皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ

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75. 回復

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(やっと眠ってくださった……)

 熱が高い中、しっかりと今日中に確認が必要な書状に目を通した晧月は、全て終えるとすぐに横にはなってくれた。
 それでも、気になることが多いのか、なかなか寝つけずにいたようだったけれど、重華はひたすら静かに書物を読むことだけに専念しているとようやく寝息が聞こえてきた。

「あとは、熱が下がるといいんだけど……」

 重華は、この部屋に来た時と同様に、冷たい水の中で冷やした手ぬぐいを晧月の額へとのせ、手ぬぐいが冷たさを失えばまた冷やして額へと戻す、その行為を何度となく繰り返した。
 晧月は明日には熱が下がる予定でいるようだったけれど、冷やしても冷やしてもすぐに熱くなってしまう手ぬぐいを見ていると、重華はそう簡単に熱が下がってくれる気がしなかった。
 それでも、少しでも早く楽になれば、と重華がまた冷たく冷やした手ぬぐいを晧月の額にのせた時だった。

「えっ!?陛下!?」

 突然強い力で腕を引かれ、重華は晧月の上に倒れこんでしまう。
 起こしてしまったのかもしれない、と慌てたが、晧月からは今も寝息が聞こえており、どうやら起きてはいないようだった。

(どうして、病気なのに、私より力が強いの……)

 あっけなく引っ張られてしまったことに納得がいかない様子ながらも、重華は晧月から離れ身体を起こそうとした。
 しかし、今度は晧月の両腕がぎゅっと重華を抱き込んで、重華は身動きが取れなくなってしまう。

「へ、陛下っ!?」

 声をあげても、晧月が目を覚ます様子はない。
 それだけ疲れているのだろうと思うと、起こしたくはないと重華は思う。

(だから、どうして、こんなに力が強いの!?)

 晧月を起こさないように、そっと腕の中から抜け出そうとしたけれど、びくともしなくてやはり身動きできないままだった。

(春燕さんか、雪梅さんを呼べば……)

 きっと、声をあげれば、2人ともすぐに駆けつけてくれるだろうし、この状況からも助け出してくれるだろうとも重華は思った。

(でも、もし、陛下が起きてしまったら……)

 ようやく眠れたばかりなのだ。
 自然に起きるまでは、できるだけ眠らせてあげたい。
 そう思うと、大声で春燕や雪梅を呼び、騒がしくすることはどうしても気がひけてしまう。

(もう少ししたら、腕の力も緩むかもしれないし)

 いくら力が強くとも、相手は病人である。
 きっと、長くはこの状態が続かないだろうと重華は考えた。
 椅子に座った状態から、上半身だけががっちりと晧月の腕に抱き込まれた現状は、正直なところ非常に居心地の悪い体勢で腰も痛い。
 あまり長く続いて欲しくはない状況ではあるけれど、重華はただじっと晧月の腕の力が弱まるのを待った。
 しかし、なかなかその力が弱まることはなく、結局重華はそのまま夢の中へと旅立ってしまった。





 翌朝、といっても、まだ日が昇る前の暗い時間だったが、先に目を覚ましたのは晧月だった。
 晧月は自身がしっかりと何かを抱き込んでいることに気づき、そちらへと視線を向けた。

「重華?」

 そこには、見るからに寝にくそうな体勢で、それでもすやすやと眠る重華の姿があった。

「こんな状態で眠らなくとも、誰か呼べばよかっただろうに」

 眠っている重華には、届いていないだろうけれど、それでも晧月は言わずにはいられなかった。
 おそらく寝ぼけた自身が引っ張り込んだのだろうということは、晧月は容易に想像できた。
 だが、傍には春燕も雪梅も控えているのを、晧月も重華も知っている。
 重華が一言声をかければ、2人ともすぐさま重華を晧月の腕の中から引っ張り出したことだろう。

「起きろ、重華。その体勢はさすがに辛いだろう」

 晧月は身体を起こし、未だ自身の上で眠っている重華の身体をゆすってみる。
 すると、重華はすぐにぱちりと目を覚ました。

「え?陛下!?……って、いったぁ……っ」

 重華は慌てて身体を起こそうとしたが、腰に鈍い痛みを感じ失敗に終わる。

(そりゃあ、長い時間その体勢でいればな……)

