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20. 悪夢
しおりを挟む「第二夫人の娘は、本当に丞相の娘か?」
「はいぃ!?」
晧月の予想もしない問いかけに、志明は素っ頓狂な声をあげる。
だが、そんな志明の様子を欠片も気にしていない晧月は、どこまで真剣な表情で考え込んでいる。
「丞相は正妻だけを愛していたのだろう?それにしては、第二夫人との間に子ができるのが、早すぎやしないか?」
正妻に一途だった頃の丞相は、どこか自身の母だけを寵愛していた先帝と重なる気がした。
もちろん、重華が生まれて以降の丞相は似ても似つかないのだけれど、それでも最後まで正妻を手放せなかった様子にひっかかりを覚えたのだ。
先帝のことを思い起こして考えてみても、そう簡単に割り切ってすぐに第二夫人との子を儲けられるような気がしなかった。
「いくらなんでも、考えすぎでしょう?」
「第二夫人に、他に男はいなかったのか?」
「いや、そこまで調べてませんって!」
晧月は気になったかもしれないが、志明には思いもつかなかったことである。
そんなことまで、調査の対象になっているわけがない。
「じゃあ、次はそれを調べてこい」
「はぁ!?」
志明からすれば、必要性をまるで感じない調査だ。
血が繋がっていないと信じていた方が血の繋がった娘で、血が繋がっていると信じていた方が血の繋がらない娘だなんて、あまりにも話が出来すぎていてありえなさしか感じられない。
(どうせ、正妻に絶望した勢いで第二夫人を抱いたんだろ)
そう思って、戻ったばかりだというのに、人使いが荒すぎると志明は不平不満を並べてみたが、晧月は聞く耳を持ってはくれなかった。
これは、もう一度行くしかないのだと、志明は諦めてため息をついた。
「ちなみに、正妻の子が……蔡 重華が丞相の娘でない可能性は?」
「まず、ないかと。正妻である楊 青蘭は嫁いだ後、ほとんど邸から出ずに過ごしたようですし、家族の他に親しい男性もいません」
「丞相ともあろうものが、何も調べずに決めつけているのか」
そのくらいの事、すぐに調べられたはずだ。
何も調べることなく、ただ赤い髪だけで決めつけているというのなら、あまりにも滑稽に思えてならなかった。
「蔡嬪が、倒れたと聞いたが」
それは、重華を月長宮に招いて数日が経ったある日の事だった。
いつものように天藍殿で政務を執る晧月の元に、蔡嬪が倒れ、柳太医が琥珀宮に呼ばれたとの報告が入った。
重華は身体が弱っており、体調を崩しやすいと柳太医から報告を受けているし、重華自身も熱を出すのはよくあることだと言っていた。
太医が診ているなら大丈夫だとそう思ったはずなのに、晧月は気づけば筆を投げ出し琥珀宮へと急いでいた。
「眩暈を起こされたようで、寝不足だそうです」
琥珀宮に着いた晧月と最初に出会った春燕が、すぐに晧月にそう告げた。
その様子から、たいしたことではなかったようだと判断した晧月は、ほっと胸を撫でおろす。
「寝不足?」
「はい、ここ数日、夢見が悪かったそうで……」
ここ数日も、晧月は変わらず毎日重華の元を訪れている。
だが、思い返してみても、体調を崩しているようには思えなかった。
「蔡嬪は今どこに?」
「あちらに。今、雪梅がお傍についております」
「わかった」
晧月は、あちら、と指し示された重華の寝室へと足を向けた。
重華は、月長宮を訪れて以降、同じ夢を見続けた。
最初に現れるのは必ず父の姿だった。
『鈴麗が見つかった。おまえの役目はこれで終わりだ』
父がそう言うと、そのすぐ傍にすぐに鈴麗が現れる。
自身には決して与えてはくれなかった美しい着物と装飾品を身に纏って。
対する重華の姿は、いつだってみすぼらしい衣に包まれた姿だった。
『皇帝陛下には、私がお仕えするから、あなたは早く出ていって』
『でも、あなたは、好きな人がいるからって……』
重華のささやかな抵抗。
しかし、鈴麗は鼻で笑い飛ばした。
『もういいの。駆け落ちだと、裕福な生活はできないし。それより、皇帝の妃になって贅沢に暮らす方がいいって気づいたの』
夢の中だというのに、いかにも鈴麗が言いそうな現実味のある言葉だった。
