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貴方は空にいて
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「⋯⋯人間という生き物は、ややこしくて分かりにくいな」
「竜族は羨ましいくらい、真っすぐね」
「⋯⋯⋯⋯」
「貴方は空にいて。そして、私を導いて」
人の手の届くことのない場所に。それでも焦がれてやまない場所に。
大空を制する圧倒的な強者の高潔な生き方を見つめ、羨望と畏敬の念と抱きながら、人は我が身を振り返り、過ちを何度でも正していくことだろう。
ティナは優しく続けた。
「飛竜は誰にも屈しない強者よ。だから、私に求婚の言葉はいらないわ。貴方は、誰にも膝を折らなくていいのよ」
ようやく、ヴェルークは彼女が頑なだった理由が分かった。
「白は、まだ嫌いか?」
「大嫌いよ。絶対に身に着けないわ」
「⋯⋯お前もそれでいい」
かつて戦友が言っていた。白は人間の人生にとって、なじみの深い色だと。
花嫁衣装は純白であるのが普通であるし、死に装束も白だという。
百年前、紅いドレスを着たティナに敵兵たちは『白を着て、教会へ行ったらどうだ』と嘲った。教会で結婚と葬儀を一緒に迎えろという意図があったのだろう。
だが、滅びた国の者にとって、白はもう一つ意味がある。
降伏の色だ。
たった一人生き残ってしまった王女に、屈服しろと暗に言ったのだ。多くの騎士に護られ、最期まで祖国と共にあった王女が、受け入れるはずがない。白を身に着けるはずがない。
全てを理解した時、ヴェルークはティナを強く抱きしめていた。彼女の体は細く、加減をしないといけないと分かっていても、堪えきれない。
ティナは弱い。それにも関わらず、飛竜よりも遥かに心の強い女だった。だからこそ、敵兵にも屈しず、自分の命を惜しまず、逝ってしまったのだ。
気を抜けば簡単にヴェルークの手から、零れ落ちていってしまいそうな命だった。ヴェルークは怖くてしかたがなかった。彼女が生涯にたった一人しか現れないという運命の番だから、という理由ではもうない。
ティナという一人の女性が、どれほどかけがえのない存在なのか、分かったからこそ。
「どうして泣いているの?」
「⋯⋯分からない。あいつが逝った時も泣かなかったんだが⋯⋯今は、なんだか怖い」
気づけば、ヴェルークの目から涙が落ちて、ティナの服を濡らしていた。彼女は微笑んで、広い背に腕を回した。
「私もよ」
「⋯⋯⋯⋯」
「生きようと思うからかしらね」
どちらも、互いの命を惜しみ、慈しんでいるからだ、とティナは思った。そして、どんな言葉よりも遥かに、ヴェルークの心を慰め、彼女への深い愛情を自覚させる。
「ティナ」
「なに?」
「無性に⋯⋯キスがしたい」
「⋯⋯いいわ」
ティナは微笑んで、甘い彼の口づけを受け入れた。
翌日、夜明けを待って、ティナとヴェルークは小屋を後にした。ルーフス軍の気配はまだない。すぐに竜化して逃げなければならないわけではなかったから、水と食料を求めたのだ。
特にティナがほしがったのは、水だった。空腹は多少我慢できても、喉の渇きは耐えがたいものがあった。
幸いにして、ヴェルークはすぐに川の音を聞き分けて、場所を見つけた。ただ、その場に向かうのには急斜面の下り坂が続いた。
ヴェルークが手を取り先導したが、山歩きに慣れていないティナの足元はおぼつかない。彼女が少しバランスを崩したり、よろけたりするたびに、彼は胃に穴が開きそうな顔をする。
ようやく小川のほとりに辿り着いた時、ヴェルークは大きく安堵の息を吐いたほどで、ティナは苦笑した。
「そんなに心配しなくてもいいのよ。転んだことくらいあるわ」
「⋯⋯俺は頑丈だが、お前はそうじゃないからな。心配するなというのが無理だ」
村を出てからというもの、ヴェルークは何をするにしても常にティナを優先したがった。彼自身、強靭な身体の持ち主であることも大きいのだろうが、あまりにも自分をそっちのけにするものだから、ティナも心配になる。
