皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ

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48. 消沈

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「これは、いったいどういうことだ!?」

 方容華の寝殿で、晧月の怒号が響き渡った。

「衛兵は十分に居ただろう、なぜこのようなことが起きるのだ!?」

 晧月の前には、布を被せられた遺体が横たわっている。
 遺体は、この寝殿の主である、方容華のものだ。
 方容華は一夜にして冷たい身体となり、帰らぬ人となってしまっていた。

「陛下、恐れながら……自害なされたのではないかと……」

 晧月の傍にいた宦官が、晧月の怒りを恐れながらも進言する。
 しかし、晧月はとてもその言葉を受け入れられなかった。

(昨日のあの様子から、自害するとは考えにくい)

 衛兵がこれほどいるこの後宮で、殺害されることもまた考えにくいことだった。
 自殺したと考えられる方が、自然な流れだと晧月も思わなくはない。
 しかしながら、方容華が自害する理由などなく、殺害される理由なら山ほどあるのだ。

(これ以上、方容華から俺に何かしら情報を渡されたくない者など、いくらでもいる……)

 そこまで考えて、晧月はあることに思い至り、焦りをみせる。

「すぐに、方容華の実家に人を送れっ!方容華の父親の無事を確かめるのだっ!!」

 なぜ、すぐに思い至らなかったのか、晧月は後悔の念を抱きながら、必死に声を荒げた。
 方容華の話から推測するに、同じ情報を方容華の父も持っているはず。
 となれば、これが殺害であるなら、方容華を殺した人物が居るとするならば、決してその父も無事ではいられないだろう。
 そんな晧月の推測は、後ほど届いた方容華の父の死の報告によって、正しかったと証明されてしまった。



「くそっ!」

 晧月は壁を強く叩いて、苛立ちをあらわにした。
 防ぐことができたはずだった、方容華の死も、方容華の父の死も。
 もっと早く、晧月がその可能性を考えることができていれば。
 目の前の光景は、全て考えが至らなかった自身の所為のように思えて、晧月はただただ悔しさに震えながら自身の拳を握りしめた。
 同じ日に父と娘が亡くなるという、明らかに異常な光景。
 不審な点しかないというのに、外部から侵入者があったとは考えにくいという判断のもと、どちらも自殺で処理することとなった。

(すまない……)

 方容華を無残に死なせてしまい、殺した犯人を見つけ出すことすら叶わない。
 晧月はその現状を、もうこの世にいない方容華に、謝ることしかできなかった。





「陛下、どうされたのですか!?」

 その日現れた晧月は、今までに見たことがないほど暗い表情で、重華はもちろんのこと、春燕や雪梅までも驚きを隠せなかった。

「体調が優れないのですか?お休みになられますか?」

 訪れた時刻も、遅い時間だった。
 重華は今日はもう来ないのだろうと思い、就寝まで考えていたくらいである。

「陛下……?」

 何の返答もなく、どうしよう、と重華はおろおろとする。
 そんな重華の肩に、晧月は力なく自身の頭を乗せた。

「疲れた」

 晧月はぽつりとそう呟くと、重華から離れ重華の横を通り過ぎて室内へと歩みを進める。
 そして、手近な椅子を引き寄せると疲れたようにどかっと座った。

「今日はここに泊まる」
「あ、はい」

 重華は当然のように返事をした後、しばらくして我に返り目を見開いた。

「えっ!?」

 晧月の言葉を何度か頭の中で反復させた後、ようやく理解が追いつき重華は晧月を振り返った。

「安心しろ、伽をしろとは言わん」

 考えてみれば、当然のことだった。
 重華は決して本当の寵妃ではないのだから。
 けれど、重華はいつの間にか自身の身体が強張っていて、晧月の一言でそれが解けていくのを感じた。

「あ、あの、陛下、お食事は……?」
「そなたは食べたのか?」
「はい」
「そうか。朕は今日は食事はいい」
「え?でも、何も食べないのは……」

 いつもとなんだか逆な気がする。
 重華はそんなことを思いながらも、晧月に食事を勧める。
 しかしながら、疲れ切った様子の晧月は、それを受け入れようとはしなかった。

「何か、食べやすいものを、用意してもらえますか?」

 全く食べないかもしれないけれど、もしかしたら少しは食べられるかもしれない。
 重華はそう思って、小声で春燕と雪梅に声をかけた。
 すると、2人はすぐに頷いて、準備に取り掛かってくれた。

