皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ

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(今日も、来た……?)

 一昨日の輿入れの日の夜、昨日の昼間、そして今日の昼、皇帝の訪れは重華が輿入れして以降、今のところ毎日となっている。
 とはいえまだたったの3日なのだけれど、晧月が他の妃嬪の元を訪れることがないことを考えると、なかなかに驚くべきことである。

「体調はどうだ?」
「はい、大丈夫です。先ほどお医者様にも……」
「太医だ」
「え……?」
「お医者様ではなく、太医と呼べ」
「あ……その、太医様に……」
「太医とは官職の名前だ、様はいらない」
「は、はい」

 重華はまだ体調が万全ではなく、寝台の上で起き上がった状態で春燕と雪梅に至れり尽くせりで世話をされている状態だった。
 そんな重華を見舞うかのような晧月の訪れは、恐れ多いと萎縮する面が強くあったものの、気遣いを感じほんの少しだが嬉しいと感じる気持ちもあった。
 しかしながら訂正に次ぐ訂正を受け、重華はもはや自身が何を言おうとしていたのか忘れてしまいそうだった。

「それで?」
「あ、えっと……太医に診ていただきました」
「柳太医はなんと?」
「えっと、その、もう大丈夫だと……」
「雪梅はどのように聞いたのだ?」

 雪梅は向けられた晧月の視線と、それから祈るように自身を見る重華を見て小さくため息をついた。
 重華には悪いと思うものの、雪梅は晧月に嘘が通用しないのは重々承知している。

「昨日よりは良くなられたようですが、まだ熱が下がりきっていらっしゃらないようですので、念のため今日1日はできるだけ安静に過ごされるように、と」
「ほう、随分と違うな」

 少し低くなった晧月の言葉に、重華は嘘をついている、と責められているような気がしてぴくりと肩を震わせた。

「も、申し訳……っ」
「謝らずともよい。だが、朕に不調を隠すな。もちろん、雪梅にも、それから春燕にもだ」
「は、はい」

 口調は少し厳しく感じるが、これが晧月の優しさなのだと、重華は感じた。
 どうしてそこまで、と思う気持ちもあったけれど、応えたいという気持ちの方が強く重華は素直に頷いた。

「横になっていなくていいのか?」

 晧月がそう問うと、雪梅がくすっと笑い声を漏らした。

「なんだ?」
「寝ているのに、飽きてしまったそうですよ。先ほどは私どもと一緒に掃除をしたいとおっしゃるので、お止めするのが大変でした」
「掃除だと!?体調の悪いものがわざわざやることではないだろう。そうでなくとも掃除や洗濯といった類のものは、侍女の仕事だ。朕の妃嬪がやることではない」

 鋭い視線が向けられて、重華はまた肩を揺らす。
 一方で晧月は、その様子に深い深いため息をついた。

「ところで、春燕はどうした?」
「今は、別の仕事をしております」
「そうか。では蔡嬪には朕がついているから、春燕を手伝ってやってくれ」

 雪梅はそれが、晧月が暗にしばし席を外せと言っているのだと気づいた。

「かしこまりました。行って参ります」

 雪梅は晧月と重華に軽く頭を下げ、すぐにその場を離れた。

「やはり、まだ熱いな」

 部屋に2人きりになると、晧月はすぐに重華の熱を計ろうと額に手をあてた。
 そこから伝わる熱さは昨日確認した時と、さほど変わってないように感じられる。

「大丈夫です」
「これは、大丈夫ではない」
「え……?」
「昨日からずっと熱が出ているのだ、大丈夫ではないだろう」
「あ、あの、でも、その……お恥ずかしながら私、こういうことはよくあるので、その、慣れていますし……」
「慣れるものでもない」
「え?でも……」

 多少頭が重くぼんやりとする気がするが、この程度の不調であれば重華はいつも通り働いていた。
 いや、働かなければならなかった。
 だからこのくらいことは重華にとってはたいしたことではないし、大丈夫なはずだ。
 それなのに、本人が大丈夫だと言っているのに、なぜか晧月はそれを認めてはくれず、重華の頭の中は疑問符だらけである。

「さっきも言っただろう、不調を隠すな、と。これほど熱があれば、体調もいつも通りとはいかないであろう」
「えっと、ちょっとぼんやりするというか頭が重いかなというくらいで、たいしたことでは……」
「ちょっとではないだろう。気づいていないのか、昨日よりもぼんやりしているぞ」
「え……?そんなことは……」

 ない、と重華は言えなかった。
 思い返してみると、着物を貰って着替えさせて貰ったとき、ただ座っているだけの今よりも、ずっと身体が軽かったような気がする。

(でも、あれは、はじめて綺麗な着物を貰って浮かれていたから、不調なんて忘れてしまっていただけかも……)

 医師である柳太医だって昨日より良くなったと言っていたはずだ。
 重華はそれも含めて改めて晧月に大丈夫だと訴えようとしたのだが、それよりも早く晧月は強い力で押して重華を寝台に寝かせた。

