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103. 想
しおりを挟む「陛下は、鈴麗が今どうしているか、ご存知ですか?」
重華は両手をぐっと握りしめ、勇気を出して問いかけた。
けれど、すぐに不機嫌な表情の晧月と目が合い、やはり迷惑だったのかもしれない、と俯いて縮こまった。
「や、やっぱり、大丈夫です。聞かなかったことに……」
「それを聞いて、どうしたいんだ?」
「え?」
鈴麗が決して晧月によい印象をもたらしていないだろうことは、重華も理解している。
話を続ければ、晧月の機嫌はさらに悪くなってしまうかもしれない、重華はそう思って全てをなかったことにしようとした。
けれど、それを遮った晧月の表情からは、先ほどの不機嫌さはもう消えてしまっていた。
(聞いても、大丈夫、なのかな……?)
重華は少し不安になりながらも、恐る恐る口を開いた。
「その、ただ、今、どうしているか、気になっただけで……」
ただ、現状が知りたかっただけで、聞いてどうするかまで重華は考えていなかった。
興味本位で訊いてしまって、またしても不快な思いをさせてしまったかと思ったけれど、晧月はただ小さくそうかと小さく呟くだけだった。
「あの後すぐ、丞相の家を追い出されたはずだ」
「それは、雪梅さんたちにも、聞きました。その後のことは、ご存知、ないでしょうか……?」
やはり、恐る恐る、といった聞き方の重華を見て、晧月は小さくため息をついた。
「別に、それを聞いたくらいで怒ったりしないから、そう怯えるな」
今にも叱られるのではないかと心配する子どものように肩を竦める重華に、晧月は努めて優しく声をかけた。
一瞬不機嫌な表情を見せたのは、鈴麗を思い出してしまったからであり、晧月は決して重華に対して不快に思っているわけではない。
そうして、ようやく重華から少し力が抜けたのを感じ、晧月は話を続けることにした。
「夫人が男のために用意した小屋の話を、覚えているか?」
問えば、重華はこくりと小さく頷いた。
「今はそこに、夫人とともに身を寄せているようだ」
重華はその言葉を聞いて、ほっと息を吐き出した。
もしかしたら、住む家もなく途方に暮れているかもしれないと案じていたが、それほど過酷な状況ではないようだと思って。
男性は鈴麗の父親だというし、暖かく迎え入れてくれたのかもしれない、重華はそんな想像をしていた。
「無一文で追い出されたようだから、かなり苦労はしているだろうがな」
「えっ!?」
「男の方は、今まで夫人に養ってもらうのが当たり前だったような奴だし、夫人も娘の方も丞相のおかげで今まで何不自由なく暮らしてきた人間だ」
どちらも、暮らして行くのに必要なお金を得ることが、簡単ではないだろうことは重華にも理解できた。
重華が先ほど想像したよりも、鈴麗の状況は過酷だったようだ。
(何か……何か、できないかしら……?)