「お茶は、飲まれますか?」
「そなたが淹れるなら」
「えっ?」

 予想外の言葉に、重華は驚きの声をあげた。
 けれど、弱々しい晧月の姿を見ると、断るという選択肢は選べなかった。

「わ、わかりました。すぐに、お淹れします」

 自身が淹れることで、せめてお茶だけでも飲んでくれるのならばと、重華は急いでお茶の準備をした。

「ずっと、この茶葉を使っているのか?」

 晧月は重華が淹れたお茶を一口飲み、それからぽつりと呟くようにそう言った。
 それは、晧月が以前茶葉を渡して以降、重華の元を訪れると必ず出されるようになったお茶だった。
 いつもそれを当たり前のように気にせず飲んでいたのだが、今日だけは妙に気になったのだ。

「はい。陛下からいただいたものは使い切ってしまったのですが、お2人が同じものを手に入れてくださって……」
「そうか」

 どうやら自身が来ている時だけ出しているわけでもなさそうだ。
 重華もちゃんと好んで飲んでいるらしい、あらためてそう実感すると晧月は心が少しだけ落ち着くような気がした。

「あ、あの、ひょっとして、違うのがよかったですか?」
「いや」

 会話はそこですっかり途切れてしまった。
 沈黙が続く静かな空間で、晧月がただお茶を飲む音だけが響き渡った。



 春燕と雪梅が、食べやすそうな料理をいくつか晧月の前へと並べた。

「これは?」

 不要だと告げたはずなのに、自身の前にだけ並ぶ料理を、晧月は怪訝な表情で見つめる。

「あ、あの、やっぱり何か少しでも召し上がられた方がいいかなと……」
「いつもと逆だな……」

 晧月は深く息を吐き出すと、料理に手をつけはじめた。

(よかった、少しは食べられそう)

 重華は晧月の機嫌を損ねることはなかったこと、そして何より少しだけでも晧月が食べられたことに安堵の笑みを浮かべた。

「陛下、湯浴みもなさいますか?」

 これ以上、晧月が食事を食べ進めることはなさそうだ、そう判断したところで雪梅が晧月に問いかけた。

「そうだな」
「では、準備いたします」

 雪梅はすぐに準備のために、傍を離れていく。
 重華はそれを見送りながらも、今日は返答の1つ1つが弱々しい気がする晧月が、ただただ心配でならなかった。





 雪梅が晧月の湯浴みに付き添っている間に、重華は春燕に声をかけた。

「春燕さん、あの、お願いが」
「なんでしょう、珠妃様」
「あの、侍女用の空いている寝台を1つ、借りてもいいですか?」

 琥珀宮には、妃が使う用の寝台とは別に、侍女が使うための寝台がいくつか備えられている。
 そのうちの2つは春燕と雪梅が使っているが、もっと多くの侍女を連れている妃もいるということなのか、いくつか使われていない寝台があることを重華は知っている。

「かまいませんが、どうされるのですか?」
「陛下に私の寝台をお使いいただいて、私は侍女用の寝台を使わせてもらおうかなと」

 この琥珀宮で最も良い寝台が、妃が使うためのものである。
 侍女用のものはそれよりも非常に簡素で、とてもではないが晧月になんて使わせられない。
 重華は別に床で寝ることになっても気にはならなかったけれど、きっとそれは晧月が許してくれない気がした。
 そこで考えついたのが、自身が侍女の寝台を使うことである。

「陛下とご一緒に寝台を使われないのですか?」
「あ、その、今日の陛下はとてもお疲れのようですし、お一人の方がいいのではないかなと」

 正直なところ、緊張して眠れる気がしないので、重華としても一人の方がいいと思っている。
 しかし、それを言うと皇帝を拒否していると捉えられてしまいそうで、重華はそこまでは言えなかった。

「かしこまりました。ご用意しますね」

 おそらく、使うことはないだろうけど。
 春燕は心の中に浮かんだその一言は飲み込んだ。

「ところで、珠妃様、陛下におっしゃらなくてよいのですか?今日お会いできたら、お願いしてみると……」
「いいんです、今日はとてもお疲れの様子ですし、またの機会で……」
「何がだ?」

 想定外の声が聞こえて、重華はびくりと肩を揺らした。
 慌てて声のする方を振り返ると、予想通り湯浴みを終えたらしい晧月の姿があった。

(どこから聞いていらしたのだろう……)

 重華はそんな疑問を抱えながら、少し困ったように晧月を見ていた。
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