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第十七話 原子爆弾
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■1945年(昭和二十年)8月
トラック諸島 春島
トラック島沖海戦後、日本は後方から戦力を移動してトラックの防衛力回復に努めたが、米軍も散発的な攻撃を続け日本側が戦力を集積する事を許さなかった。
また、昨年占領されたウェーク島からも新型の四発爆撃機が飛来するようになった。高空を悠々と偵察し、たまに嫌がらせの様に爆弾や機雷を落としていく。
そしてこの日もまた3機の爆撃機がやってきていた。
だが日本軍は戦闘機部隊に迎撃指示を出さなかった。電探で捉えてはいたが、またいつもの偵察か嫌がらせの爆撃だと思いこんでいたためである。先日の海戦以来、燃料弾薬が不足気味になっており日本側は消耗をできるだけ抑えようとしていたこともある。
飛来した爆撃機が何かを投下した。
いつもと違うのは、それが落下傘を展開しゆっくりと落ちてきた事だった。
「なんだ?アメさんも中元を贈るのか?もう時期は過ぎてるぞ?」
落下傘を見上げる兵士の一人が軽口をたたく。それが彼の発した最後の言葉だった。
この日、ウェーク島を飛び立ったB-32ドミネーター爆撃機『エノラ・ゲイ』が投下した原子爆弾『リトルボーイ』は、春島南岸上空600mで起爆、TNT換算16キロトンの威力を解き放った。
この爆発により爆心から半径2キロ以内の施設、機材、兵員はほぼ焼失、5キロ以内も爆風と熱線により大きな損傷を負った。これにより春島の航空基地は半壊し、対岸の夏島にある司令部も壊滅に等しい被害を受けた。
環礁内の他の島の部隊や艦船の被害は小さかったが、指揮機能を完全に喪失した事によりトラックの基地としての機能はほぼ失われてしまった。
その二日後、日本がトラック壊滅の報に右往左往している間に、今度はサイパンに原子爆弾『ファットマン』が投下された。
つい先日まで戦線の後方であったサイパンは、戦力はあるが防衛体制が整っておらず、日本は接近する爆撃機に直前まで気付く事ができなかった。アスリート飛行場を狙った爆弾は風に流され北部市街地の上空で爆発し、そこを完全に死の街へと変えた。
この攻撃に先立ち、先月末に米英2国の名でポツダム宣言が出されていた。これは日本に無条件降伏を迫るものだったが日本はそれを完全に無視していた。ドイツとイタリアは降伏したが日本の戦況はそこまで悪くないのだから当然である。
だが2発の原子爆弾を投下した後、米国はその威力を背景にあらためて日本に無条件降伏を迫った。回答期限は1ヵ月以内とされた。期限までに降伏を認めない場合は更なる原子爆弾を日本の拠点、そして本土に次々と投下するという脅しも付記されている。
実は米国が投下可能な原子爆弾は年内でもせいぜい2~3発が限度であった。このためこの要求はある意味ブラフではあったが、少なくともあと一発は投下可能であった。
■1945年(昭和二十年)8月
ソ連 モスクワ
国家防衛委員会
日本国内では無条件降伏を巡って議論が紛糾していた。まだ戦力もあり国土も侵されていないため当然ながら徹底抗戦派が主流を占めている。だが停戦やある程度妥協できる条件付き降伏であれば認めるのに吝かでないという者も多かった。
そして日本以外でも大きな議論がなされた国がある。ソ連である。
ソ連はポツダム宣言において蚊帳の外にされた。そして突然、通告もなく原子爆弾が使用されたのである。ソ連の偉大なる指導者ヨシフ・スターリンとしては面白いはずなどない。
「同志アントーノフ、対日戦の準備は出来ているのかね?」
スターリンが参謀総長アレクセイ・アントーノフ上級大将に尋ねた。
「はい同志スターリン、準備は完了しております。我が赤軍兵士はいつでも日本のファシスト共に鉄槌を下すことが可能です」
見るからに不機嫌なスターリンの様子に、アントーノフは身をこわばらせながら答えた。
今年2月に行われたヤルタ会談において、ソ連はドイツ降伏後3か月以内に対日参戦することを英米に約束している。その密約に従いソ連は6月頃より本格的な準備を進めていた。
