皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ

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87. 月見

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(あーあ。幸せそうな顔しちゃって……)

 その日、舜永は数日ぶりにまた、琥珀宮を訪れた。
 重華がどうやら全快したらしいという報告を受けて、一目だけでも元気な様子を見たいと思ったのだ。
 そうして急いで訪れた琥珀宮の庭園で舜永が見たのは、重華の手を引いて歩く晧月と、晧月の半歩ほど後ろをついて回りながら幸せそうに笑っている重華だった。

(てっきり、兄上の一方通行だと思ってたのに)

 決してそうではない、と目の前の重華の表情が物語っているように舜永は感じた。
 舜永はふと、重華が晧月以外の妃にはならないと言った重華を思い出した。

(そのために、自ら冷宮にまで入ったんだもんなぁ)

 皇帝の寵愛を得たいと願う妃嬪は多くいても、そこまでできる者はなかなかいないだろう。
 本人にその自覚があるかは非常に怪しいところだが、重華にとってそれほど晧月は大切な存在だったのだろうと舜永は思った。

(しょうがない、今日は、邪魔しないであげるよ)

 自身が声をかけることで、目の前の笑みが崩れてしまうのは嫌だった。
 元気になった様子は、離れたところからでもしっかりと確認できた。
 だから今日はそれで十分だと、舜永は自身に言い聞かせるようにして、重華に声をかけることなく琥珀宮を立ち去った。





「月見、しないか?」

 きっかけは、舜永の封号だった。
 体調もすっかりよくなったことで、重華は今まで晧月に貰った書物を捲りながら、何か良い字はないかと考えていた。
 しかしながら、なかなか思いつくことができず、晧月に相談してみたところ、晧月は今まで教えてくれたものよりも少し難しい詩の載った書物を持ってきて、重華に読み聞かせてくれるようになった。
 そうして読み聞かせてくれている詩の中に、月を愛でている様子を詠った詩があったのだ。
 その詩を読みながら、自身の声に耳を傾けている重華を見ていた晧月は、ふと思いついてそんな提案をしてみたのである。

「お月見、ですか?」

 あまりに突然の誘いだったためか、重華は状況がすぐに飲み込めず、しばしきょとんとした表情で晧月を見つめた。
 そのため、晧月はどうやらあまり乗り気ではないようだ、と思ってしまう。

「あまり、興味はないか?」

 重華は慌ててぶんぶんと首を横に振った。
 つい先ほどまで晧月の声を聞きながら、必死に頭を働かせて難しいことを考えていたために、思考が追いつかなかっただけで、興味がなかったわけではない。
 落ち着いてお月見をするという経験など重華には今までなかったけれど、晧月からの誘いというのは重華にとっては嬉しいものだった。

「なら、どうだ?中秋節は過ぎてしまったが、この時期でも月はきれいに見えるはずだ」

 中秋節の頃には、残念ながら重華はちょうど冷宮の中に居た。
 その上、晧月もまた政務に追われ、のんびり月を眺めようなどと思いつきもしなかったことだった。
 こうして月見をしようと考えられるのも、平穏な日々が戻ってきたからこそなのかもしれない。

「はい、是非」
「そうか。なら、次の満月の日に迎えに来よう」

 重華の了承が得られたことに、ほっとしながら、晧月は重華にそう告げた。
 すると、重華はその言葉に首を傾げた。

(迎えに……?)

