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107. 不興
しおりを挟む重華が皇太后の元を訪れた時は、確かにすぐ傍に雪梅が居た。
それだけではなく、重華たちをここまで導いた侍女をはじめとする皇太后の侍女も数名は居た。
だが、たとえ雪梅であっても、皇太后の言葉に異を唱えることなどできなかった。
「珠妃と二人だけで話がしたい故、皆外へ出るように」
皇太后のその一言で、あっという間に室内は皇太后と重華の二人きりとなってしまったのだ。
(か、帰りたい……)
重華は確かに皇太后に呼ばれてこの場に居るはずだ。
だが、真っ直ぐに重華を見つめる皇太后は、前回一人でこの場を訪れた時よりも、重華を歓迎していないような気がした。
部屋はすっかり二人きりになったというのに、すぐに用件が話されるわけではない。
ただただ重苦しい空気だけが流れる中で、重華は気を抜けば震えてしまいそうになりながら、俯いてただ皇太后の言葉を待っていた。
「先日、陛下と皇后について話をしたのです」
静まり返った静寂を打ち破ったのは、そんな皇太后の一言だった。
「いつまでも、空席では、よくないでしょう?いいかげん、その座に誰か就かせるべきだと、進言したのです」
重華はどう反応すべきかわからず、相変わらず俯き、黙ったまま皇太后の言葉に耳を傾けるだけだった。
「第三皇子との争いもなくなりましたし、その代わりとして第四皇子が持ち上げられることももうないでしょう。陛下の地位も盤石になったのだから、そろそろ正妃たる皇后を迎えることを考えるべきかと。珠妃も、そう思うでしょう?」
問いかけられてはいるものの、向けられたその視線が肯定することしか許容していないような気がして、重華は無言でただこくりと頷いた。
「では、陛下はなんとおっしゃったと思いますか?」
問われて真っ先に重華の脳裏に浮かんだのは、自身をいずれ皇后にと望んでくれた晧月の姿だった。
だが、そういうことがあったからといって、晧月が皇太后に対してどのような話をしたかまでは、重華には全く想像ができなかった。
「わ、わかりません……」
「あら、わからないの?あなたは、陛下のご意向をご存知なのでしょう?」
そんな問いかけをされれば、重華とて、晧月が重華を皇后に望んでいることを皇太后に話したのだと容易に理解することができた。
重華はまだ答えを返していないし、正直なところ自身が皇后になる未来など想像はできなかった。
それでも、周囲にもその意向を伝えるほど晧月に望まれているのだと思うと、そこに戸惑いなどなくただただ嬉しいという気持ちが沸き上がった。
だが、そうして表情を綻ばせることを、皇太后の鋭い視線は許してはくれなかった。
(歓迎、されていないんだ……)
その晧月の意向を、よく思っていないというのが、皇太后の表情と視線にありありと出ているように思えた。
「陛下はあなた以外、皇后には考えられないと仰った。でも、こうも仰ったわ、あなた自身が望まない限りは、無理に皇后の座に据えることもない、と」
晧月の心は少しも変わっていないのだとわかる一言に、こんな場面であっても重華の心は温かくなるのを感じた。
だが、それもほんの一瞬のことだった。
「だから、あなたから断ってちょうだい」
「えっ」
重華は驚いた様子を見せたものの、ある意味予想通りの言葉かもしれないとも思っていた。
歓迎されていない以上、そういった言葉が投げかけられることも、決して不思議なことではない。
「どうして、ですか……?」
重華は、どうしても、皇后になりたかったわけではない。
むしろ自身には到底相応しいとは思えないその座に就くことは、戸惑いの方が圧倒的に大きい。
だから、今まで通りでも問題ないような気もしているのに、いざこうして第三者から否定的な意見を聞くと、悲しいと思う気持ちを止められなかった。
「確かに、あなたは現丞相の娘であり、妃位も最も高い、その上陛下の寵愛もある。皇后に最も相応しいと考える人も多いでしょう。だからこそ、陛下も私に打ち明けたのでしょうし」
晧月はきっと、皇太后が否定的な意見を述べるとは思いもよらなかったのだろう。
だからこそ、重華の返答を待たずして、自身に意向を先に伝えたに違いない。
しかし、それならば、尚更なぜこれほど否定的なのか、重華にはますます理解ができなかった。
「陛下がお調べになれることなら、私にも調べられる。陛下が調べられたことは、私もほとんど知っていると思ってもらってかまわないわ」
「え……?」
「あなたが、丞相の元で、どのように育ってきたか、だいたい知っている、と言えばわかるかしら?」
「あ……」