「本当に飽きたわけでもないのだろう、横になっておけ」

 晧月にそう言われ、重華は驚き目を見開いた。

「雪梅たちが動き回っているのに、自分だけ寝ているのは落ち着かなかったか?」
「どうして……」

 図星だった。
 それゆえ、重華はひどく狼狽えた。
 その様子に晧月は、自身の考えが間違いではなかったと確信する。

「だから、掃除を手伝おうとしたのか」

 はぁ、と晧月はまた深いため息をついた。

「お二人とも、すごく良くしてくださるのです。昨日は私の体調を気遣って、消化によいお食事を用意してくださいました。それに、お薬も用意してくださって、他にも……っ」
「それが、あの2人の仕事だ」
「ですが私はお二人に、何もできないのに……」
「だから、掃除を手伝おうとしたのか」

 問われて、重華は力なくこくんと頷いた。
 自分だけいつまでも寝てばかりで何もしないのは、非常に申し訳なく感じ、寝るのに飽きたと言い訳をして起きていることにした。
 しかし、起きているだけでは、結局何もしていないのは変わらなくて、何かできないものかと重華なりに考えたのだ。

「掃除なら、今までもやっていたので、私でも少しはお役に立てると思ったのです」
「何度も言うようだが、それはあの2人の仕事であって、妃嬪がやる仕事ではない。侍女の仕事を奪おうとするな」

 晧月がそう言うと、重華は自身がとても悪いことをしてしまったような気分になり、目に見えて落ち込んだ。

「まったく、おとなしく身体を治すことだけ考えていればいいものを、そんなことを気にして無理をするから悪化するんだ」
「あ、悪化したわけでは……っ」

 柳太医は間違いなく、良くなっていると言っていた。
 晧月が思っていたより多少回復が遅いのかもしれないが、悪くはなっていないはずだと重華は思っている。

「柳太医が昨日そなたを診たのは、まだ空が明るくなる前のことだ。確かにあの時はかなり熱が高かった、そこからすれば今日はましにもなっているだろう。だが、朕と最後に会った時よりは、今の方が辛いのではないか?」

 晧月の言う通りだった。
 昨日よりも身体が重いと感じていた、しかし診察を受けると昨日より良くなっていると言われ、全て自分の勘違いだった思ったのだ。
 そして、昨日よりよくなっているのであれば、もうなんともない、大丈夫だと自身に言い聞かせてもいた。
 重華はすっかり黙り込んでしまったが、晧月にはそれが何よりも肯定を示しているように感じられた。

「昨日より辛いのであれば、それは大丈夫ではない。そなたの今までの境遇は知らぬが、ここではその状態で大丈夫だと言わなくていい」
「はい」

 よく覚えておけ、と晧月はきつい口調で言う。
 しかし、どれほど口調が強くとも、重華が怯えた様子を見せることは、もうなかった。
 そして素直に頷いた重華を見て、晧月は満足そうに笑った。

「それから……」

 それだけ言うと、晧月はかなり強い力で重華の腕を掴み持ち上げる。
 しかしながら予想通りではあるが、驚いているようではあるものの、重華が痛みに顔を顰めるようなことはなかった。

「痛いか?」
「いえ、大丈夫です。なんともありません」
「朕は今かなり強い力でそなたの腕を掴んでいる。他の妃嬪であれば、すぐに痛いと声をあげたであろう」
「え……?でも、私は本当になんとも……」
「わかっている、これに関してはそなたが偽りを述べているとは思っていない」

(だが、これほど力を入れても、痛みを感じられないとは……)

「これは、そなたへの課題だ」
「課題、ですか?」
「これは痛いことだと理解しろ。そして、痛みを覚えたら、真っ先に朕に言うのだ。いいな?」
「は、はい……」

(そういえば、最後に痛いって思ったの、いつだっただろう……)

 叩かれたり殴られたりすることを、怖いとか悲しいと思うことは多々あった。
 しかしながら、いつの間にか痛いと感じることはなくなってしまっていたと重華は気づく。

(痛みがわかる日なんて、くるだろうか……)

 想像がつかない、と重華が思っていると、持ち上げられていた腕がゆっくりと寝台に降ろされた。
 それから、さきほどまで重華の腕を掴んでいた晧月の手は、今度は重華の視界を遮るかのように重華の両目を覆った。

「眠りに勝る薬はない、とも言う。少し眠れ」
「でも、私、寝てばかりで何もしていないのです。怒られませんか?」
「誰も怒りはしない。今のそなたは、たくさん眠り、たくさん世話をされ、そして病を治すのが仕事だ」
「仕事……なら、がん、ばります……」

 すぐにすぅ、という重華の寝息が聞こえはじめ、晧月は重華から手を離した。

(やはり、身体は休息を求めていたのだろうな)

 晧月は重華の布団をかけ直し、春燕と雪梅が戻るまでその寝顔を眺めて過ごした。





「申し訳ございません、私どもが気づくべきでした」

 春燕と雪梅は、戻るや否や晧月から重華の不調を聞き、深々と頭を下げた。
 注意深く見ていたつもりであったが、すっかり見逃してしまっていた、と深く反省する2人を晧月はさして咎めることもなく、顔をあげさせる。

「上手く隠していたのだろう、気にするな。引き続き、よろしく頼む」
「陛下は、よくお気づきになりましたね」

 春燕と雪梅としては、まだ重華が入宮したばかりとはいえ、日にほんの数刻訪れているだけの晧月より、1日中傍にいる自分たちの方が重華のことをわかっていると思っていたのだ。

「今日は瞳が曇っていた、それだけだ」
「はい?」

 首を傾げ、春燕と雪梅は顔を見合わせる。
 しかしながら、晧月は仕事がある、と早々にその場を立ち去ってしまった。
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