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九月に突入し、大学の夏休みも残りわずかとなった。
将司や警察からの連絡はまだないが、この夢のような生活に終わりが刻一刻と近づいているという事実からは逃れられない。
夢の終末から逃げるために、新多と透琉は、隣県まで足を運んで一泊二日の温泉旅行をしてみたり、湾岸沿いを新多の運転でドライブしてみたり。外でアクティブに活動した後は、一日中ベッドの上で過ごして怠惰を極める。そんな今しかできない時間の使い方を、これでもかというほど堪能していた。
遠出ばかりしていたので、今回は約束していた近場の美術館を訪れた。
都心にあるそこは、建物の周りに小川が流れていたり噴水があったりと、清涼感のある夏にぴったりな場所だった。
透琉は、帆布トートに紺色のポロシャツと白いパンツ。高校の夏服とほぼ同じコーディネートだと新多に笑われたが、楽なので気に入っている。
一方、新多は落ち着いたターコイズブルーにダメージ加工が施されたとろみのある柄シャツと黒いスキニー。髪はハーフアップにして結んでいる。美術館だからと高校時代に履いていたローファーを合わせたようだが、それがかえってホストのような雰囲気を際立たせていた
友人、ましてや恋人とは思えないほど、ちぐはぐなコンビの完成である。
襟付きのシャツの方が良いとアドバイスしたのは自分であったが、下手をしたら展示物より目立っているような――。
顔が良すぎるせいか? と透琉は首を傾げた。
これは恋人贔屓ではなく、事実である。
「さすが猛暑日。想像以上に閑散としてるわ。でも冷房ガンガンで最高」
「そうだね!」
他の来場者も暑さのためか、透琉たちとさほど変わらぬ格好をしていて一安心。やはり注目を集めていたのは、服装ではなく新多自身だったようだ。
美術館の敷地内にある一軒家のような外観のレストランは、予約をせずとも本格的なフレンチを楽しめる人気店で、焼きたてパンはバイキング形式になっていた。
透琉は、相変わらず良く食べていたし、パン好きの新多も一人で七個もパンを食べた。
大変満足したと膨れた腹を撫でる。
「レストランにも絵が飾ってあるとは、さすが美術館。入口の右側にいた猫の絵可愛かったな」
「猫? あれライオンじゃないの?」
「ありゃ猫だろ。ああ~なるほど。透琉画伯はライオンのような威厳や迫力を感じたってわけですねぇ」
「もお~! また意地悪言う! キュピズム的な絵画がある度に僕の方じっと見てるの、わかってるからね⁉」
「わっはは、うっかり」
「うっかりじゃないよ、まったく。悪いと思ってるならちゃんと最後まで付き合ってよね」
「わかってるって。これから鏡見るんだから、そんな頬っぺた膨らませてないで、にっこりにっこり~」
「……誰のせいで」
一日で回るには広大な敷地だが、透琉は最後にどうしても見たい展示があった。
ミラードームという、部屋が全面鏡張りになった、客を入れて成り立つ演出を含めたアートだ。
透琉がここに行きたいと告げた時、新多はなぜか微妙そうな顔をしていたが、透琉の熱心な説得に負けて、最終的には頷いてくれた。
足を踏み入れたそこは、二十畳ほどの空間がすべて鏡になっている。
ミラードームは美術館の敷地の一角に建てられているが、他の施設とは少し離れている。炎天下の中わざわざ屋外に出る物好きは中々いないようで、貸し切りだった。
カツン――カツン――と自分達の足音が響くミラードームに、おっかなびっくりな新多だったが、凄いとはしゃぐ透琉を見て安心したらしい。
四方八方に映る自分たちが面白く、互いの写真を撮り合っていると、新多がピタッと動きを止めた。
「やべぇ、チョビひ――……上司から電話来た」
「いいよ。僕ここで待ってるね」
部屋を出る新多を見送ると、透琉は鏡に映った自分と向き合う。
あと少しで元の生活に戻る。
新多と過ごした日々は、楽しくて、嬉しくて、この時間が一生続けばいいのにと本気で思った。
ふとした瞬間に、寿美子にはこういった時間がなかったのだろうかと想像するのだ。
見合い結婚した夫からは無視同然の扱いを受け、従順だった息子は反抗期。心の拠り所がないのかもしれない。
祖父は、実の娘どころか孫でさえも使える道具として見ている節がある。今思えば、透琉の見合いも祖父母の指示だったのだろう。
だからといって、気持ちを蔑ろにされ続けて来たことを簡単には許せないし、和解したいとは既に思えない段階まで来てしまっている。
新多という心の支えを得た今だからこそ、冷静に現実と向き合うことができそうなのだ。
今の寿美子に必要なのは、歪な形だけの家族ではなく、第三者を介した治療だ。
将司も寿美子の言動の不可解さにはとっくに気付いているはず。入院が長引いているのも、おそらく外傷的な問題だけではない。精神的な治療が継続的に必要になったとしても、今まで通り金銭的な面でのサポートくらいはしてくれるはずだ。
「透琉!」
これから先のことを考えているところに、新多が血相を変えて戻って来た。そして転びそうな勢いで透琉の手を引く。
「ど、どうしたの⁉」
「えっ、ああ、仕事が……そう、仕事! 急なやつが入ったから、悪いけど、今すぐここを離れ――」
一つしかない出入り口に人影が見える。
