続 深夜の常連客がまさかの推しだった

中島焔

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第九章 罠

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軽めの食事を済ませてから、二人はリビングテーブルに向き合った。悟空がこぽこぽと音を立てて急須で緑茶を淹れてくれる。

 悟空は一人暮らしをしていたときは水しか飲んでいなかったと言うが、同棲後はお茶好きの玄奘のために茶を入れてくれるようになった。手つきも堂に入っている。正面に出されたお茶からは湯気とやわらかい香りがした。礼を言ってから一口いただく。

「うん……おいしい。やっぱり悟空の淹れてくれたお茶はおいしいな」

「お茶くらい、いつでも淹れますよ」

「ありがとう」

 にこり、とほほ笑んでから玄奘は一旦、思考を巡らせた。

 いけない、いけない。また流されるところだった。お茶を淹れるくらいのことでもまた簡単に悟空に頼ってしまう。

 悟空に頼りきりではいけない。自分でできることを増やしていかねば、とここ最近の玄奘は考えているのだが、悟空が当然のように玄奘の世話を焼くので自然と甘やかされてしまう。

「私だって自分でお茶、淹れられるんだよ」

 玄奘の言葉に悟空はぷっと吹き出した。

「知ってますよ。でもおれは玄奘の世話を焼くのが好きです。お手伝いしようと決意しているわけではないのに、自然に身体が動くんです。落ち着きのない性分ですからね、あれこれと用事をこなしていた方がおれの気も楽ですから。玄奘は黙って世話を焼かれていてください。ほら、茶菓子でも出しましょうか」

 再び慌ただしく席を立とうとした悟空の袖を、テーブルを挟んだ向かいの席から玄奘は引き留めた。

「今はいい。ここにいて」

「……はい」

 玄奘はまた一口、お茶を飲んでから、改めて席に着いた悟空の顔をじっと見た。

 本人は否定するが、明らかにものすごくカッコいい。その鋭い目つきも、隙のない顎のラインも、少しくせのある髪も。これは恋人の贔屓目だからだろうか。いや、そんなことはないはずだ。ライブでだってたくさんのファンにキャーキャー言われているのに本人は平然としている。ということはきっとキャーキャー言われ慣れているんだろう。それに素敵なのは外見だけではない。すごく優しいし、なんでもできるし、尽くしてくれるし。こんなに素晴らしい恋人が他にいるだろうか。自分以外の他の人が悟空に恋をしてしまうのは当然のことだろう。 

「……緊張しますね」

 舐めるようにじっくりと玄奘から視線を注がれている悟空は、少し目を逸らした。

 視線と共に悟空がどこかに行ってしまいそうな気がして、玄奘は腹をくくった。そして言った。

「あの……、私にしてほしいこととか、もっとこうなってほしいというような希望があれば、何でも言ってほしい。悟空は素晴らしい恋人だから私もそれに見合うだけのパートナーにならなければ。できるかどうかはわからないけれど、なるべく悟空の理想に沿うような恋人になろうと思っている」

 ここで金狩との関係ではなく、自分の処し方を尋ねてくるのが玄奘らしいところだ。 

 悟空は想定とは異なる質問に少し考え込む様子を見せた。

「こうなってほしい、という理想……ですか」

「お茶を自分で淹れろとか、家事をもっとしてほしい、とか、ワークアウトを一緒にこなせるくらい体力をつけてほしい、とか。何事にもグズグズしてないでもっと即決即断しろ、何もないところで転けるな……とか」

 悟空はからからと笑った。

「怪我はしてほしくないのでなるべく転んでほしくはないですね。でも転けるなと言ったら、玄奘は転けなくなるんです?」

「いや……、まあなるべく気を付けようとは……」

 焦った玄奘が頬を掻こうとした手を、悟空が握った。その勢いのまま立ち上がり、座ったままの玄奘を抱きしめた。玄奘の頭は悟空の胸にぎゅっと押し付けられる。

「だいじょうぶです。おれの理想は玄奘そのものですよ。玄奘は今のままがいいんです」

 玄奘しか聞いたことのない、悟空の優しい声が、ふれている玄奘の耳に直接伝わる。

「……でも」

 やはり悟空はすぐに甘やかしてくる。それでも現状にあぐらをかいて何もできない自分のままでいては、何でも一緒にこなせる相手に心変わりされてしまうのでは。例えば金狩のような。

「玄奘は自らの向上心のみで自分を律してるじゃないですか。誰かに叱られるとか愛想を尽かされるとか、そういうことは関係なく、ただより良い自分になるために朝のお勤めや仏壇のお清めも欠かさないし、ボイトレの基礎レッスンも手を抜かないでしょ?苦手なダンスにだって真摯に取り組んでいた。自分のために毎日を真剣に生きてる。そういうの思ってるほど簡単じゃないです。そういうまっすぐな生き方をおれは……尊敬してます。玄奘が玄奘として生きているだけで、おれには推す価値があるってなもんです。そんな尊い玄奘がおれのことを恋人にしてくれてるなんて、今でも信じられないくらいですよ」

 とどまることをしらない悟空の語りはVtuber konzenを推していたときのオタクの勢いを思わせた。

「悟空……」 

 恋人の名を呼ぶ玄奘の声は少し湿っていた。悟空は彼の形の良い後頭部を穏やかに何度も撫でた。

「おれはあなたを二度と離さないって言ったの、覚えてます?」

 言いながら、悟空は玄奘を優しく抱きしめた。

 悟空の香りが玄奘の鼻先をくすぐる。暖かい太陽のような安心できる香りだ。

 そうだった。玄奘の父から圧力をかけられ玄奘の芸能活動が窮地に陥り、社長環野が本来の観世音菩薩として神通力を用いたあのときだ。南海の普陀落山(ふだらくさん)で、悟空は前世の斉天大聖せいてんたいせい孫悟空の姿になり、勇ましい金管と銅鑼の音とともに永遠を誓ってくれたではないか。その悟空が簡単に心変わりなどするはずがない。

 玄奘も悟空の腰に手をまわした。

「……、ああ、私も悟空とずっと一緒にいるよ。……でももし私よりも素敵な相手が現れたら」

 続きを言おうとする玄奘の唇に悟空はそっと人差し指を当てて遮った。見上げれば悟空が自信に満ちた顔で微笑んでいた。

「玄奘が誰のことを気にしているか、おれは知ってます。金狩とは昨夜話してきっぱりと断ってきました。もう解決しています。今後、玄奘が煩わされることは何もありません」

「本当に?」

「本当です」

 玄奘は微笑んでから深く頷いた。

「……悟空が言うならそうなんだろう」

「いいんですか?もっと詳しく説明しましょうか?」

「いいんだ。悟空がだいじょうぶと言うなら私はそれを受け入れるだけだ」

 達観したような玄奘の声に、悟空は玄奘を抱く腕にぎゅっと力を込めた。もう誰にも渡さない、と言うように。

「おれより条件の良い相手が現れたとしても、おれは玄奘の恋人を譲る気は全くないですからね」

「ふふふ、悟空は強いな……」

 悟空は玄奘の顔を覗き込んだ。

「どうですか?おれと心を合わせて歌える気分です?」

「……そうだな。でも今は」

 玄奘は立ち上がって悟空と視線を合わせた。そして軽いキスをしてから悟空の耳元で「歌うよりもしたいことがある」とささやいた。囁かれた途端に驚きながらも笑みをこぼす悟空はきっと玄奘しか知らない顔をしている。

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