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31. 返礼
しおりを挟む「茶を淹れてくれないか?」
「えっ!?」
「雪梅に、教わったのだろう?」
重華は晧月の言葉に、目を見開いた。
(なんで、知ってるの……!?)
以前、晧月に茶葉を貰った時、雪梅ならもっとおいしく淹れられると聞いて、どんな風に淹れるのか気になって見せて貰った事がある。
その時、雪梅は手順をわかりやすく説明しながら、お茶を淹れるのを見せてくれた。
しかしながら、重華はその時、あくまで見ただけであって、お茶を淹れたことがあるわけではない。
せっかく晧月に貰った茶葉なので、できるだけおいしく飲みたいという願望もあり、自分でやるということは決してなかったのだ。
「見たことある、だけなんです。ちゃんと淹れたことはなくて……だから、上手くできるかどうか……」
「知ってる」
「え?」
「だから、淹れてくれないか?失敗してもいいから」
重華はわけがわからなかった。
晧月が自身でおいしいお茶を淹れられることを、重華はよく知っている。
それなのに、淹れた事がないことまで知っていて、なぜ晧月はわざわざ重華にお茶を淹れさせなければならないのか。
重華の頭の中は、疑問符だらけである。
「茶器なら、そこにあるものを使え」
「ほ、本当に、失敗するかもしれないですよ?」
「ああ、構わない。失敗したら、朕が淹れてやろう」
だったら、最初から自分で淹れた方がいいのではないか。
そう思いながら、重華は震える手を茶器へと伸ばした。
重華の手とともに、かたかたと茶器の震える音を聞いて晧月はくすりと笑みを漏らす。
「そう緊張せずともよいだろう」
そうは言われても、重華の震えはなかなか治まらない。
それでも必死に雪梅の説明を思い出しながら、重華はなんとかお茶を淹れた。
「ど、どうぞ……」
お茶を差し出す手までも、震えてしまう状態の中、それでもなんとか重華は一杯のお茶を晧月の前に差し出した。
「そなたの分は?」
「え?」
「淹れなかったのか?」
「はい」
持ってきた点心は晧月が食べるためのものであるし、お茶も当然晧月が飲むためのものだと重華は思っていた。
けれど、晧月はなぜか重華の前で、わざとらしく深いため息をつく。
「それでは意味がないだろう」
そう言うと、晧月は立ち上がり自らお茶を淹れはじめた。
(結局ご自分で淹れるのなら、私がやらなくてもよかったのでは……?)
そんな事を考えながら晧月の様子をちらちらと見ていると、晧月はことりと重華の前にだけお茶を置いた。
「あ、あの、陛下の分は?ご自身で淹れられた方がきっと……」
「それでは意味がない」
「え……?」
「お茶を淹れたのもはじめて。点心を作ったのも、今日がはじめてなんだろう?」
「はい」
晧月は重華が頷いたのを確認すると、包みから重華の持ってきた点心を取り出す。
「なかなか面白い組み合わせだと思わないか?」
そういう晧月の前には、重華がはじめて淹れたお茶と、重華がはじめて作った点心。
どちらもはじめてだからこそ、重華にはあまり自信がないため、その2つが並んでいるのを見ると血の気が引くような気がした。
(点心はきっと大丈夫、私が食べてもおいしかったし、春燕さんも、雪梅さんも、おいしいって言ってくれたし……)
そうは思っても不安はつきない。
重華よりも美味しい食べ物をたくさん知っている晧月でも、美味しいと感じられるという保証はない。
春燕と雪梅だって、重華に気を使ったかもしれない。
そもそも、あの2人なら不味かったとしても美味しいと言って食べてしまいそうだと思う。
その上、お茶はもはや、出来がどうなのかすら重華には未知である。
とはいえ、今さら点心を返せとは言えないし、差し出したお茶も晧月から取り上げるわけにはいかない。
重華は晧月がお茶を口にするのを、祈るような気持ちで見つめることしかできなかった。