そこにいたのは、病院を抜け出して来た入院着姿の寿美子だった。
将司や警察からの連絡はまだないが、この夢のような生活に終わりが刻一刻と近づいているという事実からは逃れられない。
夢の終末から逃げるために、新多と透琉は、隣県まで足を運んで一泊二日の温泉旅行をしてみたり、湾岸沿いを新多の運転でドライブしてみたり。外でアクティブに活動した後は、一日中ベッドの上で過ごして怠惰を極める。そんな今しかできない時間の使い方を、これでもかというほど堪能していた。
遠出ばかりしていたので、今回は約束していた近場の美術館を訪れた。
都心にあるそこは、建物の周りに小川が流れていたり噴水があったりと、清涼感のある夏にぴったりな場所だった。
透琉は、帆布トートに紺色のポロシャツと白いパンツ。高校の夏服とほぼ同じコーディネートだと新多に笑われたが、楽なので気に入っている。
一方、新多は落ち着いたターコイズブルーにダメージ加工が施されたとろみのある柄シャツと黒いスキニー。髪はハーフアップにして結んでいる。美術館だからと高校時代に履いていたローファーを合わせたようだが、それがかえってホストのような雰囲気を際立たせていた
友人、ましてや恋人とは思えないほど、ちぐはぐなコンビの完成である。
襟付きのシャツの方が良いとアドバイスしたのは自分であったが、下手をしたら展示物より目立っているような――。
顔が良すぎるせいか? と透琉は首を傾げた。
これは恋人贔屓ではなく、事実である。
「さすが猛暑日。想像以上に閑散としてるわ。でも冷房ガンガンで最高」
「そうだね!」
他の来場者も暑さのためか、透琉たちとさほど変わらぬ格好をしていて一安心。やはり注目を集めていたのは、服装ではなく新多自身だったようだ。
美術館の敷地内にある一軒家のような外観のレストランは、予約をせずとも本格的なフレンチを楽しめる人気店で、焼きたてパンはバイキング形式になっていた。
透琉は、相変わらず良く食べていたし、パン好きの新多も一人で七個もパンを食べた。
大変満足したと膨れた腹を撫でる。
「レストランにも絵が飾ってあるとは、さすが美術館。入口の右側にいた猫の絵可愛かったな」
「猫? あれライオンじゃないの?」
「ありゃ猫だろ。ああ~なるほど。透琉画伯はライオンのような威厳や迫力を感じたってわけですねぇ」
「もお~! また意地悪言う! キュピズム的な絵画がある度に僕の方じっと見てるの、わかってるからね⁉」
「わっはは、うっかり」
「うっかりじゃないよ、まったく。悪いと思ってるならちゃんと最後まで付き合ってよね」
「わかってるって。これから鏡見るんだから、そんな頬っぺた膨らませてないで、にっこりにっこり~」
「……誰のせいで」
一日で回るには広大な敷地だが、透琉は最後にどうしても見たい展示があった。
ミラードームという、部屋が全面鏡張りになった、客を入れて成り立つ演出を含めたアートだ。
透琉がここに行きたいと告げた時、新多はなぜか微妙そうな顔をしていたが、透琉の熱心な説得に負けて、最終的には頷いてくれた。
足を踏み入れたそこは、二十畳ほどの空間がすべて鏡になっている。
ミラードームは美術館の敷地の一角に建てられているが、他の施設とは少し離れている。炎天下の中わざわざ屋外に出る物好きは中々いないようで、貸し切りだった。
カツン――カツン――と自分達の足音が響くミラードームに、おっかなびっくりな新多だったが、凄いとはしゃぐ透琉を見て安心したらしい。
四方八方に映る自分たちが面白く、互いの写真を撮り合っていると、新多がピタッと動きを止めた。
「やべぇ、チョビひ――……上司から電話来た」
「いいよ。僕ここで待ってるね」
部屋を出る新多を見送ると、透琉は鏡に映った自分と向き合う。
あと少しで元の生活に戻る。
新多と過ごした日々は、楽しくて、嬉しくて、この時間が一生続けばいいのにと本気で思った。
ふとした瞬間に、寿美子にはこういった時間がなかったのだろうかと想像するのだ。
見合い結婚した夫からは無視同然の扱いを受け、従順だった息子は反抗期。心の拠り所がないのかもしれない。
祖父は、実の娘どころか孫でさえも使える道具として見ている節がある。今思えば、透琉の見合いも祖父母の指示だったのだろう。
だからといって、気持ちを蔑ろにされ続けて来たことを簡単には許せないし、和解したいとは既に思えない段階まで来てしまっている。
新多という心の支えを得た今だからこそ、冷静に現実と向き合うことができそうなのだ。
今の寿美子に必要なのは、歪な形だけの家族ではなく、第三者を介した治療だ。
将司も寿美子の言動の不可解さにはとっくに気付いているはず。入院が長引いているのも、おそらく外傷的な問題だけではない。精神的な治療が継続的に必要になったとしても、今まで通り金銭的な面でのサポートくらいはしてくれるはずだ。
「透琉!」
これから先のことを考えているところに、新多が血相を変えて戻って来た。そして転びそうな勢いで透琉の手を引く。
「ど、どうしたの⁉」
「えっ、ああ、仕事が……そう、仕事! 急なやつが入ったから、悪いけど、今すぐここを離れ――」
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