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第2羽・殿下は特殊なお方
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侍女たちに伴われて自室に戻った彼女の元に、夫婦が駆けつけた。
父と母――――正確に言うと、養父母となる二人は、まだ三十代と言っても十分通用しそうな若さに見えた。ただ、問いかける間など与えられない。ほぼ一方的に自分が覚えている限りの『過去』を尋ねられたので、先ほど思い出した事をまず簡潔に伝えた。
二人が深刻そうな顔をして黙ったのを見て、彼女はようやく尋ねることが出来た。
「お二人は、私が幼い頃の実の娘さんに似ていたから引き取ってくださったと、侍女の皆さんから聞きましたが、そんなに似ていますか……?」
夫婦が来るまでの間に、彼女は侍女たちを質問攻めにして、捨て子だった自分を孤児院から引き取ってくれたという事を聞き出していた。
二十歳になるまで、何一つ反応しなかったという事もだ。そして、夫婦が実の娘と同じく、『エミリア』と名前を付けたのだと教わった。
孤児から貴族の家に引き取られたのは、本来は幸運と言うべきなのだろうが。
――――困る……。
正直、嬉しくない。
有海として生きていた頃も、田舎から上京したばかりで知人や友人がいなかった事もあり、華やかな都会にやや疲弊していた。慣れない仕事に四苦八苦しながら、小さな古いアパートで地道に暮らし始め、やっと慣れ始めていたところなのだ。
それなのに。
視線を落とせば、身に着けているのは見るからに上質そうなドレスだ。
フリルがたっぷりとついたスカートに、裾にはレースがあしらわれ、花を模した飾りまでついている。可愛いとは思うが、お腹をぎゅうぎゅうに締め付けているコルセットがいただけない。
耳元の髪が編み込まれ、後頭部で止められて大きな花飾りがついて、後は降ろされている。
疲れたからと、その辺でごろりと寝転がるなんて許されないだろう。
こんなものを日常的に身に着ける令嬢。
――――まず、無理だわ……。
辟易とした顔でドレスの端を摘まんでいると、夫人と話し込んでいた男爵が口を開いた。
「エミリア!」
「……私の名前は……」
「お前は誰が何と言おうと、エミリアだ!」
鬼気迫る目で見られ、勢いに呑まれて有海は――――エミリアは頷いた。
「は、はい」
「いいか。お前は明日、私と一緒に王宮に行くからな」
「え?」
「実は茶会という名目で、まだデビュタント前の娘が、王子殿下とお会いになる場が設けられた」
「それは、順番がおかしいのでは……?」
貴族社会など歴史の授業でしか習った事はないが、社交場へデビューすることで、令嬢たちは貴族の一員として認められるものと記憶していた。それより前に、わざわざ王族のような高い地位にある者と会う理由が分からない。目を見張るエミリアに、男爵は平然と言った。
「社交場に出て他所の男の手垢がつく前に、殿下に好みの娘を探していただくためだそうだ。殿下はもう既に正妃となる女性を定められているが、あまりに大切にされているせいか、想うだけで満足されているという。これでは結婚したとしても、いつ後継ぎができるか分からん。その前に若い娘と気軽に関係を楽しんでいただこうというのが、われわれ貴族の総意だ!」
「それは……」
ひどい、という言葉は何とか飲み込む。
黙って話を聞いている男爵夫人が何やら察したのか睨んできて、口を噤む。男爵はといえば、女性二人の様子など眼中にない。
「今ならまだ間に合う。なんたる幸運だ。うまくいけば見初められて、妾にしていただけるかもしれん。そうなれば、我が家は一気に一目置かれる存在だ!」
ついていくのがやっとのエミリアは、頭の中で国語の辞書を開いた。
妾、とはなんだったか。現代では死語に等しい言葉だった。
少し考えた後、赤くなって、青くなった。
男爵の口調からして、妾を持つのも許される社会のようだ。一夫多妻制なのだろう。浮気や不倫はご法度という世界で生きてきただけに、にわかには受け入れがたい話である。
「い、嫌です!」
「親の命令に子は拒否する事はできない。貴族の家の常識だ」
「私は貴族ではありません!」
「今まで大事に育ててやっただろう。恩を返してくれ! な⁉」
「う……!」
エミリアは言葉に詰まった。それが一番痛い所だからだ。
この身体はもう二十年も生きているらしいが、身体はいたって健やかである。生まれた時から無反応だったというが、それでも丁寧に世話をされていたのは分かる。
男爵も、彼女の弱味だと瞬時に理解した。
「お前はとんでもない恥ずかしがり屋で、口もまともに利けぬ娘だという事にしておく。私が全て殿下に経緯を説明するから、お前は黙って立っているだけで良い!」
「それでも、絶対に……ボロがでると思います。それに黙って立っていたら、見初められるも何もないのでは?」
そもそも貴族らしい振る舞いなど、絶対に無理だ。無意識に会得したのか、ドレスの裾を踏まずに歩ける事くらいしか思いつかない。妾になどなりたくないが、黙って立っているだけで良いというのもおかしな話だった。
だが、男爵は妙に自信満々だ。