小川の水も、ティナが喉を潤し、顔や手を洗って少しばかり身綺麗にして、全て終わった後で、彼もようやく水を飲み始めたくらいだ。それまでは何度促しても、固辞してしまう。
彼のお荷物になりたくない、と歯がゆい思いもあった。だからといって、無謀な真似をしたら、余計に彼の負担になることも、ティナは理解していた。
――私にできる事を、一つ一つ、やりましょう。
そう自分に言い聞かせる。
その後、森へ食料を探しに行くという彼に同行した時も、ティナは懸命に彼の後を付いていった。竜化してしまうと獲物が怯えて逃げてしまうから、ヴェルークは人の姿のままだ。彼女を一人待たせておくのも不安だから、一緒に行動するしかなかったが、森の道はどこも険しい。
ヴェルークが獲物を探して意識を森に向けた時、ティナは足を滑らせて、山道を転げ落ちてしまった。幸いにして、太い木の幹に腕を伸ばしてしがみ付き、落下は止まったが、ヴェルークが悲鳴を上げた。
「⋯⋯っティナ!」
蒼白になって駆け付け、ティナを助け起こした彼の表情たるや惨憺たるものである。
「平気。どこも痛くないわ」
立ち上がって、身体の汚れを払って微笑んだが、ヴェルークの顔色はまだ悪い。彼自身も、この当てのない放浪が、長くは続かないことを察しているのだろう。
ティナの身体がいつまで持つか分からない。
そんな不安に苛まれる彼に、ティナは微笑んで、繰り返し励ました。
「大丈夫よ」
「⋯⋯⋯⋯」
死んだはずの命は、ヴェルークの番であったために蘇った。生まれ変わっても、もう既に平穏な人生ではない。だが、ティナが自ら望み、選んだ道である。祖国は滅び、家族も亡い。寂しさと虚しさがこみ上げるが、傍にヴェルークがいてくれていることが、途方もない心の支えになった。
人は弱い。だからこそ過ちを繰り返し、省みて、新たな希望を見つけて生きていくのだ。
何度転んでも、這いあがってみせる。
自分を護り死んでいった騎士達の想いを背負い、飛竜に再び居場所を作るために。
「何度だって立ち上がるわ」
ヴェルークを見つめ、ティナはきっぱりと告げた。彼の目が細められ、嬉しそうに頷いた。
「竜族は羨ましいくらい、真っすぐね」
「⋯⋯⋯⋯」
「貴方は空にいて。そして、私を導いて」
人の手の届くことのない場所に。それでも焦がれてやまない場所に。
大空を制する圧倒的な強者の高潔な生き方を見つめ、羨望と畏敬の念と抱きながら、人は我が身を振り返り、過ちを何度でも正していくことだろう。
ティナは優しく続けた。
「飛竜は誰にも屈しない強者よ。だから、私に求婚の言葉はいらないわ。貴方は、誰にも膝を折らなくていいのよ」
ようやく、ヴェルークは彼女が頑なだった理由が分かった。
「白は、まだ嫌いか?」
「大嫌いよ。絶対に身に着けないわ」
「⋯⋯お前もそれでいい」
かつて戦友が言っていた。白は人間の人生にとって、なじみの深い色だと。
花嫁衣装は純白であるのが普通であるし、死に装束も白だという。
百年前、紅いドレスを着たティナに敵兵たちは『白を着て、教会へ行ったらどうだ』と嘲った。教会で結婚と葬儀を一緒に迎えろという意図があったのだろう。
だが、滅びた国の者にとって、白はもう一つ意味がある。
降伏の色だ。
たった一人生き残ってしまった王女に、屈服しろと暗に言ったのだ。多くの騎士に護られ、最期まで祖国と共にあった王女が、受け入れるはずがない。白を身に着けるはずがない。
全てを理解した時、ヴェルークはティナを強く抱きしめていた。彼女の体は細く、加減をしないといけないと分かっていても、堪えきれない。
ティナは弱い。それにも関わらず、飛竜よりも遥かに心の強い女だった。だからこそ、敵兵にも屈しず、自分の命を惜しまず、逝ってしまったのだ。
気を抜けば簡単にヴェルークの手から、零れ落ちていってしまいそうな命だった。ヴェルークは怖くてしかたがなかった。彼女が生涯にたった一人しか現れないという運命の番だから、という理由ではもうない。
ティナという一人の女性が、どれほどかけがえのない存在なのか、分かったからこそ。