 その一言に、引っ掛かりを覚えたのだ。

「あ、あの、ここでするのでは、ないのですか?ひょっとして、月長宮で?」

 重華はてっきり、琥珀宮でともに月を見上げるのだと思っていた。
 だが、どうやら違うようだと思って問いかけてみたものの、晧月は明確な答えをくれなかった。

「それは、当日のお楽しみだ」

 それだけ言うと、晧月は詩の読み聞かせを再開してしまった。
 重華は非常に気になって仕方がなかったけれど、聞き逃してしまわないように再び晧月の声に耳を傾けることしかできなかった。



 そして、迎えた満月の日。
 晧月に手を引かれて連れて来られた場所は、皇宮の中でも人気はほとんどない少し小高い開けた場所だった。
 そこには使われていなさそうな小さな小屋と、広場の真ん中にぽつんと二脚、古びた椅子が並んでいた。

「ああ、まだあったな」

 晧月はそう言うと、先に片方の椅子へ座り、その隣へ座るようにと重華を手招きした。
 重華はそうして促されるままに、晧月の隣の椅子へと腰をおろした。

「こんな場所が、あったんですね」

 華やかな皇宮の中にあるにしては、どこか寂しくも感じるような静かな場所で、重華は物珍しそうに周囲をきょろきょろと眺めた。

「ここは、今は使われていない場所で、めったに人も来ないんだ。だが、月を見るにはうってつけの場所でな」

 そう言うと、晧月は月を見上げた。
 それを追いかけるかのように重華も空を見上げると、確かに月がとてもきれいに見える気がした。

「きれい、ですね……」
「だろ?」

 重華の言葉に満足気に笑うと、晧月はあるものを重華の口へと突っ込んだ。

「むぐっ」
「せっかくの月見だからな、これも用意させてみたんだ。味はどうだ?」

 それが何かすらわからないもので、重華の口はいっぱいになってしまい、とてもではないが喋ることなどできない状態になった。

(な、なに!?)

 重華は何を食べさせられているかわからないながらも、必死に咀嚼してそれを飲み込んだ。

「おい、しい……」

 よくわからないものを突然口の中へ入れられたというのに、重華から出たのは文句ではなくそんな一言だった。
 それが何かは食べてしまった今でもよくわかっていなかったけれど、香ばしく上品な甘みのするそれは非常に好ましいと思うものであった。

「月餅だ。はじめてか?」

 名前は知っているし、中秋節によく食べられるものだという知識は重華にもあった。
 しかしながら、まともに月見をした経験すらない重華は当然口にした経験もなく、問われてただ力なくこくりと頷いた。
 その答えは、晧月にとっては予想通りで、だからこそ今日わざわざ用意させたものでもあった。

「そうか。気に入ったなら、何よりだ。ほら、もっと食え」
「あ、あの、自分で……むぐっ」

 言うよりも早く、またしても晧月の手によって、月餅が重華の口へと突っ込まれてしまう。
 まるで餌付けでもされているかのようだし、月を眺めるよりも食べることに夢中になってしまっているようにも思えて、重華は恥ずかしさに頬を赤らめた。
 しかし、月下の元で食べることで、より一層美味しく感じられるような気もして、つい食べ進めてしまう。
 そうしてごくんと飲み込むと、晧月が楽しそうに笑った。

「この椅子をここに用意したのは、俺の父なんだ」

 どこか懐かしそうに自身が座る椅子に触れながら、晧月が言う。

(ってことは、先帝陛下!?)

 先の皇帝自ら、わざわざこんなところに椅子を用意したということに、重華は非常に驚いた。

「俺が生まれる前に、俺の母とここで、よく月見をしていたそうだ。俺も幼い頃、時折母に連れてきてもらって、一緒に月を見たりしたものだった」

 そう語る晧月の表情を見ていると、先帝の姿も、晧月の母の姿も知らないというのに、二人が人目を忍んで密に月見を楽しんだ様子が目に浮かぶようだった。

「そんな、大切な場所に、私が来てもよかったんでしょうか……?」
「駄目なら、わざわざこんなところまで連れて来ないさ」

 きっと晧月の両親にとっても、晧月にとっても、思い出のある大切な場所なのだろうと重華は思った。
 そんな場所に重華も足を踏み入れることを許されたのだと思うと、すごく特別な時間を共有してもらえているようで、目に映るもの全てがきらきらと輝いて見えるような気がした。
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