殿下、今日こそ帰ります!

黒猫子猫

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第1羽・私の名前

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 今月も、虹色の鳥を見た。

 池の水面に映った姿に気づき、顔を上げて目を凝らして見れば、一羽の鳥が悠々と大空を横切っていく。いつものように、かなりの高度を飛んでいるらしく、広大な大空の下では小さく見える。それでも、太陽の光を浴びて七色の長い尾は美しく輝きを放ち、いつも彼女の目を楽しませていた。

 鳥はあっという間に東の空へと飛び去って行った。

 次に見るのは、また来月だ。

 彼女が理解しているのは、それだけだった。

 再びゆっくりと視線を落とし、元通りに池の前に屈むと、感情の無い瞳で水面を見つめる。彼女から少し離れた場所で見守っていたのは、数人の侍女だ。

 侍女たちが日々世話をしている彼女は、まるで生きた人形のような少女だった。

 赤子の時から泣き声一つあげず、一切言葉を発しない。誰を見ても何があっても、笑いもせず、泣くこともなかった。そんな子どもを、侍女たちの主である男爵夫妻は孤児院から引き取って、使用人たちに養育させてきた。

 乳母や侍女たちが食事に着替え、入浴の仕方などを教え、生きていく上で最低限の生活は覚えたが、それも周囲が促せば何とかやる程度だ。外出もままならず、王都の一角にある男爵家の屋敷で日々を過ごしていた。

 彼女は、もう二十歳を越えている。

 本来なら養女とはいえ貴族の家の娘であるから、縁談が持ち込まれ、恋の一つもしていい年頃だ。だが、生きるのにやっとという状態の彼女は、恋はおろか、異性を拒んでいる。養父である男爵にさえ、近寄られるのを嫌がる始末だ。

 ただ、屋敷の中庭へ散歩に連れ出すと、必ずといっていいほど、彼女は小さな池の傍に行きたがる。池の前に立ち、空をしばらく眺め、一時間ほど経つと戻る。自発的な行動をするのは、それだけだ。

 このまま、お嬢様は一生を終えるのかしら――――侍女たちは哀れみと諦めの目で、彼女の背中を見つめた。

 世話役の者をつけられて、近々修道院に入るのではないか、という噂もある。

 二十年間、何も感情を映さなかった瞳は今、彼女の人生で最も大きく見開かれていた。

 ――――これは、何?

 混乱のあまり、頭がくらくらした。水面を見つめて、思わず手を伸ばし、背後から聞こえた悲鳴に引っ込める。

「見て! お嬢様が、自分から動き出したわ⁉」

 彼女はさらに目を見張った。お嬢様など、そもそも現代で滅多に聞かない単語である。恐る恐る振り向けば、食い入るように見つめる女性たちの視線が全身に突き刺さる。

「ふ、振り返られたわよ⁉」

 驚愕の眼差しを向けられ、何だかまずい事をしたような気がして、慌てて池へと視線を戻す。そこに映っていた姿を見つめ、彼女は呆気にとられた。

 ――――これは、誰?

 髪は真っすぐで少し肩につく程度だったはずなのに、今や腰まである上にふんわりとした巻き毛だ。手で一房取ってみれば、いつもの黒ではなく榛色である。やや吊り上がっていた眉と小さめの目は、大人びている顔立ちだと同僚に言われたが、今はどちらもやや下がり気味だ。目がぱっちりとした大きい瞳であるせいか、ややあどけなさが見え隠れする。

 可愛らしい顔だちにも思えたが、身体は真逆で肉感的だ。細身だった身体は少し丸みを帯び、なんといっても胸が大きい。腰回りは細いが、お尻に触れれば質感がある。身体はしっかり大人だった。

 覚えのある自分とあまりに違う姿に戸惑い、必死で記憶を呼び覚ます。

 私の名前は、『立花たちばな有海あみ』。二十一歳。
 高校を卒業する直前になって病で倒れた親を看取った後、上京して仕事を始めた。

 ある朝、寝ぼけ眼をこすりながら、まだ人通りの少ない道をふらふらと歩きながら、職場へ向かおうと思っていた。

 雨上がりの空に、雲の合間から朝日が差して。

 ――――綺麗な七色の虹が見えたのよね。ちょうど、あの鳥みたいな……。

 その後、遠くの方から悲鳴が聞こえて以来、記憶がない。

 気づいたら、姿かたちが変わって――――。

「お……お嬢様?」
 などと、言われる始末である。

 このままずっと水面を見つめ、現実逃避していても仕方ないと諦めた彼女は立ち上がり、振り返った。相変わらず女性たちは呆然とした顔をして、見返している。

「お嬢様って、私の事ですか? 貴女たちは……だ、れ⁉」

 誰なのと続けて聞こうとした声が、妙な音階を奏でる。女性たちが、一斉に腰を抜かしたからだ。彼女は半泣きになった。驚いてもう叫びたいくらいなのに、先に揃って動転されるものだから、逆に冷静になってしまう。

「ねぇ、お願い。全部先にしないで⁉ 私の分も取っておいて⁉」
「言葉を話されたわ⁉」

 悲鳴交じりの絶叫と共にそんなことを言われ、彼女は遠い目になった。やれ旦那様に注進だ、奥様はどちらに、などという言葉が飛び交い、その場は更に混迷を極める。

 ――――もう、嫌……。

 彼女は再び空を見上げた。若葉色の瞳に映った色は、残念ながら青だけだった。
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