「大丈夫だ。殿下は特殊な力をお持ちだからな。全てはそれ次第だ」
「力って……何です?」
「会ってみればわかる。まずは準備だ!」
男爵のツルの一声で、屋敷はあっという間に慌ただしくなった。
父と母――――正確に言うと、養父母となる二人は、まだ三十代と言っても十分通用しそうな若さに見えた。ただ、問いかける間など与えられない。ほぼ一方的に自分が覚えている限りの『過去』を尋ねられたので、先ほど思い出した事をまず簡潔に伝えた。
二人が深刻そうな顔をして黙ったのを見て、彼女はようやく尋ねることが出来た。
「お二人は、私が幼い頃の実の娘さんに似ていたから引き取ってくださったと、侍女の皆さんから聞きましたが、そんなに似ていますか……?」
夫婦が来るまでの間に、彼女は侍女たちを質問攻めにして、捨て子だった自分を孤児院から引き取ってくれたという事を聞き出していた。
二十歳になるまで、何一つ反応しなかったという事もだ。そして、夫婦が実の娘と同じく、『エミリア』と名前を付けたのだと教わった。
孤児から貴族の家に引き取られたのは、本来は幸運と言うべきなのだろうが。
――――困る……。
正直、嬉しくない。
有海として生きていた頃も、田舎から上京したばかりで知人や友人がいなかった事もあり、華やかな都会にやや疲弊していた。慣れない仕事に四苦八苦しながら、小さな古いアパートで地道に暮らし始め、やっと慣れ始めていたところなのだ。
それなのに。
視線を落とせば、身に着けているのは見るからに上質そうなドレスだ。
フリルがたっぷりとついたスカートに、裾にはレースがあしらわれ、花を模した飾りまでついている。可愛いとは思うが、お腹をぎゅうぎゅうに締め付けているコルセットがいただけない。
耳元の髪が編み込まれ、後頭部で止められて大きな花飾りがついて、後は降ろされている。
疲れたからと、その辺でごろりと寝転がるなんて許されないだろう。
こんなものを日常的に身に着ける令嬢。
――――まず、無理だわ……。
辟易とした顔でドレスの端を摘まんでいると、夫人と話し込んでいた男爵が口を開いた。
「エミリア!」
「……私の名前は……」
「お前は誰が何と言おうと、エミリアだ!」
鬼気迫る目で見られ、勢いに呑まれて有海は――――エミリアは頷いた。
「は、はい」
「いいか。お前は明日、私と一緒に王宮に行くからな」
「え?」
「実は茶会という名目で、まだデビュタント前の娘が、王子殿下とお会いになる場が設けられた」
「それは、順番がおかしいのでは……?」
貴族社会など歴史の授業でしか習った事はないが、社交場へデビューすることで、令嬢たちは貴族の一員として認められるものと記憶していた。それより前に、わざわざ王族のような高い地位にある者と会う理由が分からない。目を見張るエミリアに、男爵は平然と言った。
「社交場に出て他所の男の手垢がつく前に、殿下に好みの娘を探していただくためだそうだ。殿下はもう既に正妃となる女性を定められているが、あまりに大切にされているせいか、想うだけで満足されているという。これでは結婚したとしても、いつ後継ぎができるか分からん。その前に若い娘と気軽に関係を楽しんでいただこうというのが、われわれ貴族の総意だ!」
「それは……」
ひどい、という言葉は何とか飲み込む。
黙って話を聞いている男爵夫人が何やら察したのか睨んできて、口を噤む。男爵はといえば、女性二人の様子など眼中にない。
「今ならまだ間に合う。なんたる幸運だ。うまくいけば見初められて、妾にしていただけるかもしれん。そうなれば、我が家は一気に一目置かれる存在だ!」
ついていくのがやっとのエミリアは、頭の中で国語の辞書を開いた。
妾、とはなんだったか。現代では死語に等しい言葉だった。
少し考えた後、赤くなって、青くなった。
男爵の口調からして、妾を持つのも許される社会のようだ。一夫多妻制なのだろう。浮気や不倫はご法度という世界で生きてきただけに、にわかには受け入れがたい話である。
「い、嫌です!」
「親の命令に子は拒否する事はできない。貴族の家の常識だ」
「私は貴族ではありません!」
「今まで大事に育ててやっただろう。恩を返してくれ! な⁉」
「う……!」
エミリアは言葉に詰まった。それが一番痛い所だからだ。
この身体はもう二十年も生きているらしいが、身体はいたって健やかである。生まれた時から無反応だったというが、それでも丁寧に世話をされていたのは分かる。
男爵も、彼女の弱味だと瞬時に理解した。
「お前はとんでもない恥ずかしがり屋で、口もまともに利けぬ娘だという事にしておく。私が全て殿下に経緯を説明するから、お前は黙って立っているだけで良い!」
「それでも、絶対に……ボロがでると思います。それに黙って立っていたら、見初められるも何もないのでは?」
そもそも貴族らしい振る舞いなど、絶対に無理だ。無意識に会得したのか、ドレスの裾を踏まずに歩ける事くらいしか思いつかない。妾になどなりたくないが、黙って立っているだけで良いというのもおかしな話だった。
だが、男爵は妙に自信満々だ。
「大丈夫だ。殿下は特殊な力をお持ちだからな。全てはそれ次第だ」
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