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第一幕 歌のない世界
深夜の襲撃
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次の日も、その次の日も、俺たちは午後になると地下室に下りて行って歌術のレッスンを受けた。それと並行して歌術の基本についてあれこれ座学で講義も受けた。
ジゴさんの授業のおさらいとして、ここでもう一度、歌術の基本的なことについて説明しておこう。
歌術には基本6術、熱、風、水、雷、震、情のそれぞれに基本的な術と多数の応用術があり、さらにそれらの組み合わせもあるため、極めて多種多様、術の数は無限と言って良い。
基本6術の一つ、熱の歌術。
これは様々な歌術の中でも最も基本的なものだ。対象の温度を上げる熱歌、温度を下げる冷歌から始まり、何もない空中に炎を現す炎歌や、対象をガチガチに凍らせてしまう凍歌に発展する。比較的シンプルなメロディーにビブラートをかけた歌唱法が特徴だ。歌詞も分かりやすい。
風の歌術。
これは空気に温度差を作って風を起こし、さらにそこに振動を加えることで威力を高めたものだ。真空状態を作ることでカマイタチのような現象を起こすこともでき、これは『風刃』と呼ばれる。発声が独特で習得するのが難しいと言われているが、ジゴさんはこの風の歌術が得意らしい。
水の歌術。
これは空気を急激に冷やすことで水を発生させるものだ。この世界の空気は大量に水分を含んでおり、結構な量の水が出てくる。美しいメロディーが特徴で『歌術』という表現がぴったりくる。しかし歌唱に時間がかかる術が多いため、あまり実戦向きではないとのことだ。
なお、鋭い人はもうお気づきだろうが、基本6術の中でも特に風と水は、熱の歌術と関連が深い。
雷の歌術は先日あの黒い鳥女が操っていたものだ。
空気中の水分を激しく振動させ摩擦で静電気を起こし放電させる。そこに熱の歌術や風の歌術を加えて大規模な落雷をも起こすことができる。メロディーはシンプルだが、震の歌術の要素をベースにしているため、歌う際には高度のリズム感が要求される。
震の歌術は唯一、今の俺にでも使える歌術だ。
対象物を激しく振動させ、急にそれを止めることで破壊する震歌が基本で、いろいろな応用術がある。歌詞はシンプルだがリズムがノリノリで、歌と言うよりラップに近い。音痴でも扱える反面、発動には高度のリズム感を要する。リズム音痴だと絶対に無理だ。
そして情の歌術。
他の5術が主に物理的な作用を持つのに対して、情の歌術は生き物に作用するものだ。動物に作用する眠歌、植物に作用する育歌、この辺りが基本的な術だが、効果は読んで字の如くだ。他にも様々な応用術があり、その数は6術の中で最も多いそうだ。
ニコはこの数日で熱歌・冷歌をかなり使えるようになった。
そしてとうとう昨日、手の平に炎を出すことに成功した。最初にジゴさんが見せてくれた炎歌だ。歌術を習い始めて数日で炎歌を発動させられるなんてなかなかないらしい。
そうそう、俺の方も、震歌の次の歌術を教えてもらった。『震刃』という、これも震の歌術の一つで、攻撃力の高いものだ。振動を与える部位をもっと一点に集中させ、しかもそれを直線的に動かすことで物体をスパッと切断できる。
震歌の時は右手を物体にかざすように構えたが、震刃の時は人差し指で切断点を指さすんだ。そしてラップを口にしながらピーッと直線に動かす。格好良いぞ。動画で観てもらいたいぐらいだ。
季節は冬に近づき、やるべき農作業は減ってきた。
そのため、空いた時間でぼちぼち武器のレッスンを始めることになった。またナギさんの奏術講座もいつ始めるか相談中だった。
レッスンの話を聞いてるだけでもワクワクしてくる。このまま春までいろいろ教えてもらえば、俺とニコはそれなりの戦闘力を身につけ、安心して旅人として出発できたはずだ。
しかし残念ながらこの充実した日々は長く続かなかった。
深夜の冷え込みの中、布団をかぶって夢も見ずにぐっすり眠っていた俺は、突然激しく揺り起こされた。
「ソウタ! ソウタ!」
「は……あ、はあい」
寝ぼけ眼をこすりながらどうにか身体を起こすが、頭はぼーっとしたままですぐには目が覚めない。
「ソウタ、上着を着てすぐ下りてきてくれ!」
それだけ言うとジゴさんは慌ただしく階段を下りて行った。
へ? 何? 今、何時頃?
