彼女は白を選ばない

黒猫子猫

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人間が嫌いになりそうだ

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 敵国ルーフスの兵が森の奥まで侵攻し、彼を見つけたのだ。訳が分からないまま連行され、王都へ至る道中で、小さな竜たちの亡骸を見つけた。どれも首輪を嵌められ、足には個体を識別するような番号まで書かれていた。 
 逃げきれなかった飛竜たちが国に利用された証だと、ヴェルークはすぐに理解し、人への憎悪が膨らんだ。

 戦友が興した国は、その息子が戦に明け暮れながら守っていた国は、地竜有するルーフスに力負けして滅んでいたが、ヴェルークの冷めた心には響かなかった。

 もはや気がかりなのは、部下達の行く末だけだったが、眠りから覚めたばかりの身体は思うように動かない。

 苦い思いがこみ上げる中、ヴェルークは王宮の広場で、一人の少女に出会った。

 破壊の限りが尽くされた広場には、数多の亡骸があった。取り囲んでいたルーフスの騎士達は全員武装していたが、彼女の装いは戦とは無縁のものだった。

 彼女が、唯一生き残った王女ティナだということを、ヴェルークは兵士達の話から知った。

 ティナが着ていた飾り気のない無地のドレスは、深紅だ。

 長い黒の髪に、目の色も漆黒だったから、あまり濃い色合いの服は似合わなそうだったが、その分色白な手足が際立つ。凄惨な戦場にあって、彼女は無傷だった。

 周囲を敵兵に囲まれて、自軍の兵達の亡骸を前にしても、その顔から読み解ける感情は何もない。
 ルーフス兵が、彼女の前に自分を突き出して、嘲笑った。

「ティナ王女。そんな赤いドレスではなく、白を着たらどうです? 貴女も年頃の女性だ、花嫁衣装を着たいでしょう」
「同感だ。この小汚い男と共に教会へ行けばいい」

 ――白、だと?

 ヴェルークは一瞬戸惑ったが、すぐに理解した。

 人間の風習として、教会で結婚式を行う際、花嫁は白いドレスを着るものだと、かつて戦友が教えてくれたからだ。
 
 ――冗談じゃねえ。

 ヴェルークがそう思っていると、ティナも静かに答えた。

「お断りするわ」

 兵達は彼女をからかうような笑い声をあげたが、ヴェルークは違った。

 戦友の末裔であるティナの髪に乱れはなく、傷一つない。だが、深紅のドレスの端々に、返り血があった。騎士達が身を挺して守ったのだろう。それだけの価値がある王女だと、思われたのだ。彼女を守ってくれと、多くの騎士達の思念が残っているように感じた。

 自分との結婚を拒絶したにも関わらず、彼女は敵兵に何か望みはあるかと続けて問われた時、こう言った。
「彼を私の騎士にしたいわ。一緒にいさせて」
 そして、汚れたヴェルークの手を取り、
「これが最後の役目よ」
 と微笑みかけた。

 彼女の手の甲に、竜の紋章が現われたのはこの時だ。
 竜の長い人生の中で、唯一無二の『番』の証。稀に産まれる、竜と同じ強い魂を持つ人間であり、伴侶の誓いをたてて竜と交われば、同じ月日を生きられると言われていた。
 だが、ヴェルークがティナが自分の番だと気づいた瞬間、彼女は彼の元から引き離され、敵将の刃にかかった。


 激情に駆られたヴェルークは、気づけば竜と化し、周囲の兵達を一掃した。そして、竜紋を持つ者の魂は仮に肉体が滅んでも、竜族が護りさえすれば現世に留まり、転生が叶うという力に縋った。

