名称不明なこの感情を表すために必要な2万文字。

春待ち木陰

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 学校帰りに駅で杉本と別れてからもう数時間が過ぎていた。

 駅から自宅までの距離、帰宅してからの着替え、夕食、シャワーまで、私は普段通りでいられたはずなのに。

 深夜というにはまだ少しだけ早い時間帯だった。自室に一人で居たときだった。

 私は、何を思ったのか、何も考えてはいなかった。右の手の親指と人差し指とで、小さな鉄砲を形作った。その右の手を壁に向けて思い切り突き出す。片目をつむって狙いを定める。

 銃口である人差し指の先には、何もなかった。染みもホコリも見つけられない、ただの壁だった。

 私は、何かを思う事も止めた。ただじっと息を殺して、何の変哲もない壁の一点を睨み付ける事、数秒。

 じっくりと。焦らして、焦らして、それから、

「バンッ!」

 私は、叫ぶと同時に右の手の人差し指をほんの少しだけ跳ね上げさせた。私のイメージの中、弾丸を発射させた反動で銃口が持ち上がってしまったのだ。

 そんな子供みたいな想像を楽しんだ自分自身にだろうか。それとも『思った何か』にだろうか。喉の奥の奥の方から笑いが込み上げてきた。

 こらえたのは一瞬だけだった。それは反射的にだったのだろうと思う。

 私はすぐに大きな声を上げてゲラゲラと下品に笑った。

 可笑しかった。楽しかった。愉快だった。

 あんなにも大袈裟に笑ったのは生まれて初めてだったんじゃあないかと思うくらいに私は笑った。

 何が違ったのだろうか。この二年前の出来事と。この半年前の出来事と。

『安永』や『加藤』が『杉本』に代わっただけなのに。

 もしかしたら変わったのは私なのだろうか。

 過去の二つのあのときはこんなにも興奮はしなかった。

 浮き浮きとまるで杉本みたいに気持ちが弾んでしまっているのが自覚出来た。そしてそれは自己嫌悪を通り越して面白くも感じられた。

 けれどもそれは『普通』とは違う。例えば、加奈子と一緒に居るときに感じる気持ちとはまるっきり正反対の『面白さ』だった。

 私は感じるままにゲラゲラと声を上げて笑い続けた。

 不思議だった。気分は悪いのに、楽しいだなんて。

 けれども。そんな楽しい時間に限って邪魔が入るのが、お約束なんだろう。私の、杉本にも負けないくらいの『馬鹿』笑いを聞き付けた兄がコンコン、と部屋のドアを控えめにノックしてくれたのだ。

「どうかしたのか」

 低く冷静な声が閉じられたままのドア越しに聞こえた。

「別に。なーんも」

 私は、ククク、と喉を震わせながらに応えた。

 すると兄からは、一秒の半分ほどの間を置いてから、

「そうか」

 との一言が頂けた。

 そして。その一言だけをそっと残して、ドアの向こうの気配は消えた。

「相変わらず」

 と。ぼそり、呟いたのは私だった。

 私はその呟きを耳で聞いてから、自分が口を開いていた事に気が付いたのだ。

 気分が高まっていたから、だろう。私らしくもない。無意識の内に意味のない発言をしてしまっていた。

 私は今度は意識して、唇を閉ざした。

 それから、改めて。自然勝手に頭に浮かびかかる色々なイメージや言葉を打ち消すみたいに、強く、思った。

(相も変わらず、でゴザイマスね。)

 私の部屋には鍵が掛からない。

 子供部屋に鍵を取り付けないのは、両親の教育方針だった。その代わり、親といえども絶対に無断で部屋に入ってはこない。

 父曰く「親しき仲にも礼儀あり」だそうだ。私より一つ年上の兄がする律義なノックもそんな親の教育のタマモノなんだろう。

 そうして礼儀正しく育った兄が最後に私の部屋に入ってから何年が経ったろうか。兄は、私の部屋のドアノブにさえもうずっと触ってはいない。少なくとも、私の知る限りでは。

 そして私も。この薄い壁一枚向こうにある兄の部屋の内装を知らないのだ。きっともうあの黒いランドセルは学習机の横にある茶色いフックに掛けられてはいないだろうから。

 淡白なのは血筋なのだろうか。それとも、育った環境のせいなのか。兄と私とは、とてもよく似ていた。読む本、聞く曲、味の好みや好きな色まで。

 もちろん。その事はお互いによく分かっていたはずだった。

 あれは以前、昔々の事。なんでだったか、誰かが二本の違う缶ジュースを兄と私とにくれた事があった。兄は私に「どっちがいい?」と聞き、私は兄に「おにーちゃんは、どっちがいい?」と聞き返した。すると兄は少しだけ驚いた顔をした後、すぐに微笑んで「こっち」と苦手なはずだった炭酸ジュースを手に取ったのだ。

「じゃあ、あたしはこっち」

 そのときの私は残されたリンゴジュースを飲みながら、

(めずらしいの。おにーちゃん、コーラのむんだ。)

 くらいにしか考えなかったけれど。

 今だったらどうだろう。やさしいおにーちゃんはやっぱりあたしにリンゴジュースを譲ってくれるのだろうか。でも、ううん。そんな必要はもうないのだ。私はもう、兄とは違う。おにーちゃんが欲しい物を同じように欲しがるあたしはもう居ない。私は私だ。いつもでも小さな子供のままではないのだ。兄の読まない本、聞かない曲、苦手な味や嫌いな色も今の私は……。

 などと。自然勝手に頭に浮かぶ昔々の出来事や『今だったらどうだろう』を追い払うように、

「ハッ」

 私は、息を無理矢理に吐き出すみたいにして、笑った。そんな笑い方しか、出来なかった。

(ねえ、おにーちゃん。やさしいやさしいおにーちゃんは、こんなにも楽しく笑った事がある? なにがなんだか、いまがいつだか、ここがどこだか分からなくなるくらいに何かを楽しく感じた事は? ある? 私はね、あるんだ。今がそう。頭がね、オカシクなるのよ。楽しくて、楽しくて、夜中だろうが明け方だろうが、そんなこと関係なく笑っちゃうのよ。おにーちゃん。おにーちゃんは、どう?)

「ハハッ!」

(こんな気分になった事、ある?)


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