殿下、今日こそ帰ります!

黒猫子猫

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第12羽・有海

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 別に落ち込むことなんてない、とエミリアは思う。

 異世界なのだから、今まで自分が生きてきた社会とは違う常識がある。ついていけるかどうかは、別として。

 それでもため息が止まらない。
 温室を飛び出してきたは良いが、行先に困る。ランスの寝室になど戻りたくないし、そもそも二階である。鳥なら飛んで行けるだろうが、人間には羽がない。

 誰かに声をかけて、「家に帰りたい」と訴えてみようか。

 そんな事を考えている時、頭上からぼやく声が聞こえた。

「そろそろ帰りたいなぁ……」

 驚いて見上げると、大木の木の枝に一人の青年が座っていた。二十代の初めくらいだろうか。長めの黒の短髪に、漆黒の瞳。この国の者に多い彫りの深い顏立ちとは違って、鼻は低めでやや平坦だ。

 エミリアは見た事のある外見に息を呑む。

「貴方……もしかして……?」

 青年は驚いた顏をしてエミリアを見下ろし、視線が合うと、いきなり飛び降りてきた。かなりの高度があったにも関わらず、彼は軽やかに舞い降りて、エミリアの度肝を抜く。

 思わず彼が今の今まで居た場所と地上を見比べて、「私ももっといけるかしら……!」などと考えたりする。
 一方、彼はにこやかな笑顔を浮かべて、エミリアに声をかけてきた。

「やあ、君がエミリアだね。私はシギだ。どうぞよろしく」

 トリシュナに続いて、彼も自分の事を知っているらしい。もう誰の仕業か分かる。

「……ランス殿下から私の事を聞きましたか?」
「そうだよ。夜中にいきなり叩き起こされたから、何かと思ったよ」

 あの王子は人様の迷惑を考えないらしい。ますます反感が募ったが。
 シギはくすりと笑った。

「しかし、殿下もあんなに嬉しそうな顔をするんだね」
「え……?」

「ほら、あの人って滅多に笑わないでしょ? いつも冷めた目をして、自分の人生なんか面白くもおかしくないって言わんばかりだしね」

 そうだろうか。
 ランスは何だかずっと楽しそうで、よく笑っている気がする。自分の言動がよっぽど面白いだろうか。異世界の者が時々紛れ込むと言っていたから、珍しくはないはずだが。

 困惑するエミリアを他所に、シギは更に続けた。

「でも、君が暮らしていた場所は、私の故郷と一緒だろう? 殿下が君の話を聞いて、思いついたようだね」
「あ……! やっぱり、貴方は日本人ね⁉」

「そうだよ。まあ私があの国で生きていたのは、もう随分前だけどね。でも、料理はそんなに大きく変わらないかと思って、殿下に色々と紹介したんだよ」

 朝食の中に和食が混じっていたが、どうやら彼はシギから作り方を教えて貰ったようだ。

「あのおにぎり、とっても美味しかったわ。どうもありがとう」
「役に立てて良かった。殿下も君が喜ぶんじゃないかって、嬉しそうだったよ」

「そう……なの?」
「うん。君はまだ昔の記憶が無いんでしょう?」

「えぇ……」

 この身体になる前の、の記憶はどんどん戻ってきているが、今ので過ごした二十年近くの記憶は全くないのだ。ただ無為に過ごしてきたのだろう。

「きっと色々戸惑っているだろうし、心細いだろうから、少しでも慰めてあげたいんだって言っていたよ」

 エミリアは目を見張り、頬が次第に赤く染まっていくのが止められなかった。昨夜自分が寝入った後、彼は方々に手を回していたようだ。食事だけでなく、今身に着けている服も体に合っていて、苦しくない。

 シギはにんまりと笑って頷いていたが、不意に顔をしかめた。

「やぁ、嫌な男がきた。君には悪いけど、私はあの人が苦手なんだよ」
「え……?」
「こっちにおいで」

 手招きされて、エミリアは彼がいた大木の影に隠れた。庭木が立ち周囲は茂みが生い茂っているから見通しは悪いが、庭に面した渡り廊下が見えた。

 そこをなんとも強張った顔で歩いてきたのは、エミリアの養父であるガラルド男爵だ。彼の周りには数人の若い令嬢たちがまとわりついて、何やら質問攻めにしている。

 男爵はうんざり顔で足を止め、殺気だっている令嬢たちに苦々しそうに言った。

「だから! 私は何も知らんと言っている。エミリアを王宮に止め置くというのは、殿下がお決めになられた事だ。そもそも、エミリアの養育など、私も妻も使用人達に任せきりだったのだ。あの娘も何を考えているか、私にだって分かるものか。もう関わりたくもない! いいな!」

 吐き捨てるように男爵は言った。彼の脳裏には先ほどの王子の激怒がこびりついている。なにか余計な事でもすれば、間違いなく自家は取り潰されると、彼は察知していた。それでも不満げな令嬢たちを振り払い、逃げるようにして去っていった。

 その怒号は、エミリアの耳にも届いていた。

 ――――私……放っておかれていたのね。無理もないかもしれないけれど……。

 男爵家に自分の居場所など、最初からなかったのだ。

 シギは渋い顔でその様子を見ていたが、目を伏せるエミリアを見返して、優しく告げた。

「君は、殿下のもとに帰りなよ。待っていると思う」

 そう言われても、エミリアは素直に頷けない。何とか気を取り直して顔を上げて振り返ったが、シギの姿はどこにもなかった。

 そして、男爵の話を聞き入り、その後すぐにシギを探して周囲を見回していたエミリアは、少女の視線に気付かない。
 は、令嬢たちの中にいた。その場にいるほぼ全員が男爵へ注意を向けている中、一人だけ庭へと目を向けて、シギとエミリアの様子をずっと見つめていた。

 その眼には怒りと敵意がにじんでいたが、男爵が逃げてしまい、令嬢たちが諦めて歩き出したのに気づき、彼女も動き出した。

 そのまま王宮の廊下を進み、途中で彼女たちと別れると、向かったのは温室だ。エミリアが通った裏口から黙って中へと入っていくと、大きく息を吐き、茂みの傍に屈んだ。

 やがて、エミリアを追っていったランスを見送ったトリシュナが、中へと戻って来て、彼女のもとにやって来た。
 トリシュナは優しく彼女に微笑みかけた。

「いらっしゃい――――有海あみ
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