つまり、重華は丞相の娘として生まれながらも、本来丞相の娘として与えられるだろうものは何一つ与えられず、使用人以下の生活を送っていたことを皇太后は知っている。
そしてそうして育った重華には、到底皇后など任せられるはずがない、皇太后は一言もそんなことは言っていないけれど、重華はそう言われているように思えてならなかった。
「これ、読めるかしら?」
そうして、手渡されたのは一枚の紙だった。
そこにはたくさんの文字が書かれている。
晧月に文字を教わっているおかげで、読める文字ももちろんその中にはあった。
だが、全てを読むことは叶わず、重華は力なく左右に首を振ることしかできなかった。
「申し訳ありません。読めない、です……」
「皇后は、他の妃嬪とは違う。政治に関わることもあるし、陛下の政務を補佐することだってある。いくらあなたが丞相の娘であっても、到底相応しいとは思えない」
先帝の皇后を務めた人物からの言葉だから、とても重みがある、と重華は感じた。
「皇后となったものが、必ずしも皇帝の寵愛を受けられるわけではない。望むなら貴妃に封じるようには、陛下には進言しましょう。だから、皇后の座は、諦めなさい」
重華は別に、今より高い地位を望んでいるわけではないので、貴妃に封じて欲しいとも思わなかった。
今まで通り後宮で過ごすことができるのであれば、むしろ今より妃位が低くてもいいとさえ思っている。
けれど、なぜか、すんなりと皇太后の言葉を受け入れられなかった。
「そ、れは……他の方が、皇后になられる、ということでしょうか……?」
発した声は、重華本人も驚くほど震えていた。
晧月は重華が皇后にならなければ、その座は不在になると言っていたはずだ。
だが、皇太后の言葉を聞いていると、他の誰かがその座に就くことが決まっているような気がした。
そして、それでも重華は寵愛を受けられるだろうから、貴妃の座で納得しなさいと言われているようにしか思えなかったのだ。
「もちろんです。皇后の席を、いつまでも空席にするわけにはいきませんから」
重華が、自分ではない誰かが皇后として晧月の隣に立つ姿を想像し始めた時だった。
ばんっという大きな音とともに、勢いよく扉が開いて、現れた人物に重華も皇太后も目を見開いた。
「へい、か……?」
不機嫌そうな表情で現れた晧月は、小さな重華の声など届かなかったかのように、ただ真っ直ぐに皇太后を見つめ、ずかずかと皇太后の目の前まで詰め寄った。
「どういうことですか?」
怒りを含んだその声に、向けられたのが自分だったなら今頃震えあがっていただろうと重華は思った。
だが、さすがというべきか、皇太后はそんな素振りを見せることはなかった。
「こういったことはなさらないよう、申し上げたはずですが」
「仕方がありません。これも必要なことなのです」
「そうは思えません」
皇太后の言葉をぴしゃりと否定すると、晧月はようやく重華を見た。
「珠妃も、このようなことに応じる必要はない。行くぞ」
「陛下、お待ちください。まだ、珠妃との話は終わっておりません」
重華の手を引いて今にもこの部屋を出ようとする晧月を、まるで子どもを諭すかのような穏やかな口調で皇太后が引き留めようとした。
しかしながら、晧月がその足を止めることはなかった。
「珠妃に話があるなら、今後は俺を通してください」
晧月は皇太后に背を向けたまま、そう言って部屋を後にした。
重華はこのまま立ち去ってしまってはいけない気がして、ちらちらと何度か皇太后を振り返っていたものの、結局晧月に強く手を引かれるままにともに部屋を出ることしかできなかった。
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楽しみに待ってました!
ゆっくりで良いので、お話を紡いでくださいませ。
更新してすぐに気づいてくださり、コメントまでいただいて、ありがとうございます。
ゆっくりでよいという暖かいお言葉、非常に嬉しいです。
最近は更新がかなりのんびりペースになっておりますが、続きもがんばって書きますので、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
憧れる、組み立て方が完璧ですね。面白いです。
あ、憧れなんて恐れ多い……
私なんてまだまだですが、こうして読んでいただき、コメントまでいただけて嬉しいです。
ありがとうございました!
更新されるのが待ち遠しい作品です!
重華の健気さ、陛下の一途さに感情移入してしまいます(*´꒳`*)
これからも更新を楽しみに待っています╰(*´︶`*)╯
ありがとうございます!
感情移入して読んでくださる方がいらっしゃるのだと知れて、非常に嬉しかったです。
続きも頑張って書いていきますので、引き続き読んでいただけたら嬉しいです。