殿下、今日こそ帰ります!

黒猫子猫

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第7羽・殿下のお給餌

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 翌朝。

 エミリアは目を覚ましたが、起き上がりはしなかった。

 隣に横たわっていたランスは先に目を覚ましていたらしく、起きた瞬間に目が合った。
 寝室の窓はカーテンが開かれて、朝日が燦燦と差し込んでいる。眩いばかりの光の下で、神々しいばかりに美しい王子は極上の笑顔を浮かべ、まだぼんやりとしているエミリアの額にキスを落とした。

「起きたか。おはよう」
「……私は、あのまま寝てしまったのかしら」

 王子と一夜を共にした事は、身体が覚えているから、夢ではないだろう。おまけに肩まで毛布がかかっていたが、今もまだ一糸まとわぬ姿である。対して、ランスはといえば真新しい紺のシャツと黒のトラウザーズを穿いていて、先に着替えている。自分だけずっと服を着ていてずるい、と思いつつ、彼に体力の殆どを奪われたエミリアは抗議する気力もない。

 げっそりした顔で枕に頭を深く埋めた彼女に、ランスは優しく髪を撫でた。

「辛いか」
「迷惑な身体だったわ……」

「そう褒めるな」
「褒めてない」

「次はもっと優しくする」
「…………。待って。今回で終わりよね⁉」

「誰がそんな事を言った。まだ不十分だ」
「う……っ」

「朝食を準備させる。何が良い?」

 ランスは上機嫌に笑いながら起き上がる。ベッド下に置かれていた靴を履いて立ち上がった彼を、エミリアは軽く睨みつけ、訴えた。

「いらないわ。帰るぅ……うぅ……?」

 勇んで言ったまでは良かったが、大変間が悪い事に、彼に空腹を訴える音が鳴った。エミリアは真っ赤になって慌ててお腹を押さえたが、もう遅い。ランスは微笑んで、

「急がせる。もう少し休んでいろ」
と言って、部屋を出て行った。

 エミリアは後を追うことはできない。きつくて苦しかったコルセットも、彼の手で床に落とされたはずのドレスも、身に着けるものは綺麗さっぱり無くなっていたからだ。毛布を体に巻きつけて隠すことはできても、これでは外に出られない。

 ――――ずるいわ。帰さない気ね。

 このまま王子の好きなようにされて、なし崩し的にずるずると妾にされてなるものか、と意気込んだ。
 しばらくして、ランスは一人戻って来た。左手で押してきたカートからは、遠くからでも分かるほど良い匂いがする。
 彼はカートをベッドの傍に置くと、下段から女物の服を一式取り出して、エミリアに差し出した。

「着替えだ。必要だろう?」
「あ……ありがとう」

 すっかりやさぐれて、疑ってかかっていたエミリアはばつが悪くなる。礼を言って受け取ると、彼はにっこりと笑った。

「大変だろう。手伝ってやろうか」
「遠慮するわ!」

 着替えくらい一人で出来る。エミリアは毛布で体を包んで起き上がり、そのまま肩に回して彼に背を向ける。ランスはベッドに座ったまま振り返る様子もなかったので、安心して着替えができた。ただ、裾が長いワンピースを着た時、エミリアは唸った。

「終わったか?」
「……わざとじゃないわよね」
「後ろの紐を締めてやるぞ」
「わざとね⁉」

 エミリアは真っ赤になったが、ランスはまた笑っている。

「俺の楽しみを取らないでくれ」
「なによ、それ!」

 だが、そうしている間にも、カートの上から良い香りが漂ってきて辛い。苦渋の想いながら、ランスに頼むと、彼はすぐに振り返って、背中の紐を結んだ。上まで結って、首元にキスをするのを忘れなかった。