「どうして泣いているの?」
「⋯⋯分からない。あいつが逝った時も泣かなかったんだが⋯⋯今は、なんだか怖い」
気づけば、ヴェルークの目から涙が落ちて、ティナの服を濡らしていた。彼女は微笑んで、広い背に腕を回した。
「私もよ」
「⋯⋯⋯⋯」
「生きようと思うからかしらね」
どちらも、互いの命を惜しみ、慈しんでいるからだ、とティナは思った。そして、どんな言葉よりも遥かに、ヴェルークの心を慰め、彼女への深い愛情を自覚させる。
「ティナ」
「なに?」
「無性に⋯⋯キスがしたい」
「⋯⋯いいわ」
ティナは微笑んで、甘い彼の口づけを受け入れた。
翌日、夜明けを待って、ティナとヴェルークは小屋を後にした。ルーフス軍の気配はまだない。すぐに竜化して逃げなければならないわけではなかったから、水と食料を求めたのだ。
特にティナがほしがったのは、水だった。空腹は多少我慢できても、喉の渇きは耐えがたいものがあった。
幸いにして、ヴェルークはすぐに川の音を聞き分けて、場所を見つけた。ただ、その場に向かうのには急斜面の下り坂が続いた。
ヴェルークが手を取り先導したが、山歩きに慣れていないティナの足元はおぼつかない。彼女が少しバランスを崩したり、よろけたりするたびに、彼は胃に穴が開きそうな顔をする。
ようやく小川のほとりに辿り着いた時、ヴェルークは大きく安堵の息を吐いたほどで、ティナは苦笑した。
「そんなに心配しなくてもいいのよ。転んだことくらいあるわ」
「⋯⋯俺は頑丈だが、お前はそうじゃないからな。心配するなというのが無理だ」
村を出てからというもの、ヴェルークは何をするにしても常にティナを優先したがった。彼自身、強靭な身体の持ち主であることも大きいのだろうが、あまりにも自分をそっちのけにするものだから、ティナも心配になる。
小川の水も、ティナが喉を潤し、顔や手を洗って少しばかり身綺麗にして、全て終わった後で、彼もようやく水を飲み始めたくらいだ。それまでは何度促しても、固辞してしまう。
彼のお荷物になりたくない、と歯がゆい思いもあった。だからといって、無謀な真似をしたら、余計に彼の負担になることも、ティナは理解していた。
――私にできる事を、一つ一つ、やりましょう。
そう自分に言い聞かせる。
その後、森へ食料を探しに行くという彼に同行した時も、ティナは懸命に彼の後を付いていった。竜化してしまうと獲物が怯えて逃げてしまうから、ヴェルークは人の姿のままだ。彼女を一人待たせておくのも不安だから、一緒に行動するしかなかったが、森の道はどこも険しい。
ヴェルークが獲物を探して意識を森に向けた時、ティナは足を滑らせて、山道を転げ落ちてしまった。幸いにして、太い木の幹に腕を伸ばしてしがみ付き、落下は止まったが、ヴェルークが悲鳴を上げた。
「⋯⋯っティナ!」
蒼白になって駆け付け、ティナを助け起こした彼の表情たるや惨憺たるものである。
「平気。どこも痛くないわ」
立ち上がって、身体の汚れを払って微笑んだが、ヴェルークの顔色はまだ悪い。彼自身も、この当てのない放浪が、長くは続かないことを察しているのだろう。
ティナの身体がいつまで持つか分からない。
そんな不安に苛まれる彼に、ティナは微笑んで、繰り返し励ました。
「大丈夫よ」
「⋯⋯⋯⋯」
死んだはずの命は、ヴェルークの番であったために蘇った。生まれ変わっても、もう既に平穏な人生ではない。だが、ティナが自ら望み、選んだ道である。祖国は滅び、家族も亡い。寂しさと虚しさがこみ上げるが、傍にヴェルークがいてくれていることが、途方もない心の支えになった。
人は弱い。だからこそ過ちを繰り返し、省みて、新たな希望を見つけて生きていくのだ。
何度転んでも、這いあがってみせる。
自分を護り死んでいった騎士達の想いを背負い、飛竜に再び居場所を作るために。
「何度だって立ち上がるわ」
ヴェルークを見つめ、ティナはきっぱりと告げた。彼の目が細められ、嬉しそうに頷いた。
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