重華とて、自身は晧月のおかげで不自由のない生活を送れているとはいえ、自身でお金を得られるような人間ではない。
ここに来るまでは、使用人たちのおこぼれの食事を貰うので、精一杯だったのだから。
それでも、少しでも何か力になれることはないか、と重華は必死に考えを巡らせた。
「あっ!陛下、以前、父がくれたものを売ったら、お金になるって仰いましたよね?あれを売ったら、どれくらいのお金になりますか?しばらく、生活できるくらいのお金になったりしないでしょうか?」
「贅沢さえしなければ、当面生活するには支障ないくらいの金は手に入るだろう」
晧月は質問から重華の考えが全て手に取るようにわかる気がして、どこかため息をつきながら重華の問いに答えた。
その答えにぱっと重華が目を輝かせるのもまた、晧月の予想通りである。
「この流れでそれを聞くということは、あれを売った金を全て、あの娘に渡すつもりか?」
「はいっ!あの、どこに行ったら売れますか?お出かけする許可は、もらえますか?」
気に入らない、と晧月は思った。
今まで重華に対して良い行いをして来なかったことは、ほんの少し会っただけでも端々で見えた重華に対する高圧的な態度からして明らかだというのに。
そんな鈴麗のために、重華がわざわざ金を用意してやる必要などないはずである。
丞相から貰った物を売り飛ばすことを止めるつもりはないが、そうして得た金は重華のために使われるべきである。
そう考えた晧月は、あからさまに不機嫌な様子を見せたのだが、ようやくできることが見つかったと喜ぶ重華はそんな晧月の様子には気づくことはなかった。
「自ら行く必要はない。春燕か雪梅に頼むといい、適切な場所で売り払ってくるはずだ」
あの二人ならば、買い叩かれたり、騙されたりするような心配もない。
きちんと価値に見合うだけの金に換えて戻ってくるだろうから、任せる相手としても相応しいだろうと晧月は考えている。
「で、でも、私のことなのに、お二人にお願いするのは……」
「それが、あの二人の仕事だ」
主の代わりにそういった場所へ赴くのもまた、侍女の仕事である。
だから、任せること自体は、何の問題もないのだ。
しかしながら、その先の使い道に対しては、晧月はまだ納得がいっていない。
「あれを売り払うのはいい。春燕か雪梅に任せるのも問題はない。だが、なぜ、おまえがあの娘のために、そこまでしなければならないんだ?」
「え?だって、きっとお金がなくて、困っているでしょうし……」
苦労しているだろうと言ったのは、晧月だったはずだ。
それなのに、どうしてそんなことを聞くのだろう、と重華は不思議そうに晧月を見つめる。
「だからといって、おまえが助ける必要もないだろう。妹ではなかったこともわかったんだ、放っておけばいいじゃないか」
丞相の実の娘でありながら、その恩恵を何一つ受けられなかった重華に代わり、丞相の娘でもないにも拘らず、丞相の娘だと偽りその恩恵を全て受けてきた娘だ。
それだけではなく、実の娘である重華を長年虐げてきた娘でもある。
今、どれほど苦労していようとも、晧月からすれば自業自得であり、手を差し伸べてやる必要など微塵も感じられはしなかった。
「確かに、そう、かもしれませんが……でも、鈴麗だって、何も知らなかっただけで、父を騙していたわけではないですし……何か悪いことをしたわけでは……」
第二夫人は、全てを知った上で故意にその事実を隠していた。
それに関しては重華だって悪いことだと思うし、助けたいとも思えない。
けれど、鈴麗はただ知らなかっただけ、自身を丞相の実の娘だと思ったのも、重華を偽物だと思ったのも周囲の人々の影響によるものだ。
故意ではなかったし、決して鈴麗が悪かったとは、重華には思えなかった。
それなのに、突然無一文で家を追い出され、今までの生活が一変するのはあまりにも不憫だと思ったし、娘ではないと明らかになった瞬間に父から向けられた視線をはじめ、どこか過去の自分と重なるような気がしてならなかった。
だから、どうしても放っておけなかったのだ。
「過去に、酷いことをされたのではないか?あの日だって、酷い言葉を浴びせられていたじゃないか」
「それは、そうなんですけど……でも、それも鈴麗だけが血が繋がった娘だって、周囲に思い込まされていたのが原因だと思いますし……」
もしも、丞相が重華の母の言葉を信じ、重華も娘だと認めていてくれたなら。