 彼女の魂を体内へ取り込み、王都を離れて再び身を隠し、生命維持に必要な最低限の力だけは残して、あとは魂の修復に心血を注いだ。

 百年後、ようやく彼女の体が再誕の日を迎えた時、疲弊したヴェルークは意識を保っていられなかった。
 目を覚ました時、ティナはどこにもいなかった。


 ヴェルークは各地を放浪しながら、ティナと仲間の生き残りを探したが、祖国の滅亡と共に飛竜は壊滅しており、野にいる飛竜は一頭たりとも見つけ出せなかった。ルーフスに囚われた飛竜たちを救おうと近づいたこともあったが、どれも小さく脆弱で、知能も低く、ヴェルークに怯えて騒ぎ立ててしまう始末だ。
 たとえ連れ出したところで、あっという間に逃げ散って、方々で野垂れ死ぬことが容易に想像がつく。

 ルーフス軍は貴重な戦力として見ており、後生大事に世話をしていたので、逃げる必要性も感じていないようだった。

 気高い飛竜の堕ちた姿は、ヴェルークを深く思い悩ませた。

 唯一、彼の希望となったのは、小さな村で村長の養女となっていたティナを見つけたことだ。元の彼女の身分を知っていたヴェルークは、当初困惑したが、少なくともティナには笑顔があった。

 旅人を装って村に入り、まず彼女の養父である村長に接近して、旅の中で得た情報を話してきかせ、滞在費として多額の金も渡した。どれも戦禍にあえぐ小さな村にとって、貴重なものだ。

 村長は喜んで、ティナとも引き合わせてくれた。

 まずは他愛のない雑談をして彼女の緊張をやわらげた。村の用事を頼んで来た村長にも快く応じたのは、彼女に会う理由に使うためだ。
 その内、ティナと二人きりで話すことも、村長は許すようになり、彼女も身の上話をしてくれるようになった。

「二人は、孤児だった私を引き取って育ててくれたのよ。ありがたいわ」
 と、ティナは穏やかな顔で微笑んだ。

「そうか」

 明日の暮らしも定かではない、小さな村だ。孤児の面倒を見ようという夫婦は珍しい方なのだろう。彼女を見失った負い目もあり、ヴェルークはこの時はまだ、村長夫婦に感謝していた。

 だが、ティナと別れて、居としている小さな宿屋へ戻ろうとした時、家の中から夫婦の話し声が聞こえてきた。

「あなた、ヴェルークはずいぶんとティナに入れ込んでいるようよ。嫁がせてやったら、ますます恩義に感じて、働いてくれるんじゃないかしら?」
「そう簡単に嫁にやれんよ。あいつは飛竜と何か縁があるのかもしれんのだぞ」

 夫婦は善意でティナを拾って育てたわけではなかった。
 ヴェルークの番の証である竜紋が薄っすらとあるのを見て、意味は分からないなかでも、彼女にはなにか特別な力があるに違いないと思って引き取ったのだ。竜紋はヴェルークと引き離されたために、すぐに消えてしまったようだったが、夫妻はその時を忘れてはいない。

「そうね。もしそうなれば⋯⋯」
「あぁ。どの国でも喉から手が出る程欲しがるだろう。特にルーフスは飛竜の支配に躍起だからな。高く売れる」

 夫婦の話し声は小声だったが、ヴェルークの耳は正確に捉えていた。
 深いため息を吐き、ヴェルークはその場を離れた。

「⋯⋯くそったれ」

 かつての口癖が、漏れる。絶望が胸を占めた。

 心が、また壊れていく気がする。自分が、保てそうにない。

 人間が、また嫌いになりそうだ。

「ヴェルーク? こんなところでどうしたの?」

 家の近くの木の傍で座り込んでいると、ティナが見つけて声をかけてきた。手には大きな籠がある。ティナが買い物に行く時に持って行くものだ。

「いや⋯⋯何でもない。これから買い物か?」
「えぇ、買い忘れてしまったものがあるから」

「今からだと、帰って来る頃には暗いぞ。明日にしたらどうだ」
「大丈夫よ」

 ティナに微笑まれて、ヴェルークはようやく立ち上がる元気が出た。

「⋯⋯俺も行く」
「平気よ。慣れているわ」
「どうせ宿に戻っても暇だ。一緒に行く」

 ヴェルークは譲らず、ティナと共に歩き出した。
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