とりあえずベッドから出て上着を羽織る。あんなに慌てた様子のジゴさんは初めて見た。何だろう?
しかしその時、半開きだったカーテンの隙間からちらっと窓の外が見えた。窓の外、雑木林の向こうの方には村の建物があるはずだが、何だかおかしい。深夜なのにやけに明るい。朝の光とも違う。何だ?
カーテンを開けて外を見て俺は驚いた。村が赤々と燃えている。火事か?
さらにこの家の周りも様子が変だ。無数の黒い塊がひしめいており、しかもそいつらがごそごそ動いている。よく見ると黒ずくめの格好をした子供ぐらいの大きさの生き物だ。槍のような武器を持ってる奴もいれば、松明を持ってる奴もいる。何だ、ありゃ?
これはただ事ではない。そこで初めてはっきり目が覚めた。俺は上着のボタンも止めずに階下に駆け下りた。
ナギさんとニコももう起きていた。
ナギさんは隣の部屋にある古い暖炉の扉を開けて何かしている。ニコはその横で所在なさげに突っ立っていたが、俺が下りてきたのを見てホッとした顔で駆け寄ってきた。
「ニコ、大丈夫か?」
「うん、大丈夫。ソウタは?」
「いや、まあ大丈夫だけど、いったい何があったの?」
「家の周りにヘンな生き物がいっぱい来て、お父さんもお母さんも大慌てしてるの」
そこにジゴさんが地下室から駆け上がってきた。
「ソウタ、これを渡しておく。強力な武器なんだが、残念ながら使い方を教える間がなかった」
ジゴさんは俺に長細い布袋を渡して言った。『強力な武器』という割にその袋は拍子抜けするぐらい軽い。
「準備できたわ。早く!」
そこにナギさんが声をかける。俺とニコは暖炉の前に連れて来られた。
「す、すいません、いったい何が起こったんですか?」
俺はようやっと尋ねることができた。
「黙呪兵が来た。外はもう奴らでいっぱいだ」
ああ、さっきの黒い奴らがそれか。っつーか、何だ? モクジュヘイって?
「文字通り黙呪王の兵さ。やっかいな奴らだ。それに親衛隊も来てる。いや、もう、詳しく説明してる時間がない。2人ともこの暖炉の中に隠れるんだ。いいか、私たちに何かあったら、ナジャの街の『魔笛亭』という飲み屋に行くんだ。そこに私たちの古い仲間がいる。必ずお前達の味方になってくれる」
「は、はい……」
「お母さん……」
ニコは不安げな顔だ。そりゃそうだろう。俺の心も不安ではち切れそうだ。
「ニコ、ソウタの言うことを聞いて、足を引っ張らないようにするのよ」
ナギさんはニコをハグしておでこにキスをした。そして俺に向かって
「ソウタ、あなたの歌の力を信じてるわ。どうかこの子をよろしくね」
そう言って俺にもぎゅっとハグをした。
その時、ドンドンドンと玄関の扉を荒々しく叩く音が響いた。
「来たぞ! ソウタ、お前の黒髪に賭けるからな。ニコを頼んだぞ!」
ジゴさんに急かされ俺とニコは暖炉の中に潜り込んだ。
入ったところは腰ぐらいまでの高さしかないが、奥に進むと煙突の穴があり屋根の上に抜けている。俺たち2人は狭い煙突穴の中で身体を起こした。抱き合うような姿勢になってしまうが仕方ない。
外から暖炉の扉がバタンと閉められ、暖炉を隠すためだろう、扉の前に何かが置かれたようで、中は真っ暗になった。その途端にバタバタと大勢の靴音がして、何か言い争うような声が響いた。
ニコは震えている。腕を回してその華奢な身体をそっと抱き寄せたが、俺も震えていたかもしれない。
「探せ! 探せ!」
そんな声が聞こえる。何を探しているんだろう。
「違う、こいつらじゃない。黒髪の若い男がいるはずだ。探せ! 二階を探せ! 地下室も探せ!」
黒髪……やっぱ俺か。俺を探しに来たんだ、こいつら。しかし、何で? 何でこんな大勢で俺を探しに来るんだ?