 びくっとエミリアは飛び上がり、きっと彼を睨んだ時には、ランスは食事の用意を始めていた。

 カートの上をちらりと見れば、籠にぎっしりと入ったパンは焼きたてらしく、香ばしい匂いがした。大きな丸い器にはサラダが入っていて、色とりどりの野菜が食欲を誘う。そちらはランスがエミリアのために小皿に取り分けている。その傍には小皿には、カットされた果物がデザートとして用意されていた。紅茶のティーポットにカップまである。

 完璧かつ優雅な朝食である。

 ――――毎朝、納豆ご飯をかきこんでいた私が……似合わないにも程があるわ……。

 うなだれるエミリアの傍にランスは座ると、なんとも爽やかな笑顔を向けた。

「さて。何から食べる?」
「い、いらない!」

 鳴くな、腹の虫。

 エミリアは自分を叱咤して、なけなしの意地を張る。ランスは軽く眉をひそめた。

「おい、何も食わない気か?」
「家に帰ったら、食べられる気がするわ!」

 ハンガーストライキだ。このまま彼のペースに呑まれてなるものか、と決意も新たにする。ランスはそんな彼女にくすりと笑い、籠からパンを一つ取って左手で一口大に千切った。それをそのまま、エミリアの口元に持っていく。

 ――――私は子どもか。餌をねだるヒナになれとでもいうのか。

 エミリアは半眼になって、口をへの字に結んだ。

「ほら、口を開けろ。意地を張るな」
「絶対、嫌です!」

「素直になれ。可愛くないぞ」
「そう思うなら、まずは、私をお家に帰して。朝帰りなんて、きっと初めてよ⁉」

 言い返しながら、エミリアは閃いた。こうやって逐一反発していたら、彼も呆れて愛想が尽きるかもしれない。と、思ったが。
 ランスは苦笑してパンを籠に戻すと、
「昨夜はとても可愛いかったから許す」
と言って、愛おしそうに左手で彼女の頭をくしゃりと撫でた。

 ついうっかり受けてしまったエミリアは、悔しいったらない。

「く……っ」
「しかし、食べないのか。それは残念だ」

 大変わざとらしい口調で言うランスに、エミリアは怪訝に思って見返すと、彼はカートの料理の中で、蓋がされたままだった皿を手に取った。そして、彼女の眼前で、わざわざ蓋を取った。

 真っ白の上質そうなお皿の上にあったものを、エミリアは凝視する。

「はう⁉」

 素っ頓狂な声が出たが、もう目は釘付けだ。それは、ここにあってはならないものだった。豪奢な宮殿に、優雅な貴族たち。いかにも中世の社会と思しき世界に――――まさか《おにぎり》があるなんて、誰が思うだろうか。

 ――――しかも、海苔のりつき! 二つもあるわ!

 男爵家の食事も美味しかったし、カートで彼が持参した朝食も食欲をそそるものだったが、和食が大好きだったエミリアは、米が大好物である。

「ど、どうして……」

「異世界から逃げ込んでくる者が、時々いると言っただろう。故郷の味が恋しくなるんだろうな。色々工夫して、素材から作って、料理にまで辿り着く。お陰でこの国は、作られている料理の数では世界一じゃないかと言うくらい多い」

 なんて素晴らしい行動だろう。

 エミリアはもう我慢できなかった。

 パンやサラダは諦められても、これが希少だということくらい分かるのだ。ランスの手からお皿を受け取って、おにぎりを一つ手に取ると、大きな口を開けてぱくっと頬張った。中身は塩味を利かせた焼き魚の身が入っていて、味は鮭に近い。懐かしい食感もして、涙が滲み出そうになる。

「て、天才だわ……」
「そんなに褒めるな」

「これを作った人よ。最高だわ!」
「……お前、少しは俺を誉めても罰は当たらないぞ?」

 ランスは少し不貞腐れた顔をしたが、エミリアはもうおにぎりに夢中で聞いていない。嬉しそうに食べる彼女を見つめ、彼は優しく目を細めた。
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