 むしろ痛みが無い方がおかしいくらいだ、と晧月は思った。

「大丈夫か?太医を呼ぶか?」
「だ、大丈夫、です……っ」

 重華はなるべく腰に負担をかけないよう気遣いながら、今度はゆっくりと身体を起こすことでなんとか起き上がることに成功した。

「あ、陛下、体調は……?」

 重華はきょろきょろと辺りを見渡し、今がまだ日が昇る前の時間だと悟る。
 それでも、自身がいつ眠ったかは記憶にないが、晧月は明るいうちから眠りについたはずなので、十分すぎるくらい睡眠は取れたはずだと重華は思った。

「熱なら、もう下がったぞ」
「え?本当に!?」

 最後に触れた時は、熱はかなり高いままだったはずだ。
 それを思うと、もう下がったというのは、重華にはあまりにも信じがたいことだった。

「ほら」

 晧月は重華の腕を掴み、自身の額を触らせる。
 重華が慌てて比べるように自身の額にも手をあててみると、確かに重華の体温とあまり変わらないような気がした。

「昔から、熱を出しても、薬を飲んで一晩眠ればだいたい下がっているんだ」
「すごい……」

 重華にはそのような経験などなく、それは非常に良いことのように思えた。
 けれど、体調を考えるならば、休みはまだ足りないようにも思える。
 熱が下がったからといって、無理してほしくないと重華は思った。

「念のため、もう一日、お休みになられた方が……」
「必要ない。熱は下がったし、昨日も言っただろう、政務が溜まっているんだ」

 重華はこの時ばかりは、晧月の熱が下がらなければよかったと思った。
 そうすれば、もう一日休む口実ができたはずだ。
 けれど、熱も下がり元気になったと言われてしまえば、それ以上休ませるのは難しい。

「心配するな、もう大丈夫だ」
「ですが……」
「おまえも妙な体勢で一晩過ごしたから、疲れただろう。戻って休むといい。俺も日が昇るまでは、もうひと眠りするから」
「わか、り、ました……」

 せめて日が昇るまではゆっくり休んで欲しい、そのためにも自分は傍にいない方がいいかもしれない。
 重華はそう思い、この場を立ち去ることにした。

「あの、病み上がりですから、ご無理はなさらないでくださいね」

 そうは言っても、政務が溜まっているなら、晧月はやはり無理をしてしまいそうな気がしたけれど。
 それでも少しでも身体を気遣って欲しい、重華はそう願いながら晧月の寝室を後にした。





 日が昇るまでは、重華も琥珀宮に戻り晧月同様に、再度眠ることにした。
 そして、空が明るくなってから目を覚まし、今はいつもと同様に絵を描こうと画材とともに外へ出ている。
 しかしながら、晧月の体調が気がかりで、絵の方はほとんど何も進んではいなかった。

「珠妃様、少し、お時間をいただけませんか?」

 そんな声がかかったのは、重華がただ呆然と画材を眺めていた時だった。

(だれ、だろう……?)

 声をかけてきたのは、女性だった。
 重華よりも随分年上に見える、落ち着いた人。
 おそらく侍女だろうと思うけれど、重華はそれがどこかで会った人物かどうか、その場で判断できなかった。

「私は、皇太后陛下の侍女でございます。珠妃様には、私とともに皇太后陛下の元へいらしていただきたく……」

 そう言うと、侍女は深々と頭を下げた。

(言われてみれば、皇太后陛下にお会いした時、傍にいらしたような気がする)

 記憶は非常にぼんやりとしていて、自信はなかったけれど。
 避暑に向かった離宮で皇太后へ挨拶に出向いた時、目の前にいる侍女を見かけたような気がしたのだ。

「ちょっと、お待ちください。侍女に声をかけてから……」
「いえ、誰にも知られず、内密にお越しいただきたいのです」
「えっ」

 重華は春燕にも雪梅にも、何も告げずこの場を離れてしまうのは憚られた。
 きっと居なくなったことに気づけば、2人は心配し探し回るだろう。
 さらには、晧月にもそのことが知らされ、晧月にまで心配をかけてしまうかもしれない。
 それに目の前の人物が本当に皇太后の侍女で間違いないか確認するためにも、2人に声をかけるべきだと思ったのだ。

「あまり長く時間は取らせません。どうか、お願いいたします」

 侍女はただ、深々と頭を下げた。

(何か、事情があるみたい……)

 悪い人が、必ず悪い顔をしているわけではない。
 重華はその全てを見抜く力があるとは、到底思っていない。
 それでも、目の前の人は悪い人ではない、重華はなぜか自信を持ってそう思えた。

「わかりました。お伺いします」

 心の中で、春燕と雪梅、それから晧月に謝罪し、同時にできるだけ早く戻ってこようと心に決めて、重華は侍女についていくことにした。
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