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84. 甘
しおりを挟む(また、お会いできた……)
晧月の姿を見た時、重華に真っ先に浮かんだのはそんな感情だった。
1度目覚めた時にもその姿を見たはずだけれど、その時はどこかぼんやりしていたし、まだそんな感情を抱く余裕さえなかった。
ようやく、もう冷宮に居なくてもいいのだと実感できたからこそ、浮かんできた感情だった。
(あの時は、もう、お会いできないかもしれないと思ってた……)
一礼して立ち去った雪梅と、入れ替わるようにして部屋の中へ入り、先ほどまで雪梅が居た場所へ腰を降ろした晧月を見ながら、重華は自身に残る冷宮での最後の記憶を思い返していた。
それは、突然酷い頭痛を覚え、少し横になろうと立ち上がった時だった。
くらりと眩暈がして、重華は冷たい床へと倒れこんでしまった。
すぐに立ち上がろうとしたけれど、力が入らず上手くいかなかった。
だんだんと意識も朦朧としてきたとき、重華が真っ先に思ったことは、もう晧月に会えないかもしれないということだった。
「どうした?どこか痛いのか?」
今にも泣いてしまいそうな表情で自身を見つめる重華に気づき、晧月は心配そうに問いかける。
重華はなんともない、大丈夫だと主張するように、泣くのを必死に耐えながら首を横に振って答えた。
(どうしよう、至れり尽くせりだ……)
重華が身体に力が入らないことを悟った晧月は、重華を抱き起し、水を飲ませ、今は食事まで食べさせている。
「いつかと逆になったな」
晧月はそう言って笑ったが、重華はここまでした覚えなどない。
そう思うほど、晧月は些細なことまで甲斐甲斐しく重華の面倒をみてくれていた。
「もう、食べれないのか?」
重華が食べることができたのは、ほんのわずかだった。
晧月はあまりにも少ないと思ったけれど、いつかの冷宮でのやり取りが思い出され、頷く重華にそれ以上食べろとは言えなかった。
(無理して食べて、戻してしまっては意味がない)
晧月はそう思って、すんなりと食事を下げた。
「次は、薬だな」
そう言った晧月は薬とともに、別の物も重華の前へと置いた。
「おまえも気に入っていたようだから、と雪梅が用意してくれたぞ」
そう言って晧月が重華に見せたのは、以前晧月が薬を飲んだ後、口直しに飲んでいたものだった。
「私は、苦い薬でも、大丈夫ですよ」
重華からすれば、薬を用意してもらえるだけでありがたいと思っているし、薬は本来苦いものだとも思っている。
口直しなどなくても苦い薬は飲めるし、今までだってずっとそうしてきた。
「まぁ、そう言うな。せっかくなら、すぐに苦みが消える方がいいだろう」
「それは、もちろんそうなのですが……」
重華だって、嫌だと思っているわけではない。
前回飲んでみて確かにおいしかったし、苦みが大丈夫だとはいえ無いに越したことはないとは思っている。
「なら、いいだろ」
そう言うと晧月は、ゆっくりと薬を飲ませてくれる。
同時に口内に苦みが広がったが、重華はやはり耐えられないわけではないと思った。
それなのに、続けて飲ませてくれた口直しに用意された飲み物のおかげで口内に甘みが広がると、そんな気持ちも変わってしまう。
「おいしい……」
そう呟くと、晧月が満足そうに笑うのが見えた。
なくても大丈夫だとさっきまで思っていたはずなのに、今では次もあると嬉しい、そう思ってしまう自分もいて重華は戸惑った。
「疲れただろ、ほら横になれ」
晧月は全て飲ませ終わると、すぐさま重華を寝台に横たわらせた。
重華が行ったことは晧月にされるがままに水を飲み、食事をし、薬を飲んだだけ。
それだけで疲れるはずなどないと重華は思ったけれど、言われてみれば確かに少し息もあがり、疲労感もあった。
(こんなことで、疲れてしまうなんて……)
重華はほとんど何も自分で行ってはいない状態で、恥ずかしさと申し訳なさが込み上げてくるようだった。