あれか? この前、畑で歌って魔物が飛んできた件か? でもあれは「命拾いしたな」っていうことで済んだんじゃないのか?
家中を大勢の靴音が行ったり来たりしている。この暖炉の存在もいつバレるかしれない。そうなったらどうしよう。
覚え立ての震の歌術を使って戦うか。いや、いくらジゴさんから天才的だと褒められたって、俺には実戦経験が皆無だ。
しかもこの世界には例の黒い鳥女みたいな魔物だっているんだ。こいつら黙呪兵とか親衛隊とかっていうのも、どのくらい強いのか分からない。ジゴさんは『やっかいな奴ら』って言ってたしな。
それにジゴさんからもナギさんからも「ニコを頼む」と言われた。ジゴさんもナギさんも歌術や奏術を使えるのに反撃していないのは、今ここで戦うのはマイナスだと判断してのことだろう。無茶はできない。今はジッとしていよう。
俺はニコを抱きしめたもう一方の手で、頼りないぐらい軽い武器の袋を握り直した。
たぶん実際には30分ぐらいだったのだろうが、俺には何時間にも感じられた。
「ちっ! こいつらは重要参考人だ。連れて行け!」
そんな声を最後に、ドタバタ響いていた靴音はぴたっと消えた。辺りはしんとした静寂に戻った。奴ら、諦めてくれたのか?
上を向くと煙突の先で四角く切り取られた小さい星空が見える。寒い。強烈に寒い。
「ニコ、大丈夫か?」
ニコは俺の胸の中で顔を上げた。
「うん、大丈夫。ソウタは?」
その声は意外にしっかりしているが、星明かりに照らされた彼女の顔は蒼白に見える。
「大丈夫だ」
とは答えるものの、実はちっとも大丈夫ではない。俺は途方に暮れていた。どうすりゃいいんだよ、これ。
「お父さんとお母さん、連れて行かれちゃった」
「……そうみたいだな」
「私、どうしよう?」
ニコは本当に心細げな、泣き出しそうな顔をしている。
俺の頭にまず浮かんだのは謝罪の言葉だった。
平和に暮らしていた親子の元に俺のような異世界人が現れ、彼らの生活をかき乱した末に大騒動を起こし、父ちゃん母ちゃんがヤバい奴らに連れて行かれてしまった。申し訳ない。申し訳なさ過ぎる。謝るか? 土下座するか?
いやしかし、俺がニコに謝ったところで何になる。ニコは「謝らなくてもいいよ」と言うだろう。それだけだ。
さっきジゴさんは俺に武器を渡して何と言った? ナギさんは俺をハグして何と言った? 「ニコを頼んだぞ」「この子をよろしくね」そう言ったんじゃないのか?