「あ、あの、大丈夫、でしょうか……?」
「毒でも入っていそうな聞き方だな」
「えっ?」
「安心しろ、入っているなんて思っていない。ちゃんと美味しいから、そんなに心配そうに見つめるな」
重華は晧月の言葉にほっとした。
しかし、晧月がすぐに、今度は点心へと手を伸ばすのが視界に入り、また祈るようにそれを見つめる。
「うん、旨い。よくできているじゃないか」
「ほ、本当ですか?」
「ああ、とてもはじめてとは思えない」
形はかなりいびつになってしまったと重華は思っているけれど、それでも美味しく食べて貰えていることに安堵した。
「そなたは食べないのか?」
「私はさっき食べたので、もうお腹いっぱいです」
「そうか。なかなか食事量は増えないな」
そう言うと、晧月は二つ目の点心に手を伸ばし、ぱくりと口に放り込んだ。
(かなり増えたと思うけれど……)
重華としては、以前に晧月に少ないと言われてから、かなり量を増やせたと思っている。
それでも、晧月にはまだまだ足りないと思われているのだと知り、愕然とする。
(これ以上増えたら、身体が丸くなってしまいそう)
周囲から見ればまだまだ痩せているけれど、重華からすれば輿入れした時よりかなり太ってしまったと思っている。
自身の父のようなふくよかな姿の自分を想像し、ぞっとしてしまう。
そんな重華の想像など知らない晧月は、優雅にお茶を啜った。
(よかった、全部食べてもらえた……!)
晧月はぱくぱくと点心を食べすすめ、あっという間に点心もお茶も空っぽになった。
自分が作ったものを自分が食べるというのも、おいしくて幸せだったけれど、自分が作ったものを誰かが美味しそうに食べてくれるのもまた、とても嬉しくて幸せなのだと重華は知った。
「あ、あのっ、ありがとうございました」
「そなたが礼を言うのか?」
「えっ?おかしいでしょうか……?」
「まぁな。だが、そなたらしい」
晧月はくすくすと笑っている。
重華はとりあえず晧月の機嫌は損ねていないらしいと悟り、それ以上深く考えることはしなかった。
「朕も礼をせねばな」
「え……?いえ、そんな……」
「ちょうど、朕もそなたに渡そうと思っていたものがあったのだ」
そう言うと晧月は立ち上がり、政務を行っている机の引き出しからあるものを取り出し、重華の前に置いた。
それは重華が目にするのははじめての、丸くて小さなかわいらしい容器だった。
(何かの、入れ物……?)
重華は差し出されたものが何に使用するものなのか、検討もつかず見つめることしかできなかった。
すると、晧月が容器の蓋をあける。
「軟膏、ですか……?」
「ああ、先日他国から献上された品でな」
そう言うと、晧月は容器から軟膏を掬いとると、重華の片方の手を取って丁寧に塗りこんでいく。
「あ、あの……」
重華はびっくりして慌てて手を引こうとしたが、思いのほか晧月の力が強くびくともしない。
「少し、じっとしていろ」
そう言われると、重華にできるのは、ただ晧月にされるがままになることだけだった。
晧月は重華の両方の手にしっかりと軟膏を塗って、ようやく重華の手を解放してくれた。
「これを持ってきた使者の話では、かなり貴重なもので、どんな手荒れも治し、美しい手を保つことができるそうだ」
重華は自分の酷く荒れた両手を見た。
(この手を見るのが、きっと嫌だったのね)
お世辞にも綺麗とは言えない手だ。
きっと皇帝の妃の手として相応しくないに違いない、と重華は思った。
「朕は別に気にしていない。だが、そなたはいつも気にしているだろう?その手で、朕に触れることに」
「あ、その……」
晧月が見たくないから、晧月のために貴重な軟膏を使ったのだ、そう思ったことを重華は恥ずかしく思った。
そして、晧月に触れることに戸惑いを覚えていることも知られていたのだとわかり、居たたまれない気持ちになる。
「だから、それはそなたにやる。ちゃんと毎日使って、しっかり治せ」