そんな重華の思いを感じ取った晧月は、すぐに安心させるように今はゆっくり休めと言ってくれる。
「私がずっとここに居ると、陛下は困りませんか?」
「部屋は他にもいくつかあるから、心配するな」
「でしたら、私がそちらに……」
「今、下手に移動して悪化してもいけない」
そう言うと、晧月は重華の額に触れる。
朝と変わらぬ熱さを感じ、まだまだ熱が下がる様子はなさそうだと感じ顔を顰める。
「まだ熱も高い。今はとにかく安静にして、熱を下げることだけ考えろ」
優しく触れる晧月の手は、冷たくて気持ちよく、重華はほっと息を吐き出した。
同時に、先ほどまで眠っていたはずなのに、重華はまた眠くなり、今にも目を閉じてしまいそうになる。
「お互い話したいこともいろいろあるだろうが、もう少し体調がよくなってからにしよう」
重華にも、聞きたいことも、話したいこともあった。
けれど、襲い来る眠気には勝てそうにもなく、晧月の言葉に頷いた。
「眠いんだろう、眠っていいぞ」
そんな晧月の言葉に導かれるように、重華はすぐに結芽の中へと旅立ってしまった。
それから数日の間、重華はほとんど眠って過ごした。
たまに目覚めたとしても、軽い飲食と薬を飲むくらいで、またすぐに眠ってしまう。
そのため、晧月はここ数日起きている重華を見ることができていなかった。
(本当に、至れり尽くせりだ……)
ぼんやりと目を覚ました重華は、自身の着物を見て思った。
重華はここ数日、ほとんど眠って過ごしているというのに、定期的に着物は着替えさせられ、身体はさっぱりとしている。
きっと、春燕と雪梅によるものだろうと思いながら、最後に見た時と違う自身の着物をを眺めていた。
「起きたか」
「え?陛下!?」
「ああ、いいから。無理に起き上がろうとするな、疲れるだろ」
きっといつものように、春燕か雪梅が傍に居てくれるのだろうと思っていた重華は、晧月の声がしたことに非常に驚いた。
慌てて起き上がろうとしたけれど、晧月の手に止められたのと、やはり起き上がるのはしんどかったこともあり、晧月の言葉に甘えて横になったままでいることにした。
「安心しろ、着替えさせたのは俺じゃない」
「は、はい……」
正直、重華はそんなこと、考えてもいなかった。
重華が今気になっているのは、目の前の晧月の状況である。
つい何をしているのかと、じろじろと見てしまったのかもしれない。
晧月も重華が気にしていることに、気づいたようだった。
「これか?いつおまえが目覚めるかわからないから、今日はここで仕事をしてたんだ」
晧月のそばには、おそらくは書状と思われる紙の束が積みあがっている。
それを眺めているだけで、重華はなんだか申し訳ない気持ちになった。
「ごめんなさい、私が眠ってばかりだから……」
「それは謝ることではない。今おまえにとっては、一番必要なことだろう」
数日経ったが、残念ながら重華の熱はまだ下がってはいない。
だからこそ晧月は、むしろそれでも足りないくらいだと思っている。
「随分と苦労をさせてしまったな。悪かった」
「そ、それこそ、陛下が謝ることでは……っ!冷宮に送って欲しいとお願いしたのは私ですし、陛下は約束通りちゃんと出してくださいましたし」
重華としては、当初願い出た時は、こんな風に体調を崩す予定ではなかった。
元気な姿で笑ってまた晧月と再会するはずが、もう何日も寝込んで、その上晧月の寝室まで占領してしまっている。
それなのに、晧月に謝罪までさせてしまっては、さらに申し訳なさが増すようだった。
「俺の力ではない。冷宮から出られたのは、舜永によるところが大きい」
といっても、そもそも重華が冷宮に入るきっかけを作ったのもまた、舜永なのだけれど。
晧月はそう言いながら、重華が冷宮で倒れてから冷宮から出るまでの経緯を重華に丁寧に話してくれた。
それは、重華にとっても最も気になっていたことだったので、重華はただ黙って晧月の言葉に耳を傾けていた。
