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第1部 子爵家の次男
うわさ
しおりを挟む最近の夕食後の談話室では、僕がエイルに絵本を読んであげるのではなく、エイルが僕に読んでくれる役になっていた。
間違いがあれば僕が直してあげる、という形だ。
父上も母上も、穏やかに、揃って仲良さげにその様子を眺めている。
「……こうして せかいに へいわが おとずれました。おしまいっ!ちゃんと読めてた?」
「うん、スラスラ読めてて上手だったよ。今日はどこも間違えずに読めたね、エイルすごい!」
たくさん褒めてたくさん頭を撫でてあげる。
えへへ~と満面の笑みになるエイルがとても可愛い。世界一どころか、この世でいちばん可愛いに決まってる。
ひとしきりエイルときゃっきゃうふふしていると父上が咳払いをして場の空気を仕切った。
「今、公子達と我が家の噂が出回っているが、知っているか?」
リュカリオ様の良い噂は耳にしていたけれど、我が家の噂についてはまったく心当たりが無かった。
「いえ、知りません」
「しりません」
正直に知らないと答えると、父上は僕たちに向かって口を開いた。
「リュカリオ公子が以前の噂と違って勉学も鍛錬にも精を出す良き少年となった、という噂が少し前から出回っているのは知っているかと思うが、それに伴って我が家に定期的に出入りしているという事実から我が家との婚約が近いのでは無いか、という噂も密やかに囁かれ始めているんだ」
そうか。長子に限っては政略的婚約も多いが、それ以降は正式な婚約の前に事前に逢瀬を重ねて相性を見る、所謂恋愛婚約も多い。
おそらくそれを疑われたか、もしくはエイルのお披露目会でのリュカリオ様の宣言ももしかしたらどこかから漏れているのかもしれない。
人の口に戸は立てられないものだって言うし。
「噂というのは分かりました。それで、僕たちはどうしたらいいのでしょうか」
「ああ。特にルアンは剣術の稽古で邸を出ることもあるだろう。そこで、こういった噂に関して、こちらでは仮という形で婚約しているが、正式な婚約ではない。この先に正式な婚約に繋がる確固たる約束ではないからな。婚約について聞かれた時は知らぬ存ぜぬを貫いて欲しい。"親が決めることだから"とでも言って逃げ回って良い」
「解りました」
「わかりました」
父上の言葉に耳を傾けながらも、僕の真似をして答えるエイルについ口元が緩みそうになる。ああもう可愛いな。
「それとこの婚約の噂に伴ってだが」
「はい」
父上の声のトーンが下がったので、僕も姿勢を正す。
「相手が公爵家とあって、エイルやルアンに害を成す者が現れる可能性がゼロではない。特に邸を出る時は注意しなさい」
「はい、解りました」
「わかりました」
こうして、父上からの噂の話と注意点についての話は終わったのだけど、まさかこんなに早く噂について聞かれるとは思わなかった。
それは、父上の話から3日後のことだった。
「なぁ、あの噂って本当か?っていうかどう考えてもリュカリオ様とエイル君の話だろ?もしかしてレオニス様とルアンだったり!?」
嬉々として聞いてきたのはゼルだった。
ゼルの一言にエディンの小さな鹿耳もピクっと動いたのを見逃さなかった。
その日は、僕とゼル、エディンの3人でゼルの屋敷で剣術の鍛錬をしていた。
ゼルーー正式にはゼリアル・ハートレイは侯爵家の長男であり嫡男。でも、上に姉が3人もいるせいか、お調子者で明るくて、いつも場の雰囲気を和ませてくれる存在でもある。
公爵家以上の家には施設騎士団の保有が認められている。ハートレイ家も例外ではなく、騎士団長から指導を受けられる上に、合同で鍛錬することで切磋琢磨できるという理由から、週に2回ほど僕とエディンとお邪魔しているのだ。
「はぁ……別に誰も婚約なんてしてないよ。相手は公爵家だよ?もししてたら、とっくに公表されてるはずでしょ」
なるべく平静を装って答えるが、内心、心臓はバクバクだ。
声も表情も抑えたつもりだったのに、ゼルの濃紺の耳と尻尾はぴーんと張っていて、期待をまったく隠す気がない。
……誤魔化しきれてないってこと、バレてるのかも。
「え、じゃぁもしかしてレオニス様とルアンの相性を見てる?」
何故かエディンが鹿族特有のつぶらな瞳で興味津々で聞いてくる。
「いや、僕もレオニス様も嫡男だからね、同性婚とか有り得ないからね」
「あ、そっか、そうだよね」
あはは、と笑うエディン。一体何を期待されていたのだろうか。
「じゃあなんで公子様おふたりが月に2度もルアンの家を訪ねてるの?」
そうだよねぇ、そうくるよねぇ。どうしよう、なんて言って誤魔化そうか。
「いや、えーと、なんでだろう、ね?」
っていうか月に2度もって、どこまで事実が噂となって世間にばらまかれているのだろう。
「でもさぁリュカリオ様がエイル君にプロポーズしたんだから、向こうが執着してんじゃないの?」
「まぁ、うん、そんなところだけど」
嘘は言ってない。嘘は、バレたときに取り返しがつかなくなるから。けれど、ここは屋敷の庭。騎士団員や使用人の耳に入る可能性も充分ある。言葉は1人歩きするって言うし、僕から何かを言うのはやめておいた方がいいよね。
「って事はそのうち婚約も有り得るんじゃないか!?だって拒否してないって事はそういう事だろ??」
「そういう事に関しては、親が決めることだから。僕は今、そういう話が出てることさえも分かってないんだ。決まった事しか伝えてもらえないから」
「そうだよね。子供の僕たちには、何も教えてくれないんだよねぇ……」
「えー、納得出来ねぇ」
さっきまでぴーんと張っていた耳と尻尾が、しゅるんと項垂れた。正直者のゼルは、気持ちがすぐ表情や仕草に出る。
「そ、それよりゼルはその噂、誰から聞いたの?」
「ん?あぁ、姉ちゃんだよ。1番上の姉ちゃんが、学園で流れてる噂なんだって。この前帰ってきた時に聞いたんだ」
学園ーー僕たち貴族が11歳になったら入学する6年間の全寮制の学校だ。
ってなんで学園で噂になってるの!?
「え、嘘、学園で?」
どうやらリュカリオ様がエイルに魔力のキスとプロポーズした事は噂になってないみたいだ。
緘口令を強いたと言っていたし、公爵家が絡むことだからこれは問題なかったのだろう。
ということは単純に公子様たちがうちに出入りするのを見られてたんだ。
それとリュカリオ様の良い噂が合わさって、これは近々婚約では?って事に繋がったんだね。次男だから、恋愛結婚も大いに認められるし、今は相性見る期間って感じに捉えられてしまったのかも。
「とりあえず、僕の家に公子様達が遊びに来てるのは事実だけど、婚約とかそういった事は何も言われてないから僕は知らない。何を聞かれても答えられないよ」
とりあえず、これ以上深入りされる前に話題を切り上げよう。
「そうだな。じゃあ、打ち合いの続きしようぜ!」
こうして暑い夏の昼下がり、心が落ち着かないまま、僕たちは剣の鍛錬に打ち込んだ。
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