それにナギさんは言ってたよな。「あなたの歌の力を信じてるわ」と。ジゴさんも「お前の黒髪に賭ける」って言ってくれた。
謝ってる場合じゃないよな。前に進まないと。強烈に不安だが、歌うんだ。音痴でも、歌うんだ。歌の力に賭けるんだ。
「ニコ。本当は春が来てからのはずだったが、たった今から、俺は旅人になる。一緒に来てくれるか?」
ニコはパッといつもの笑顔になった。
「うん!」
「まずはナジャの街に行って、お父さんの知り合いの人に会おう。そこで事情を話して一緒にお父さんお母さんを助けに行こう」
「うん。分かった。私、ソウタの足を引っ張らないようにする」
「よし、じゃあニコ。あらためてよろしくな」
「うん。私もよろしくね」
その後、ニコがごにょごにょっと何か言った。
「ん? 今、何つった?」
「私、ソウタの手は引っ張ったことあるけど、足なんか引っ張ったことないのにな、って言ったの」
確認のために俺は尋ねてみた。
「足を引っ張るっていうのは、本当にこの足を引っ張るっていう意味じゃなくて、手間取らせるとか、邪魔になっちゃうっていう意味だけど、ニコ、知ってるよね?」
「え!? そうなの? 初めて知った。そうなのかあ」
……抱えている問題は俺の音痴だけじゃなかった。いろいろ大変な旅になりそうだ。
ジゴさんの授業のおさらいとして、ここでもう一度、歌術の基本的なことについて説明しておこう。
歌術には基本6術、熱、風、水、雷、震、情のそれぞれに基本的な術と多数の応用術があり、さらにそれらの組み合わせもあるため、極めて多種多様、術の数は無限と言って良い。
基本6術の一つ、熱の歌術。
これは様々な歌術の中でも最も基本的なものだ。対象の温度を上げる熱歌、温度を下げる冷歌から始まり、何もない空中に炎を現す炎歌や、対象をガチガチに凍らせてしまう凍歌に発展する。比較的シンプルなメロディーにビブラートをかけた歌唱法が特徴だ。歌詞も分かりやすい。
風の歌術。
これは空気に温度差を作って風を起こし、さらにそこに振動を加えることで威力を高めたものだ。真空状態を作ることでカマイタチのような現象を起こすこともでき、これは『風刃』と呼ばれる。発声が独特で習得するのが難しいと言われているが、ジゴさんはこの風の歌術が得意らしい。
水の歌術。
これは空気を急激に冷やすことで水を発生させるものだ。この世界の空気は大量に水分を含んでおり、結構な量の水が出てくる。美しいメロディーが特徴で『歌術』という表現がぴったりくる。しかし歌唱に時間がかかる術が多いため、あまり実戦向きではないとのことだ。
なお、鋭い人はもうお気づきだろうが、基本6術の中でも特に風と水は、熱の歌術と関連が深い。
雷の歌術は先日あの黒い鳥女が操っていたものだ。
空気中の水分を激しく振動させ摩擦で静電気を起こし放電させる。そこに熱の歌術や風の歌術を加えて大規模な落雷をも起こすことができる。メロディーはシンプルだが、震の歌術の要素をベースにしているため、歌う際には高度のリズム感が要求される。
震の歌術は唯一、今の俺にでも使える歌術だ。
対象物を激しく振動させ、急にそれを止めることで破壊する震歌が基本で、いろいろな応用術がある。歌詞はシンプルだがリズムがノリノリで、歌と言うよりラップに近い。音痴でも扱える反面、発動には高度のリズム感を要する。リズム音痴だと絶対に無理だ。
そして情の歌術。
他の5術が主に物理的な作用を持つのに対して、情の歌術は生き物に作用するものだ。動物に作用する眠歌、植物に作用する育歌、この辺りが基本的な術だが、効果は読んで字の如くだ。他にも様々な応用術があり、その数は6術の中で最も多いそうだ。
ニコはこの数日で熱歌・冷歌をかなり使えるようになった。
そしてとうとう昨日、手の平に炎を出すことに成功した。最初にジゴさんが見せてくれた炎歌だ。歌術を習い始めて数日で炎歌を発動させられるなんてなかなかないらしい。
そうそう、俺の方も、震歌の次の歌術を教えてもらった。『震刃』という、これも震の歌術の一つで、攻撃力の高いものだ。振動を与える部位をもっと一点に集中させ、しかもそれを直線的に動かすことで物体をスパッと切断できる。
震歌の時は右手を物体にかざすように構えたが、震刃の時は人差し指で切断点を指さすんだ。そしてラップを口にしながらピーッと直線に動かす。格好良いぞ。動画で観てもらいたいぐらいだ。
季節は冬に近づき、やるべき農作業は減ってきた。
そのため、空いた時間でぼちぼち武器のレッスンを始めることになった。またナギさんの奏術講座もいつ始めるか相談中だった。
レッスンの話を聞いてるだけでもワクワクしてくる。このまま春までいろいろ教えてもらえば、俺とニコはそれなりの戦闘力を身につけ、安心して旅人として出発できたはずだ。
しかし残念ながらこの充実した日々は長く続かなかった。
深夜の冷え込みの中、布団をかぶって夢も見ずにぐっすり眠っていた俺は、突然激しく揺り起こされた。
「ソウタ! ソウタ!」
「は……あ、はあい」
寝ぼけ眼をこすりながらどうにか身体を起こすが、頭はぼーっとしたままですぐには目が覚めない。
「ソウタ、上着を着てすぐ下りてきてくれ!」
それだけ言うとジゴさんは慌ただしく階段を下りて行った。
へ? 何? 今、何時頃?