(まさか、舜永様が私を冷宮から出すために、皇位継承権の放棄までされるなんて……)
重華の中の舜永の印象とはまるで違っていて、重華は驚きを隠せなかった。
そもそも、冷宮に来たというのも驚きだが、倒れている重華を助けようとしたことさえ、重華からすれば驚きでしかなかった。
(でも、確かに舜永様のおかげでもあるかもしれないけれど、陛下だって……)
晧月は今、重華の目の前で自身は何もできなかったのだと項垂れている。
だが、重華が医師の診察を受け、しっかりと休めるよう、ここまで連れてきてくれたのは晧月だった。
「もし、舜永が見つけていなければ、取り返しのつかないことになっていたかもしれない」
そう言った晧月の声も、手も、震えていた。
重華はまだ動きが重い手を、必死に晧月へと伸ばし、その手に触れる。
すると晧月は少し驚いたようだったけれど、すぐにその手を握ってくれた。
「でも、陛下がここに連れてきてくださったおかげで、私は今元気ですよ」
「どこが元気だ。まだ熱も下がっていないのに」
「じゃあ、陛下のおかげで、これから元気になります」
重華がそう言うと、晧月はようやく笑ってくれた。
そして、いつかと同様に、また重華を抱き起し、食事をさせ、薬まで飲ませてくれる。
薬の後に口直しが用意されるのも、ここ数日ですっかり当たり前の光景になってしまった。
(こうやって、甘やかされるから……)
重華は自身の過去の境遇を考えれば、冷宮送りくらいたいしたことはないと思っていた。
けれど、いつの間にか春燕と雪梅に世話され、晧月と毎日のように顔をあわせることが当たり前になってしまっていた。
おかげでかつてはいつも一人が当たり前だったはずなのに、今となっては冷宮でほんの少し一人ぼっちで過ごしただけで人恋しくなってしまった。
食事だって食べられるならなんだってよかったはずだったのに、春燕と雪梅が作ってくれるおいしいごはんが恋しくなる。
さらに、このままいけば、口直しなしには苦い薬が飲めなくなってしまいそうな勢いだ。
(どんどん、贅沢でわがままになってしまいそう……)
当たり前に我慢できていたはずのことが、どんどん我慢できなくなっていきそうで、重華は少し不安になった。
だが、そんな不安を晧月にぶつけてみたところで、笑われるだけだった。
「そのくらい、たいした我儘でもないだろう。我慢することに、慣れる必要もない」
「でも、そうすると、もし次に冷宮に行くことになった時……」
「次はない」
今度は耐えられそうにない、と続くはずだった重華の言葉は晧月に遮られてしまった。
「今回で俺も懲りた。次はおまえになんと言われようと、絶対におまえを冷宮に送ったりなどしない」
いっそ、多少無茶をして自身が倒れる方が、よっぽどましだった晧月は思っている。
それゆえに言葉に自然と力が入り、一際強い口調でそう言った。
「この話はここまでにしよう。ようやく事が終わったばかりなのに、また似たような事態が起きることを今から想像したくはない」
うんざりとしたように言う晧月を見ながら、確かにもっともな意見だと重華は思った。
重華もできれば今後は穏やかに過ごしたいし、次は無いに越したことはない。
想像も、しなくて済むならその方がいいと思った。
「それより、今は早く良くなることを考えよう。元気になったら、何がしたい?やはり絵か?それとも勉強か?他に何かやりたいことがあったりするか?」
問われた重華の頭の中には、すぐさまあることが浮かんだ。
「あ、あの……陛下と、またお散歩がしたいです……」
おそるおそる小さな声で重華が呟くと、晧月は驚いたように目を見開いた。
「駄目、でしょうか……?」
「いや。俺もしたい。だから、早く良くなってくれ」
「はいっ」
晧月の言葉に、重華は嬉しそうに笑った。
そして、その時が楽しみだという晧月の言葉を聞きながら、重華は再び眠りについた。
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