すでにザバイカルと満州国境には150万人の兵士、5250台の戦車、5170機もの航空機が集結している。今月頭にはチタに極東ソ連軍総司令部が開設されアレクサンドル・ワシレフスキーが司令官に就任している。
「同志フルリョフ、物資の集積に問題は?」
「はい同志スターリン、何の問題もありません。必要な鉄道敷設も終えています。いつでも我が赤軍兵士の末端にまで、銃弾一発からパン一切れまで届けることが可能です」
人命より物資を重視するスターリンの問いにアンドレイ・フルリョフ赤軍兵站長がスラスラと答えた。フルリョフは独ソ戦の頃からソ連の兵站を一手に引き受けている能吏である。その熟達した手腕はこの対日戦の準備でも冴え渡っていた。
このように兵と兵站の面では確かにソ連は対日戦の準備を完了していた。だがまだ考慮すべき課題が有った。
「同志ベリヤ、原子爆弾はまだ出来ないのかね?資本主義者はもう実戦で使ったようだが」
ソ連はラヴレンチー・ベリヤを長官とする秘密警察のスパイ活動を通して1943年より英米から技術を盗み、原子爆弾の開発を進めていた。
「その件については同志クルチャトフから説明いたします」
原子爆弾の開発は遅延していた。このためベリヤはスターリンの追及の矛先を逸らすため開発責任者の核物理学者イーゴリ・クルチャトフに説明を丸投げした。
仕方なく同席させられていたクルチャトフが立ち上がる。
「はい同志スターリン、同志ベリヤが得た資本主義者の情報により、我が国も技術的にはいつでも原子爆弾の製造は可能です。しかし原材料のウランが足りません」
「それは誰の怠慢なのかね?」
スターリンが目を細める。
「同志スターリン、原子爆弾に必要なウランが、我が国の領土ではほとんど産出しないのです」
「ならばどこにある?」
「ブルガリア、チェコスロバキア、ハンガリー等に有力な鉱山があると考えております」
「ふむ、なるほど。同志ベリヤ、速やかに解決したまえ」
ベリヤはクルチャトフが自分にボールが上手く返してきた事に内心歯噛みをした。
「承知しました」
ベリヤは素直に頷いた。しかし問題は無い。彼の手元にはドイツから得た大量の捕虜が居る。国内にも不要な少数民族が多数いる。危険なウラン採掘作業に使う人手には事欠かない。
「同志ロゾフスキー、日本の態度は相変わらずかね?」
次いでスターリンはソロモン・ロゾフスキー外務人民委員代理に尋ねた。彼は極東関係の外交事案を担当している。
「はい同志スターリン、日本は米英に対する停戦の仲介をしきりに要求してきております。なお、延長された中立条約は今までと変わらず順守しております」
「健気なものだな」
スターリンは日本の足掻きを鼻で笑う。
中国と南方、そしてビルマ戦線が落ち着き日本陸軍の大きな活動がないため、満ソ国境地帯の日本軍は以前と変わらない兵力を有していた。むしろ装備が新型に更新されており戦力的には上がっているともいえる。
日米の戦いも停滞していたため、ソ連は4月に日ソ中立条約を破棄せず自動延長していた。もっともスターリンは条約など毛ほども気にしておらず、対日戦直前に破棄すればいいとしか考えていない。
日本は連合国で唯一国交のあるソ連に停戦仲介の希望をもっていた。だがつい先日までスターリンには仲介の意思など微塵もなかった。このため外務大臣ヴャチェスラフ・モロトフも日本の佐藤尚武駐ソ連特命全権大使に対してのらりくらりとした回答しかしていない。
だがスターリンは、戦後を見据えて一つの決断を下していた。彼は会議室の面々をゆっくり眺めると、次の言葉を口にした。
「同志諸君、ファシストの一員であっても日本が義理堅い事に変わりはない。我が国はそれに報いるべきだと思う」
【後書き】
零式陸攻ではドイツを支援できないので、ドイツは史実どおりに降伏しました。
ソ連はヤルタ会談で対日参戦も約束していますが、日本陸軍が無傷に近い状態でソ連国境に居るため中立条約を自動延長しています。
米国は戦争スケジュールを達成するため、完成した原子爆弾で強引に日本へ降伏を迫りますが、当然ながら日本は拒否します。ただし停戦の意思は強くもっているのでソ連を頼みの綱と考えています。