とりあえずベッドから出て上着を羽織る。あんなに慌てた様子のジゴさんは初めて見た。何だろう?
しかしその時、半開きだったカーテンの隙間からちらっと窓の外が見えた。窓の外、雑木林の向こうの方には村の建物があるはずだが、何だかおかしい。深夜なのにやけに明るい。朝の光とも違う。何だ?
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さらにこの家の周りも様子が変だ。無数の黒い塊がひしめいており、しかもそいつらがごそごそ動いている。よく見ると黒ずくめの格好をした子供ぐらいの大きさの生き物だ。槍のような武器を持ってる奴もいれば、松明を持ってる奴もいる。何だ、ありゃ?
これはただ事ではない。そこで初めてはっきり目が覚めた。俺は上着のボタンも止めずに階下に駆け下りた。
ナギさんとニコももう起きていた。
ナギさんは隣の部屋にある古い暖炉の扉を開けて何かしている。ニコはその横で所在なさげに突っ立っていたが、俺が下りてきたのを見てホッとした顔で駆け寄ってきた。
「ニコ、大丈夫か?」
「うん、大丈夫。ソウタは?」
「いや、まあ大丈夫だけど、いったい何があったの?」
「家の周りにヘンな生き物がいっぱい来て、お父さんもお母さんも大慌てしてるの」
そこにジゴさんが地下室から駆け上がってきた。
「ソウタ、これを渡しておく。強力な武器なんだが、残念ながら使い方を教える間がなかった」
ジゴさんは俺に長細い布袋を渡して言った。『強力な武器』という割にその袋は拍子抜けするぐらい軽い。
「準備できたわ。早く!」
そこにナギさんが声をかける。俺とニコは暖炉の前に連れて来られた。
「す、すいません、いったい何が起こったんですか?」
俺はようやっと尋ねることができた。
「黙呪兵が来た。外はもう奴らでいっぱいだ」
ああ、さっきの黒い奴らがそれか。っつーか、何だ? モクジュヘイって?
「文字通り黙呪王の兵さ。やっかいな奴らだ。それに親衛隊も来てる。いや、もう、詳しく説明してる時間がない。2人ともこの暖炉の中に隠れるんだ。いいか、私たちに何かあったら、ナジャの街の『魔笛亭』という飲み屋に行くんだ。そこに私たちの古い仲間がいる。必ずお前達の味方になってくれる」
「は、はい……」
「お母さん……」
ニコは不安げな顔だ。そりゃそうだろう。俺の心も不安ではち切れそうだ。
「ニコ、ソウタの言うことを聞いて、足を引っ張らないようにするのよ」
ナギさんはニコをハグしておでこにキスをした。そして俺に向かって
「ソウタ、あなたの歌の力を信じてるわ。どうかこの子をよろしくね」
そう言って俺にもぎゅっとハグをした。
その時、ドンドンドンと玄関の扉を荒々しく叩く音が響いた。
「来たぞ! ソウタ、お前の黒髪に賭けるからな。ニコを頼んだぞ!」
ジゴさんに急かされ俺とニコは暖炉の中に潜り込んだ。
入ったところは腰ぐらいまでの高さしかないが、奥に進むと煙突の穴があり屋根の上に抜けている。俺たち2人は狭い煙突穴の中で身体を起こした。抱き合うような姿勢になってしまうが仕方ない。
外から暖炉の扉がバタンと閉められ、暖炉を隠すためだろう、扉の前に何かが置かれたようで、中は真っ暗になった。その途端にバタバタと大勢の靴音がして、何か言い争うような声が響いた。
ニコは震えている。腕を回してその華奢な身体をそっと抱き寄せたが、俺も震えていたかもしれない。
「探せ! 探せ!」
そんな声が聞こえる。何を探しているんだろう。
「違う、こいつらじゃない。黒髪の若い男がいるはずだ。探せ! 二階を探せ! 地下室も探せ!」
黒髪……やっぱ俺か。俺を探しに来たんだ、こいつら。しかし、何で? 何でこんな大勢で俺を探しに来るんだ?
