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第1部 子爵家の次男
魔力を帯びたキス
しおりを挟む春と夏の境目、風が柔らかく木々の若葉を撫でる新緑の季節の午後。
空は高く澄みわたり、雲ひとつなく、お披露目会にふさわしい穏やかな陽気だった。
今日は、弟のエイルが三歳になって初めて、客人たちの前に姿を見せる日だ。
「はぁ……正装したエイル、可愛すぎる、罪だな……」
溜息まじりに呟く自分が情けないとは思う。でも、仕方がないだろう。
本日の主役であるエイルはピシッと正装を着こなしていた。ダークブラウンのハーフパンツと同色のベストと白シャツの3ピースに首元にはエイルの毛先のワインレッド色のリボンタイ。もちろん生地は動きやすいように伸縮性抜群だ。そしてローファーとダークブラウンのショートソックス。可愛さは無く、シックに統一した服装なのにエイルが着るとすごく可愛くなってしまうのは何故なのか。
ふわふわのダークブラウン色の髪が陽に照らされて時折黄金色に近いように見える。そんな過去の可愛いをものすごい勢いで更新しているエイルが僕に気づいて、どう?似合ってるでしょ? とでも言いたげなドヤ顔を腰を手に当てて披露してる。
「可愛すぎて無理……このまま持ち帰りたい……!」
だが現実は無情だ。
この可愛すぎるエイルに、可能であれば今すぐぎゅう~と抱きついてむちむちの頬っぺたに頬ずりしてしまいたい!けれどそれがダメな事は分かっている。ピシッと決めてるエイルの服をぎゅう~と抱きついてシワを付けてはいけない事くらい分かってる!
それに僕は今から兄として、次期当主として、父と共に招待客を迎えねに行かなくてはならない。ついさっきこの世で1番可愛い正装のエイルに会ったのに、すぐにまた離れ離れになってしまうのだ。
エイルは招待客が集まったあと、母上と共に登場する予定なのだ。
「……ぐぅ……行きたくない……エイルと離れたくない……」
誰にともなく弱音をこぼしながら、渋々父上と客人を迎え入れるため入口へと向かう。今日はお披露目と言っても内輪のお茶会みたいなものだ。招待客も父上の仕事関係の貴族が殆ど。
僕の友人も招待客の中には居るが父様の仕事関係で家族ぐるみの付き合いがってこそ仲良くなった人たちだから家族枠参加である。
1番に到着したのは僕の友人のぜリアル・ハートレイとそのご家族だった。
「よっルアン久しぶり。お前が可愛い可愛いとうるさい自慢の弟に会いに来たぞ、ちゃんと案内してくれよな」
「うるさい。そこまで言ってない、と思う。とにかく見惚れて求婚するなよ。あと触るな、絶対触るな、抱っことかも禁止だ」
「はいはい、じゃあ見てるだけにするよ。……ところで、あの子がそうか?」
ゼルの視線の先、遠目にも愛らしさが伝わる小さな姿が庭の入り口に現れた。
さわさわと風に揺られる柔らかな髪、淡い紅の頬、好奇心が乗ったつぶらな瞳がこちらを覗いている。
——エイルが可愛い。
俺は思わず、駆け出して迎えに行きたくなる衝動をこらえる。
「へぇ。あれが溺愛してる弟君?ちっちゃくて可愛いね?」
「ゼルはこれから先帰るまで目を瞑って参加することが決定した。お前の視界に弟を入れてはいけない」
「なんでだよ。可愛いって1回言っただけだろ。ぁ、行っちゃった」
本来ならエイルはまだ控え室に居る時間だ。恐らく誰かが呼びに来たのだろう、軽く手を振って、踵を返して行ってしまった。
「少しでも弟の事を可愛いと言ったらアウトだ。僕は兄として弟が弟のことを変な目で見る奴に絡まれるのを阻止する責任がある」
「兄のルアン君の友人ですけれど?可愛いって言っただけですけど?溺愛が過ぎませんか?」
そんなやり取りをしつつ、そんなやり取りを周りに微笑まれつつ、僕は仕事であるお出迎えと会場へのご案内をするのだった。
そうこうしているうちに招待客が全員揃い、会は和やかに始まった。
今日のパーティは格式ばったお茶会ではなく、親しい者同士のスタンディングパーティの形式だ。エイルは母と一緒に、各テーブルを挨拶して回っている。
やがて、父の上司である公爵家のテーブルへと歩み寄るのが見えた。
そこにいたのは、公爵夫妻とその長男と……噂の次男だ。
いたずら好きで勉強も鍛錬もサボってばかりの困った坊っちゃんと噂の彼だ。今日のお茶会にも、無理を言って同行したらしい。これが初めてのお茶会参加だと聞いた。お出迎えした時は噂と違って、受付が終わるまできっちりと待っている事が出来てて、噂と違った姿に妙に違和感を覚えた。
何も起きないよね?何故か唐突に確信の無い不安が胸を襲った。
けれど、その次男は——
「——エイル!」
エイルが挨拶に近付いてきた途端に駆け寄り、小さな弟の前にひざまずいた。
「……っ!」
次の瞬間、エイルの身体は抱き寄せられていた。小さな腕がぎゅっと包まれ、驚いてきょとんとした顔のまま、おでこにキスされる。
その一瞬、光が、舞った。
それは確かに、魔力を帯びたキス。所有の誓い、一途の印。
それは本来、正式な求婚か、許婚にしか許されないものだ。
「きれー」
エイルは恐らくその意味を知らないはずだ。
抱きつかれたまま、ただ周りをキラキラと舞った光に感想を零していた。
「……っ、なっ、何をっ——!」
ざわめく空気の中、その少年は立ち上がって、声高に宣言した。
「父上!僕、エイルと結婚します!」
——王家に近い公爵家の、次男が。
困った坊っちゃんとして知られる彼が。
まっすぐに、迷いなく、それだけを告げた。
会場は一気に静まり返った。
視線が集中する中、エイルも異様な雰囲気を察したのだろう。ぽかんとした顔のまま、きょろきょろと周りを見回している。
……僕は、この時完全に思考停止していた。
「る、ルアン?」
隣のゼルの声も耳に入らない。
目の前の弟は、未来の婚約者と呼ぶべき少年の腕の中。
そして、その少年は、堂々とエイルを見つめて、優しく笑っている。
呆然としたまま、俺はただ、その光景を眺めている事しか出来なかった。
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