いよいよ次話で最終回となります。
トラック諸島 春島
トラック島沖海戦後、日本は後方から戦力を移動してトラックの防衛力回復に努めたが、米軍も散発的な攻撃を続け日本側が戦力を集積する事を許さなかった。
また、昨年占領されたウェーク島からも新型の四発爆撃機が飛来するようになった。高空を悠々と偵察し、たまに嫌がらせの様に爆弾や機雷を落としていく。
そしてこの日もまた3機の爆撃機がやってきていた。
だが日本軍は戦闘機部隊に迎撃指示を出さなかった。電探で捉えてはいたが、またいつもの偵察か嫌がらせの爆撃だと思いこんでいたためである。先日の海戦以来、燃料弾薬が不足気味になっており日本側は消耗をできるだけ抑えようとしていたこともある。
飛来した爆撃機が何かを投下した。
いつもと違うのは、それが落下傘を展開しゆっくりと落ちてきた事だった。
「なんだ?アメさんも中元を贈るのか?もう時期は過ぎてるぞ?」
落下傘を見上げる兵士の一人が軽口をたたく。それが彼の発した最後の言葉だった。
この日、ウェーク島を飛び立ったB-32ドミネーター爆撃機『エノラ・ゲイ』が投下した原子爆弾『リトルボーイ』は、春島南岸上空600mで起爆、TNT換算16キロトンの威力を解き放った。
この爆発により爆心から半径2キロ以内の施設、機材、兵員はほぼ焼失、5キロ以内も爆風と熱線により大きな損傷を負った。これにより春島の航空基地は半壊し、対岸の夏島にある司令部も壊滅に等しい被害を受けた。
環礁内の他の島の部隊や艦船の被害は小さかったが、指揮機能を完全に喪失した事によりトラックの基地としての機能はほぼ失われてしまった。
その二日後、日本がトラック壊滅の報に右往左往している間に、今度はサイパンに原子爆弾『ファットマン』が投下された。
つい先日まで戦線の後方であったサイパンは、戦力はあるが防衛体制が整っておらず、日本は接近する爆撃機に直前まで気付く事ができなかった。アスリート飛行場を狙った爆弾は風に流され北部市街地の上空で爆発し、そこを完全に死の街へと変えた。
この攻撃に先立ち、先月末に米英2国の名でポツダム宣言が出されていた。これは日本に無条件降伏を迫るものだったが日本はそれを完全に無視していた。ドイツとイタリアは降伏したが日本の戦況はそこまで悪くないのだから当然である。
だが2発の原子爆弾を投下した後、米国はその威力を背景にあらためて日本に無条件降伏を迫った。回答期限は1ヵ月以内とされた。期限までに降伏を認めない場合は更なる原子爆弾を日本の拠点、そして本土に次々と投下するという脅しも付記されている。
実は米国が投下可能な原子爆弾は年内でもせいぜい2~3発が限度であった。このためこの要求はある意味ブラフではあったが、少なくともあと一発は投下可能であった。
■1945年(昭和二十年)8月
ソ連 モスクワ
国家防衛委員会
日本国内では無条件降伏を巡って議論が紛糾していた。まだ戦力もあり国土も侵されていないため当然ながら徹底抗戦派が主流を占めている。だが停戦やある程度妥協できる条件付き降伏であれば認めるのに吝かでないという者も多かった。
そして日本以外でも大きな議論がなされた国がある。ソ連である。
ソ連はポツダム宣言において蚊帳の外にされた。そして突然、通告もなく原子爆弾が使用されたのである。ソ連の偉大なる指導者ヨシフ・スターリンとしては面白いはずなどない。
「同志アントーノフ、対日戦の準備は出来ているのかね?」
スターリンが参謀総長アレクセイ・アントーノフ上級大将に尋ねた。
「はい同志スターリン、準備は完了しております。我が赤軍兵士はいつでも日本のファシスト共に鉄槌を下すことが可能です」
見るからに不機嫌なスターリンの様子に、アントーノフは身をこわばらせながら答えた。
今年2月に行われたヤルタ会談において、ソ連はドイツ降伏後3か月以内に対日参戦することを英米に約束している。その密約に従いソ連は6月頃より本格的な準備を進めていた。
すでにザバイカルと満州国境には150万人の兵士、5250台の戦車、5170機もの航空機が集結している。今月頭にはチタに極東ソ連軍総司令部が開設されアレクサンドル・ワシレフスキーが司令官に就任している。
