殿下、今日こそ帰ります!

黒猫子猫

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第22羽・死喰鳥

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 エミリアと共に庭に出たシギは、しばらく故郷の話に興じた。彼の記憶にあるのは五十年以上前の事だが、当時はまだ生まれていなかったエミリアにしてみると、物珍しい話題も多い。現代と共通している事も出てきて、話は尽きなかった。

 シギも懐かしく思ったらしい。

「共通の話ができるというのは、なかなか楽しいね。私はここの世界に来て長いんだが、未だについていけない時がある。向こうとこちらでは、やはり風習や文化も違うから」
「そう……ね。別世界の人たちだもの……」

 もちろん時間の概念や食事の仕方など、共通している点もある。別世界の者が紛れ込むせいか、和食文化も吸収していて、異文化にも寛大な地であるようにも思えた。

 だが、それでもやはり細かい事ともなると、どうしてもシギの方が話は噛み合いやすく、共感も得られやすい。ランスは面白がって話を聞いてくれているが、戸惑う事も多いようだった。

 仕方ない、とエミリアは思った。

 価値観も、考え方も、違って当たり前だ。正式な妻になる女性がいるのに、妾を持ちたがるのも同様だろう。ただ、シギに昔の事を次々に尋ねていたエミリアは、戸惑いも覚えていた。

 ――――私はなんで、もっと殿下に色々と聞かないのかしら……。

 帰らなくてはいけないと、思っているはずだ。そのために、もっと躍起にならなければならないはずなのに。先程もこの地についてより深く知る機会を避け、ランスに「話の途中だ」と呼び止められる始末だ。

 どうして。何を知るのが怖いの。

 エミリアは次第に不安になった。ランスが兵士たちを伴ってやって来るのが見え、余計にその思いは膨れ上がる。

「あ……殿下」

 揺れる心がそのまま出てしまったかのように、言葉がたどたどしくなる。強張った彼女を見て、ランスは表情を引き締めた。

「俺の後ろにいろ。離れるなよ」
「え……?」

 ランスは困惑するエミリアの腕を左手で軽く引き、背に隠すと、シギにも「お前もだ」と言って視線で促す。彼は苦笑いを浮かべて頷いた。
 さらに周囲を兵士たちが取り囲み、各々剣を引き抜く。ランスは鋭い目で闇に包まれた空を見上げた。

「来たぞ、死喰鳥だ」

 何のことだ、とエミリアは戸惑い、顔を上げて息を呑んだ。

 全身が赤黒い、見た事もない異形の鳥が、不気味な鳴き声をあげて向かってきていた。頭には大きな鶏冠があり、巨大な複数の眼はどれも鋭く敵意をむき出しにしている。長い嘴を威嚇するように開き、黒く長い舌が覗く。全長は人間の数人分はあろうかと思うほど巨大で、広げた羽はまるで刃のように刺々しかった。
 たった一羽であるにも関わらず、無数のものが襲いかかって来るような感覚を覚えた。

「おや、これは大きいですね……大丈夫ですか? 殿下」

 茶化すように言ったシギに、ランスは冷笑した。

「地上に向かってくるなら、どうとでもなる――――寄越せ」

 兵に一声かけたランスに、すかさず手渡されたのは鋭い切っ先を持つ槍だった。長身の彼と同じくらいの長さがある上、柄は太く、かなりの重量感を感じさせるものだったが、ランスはそれを左手一本で軽々と操った。

 宙に軽く投げて持ち替えると、耳をつんざくような声を上げて襲い掛かって来る鳥に向かって、容赦なく投げた。鳥は羽を前に広げて止めようとしたが、阻むことはできず、彼の槍は正確に胸元を貫く。
 槍の勢いが多少削がれ、致命傷をなんとか避けた死喰鳥は、怒りの声をあげながらも、身を翻して逃げて行った。

「お見事です」

 拍手する真似までしたシギを、ランスは軽く睨んだ。

「お前も、あまり外をうろつくな。トリシュナが心配するぞ」
「あの子は本当に心配性ですね」

 シギは苦笑するに止め、すっとまた姿を消してしまった。苦い顔を浮かべたランスだったが、鈍い音が傍から聞こえて、息を呑む。

 すぐに振り返ってみれば、エミリアが顔面蒼白になって座り込んでいた。全身がぶるぶると震え、手も氷のように冷たく、額からは汗が滲んだ。目を見開いたまま、呼吸は早く、唇まで真っ青だ。

「エミリア、しっかりしろ!」

 ランスは屈んで、彼女を抱きしめるが、応答がない。

 ――――怖い。

 エミリアの心は、その思いで占められた。見た事もないような鳥のはずなのに、その姿が視界に入っただけで身体が竦んだ。そして、まるで仇敵のようにランスに狙いを定めたのが分かった瞬間、蘇ったのは。

