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105. 嬉色
しおりを挟む重華は鈴麗の母が、また重華が鈴麗に渡したお金を目当てに鈴麗の元へ来るのではないか、と心配だった。
しかし、当の鈴麗は全く心配はしていないようで、これだけお金があれば十分だと、むしろ過剰に心配する重華を鬱陶しそうに見つめるくらいだった。
「これでも、一度駆け落ちだってしたことあるし、あのお父様からだって逃げ切ったことがあるんだから!」
鈴麗はそう自信満々に言い放った。
潤沢なお金を得た今、鈴麗の中には母のいる小さな家に戻るという選択肢などなかった。
一度駆け落ちで知らない土地へ行ったことがあるおかげか、新しい場所で生活を始めるということにそれほど抵抗もなかった。
今の鈴麗の母には、丞相のように人を使って鈴麗を探すだけの経済力もない。
鈴麗から離れてしまえば、鈴麗の母が鈴麗を探すことなど不可能だろう。
もし、鈴麗の母がそれなりの経済力を手にすれば、鈴麗を探し出せるかもしれない。
しかし、むしろそれくらいになってくれていたなら、鈴麗とて見つかってしまっても支障はなかった。
「で、でも、もし、何かあったら……」
「しつこいわねっ!!大丈夫だって、言ってるでしょ!?」
「ご、ごめんなさい……」
重華は今や丞相の娘であると証明された上、現皇帝唯一の寵妃とも言われる人物だ。
もはやこの国で上位を争うほどの高貴な女性としての身分を手に入れたも同然だというのに、鈴麗の声に肩を震わせ小さく縮こまった。
その様子を見て、鈴麗は思わずため息をついてしまったが、重華はそんなため息にまでびくりと肩を震わせた。
鈴麗はさらにため息をつきそうになったけれど、二度目のため息はなんとか飲み込んだ。
「あんた、お父様の……この国の丞相の娘だってわかったんだから、もうちょっと偉そうにしたらどうなの!?」
「ご、ごめ……っ」
「だから、謝ってどうすんのよっ!!」
「ごめ……っ、あ、ちが、その、えっと……」
鈴麗は三度目のため息は、飲み込むことができなかった。
「だいたいね。何律儀にお金なんて用意してんのよっ!その前に、私になんか言うことないわけ!?」
「え……?ええと……」
重華は鈴麗の勢いに圧倒され、思わず一歩下がりながらも必死に考える。
「あっ、えっと……元気、だった?体調は……」
「違うわよ!!」
鈴麗の勢いが増してしまったような気がして、重華は思わずもう一歩下がった。
「他にもっと、言うことがあるでしょう!?」
そうは言われても、重華には思いつかない。
つい、縋るように傍にいる春燕と雪梅に目を向けてしまう。
だが2人はあくまで、重華が物理的に危害を加えられそうになった時のために傍にいるにすぎない。
この場合はどうしたものか、とただ困ったように顔を見合わせるだけだった。
「その様子なら、お父様にも、文句のひとつも言ってないんでしょう?」
「あ、えっと、その……」
文句を言うどころか、そもそも会って会話すら重華はしていない。
しかし、とてもではないが、そんなことを言っていいような雰囲気には、重華には思えなかった。
(どうしよう……)
すっかり鈴麗の勢いに押されっぱなしで、さらに一歩下がろうとしたところで、重華の背に暖かいものが触れ、重華は驚いて振り返った。
「へ、陛下!?」
そこには、姿が見えない場所で待機していたはずの晧月の姿があった。
柔らかな笑みとともに、抱き寄せられると、重華は自身の身体からすっと力が抜けていくような安堵感を覚えた。
同時に、それまで身体にとても力が入っていたことに、重華はようやく気付いた。
「おまえの言わんとすることもわかるが、これ以上朕の妃をいじめてくれるな」
正直なところ、晧月は鈴麗に同意する点が多々あった。
しかし、鈴麗が言うようなことがまるでできない重華だからこそ、晧月は好ましく思っている。
「あ、あんた、なんで……っ」
突然の晧月の登場に、鈴麗はそれはそれは驚いたのだろう。
目を見開き、あろうことか皇帝である晧月を指差し、わなわなと身体を震わせている。
いくらなんでも皇帝を指差すのはまずいだろうと重華は思ったけれど、当の本人である晧月はあまり気にしていないようである。
「珠妃が、朕がいるとおまえが気にするだろうと言うから、姿が見えないようにしていただけだ。何があるかわからないのに、朕の居ないところで、おまえと会わせるわけがないだろう」
鈴麗は、驚きこそしたけれど、非常に納得できる気もしていた。
ずっとこの場に皇帝の姿がないことを、不思議には思っていたから。
(大事に、されてるのね)
本当なら、そうして晧月の隣に居たのは鈴麗のはずだった。
鈴麗が逃げ出しさえしなければ、重華と晧月が出会うことさえなく、もしかしたら今も鈴麗が丞相の娘ではなかったことを誰にも知られていなかったかもしれない。
だが、目の前の重華のように晧月に大切にされる自身の姿を、今の鈴麗は想像することができなかった。
「ばっかみたい」
鈴麗は、そう呟くと重華の腕を思いっきり引っ張った。
晧月の腕にすっぽりと収まっていたはずの重華の身体は傾き、鈴麗の方へと引き寄せられる。
「わっ」
「おまえ、何を……っ」
重華に危害を加えるつもりなのでは、と晧月は声を荒げ、春燕と雪梅は警戒を強めた。
だが、鈴麗は近づいた重華の耳元で何かを呟いただけだった。
「えっ!?ええええええっ!?」
言われた言葉に驚く重華を余所に、鈴麗は体勢を崩しよろめいていた重華の身体を、元に戻すかのように晧月の方へと突き返した。
重華の身体は、慌てて手を伸ばされた晧月の腕の中へ、再びすっぽりと収まった。
「じゃっ、これはありがたく、貰っていくから」
鈴麗はそうして、重華が渡したお金を少し高く持ち上げると、重華に背を向けひらひらと手を振って立ち去った。
重華が慌てて声をかけても、鈴麗は重華を振り返ることすらなかった。
「大丈夫か!?」
鈴麗の姿が見えなくなると、重華はぺたんとその場に座り込んだ。
すっかり気が抜けてしまったのか身体に上手く力は入らないし、一気に疲労感も押し寄せてきた。
それでも、気分はどこか晴れやかで達成感も感じていて、重華は自身を心配そうに見つめる晧月を見上げてふにゃりと笑った。
「お姉さんって、呼んでもらえました」
嬉しそうに笑う重華を見て、とりあえず大丈夫そうであると判断し、晧月はほっと息を吐く。
それでもやっぱり上手く力は入らないらしい重華を抱き上げて、晧月は場所を移すことにした。
(そんなに、嬉しいことなのか……)
晧月の腕の中にいる間も、重華はぐったりと晧月に身体を預けながらも、それでも終始ただただ嬉しそうに笑っていた。
たかだか姉と呼ばれただけ、それも、自身を虐げていた上に、実は妹でもなんでもなかた人物にだ。
晧月にはさっぱり理解できない感情だったが、嬉しそうに笑う様子を見るのは悪い気はしない。
「よかったな」
そう声をかけてやれば、はい、と重華はますます嬉しそうに笑う。
会わせることも、お金を渡すことも、本来乗り気ではなかった晧月も、この笑顔を見ていると悪くなかったのかもしれないとそう思えたのだった。
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