒を一目見ると眉根を寄せて呟いた。
「……肩入れしすぎたな」
 ふいと視線を逸らし、踵を返す。
 次に真が瞬きをすると、死神はその場からもう居なくなっていた。

 それから、死神を見なくなった。
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