もしも、鈴麗の母が最初から鈴麗が丞相の娘ではないと明かしていたなら。
もしかしたら、鈴麗は重華にそんなことはしなかったかもしれないし、二人の関係性も変わっていたかもしれないのだ。
あくまで、可能性の一つでしかなく、鈴麗が同じように重華に酷い態度を取り続けていた可能性だって、完全に否定はできないのだけれど。
「それに、感謝している部分も、あるんです」
「あの娘に、か?」
「はい。もし、鈴麗があの日逃げなかったら、陛下の元には鈴麗が輿入れしていたはずです。そうすれば、私は今もあの家にいたでしょうし、陛下と出会うこともできなかったでしょう」
そうなると、当然重華が丞相と血が繋がっていることも、鈴麗が丞相の娘ではなかったことも、未だに明らかにはなっていなかっただろう。
重華はきっと、晧月にその存在を知られることすらなく、今この瞬間も寒さに震えながら働いていたはずだ。
後宮で過ごした幸せな日々は、何一つ得られることはなかっただろうし、晧月の寵妃は鈴麗になっていたかもしれない。
「それを言われると、俺も、あの娘に感謝しなければならないかもしれんな……」
重華ではなく鈴麗が輿入れし、重華とは出会うことすらなく終わっていたかもしれないなんて、晧月は想像すらしたくないと思った。
しかし、言われてみれば、鈴麗さえ逃げ出さなければ、本来はそうなるはずだったのである。
「わかった。好きにするといい。ただし、この1回きりだぞ」
「はい」
重華とて、何度もお金を支援するつもりはなかった。
何度も支援することで、お金がなくなる度に重華を頼ることを覚えられてしまっても困る。
それほど頻繁にお金を用意できるとは、重華自身思ってはいないのだから。
晧月に言えば用意してもらえるかもしれないが、重華にはそんな考えすら浮かんではいない。
ただ、新しい生活基盤を築けるまで、少しでも助けになれるだけの支援ができれば、そう考えているだけである。
「あ、あの、それで、その……お出かけする許可は、もらえますか……?」
「なぜ、おまえが出かける必要があるんだ?売るのは任せろと、言っただろう」
「お金を、鈴麗に届けに行きたいんです」
晧月はまたため息をついた。
確かに妃嬪は全く外に出られないわけではないが、だからといって頻繁に出かけられるわけでもない。
さらに、出かける先にいるのは、今まで重華を散々虐げてきた鈴麗とその母だ。
しかも丞相の家を追い出されたことで、今や重華のことを逆恨みまでしている可能性まである。
そんなところに出掛けるなんてあまりに危険すぎて、とてもではないが晧月は許可など出せるはずもなかった。
「それも、人に任せればいいだろう。おまえが直接行って、何かあったらどうするんだ」
「で、でもっ、自分で渡したいんです。これで、会うのも最後になるかもしれないですし……」
ちゃんと自身の手で渡したいし、最後に話もしておきたい。
丞相に貰った物を売るところまでは人に任せたとしても、これに関しては、どうしても重華は譲れないものがあったのだ。
それを理解し、晧月は再びため息をついた。
「下手に出向いて何かあっては困る。直接渡したいなら、あの娘を呼び寄せればいい」
そうすれば、晧月の目の届く範囲でのこととなるし、警備を増やすなど重華を守る手段もいくらでも考えられる。
重華が会う相手も鈴麗だけとなるだろうし、出向かせることに比べればずっと安心できると晧月は思った。
しかし、重華はなぜか不安そうに瞳を揺らしている。
「呼んだら、来て、くれるでしょうか……?」
「心配なら、皇帝命令にすればいい。そうすれば、断ることなどできないだろう」
本当なら、皇帝の妃の命令であっても、鈴麗は断れるような立場ではないのだが。
重華からすれば、鈴麗は重華の言葉なんて簡単に無視してしまいそうな気がしたのだ。
だが、皇帝の命となれば、さすがに鈴麗だって断りはしないだろう。
(ちょっと大袈裟だし、無理矢理呼び出すのは申し訳ないけれど、鈴麗とっても悪いことばかりじゃないはずだから……)
お金に困っている鈴麗に、お金を渡すために呼び出すのだから、多少強引な面は許してもらおう。
そうして重華は自身を納得させ、晧月の言葉に甘えて皇帝命令として鈴麗を呼び出してもらうことにした。
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