「同志フルリョフ、物資の集積に問題は?」
「はい同志スターリン、何の問題もありません。必要な鉄道敷設も終えています。いつでも我が赤軍兵士の末端にまで、銃弾一発からパン一切れまで届けることが可能です」
人命より物資を重視するスターリンの問いにアンドレイ・フルリョフ赤軍兵站長がスラスラと答えた。フルリョフは独ソ戦の頃からソ連の兵站を一手に引き受けている能吏である。その熟達した手腕はこの対日戦の準備でも冴え渡っていた。
このように兵と兵站の面では確かにソ連は対日戦の準備を完了していた。だがまだ考慮すべき課題が有った。
「同志ベリヤ、原子爆弾はまだ出来ないのかね?資本主義者はもう実戦で使ったようだが」
ソ連はラヴレンチー・ベリヤを長官とする秘密警察のスパイ活動を通して1943年より英米から技術を盗み、原子爆弾の開発を進めていた。
「その件については同志クルチャトフから説明いたします」
原子爆弾の開発は遅延していた。このためベリヤはスターリンの追及の矛先を逸らすため開発責任者の核物理学者イーゴリ・クルチャトフに説明を丸投げした。
仕方なく同席させられていたクルチャトフが立ち上がる。
「はい同志スターリン、同志ベリヤが得た資本主義者の情報により、我が国も技術的にはいつでも原子爆弾の製造は可能です。しかし原材料のウランが足りません」
「それは誰の怠慢なのかね?」
スターリンが目を細める。
「同志スターリン、原子爆弾に必要なウランが、我が国の領土ではほとんど産出しないのです」
「ならばどこにある?」
「ブルガリア、チェコスロバキア、ハンガリー等に有力な鉱山があると考えております」
「ふむ、なるほど。同志ベリヤ、速やかに解決したまえ」
ベリヤはクルチャトフが自分にボールが上手く返してきた事に内心歯噛みをした。
「承知しました」
ベリヤは素直に頷いた。しかし問題は無い。彼の手元にはドイツから得た大量の捕虜が居る。国内にも不要な少数民族が多数いる。危険なウラン採掘作業に使う人手には事欠かない。
「同志ロゾフスキー、日本の態度は相変わらずかね?」
次いでスターリンはソロモン・ロゾフスキー外務人民委員代理に尋ねた。彼は極東関係の外交事案を担当している。
「はい同志スターリン、日本は米英に対する停戦の仲介をしきりに要求してきております。なお、延長された中立条約は今までと変わらず順守しております」
「健気なものだな」
スターリンは日本の足掻きを鼻で笑う。
中国と南方、そしてビルマ戦線が落ち着き日本陸軍の大きな活動がないため、満ソ国境地帯の日本軍は以前と変わらない兵力を有していた。むしろ装備が新型に更新されており戦力的には上がっているともいえる。
日米の戦いも停滞していたため、ソ連は4月に日ソ中立条約を破棄せず自動延長していた。もっともスターリンは条約など毛ほども気にしておらず、対日戦直前に破棄すればいいとしか考えていない。
日本は連合国で唯一国交のあるソ連に停戦仲介の希望をもっていた。だがつい先日までスターリンには仲介の意思など微塵もなかった。このため外務大臣ヴャチェスラフ・モロトフも日本の佐藤尚武駐ソ連特命全権大使に対してのらりくらりとした回答しかしていない。
だがスターリンは、戦後を見据えて一つの決断を下していた。彼は会議室の面々をゆっくり眺めると、次の言葉を口にした。
「同志諸君、ファシストの一員であっても日本が義理堅い事に変わりはない。我が国はそれに報いるべきだと思う」
【後書き】
零式陸攻ではドイツを支援できないので、ドイツは史実どおりに降伏しました。
ソ連はヤルタ会談で対日参戦も約束していますが、日本陸軍が無傷に近い状態でソ連国境に居るため中立条約を自動延長しています。
米国は戦争スケジュールを達成するため、完成した原子爆弾で強引に日本へ降伏を迫りますが、当然ながら日本は拒否します。ただし停戦の意思は強くもっているのでソ連を頼みの綱と考えています。
いよいよ次話で最終回となります。
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