あれか? この前、畑で歌って魔物が飛んできた件か? でもあれは「命拾いしたな」っていうことで済んだんじゃないのか?
家中を大勢の靴音が行ったり来たりしている。この暖炉の存在もいつバレるかしれない。そうなったらどうしよう。
覚え立ての震の歌術を使って戦うか。いや、いくらジゴさんから天才的だと褒められたって、俺には実戦経験が皆無だ。
しかもこの世界には例の黒い鳥女みたいな魔物だっているんだ。こいつら黙呪兵とか親衛隊とかっていうのも、どのくらい強いのか分からない。ジゴさんは『やっかいな奴ら』って言ってたしな。
それにジゴさんからもナギさんからも「ニコを頼む」と言われた。ジゴさんもナギさんも歌術や奏術を使えるのに反撃していないのは、今ここで戦うのはマイナスだと判断してのことだろう。無茶はできない。今はジッとしていよう。
俺はニコを抱きしめたもう一方の手で、頼りないぐらい軽い武器の袋を握り直した。
たぶん実際には30分ぐらいだったのだろうが、俺には何時間にも感じられた。
「ちっ! こいつらは重要参考人だ。連れて行け!」
そんな声を最後に、ドタバタ響いていた靴音はぴたっと消えた。辺りはしんとした静寂に戻った。奴ら、諦めてくれたのか?
上を向くと煙突の先で四角く切り取られた小さい星空が見える。寒い。強烈に寒い。
「ニコ、大丈夫か?」
ニコは俺の胸の中で顔を上げた。
「うん、大丈夫。ソウタは?」
その声は意外にしっかりしているが、星明かりに照らされた彼女の顔は蒼白に見える。
「大丈夫だ」
とは答えるものの、実はちっとも大丈夫ではない。俺は途方に暮れていた。どうすりゃいいんだよ、これ。
「お父さんとお母さん、連れて行かれちゃった」
「……そうみたいだな」
「私、どうしよう?」
ニコは本当に心細げな、泣き出しそうな顔をしている。
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いやしかし、俺がニコに謝ったところで何になる。ニコは「謝らなくてもいいよ」と言うだろう。それだけだ。
さっきジゴさんは俺に武器を渡して何と言った? ナギさんは俺をハグして何と言った? 「ニコを頼んだぞ」「この子をよろしくね」そう言ったんじゃないのか?
それにナギさんは言ってたよな。「あなたの歌の力を信じてるわ」と。ジゴさんも「お前の黒髪に賭ける」って言ってくれた。
謝ってる場合じゃないよな。前に進まないと。強烈に不安だが、歌うんだ。音痴でも、歌うんだ。歌の力に賭けるんだ。
「ニコ。本当は春が来てからのはずだったが、たった今から、俺は旅人になる。一緒に来てくれるか?」
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「まずはナジャの街に行って、お父さんの知り合いの人に会おう。そこで事情を話して一緒にお父さんお母さんを助けに行こう」
「うん。分かった。私、ソウタの足を引っ張らないようにする」
「よし、じゃあニコ。あらためてよろしくな」
「うん。私もよろしくね」
その後、ニコがごにょごにょっと何か言った。
「ん? 今、何つった?」
「私、ソウタの手は引っ張ったことあるけど、足なんか引っ張ったことないのにな、って言ったの」
確認のために俺は尋ねてみた。
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