続 深夜の常連客がまさかの推しだった

中島焔

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第七章 過労

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 玄奘の静かなピアノがイントロを奏でる。目を閉じて俯いていた紅害嗣が顔を上げ、ゆっくりと瞼を上げた。瞳の中に玄奘の姿を捉えた瞬間、虹彩には煌めきとともに覚悟の色が加わった。玄奘がかすかに頷き、紅害嗣が歌いだす。

〽死んだ夢を見た 君は泣いてくれた

 紅害嗣は一瞬たりとも玄奘から目を離さない。その輪郭さえも空間の中に焼き付けるように、熱い視線を注ぎながら歌う。玄奘も弾きながら視線を受けとめ続ける。サビに入ると、さらに紅害嗣の声は張りと艶が加わり、それを玄奘が重低音の和音で支える。

〽目が覚める前の一秒間  その刹那で生きられるから 

 あの人が欲しい、欲しくてたまらない、それでもどんなに願ったところで現実では叶わない。逃れられない苦しみを滔々と歌い上げる声は玉竜たちの心も打った。紅害嗣の声は明らかに深みを増している。

 最後のロングトーンまで歌いきった紅害嗣は荒い息をついた。額には汗をかいている。すべてさらけ出した後の無防備な顔をした彼は無垢にさえ見えた。

 玄奘は立ち上がって紅害嗣のもとに行き、一瞬の迷いもなく抱きしめた。紅害嗣は戸惑った表情をしている。それもそのはず、彼は玄奘を誘拐した過去があり、このような親愛の態度をとってもらったことなど一度もないのだ。

「紅害嗣さん、……素晴らしかった」

「お、おう……」

 珍しく納多と磁路も感心した表情で拍手している。

「お前にこれほど感情を揺さぶる歌い方ができるとは思ってなかった」

「紅害嗣と抒情さは相容れぬと思っていたが、やるのぉ」

「うるせえな」

 玉竜だけはまだまだ満足していない様子で、それでも深くうなずいた。

「まずは一つ壁を破った感じだね。本番までにはまだまだブラッシュアップかけていくからねっ」

 玄奘も紅害嗣に抱きついたまま、彼を見上げた。

「引き続きよろしくお願いします。あなたの素晴らしい歌を共に世界に届けましょうね」

 紅害嗣は顎の下から上目遣いで見てくる玄奘のまぶしさに心臓が縮みあがりそうになる。動悸を必死に押し隠すせいで苦虫を嚙み潰したような顔になりながら紅害嗣はこくりと頷いた。




 
 仕事を終えて帰宅した悟空は、部屋が暗いままであることに気づくとすぐにスマホを操作した。
 
「まだ仕事です?あまり無理をしてはだめですよ」と悟空は玄奘にメッセージを送るが、既読にはならない。玄奘は紅害嗣との練習が長引いていると磁路からは聞いている。

 それにしてもダンスも歌もピアノも、である。玄奘一人が仕事を抱え込みすぎではないだろうか。玄奘のスケジュールを確認がてら連絡した磁路には嫌味交じりの文句を言ったものの、「玄奘がか弱い男子と思っているのは大聖殿だけである。ああ見えて根性と胆力のある御仁だ」と一蹴されてしまった。

 玄奘が帰宅してからすぐに食べられるように、おにぎりと汁物くらい作ろうかとキッチンに立った悟空ではあったが、冷蔵庫を開けてしばし動きを止めた。ほとんど材料が入っていない。買い物が必要かと考えると、珍しく腰が重くなった。

 匂いがつかないように悟空はベランダに出てから煙草に火をつけた。ゆっくりと煙を吐くと体温が少し下がった気がした。同時に頭も冷える。

 玄奘とは気まずい時間が続いている。なんとかしなくては、とは思っているが良案は浮かばない。

 悟空は咥え煙草でスマホを操作してから耳に当てた。

「空ちゃん、どしたん?」

 発信音のあとすぐに応答したのは金狩だった。

「返信打つの面倒だった」

「ふふふ。そんなこと言って。人寂しかったんちゃう?」

「……かもな」

「空ちゃん、いっつも強くてカッコいいけどさ。泣き言くらい言ってもええんやで。どしたんどしたん?僕なんでも聞くよ?」

 立春を過ぎたとは言え、まだ夜は寒い。悟空は電話を終えたあと、身震いをしてから部屋に戻った。

 
 
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