『でも、陛下は……っ』
晧月は、自身を必要としてくれた。
そう言いたいけれど、自信が持てなくて言葉が止まる。
すると今度は、晧月が現れ、その傍にまるで晧月が自分のものだというように、鈴麗が寄り添う。
『陛下……』
それでも、晧月は重華がいいと、妃は重華なのだと言ってくれると淡い期待を重華は抱いた。
しかし、そんな期待は一瞬で崩れ去る。
『陛下もこんな醜い娘より、私の方がいいですよね?』
『ああ、そなたは本当に美しい』
うっとりと晧月はただ、鈴麗だけを見つめる。
その視界に、ぼろぼろの衣を身に纏う重華の入り込む隙などなかった。
『今までご苦労だった、そなたはもう後宮を出てもよいぞ』
『もう、うちに戻って来る必要もない』
晧月には後宮から追い出され、丞相には家に迎え入れてもらえない。
そうして完全に行き場をなくし、世界でたった1人ぼっちになったところで重華の目は覚める。
目覚めるとたいてい外はまだ真っ暗だったが、重華はもう一度同じ夢を見ることを恐れ、眠らずに朝を待つのがほとんどだった。
「先ほどの太医のお薬には、眠くなるお薬が入っているそうです。少し眠りましょう、蔡嬪様」
寝不足の様子の重華に、柳太医はぐっすり眠れるようにと薬を出して帰って行った。
それを少し前に服用した重華には、もうすでに眠気が訪れはじめているのではないかと雪梅は思っている。
だが、いつもなら春燕や雪梅の言葉をすぐに聞き入れる重華が、どうしても眠ることを受け入れてくれない。
「眠くありません、眠りたくないです」
瞼は落ちかかっているようにも思えるのに、重華はただただそう言って首を振る。
「大丈夫ですよ、蔡嬪様。よく眠れるお薬を飲んだのですから、夢も見ないほどぐっすり眠れるはずです」
雪梅がそう言ってみても、やはり重華は首を振る。
「何が、ご不安ですか?」
そう問いかけても、重華から返答は返って来ない。
雪梅は安心させるように重華の手を握り、根気強く重華の返答を待った。
「いつまで……私はいつまでこの後宮に……」
重華がそこまで言った時、雪梅は人の気配を感じて振り返る。
「残念だが」
声が聞こえて、重華も慌てて視線を向けて、目に飛び込んできた姿に目を丸くした。
晧月が重華のいる部屋に近づくと、徐々に雪梅と重華の話声が聞こえ始めた。
眠るように促す雪梅と、なぜか頑なにそれを拒む様子の重華。
どうしてそうも眠ることを拒むのか、部屋に踏み入って直接話をしてみよう、晧月がそう思った時だった。
『いつまで……私はいつまでこの後宮に……』
悲痛な重華のそんな声がして、晧月は勢いよく中へと踏み込んだ。
「残念だが、そなたはこの後宮から出ることは叶わない」
なぜか苛立ちを覚えながら、晧月は怒りに任せるようにそう言った。
不安気に揺れる瞳が、晧月の姿を捉える。
いつもは美しいと感じるその瞳を、今は穏やかに眺める余裕が晧月にはなかった。
「陛下……」
「一度後宮に入れば、死ぬまで出られない。それが、この後宮の決まりだ」
その言葉は、確実に怒気を含んでいると感じたが、重華は晧月が一体何に怒っているのか言葉から上手くくみ取ることができなかった。
「絶対に?」
「ああ、絶対にだ」
正確に言えば、物事には例外というものがつきもので、そういうものがないわけではない。
しかし、晧月はなぜか今それを説明したくはなかった。
「他にもっと……もっと美しい人が来ても?」
(鈴麗が、現れても?)
重華の心の声までは、晧月には届かないものの、晧月は当然だと言うようにそれを肯定した。
「若い娘が新たに輿入れし、皇帝の寵愛を失った妃であっても、決して後宮を出ることはできない。一生後宮にいなければならないんだ」
「一生……」
小さく小さく、そう呟いてから、重華はふわりと笑った。
「よかった……」
「は?」
晧月は思わず雪梅と目を見合わせた。
いつまでこの後宮に居なくてはならないのか、重華はそう言おうとしていたのだと晧月は思っていた。
しかしながら、どうやらその考えは間違っていたらしいと晧月は悟った。
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