続 深夜の常連客がまさかの推しだった

中島焔

文字の大きさ
28 / 95
第三章 ダンス練習は初手から緊迫

しおりを挟む
 玄奘は以前約束したとおり悟空とストレッチを続けつつ、忙しい日課の合間を縫って一人でもアイソレーション練習を繰り返すようになった。鏡で動きを確認しながらの方が良いので、自室の姿見の前がお決まりの練習スペースである。


 今日もいつもならまだ眠っている朝の時間、隣で寝息を立てる悟空の額にそっとキスを落としてから玄奘はベッドからそっと抜け出した。玄奘が部屋を出た瞬間、悟空は音もなく目を開ける。彼の目つきは鋭い。眠りの浅い彼は玄奘が起きたことに当然気付いていた。

 室内と言えども冷えきった空気の中でストレッチをした後、練習中に取ったメモを見ながら「肩に力をいれずに……体幹を意識して……」と声に出して確認しながら身体を動かしていく。

 身体が寒さで縮こまっているせいもあるだろうか。思った通りの動きにならない。目の前の自分は繰り人形のような不自然な動きしかできない。それでも自分は練習をするしかない。

 メモを見ては身体を動かし、練習を続けていた玄奘であったが、とうとうため息をついて座り込んでしまった。その瞬間を見計らったかのように、部屋のドアがノックされた。

「ここにいたんですね」

 悟空が湯気の立つマグカップを持って顔を覗かせた。

「悟空、おはよう」

 その顔が少し強ばっていることに、悟空はすぐに気付く。

「おはようございます、玄奘。コーヒーを淹れてきましたよ。砂糖多めのやつです」

「ありがとう」

 玄奘はベッドに腰かけてコーヒーを一口飲む。玄奘はいつも悟空の部屋のベッドで寝ているため、この部屋のそれはほとんど使用されたことがない。

 悟空は黙って隣に座っていた。が、思いついたようにベッドに敷いてあった毛布を引き寄せ、玄奘の肩にかけた。

「この部屋寒いですよ。練習するにしてももっと暖かくしないと」

「動いていたら熱くなるかと思ったんだけどな」

「アイソレーションはそんなに激しい動きじゃないから、事前に身体を温めるウォーミングアップが必要ですよ。それと暖房も」

 言いながら悟空はリモコンでエアコンのスイッチを入れた。部屋に入った瞬間てきぱきと居心地の良さを整えてくれるこの恋人に、感謝こそすれ劣等感を覚えるのはおかしいと頭ではわかっているのだが、行き場のない閉塞感は気持ちを落ち込ませる。

「……そうか。私は自主練習すら一人ではうまくできないんだな」

「そ、そんなつもりで言ったんじゃないですよ」

 慌てて悟空は玄奘の手を握ったが、玄奘はすでにぽろぽろと涙を流している。

「わかっている。悟空は何も悪くない」

 私が何もできない凡人なだけだ、という言葉を口にすれば、ますます涙がこぼれるのがわかっていたので飲み込んだ。

 恋人の悟空は歌もボイスパーカッションも、料理洗濯掃除の家事全般も、仕事もダンスも何でもできる。そんな彼がこんな自分のオタクになってくれて、推してくれて、大切にしてくれて、恋人になってくれて……。それがまず第一におかしかったのだ。自分にそこまでの価値はない。

 涙をいっぱいにためながら、それでも玄奘は視線を上げようとした。

 悟空は玄奘の手をぎゅっと握りながら言った。

「玄奘……。おれは玄奘が困難に負けない人だと知っています。だからきっとダンスもできるようになります。おれも一緒に今からここで練習しましょうか?」

 悟空の申し出は嬉しかった。しかし、自分の不甲斐なさが要因である問題に悟空を巻き込むのは玄奘のプライドが
許さなかった。玄奘は悟空の手をそっと外しながら言った。

「ありがとう。でも一人でだいじょうぶだ。悟空はいつものワークアウトの時間だろう?走りに行っておいで」
 玄奘の声は硬い決心の響きだった。悟空は何度か振り返ったものの、それ以上何も言えず玄奘の部屋を後にした。 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

隣の席のイケメンに懐かれた

しょうがやき
BL
隣の席のイケメンに懐かれた平凡男子の話

処理中です...