 朝焼けの空の下、力なく落ちて行く――――七色の鳥だった。

 そして、上空に留まっていた鳥はせせら笑うように鳴き、真っすぐに自分を見返して、向かってきた。
 身体が動かなかった。絶望の悲鳴が喉から漏れ、目の前が闇を覆った。

 呼ぶ声が聞こえる。今にも泣きだしそうな辛く悲しい声は、誰のものだろう。思い出せない。

 今は何も考えたくない――――そんな思いが胸を占めた時、耳に届いたのは、必死で名を呼びかけるランスの声だ。

「目を開けろ、エミリア。頼む」

 さきほど聞こえた声と同じくらい、いや、それ以上に悲痛なものだった。エミリアが何とか目をこじ開けると、強い眼差しが捕えてきた。

「あ……」

 冷えていくばかりだった体に、温もりが返ってくる。恐怖とはまた違う、甘く優しい感覚が身体を捕らえ、身動きができない。それなのに、ちっとも嫌じゃない。

 強く抱きしめてくれる腕の感覚が、途方もない安心感を与えてくれた。エミリアは更に目を開ける事ができて、ようやくランスの姿をはっきりと見る事ができた。
 それだけで何だか嬉しくて、顔が綻ぶ。

「……殿下……」
「あぁ、戻ったな」

 安堵した顔をして、ランスは汗が滲むエミリアの額に、優しいキスを落とした。抱きしめる腕が、エミリアの身体に温もりを与え続けている。彼女の両手はまだぶるぶると震えていたが、それもランスが左手で包んだ。

「私……どうなったの……?」

「少し錯乱したんだ。言っただろう、お前はまだ不安定だと。他人の身体に宿って生活するなんて、そう容易いものじゃないんだ。頭では理解しようとしても、心がついていかない。魂にもかなりの負担になるし、下手をすれば精神が壊れる。少しずつ状況を理解していくのが一番だ。仕方ない」

「そう……」

 エミリアは小さく頷いた。確かにランスは熱烈な求愛をしながらも、少しずつ物事を教えてくれていた。負担にならないように、配慮してくれていたのかもしれない。

 この身体は、本来の自分のものじゃない。立花有海、それが自分の名前だ。

 エミリアはそう自分に言い聞かせ、ランスを見つめた。

「さっきの鳥はなに……?」
「奴は死喰鳥だ。この地に迷い込んだ者の魂を狙って、喰い殺すために襲ってくる。ここまで逃げ込んでくる魂は強いものだが、死によって傷ついてもいるからな。しかも、大多数は身体が無く、護るものがない。むき出しの魂は、格好の餌になる」

「食べられてしまった魂は……どうなるの?」
「死喰鳥の身体に取り込まれて、故郷に帰る事もできず、ともに彷徨い続ける」

 エミリアは目を伏せた。ランスの言葉の端々から、死喰鳥に対して敵意以外の感情も見え隠れしていたからだ。それは悲しみだった。

「……元々は……一つの魂から産まれたのね」
「あぁ。帰れなかった魂が時と共に変質して、正気を失い、鳥の姿に擬態ぎたいして襲うようになる。奴は他の魂を喰らって膨張を続ける。終わりはない」

 だから、彼らと戦い、無に還してやるのも自分の仕事だとランスは言って、エミリアの頬から伝った涙を拭った。その優しさに支えられ、エミリアはようやく周囲を見回す余裕ができた。少し離れたところで、兵士たちが心配そうな顔をしてみているのに気づく。
 シギの姿はない。ランスに聞くと、『死喰鳥が出てきたから、身を隠したんだろう』と教えてくれた。

 異世界からの迷い人である自分やシギは、死喰鳥の格好の餌だ。

 エミリアは頷いて、彼の手を借りてようやく立ち上がった。ランスは彼女の服の汚れを軽く手で払いながら、言った。

「空中戦になると厄介だが、あっちから向かってくる分には、どうとでもなる。武器も使えるからな。《魅惑》を使うまでもない。お前には必要だったがな」
「そう……ちょっと、待って。今、私に使ったの?」
「あぁ。だから余波を受けて連中が腰を抜かしているだろ」

 エミリアは頷く。兵士たちはエミリアが立ち上がったのを見て安堵した顔をしていたが、まだ全員座り込んだままだったからだ。
 ランスは彼らに目もくれず、目を白黒させているエミリアに告げる。

「俺の魅惑は、身体を失って錯乱状態にある魂を魅了して、気を逸らし、落ち着かせることにも役立つ。それを応用したまでだ」
「……そうだったの」

「俺は『守護鳥』だと言ったはずだ。お前たちを守るためにいる」

 怪我をしなくて良かった。

 ランスはそう言って、エミリアに優しく微笑んだ。

 目を使って魅了するという彼の瞳は危険だ。それなのに、目が離せない。傍にいてくれると安心感を覚えるのは、背に庇い守ってくれた揺るぎない姿を、見てしまったせいだろうか。

 頬が赤く染まり、何だか恥ずかしくなって俯くと、ランスがまた右耳の上に軽くキスをしてきた。

「ちょっと……!」
「もうお前が何をしても、可愛く見えてきた」

 こんな時まで口説かないで欲しいと、エミリアは心から思った。
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