「そ、そんな貴重なものを、いただくわけには……」
「もう、使ったではないか。使いかけのものを、返すつもりか?」
「いえ、決して、そのような……」
重華はそこまで言って、あれ、と首を傾げる。
確かに使いかけのものを返却するのは、非常に失礼かもしれない。
けれど、使った対象は重華だったかもしれないが、実際に使ったのは重華ではなく晧月のはずである。
そもそもそんな貴重なものだと知っていれば、重華は自身の手に塗られることだって、受け入れなかったはずである。
「元はと言えば、陛下が勝手にお使いに……っ」
「ははっ。先に言えば、そなたは絶対使わせてくれないだろうと思ってな。何も言わずに、まずはそなたに塗ってみたのは正解だったようだ」
晧月は、それはそれは楽しそうに笑っていた。
一方で重華は少しむっとして頬を膨らませていたが、その表情すら晧月にとっては笑いを誘うものでしかなかった。
(珍しいな、怒った表情を見せるのは)
晧月が最も目にした表情は、残念ながら困ったような表情だろうと思っている。
しかしながら、最近では嬉しそうに笑う表情や、恥ずかしそうに俯く様子も目にする機会が増えたと思っている。
それでも、皇帝である晧月に対して重華が怒る、ということはなかった。
なんといっても、怒ってもいいと言ったところで、怒ることはない娘である。
珍しく怒っている、だなんて言ってしまえばせっかく見れた貴重な表情が消えてしまいそうな気がしたので、晧月は心の中だけに留めた。
「気になるなら、旨い点心を貰った礼だとでも思えばいいだろう」
「そんな、釣り合いませんっ!」
「なら……」
晧月は再び立ち上がり、引き出しから一枚の紙を取り出して、重華の前に置いた。
「これの礼も含めるか?」
「ど、どうして、これがここに!?」
重華は今日一番驚いて、がたんと立ち上がった。
そこには、重華が描いたものの渡せずに終わったはずの晧月の肖像画があった。
(見当たらないから、てっきり春燕さんか、雪梅さんが捨てたんだと……)
そこまで考えて、重華ははっとする。
よくよく考えてみれば、春燕と雪梅が重華が描いた絵を重華の許可も得ず、勝手に捨てたりなどするはずもない。
(ちゃんと、聞けばよかった……)
捨てられたと決めつけ、絵の行方を確認しなかったことを重華は心底後悔した。
とはいっても、確認し晧月のところにあるとわかったところで、重華に取り返す術があったかはわからないけれど。
「そ、それは、お渡ししたわけでは……」
他の妃嬪たちの贈り物を見て、これでは到底贈り物になんてならないと思い、結果的に渡さずにすんでよかったのだと重華は思ったはずだったのだ。
「朕への贈り物として用意したのだろう?」
「そう、だったんですけど……他の皆さんはもっとすごい贈り物を用意してましたし……それに、その、時間がなくて、色もつけられなかったですし、だから……」
「なら、来年は、色のついたものを期待してもよいか?」
「え……?」
だから返して欲しい、と伝えるはずだったことを、重華は驚きのあまり忘れてしまった。
「来年も、お祝いしてよいのですか?」
「なんだ?朕の妃でありながら、来年は祝わないつもりだったのか?」
晧月の言葉に、重華は慌てて首を振った。
「必ず、来年は必ず色をつけますっ」
「そうか、楽しみにしているぞ」
来年の誕生日の贈り物の中身が、今からわかっていてよいのか。
そんな疑問も浮かびはしたけれど、来年も晧月の誕生日を祝うことができるということが、重華はただただ嬉しかった。
「では、これはもう、そなたのものだ。ちゃんと持って帰るのだぞ」
晧月はそう言って、軟膏の容器を重華に握らせる。
重華はいろいろと衝撃を受けたこともあって、完全に勢いをなくしてしまった。
そのため、結局は晧月の言葉に素直に従うだけとなってしまった。
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