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第1部 子爵家の次男
煌びやかな晩餐 *リュカリオ視点
しおりを挟む「うわぁ、凄く美味しそう!」
エイルは煌びやかな内装に惹かれていたのもホールに入るまでで、それからは目の前に鎮座する豪華な食事に目が奪われていた。
ホールの扉をくぐった瞬間、そこに広がっていたのは眩いほど豪奢な光景。
大理石の床に沿って並ぶ長いテーブルには純白のクロスが掛けられ、金銀の燭台が整然と並び、炎の揺らめきが料理を幻想的に照らしている。
香ばしく焼かれた森角鹿の幼獣の丸焼きや、琥珀色に輝くスープ、銀器に盛られた魚料理や彩り豊かな野菜。どれもが絵画の一部のように整えられ、それはただの食卓ではなく「王家の威光」を示す舞台そのものだった。
背後には挨拶に立つ貴族たちの姿。葡萄酒の赤や白がグラスの中できらめき、焼き立てのパンの香りがふわりと漂い、場の雰囲気をより華やかにしていた。
やがて王子とその婚約者が現れ、声高々に婚約発表が告げられると、拍手と祝福の声が波のように広がった。
一区切りがついた頃、会場横の大きな扉が開け放たれる。
そこから隣の部屋へ足を踏み入れると、空気は一転して華やかで可愛らしい雰囲気に包まれる。
低めに設えられたテーブルには、果実をふんだんに使った小ぶりのサンドイッチや彩り豊かな菓子が山のように積まれていた。
マカロンや砂糖菓子は宝石箱をひっくり返したかのように並び、三段の大きなケーキは砂糖細工の花々で飾られてまるで小さな庭園。
子供たちの笑い声が響き、煌びやかな大人の世界から解き放たれたように、そこは甘やかな楽園と化していた。
さらに奥のテラスへの扉もすべて開け放たれ、庭園へ続く夜風が菓子の甘い香りを外へと運ぶ。噴水の音が心地よく響き、星明りに照らされた花々が静かに揺れていた。
「リュカ様、森角鹿、森角鹿食べましょう!」
……王子の婚約発表などそっちのけで、エイルは終始きらびやかに輝く料理に夢中だったらしい。
まぁ仕方あるまい。森角鹿など、滅多に口にできるものじゃない。
「待て待て、先に殿下に挨拶だ」
「えぇー。この列に並ぶんですか」
殿下への挨拶を求める長蛇の列がすでにできていた。挨拶を終えた者たちから、さっそく料理に舌鼓を打っているようだ。
「とっとと並んで、さっさと終わらせるぞ」
「はぁーい。あ、リュカ様、あれも後で食べましょうね」
「まったく、仕方のないやつだな」
口ではそう言いながら、頬が勝手に緩む。……いけない、にやけた顔で挨拶なんて絶対にできるか。
「くすくす」
「婚約者、食い意地張りすぎ」
「子供っぽーい」
「あんなのが婚約者なの?」
「可哀想~」
遠くから、俺たちを——いや、エイルを嘲る声が、聞こえるか聞こえないかの絶妙な音量で耳に届いた。
エイルも気づいたようで、困ったような顔を俺に向けてくる。
「気にするな。直接言う度胸もない連中だ」
「……はい」
やがて順番が来て挨拶を済ませ、ようやく晩餐にありつく。
緊張でカチコチになっていたエイルが、息を整えて笑顔を取り戻す。その瞬間すら俺には可愛すぎてたまらない。
俺が挨拶を早く切り上げようとしたせいで殿下から小言を食らったが……正直、どうでもいい。
俺はエイルと2人きりで、この場を楽しみたい。
「森角鹿すごく美味しいですね!」
ニコニコと頬張るエイルは本当に可愛い。顔いっぱいで「美味しい」を表現していて、見ている俺まで幸せになる。
「中々食べられる機会なんてないからな。よく味わっておけ」
「もちろんです!……でも」
フォークを一度置き、エイルは少し照れたように俺を見上げた。
「僕はやっぱり、リュカ様と一緒に2人で食べるご飯の方が好きだな」
「……っ」
胸の奥に熱が走る。煌びやかな燭台も、宝石のように並ぶ料理も、この言葉ひとつで色を失った。
「ば、馬鹿……今ここでそんなこと言うな」
視線を逸らし、頬の熱を悟られぬようにする。
けれど心の中では叫んでいた。
——そんなこと言われたら、誰がなんと言おうと、一生お前を離すもんか。
「……あの、僕、何かマナー違反してました?」
ひとしきり食事を楽しんだ後、エイルが小さく問いかけてくる。
今もなお、陰で囁かれる嫌味を気にしているのだろう。
「いや?いつも通り完璧だった」
「へへ、ありがとうございます」
エイルは肩の力を少し抜いて笑った。けれど、その笑みが完全に本物でないことを俺は知っている。
——やっぱり、聞こえていたんだな。くだらない陰口なんか気にしなくていいのに。
「心配するな。お前は俺がいる限り、誰にも貶めさせない」
俺はエイルの肩に手を置く。
途端に耳まで真っ赤にして視線を逸らすエイル。その仕草すら堪らなく愛しい。
……可愛い。こんな場じゃなければ、すぐにでも抱き寄せてしまうのに。
だが、その時。
「リュカリオ」
背後から声をかけられ振り返ると、兄上が立っていた。
「殿下がお呼びだ。至急だってさ」
「……ちっ」
「こら、舌打ちしない」
殿下の“至急”なんて、どうせ大した用ではないだろう。だが無視はできない立場だから厄介だ。
「エイル、すぐ戻る。ここで待っててくれるか?」
「えっ……あ、はい!僕は大丈夫です」
笑顔を作っているが、わずかに震えた声が耳に残る。本当はひとりにしたくない。だが殿下相手ではどうしようもない。
「護衛もすぐ近くにいる。何かあればすぐ声を上げろ」
「分かりました。……行ってらっしゃい、リュカ様」
未練を断ち切るように背を向けながら、胸の奥で不安が渦を巻いていた。
祝いの場で何かが起こるはずがない——そう思いたい。
だが陰口が飛び交っている事実がある以上、気を抜けない。
とっとと“至急”の用事とやらを片付けて戻らねば。
俺は兄上とともにその場を後にした。
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