星渦のエンコーダー

山森むむむ

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壊されたヒーロー

変化しない関係性 歪みの間にある感情の正体は、まだ押し固めることができない

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 朝の未来ノ島は、柔らかな光で満ちていた。

 そんな中、クリス──桐崎きりさきクリスタルは、いつものように朝日を浴びながら学園へと足を進めていた。

 視線の先には、思いを寄せる人、幼馴染の東雲しののめ柳の背中があった。彼は静かに自分のペースで歩いている。彼に少しでも近づこうと、歩調を早めた。
 その途中通り過ぎた友人たちには、笑顔で挨拶を投げかけてゆく。友人たちもまた溌剌とした声に応え、キャンパスは小さな笑い声で満たされていく。この気持ちの良い島の朝が、クリスは好きだった。
「おはよ!」
「おはよー、クリス。あれ? 今日は東雲くんは?」
「ちょっと私が用事あって。寄り道してたから、ほら、あそこ!」

 ついに追いついたとき、クリスは彼の横顔を覗き込み、声をかけた。
やなぎ!」
 柳は驚いたように振り向き、「おはよ、クリス」と応えてくれた。
 クリスは、自分のスカートの変化に気づいてほしいという小さな期待を抱きながら、彼の数歩前でさりげなく、くるりと回る。

 その動作は、彼女の朝を象徴するようなものだった。梳いた毛先がきらめいて、軌跡を描きながら柳の傍らに、ふわりと降り立った。
 しかし、柳はその仕草を見ても、微笑んだ表情を崩さずにそっと目を逸らすだけだった。
 その反応に、クリスの心は複雑な感情で揺れる。柳の優しさにきゅんとしながらも、内心少しは狼狽えてほしかった、と小さく拗ねた。

 その小さな期待は、柳には伝わらない。
 けれども、そんな日常の一コマが、二人の距離を少しずつ縮めていくことに期待して、今はこのままでいいと自分に言い聞かせた。

 ほんのりとした空気は、温かな春の訪れを告げていた。年の数だけともに過ごした、始まりの季節。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 未来ノ島みくのしま高専の昇降口にて、クリスは上履きに履き替えるために腰を折っていた。
 光が差し込むその空間で、クリスは柳との会話を続けながら、短く調整した自分のスカートについて、なおも彼が何か言ってくれることを期待している。
 大丈夫。中身は見えない。鏡の前で入念に確認済みだ。別に下品に振る舞いたいわけじゃない。ただ、少しだけ。少しだけドキッとしてくれたらいいのに。

「あーあ、中間テストのプログラミングやばいんだよね。今日提出の課題、やっぱりうまくできなくてさあ」
 元の姿勢に戻りながら発したクリスの声はざわめきに紛れながらも、思っていたより大きく響いた。柳は寄り添うように言う。
「そっか。クリスそれ苦手だもんね」
「ねえ、教えてくれるって前言ってたよね。今日の放課後、教えてよ!」
 クリスの目は期待で輝いている。しかしその瞬間、ばっちりと目線が合った柳の表情は一変した。
「……クリス」
 柳の声が静かに彼女の言葉を遮る。
「なに?」
 少し躊躇いながらも、彼は慎重に言葉を紡ぐ。
「……あの……」
「な……なんだよ。」
 クリスの声には少しの焦りが混じる。
「………制服……もうちょっと長くしたほうがいいよ」
 瞬間、積もり積もったフラストレーションがせりあがり、肺から声となって飛び出した。
「……はあー?!」
「……だってさ……」
 しかし言葉を受け入れられず、感情が爆発する。
「もういいし!! 柳のバカバカ! 朴念仁すけべマッチョアスリート!!」

 柳から背を向け怒りに任せてその場を離れた。もう、ばかばかばかばか。ばか! ばーか!


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 柳はその場でクリスが去っていく背中を見送る。
 今の言葉は、クリスを守りたいという純粋な思いから出たものだった。
 しかし、クリスの期待とは裏腹に、その思いが彼女を傷つけてしまったことをうまく掴むことができないまま、立ち尽くす。

「またやってるよ」
「いちゃついてんじゃねーぞ、っと。はよ、東雲」
「あー、俺も彼女ほしー」

 クラスメイトが後ろから声をかけたが、反応が遅れた柳は、彼らの挨拶に返答できなかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 高専の校舎は島の上層部、大学院を除いた最北端に鎮座し、島中の景色を一望できる。

 春の暖かな日差しの下、根岸リリアはこの展望を思う存分楽しんでいた。3人揃って、中庭を望む校庭の花壇へ。昼食を取りながら、春風を満喫している。
 しかしクリスだけが、その静謐を乱す存在だ。

「ありえなくない?! 散々溜めといてそれ?! いくらなんでもひどいと思うんですけど!」
 ほとんど自らの感情をむき出しにしたような訴えに、慣れた笑顔で応じる。

「まあまあ……柳くんやさしいから……」
 大分鞠也は、花壇の花に目線を落とす。リリアは足を投げ出し、鞠也の隣で苦笑いしながら言った。

「あんたがさっさと告っちゃえば、アタシらはこんないつもの痴話喧嘩ごっこにつきあわなくてすむんだけどナー」
 続いて弁当に押し込まれた魚のフライをフォークで仕留め、クリスの訴えから逃れるように、光る海へと目をやる。
「ほんと、ありえない……」
 クリスは突如として意気消沈し、うなだれ始める。
 リリアは更に言葉を重ねた。
「『柳! 私、あんたのことが好きなの! ちっちゃい時からずーっと!』……簡単!  ほら、復唱!」
 しかし、今から言うこれは何度目になるかわからない。今回は、時期的にもより強調して伝える必要があるだろう。
「ねえ、クリス。あんた知ってるのか知らないのかアタシわかんないけど、柳ってモテてるぜ」

 下を向いたままのクリスが、「わかってるよ……」と絞り出したような声で返答する。
 桐崎クリスタルの瞳は、空の青さを映し出しているかのようにクリアだ。
 春風がそよぐ度に腰までの髪が風になびいている。太陽光に反射し、まるで周りを明るく照らす光の源となっているかのようだった。クリスタルが持つ外向的な性格を反映しているかのような輝き。
 この薄い金髪は、彼女の父の生まれ故郷に住む民から引き継いだ、遠い遺伝。
 この国においては黒や茶色がほとんどであり、染髪することが少ない若年の生徒たちの間にあって、その姿はひときわ目立つ。

「幼馴染とか、一番近いとか、そんなの誰かのものになっちゃったら、パアになっちゃうんじゃないの。早く名実ともにモノにして、私の柳! って周りに言っておかないと……そう思わねえ?なっ、鞠也」
「う、うん……」
 クリスが中学時代、自分たちにその思いを明かしてきてから何年もたつ。だというのにまだ一歩を踏み出せずにいる。
 そして遠くに────アスリートの世界に旅立った柳への思いを、心の奥深くでくゆらせている。
 その感情は、もはや爆発寸前。いや、毎日小さく爆発してるけど。
 私は親友だ。この子がいちばん大切な人を誰かに奪われて泣く顔なんて、見たくない。

「告っちゃえって言ってるのは、ふたりのためなんだぜ? あんな有名人、クリスの知らないところで知らない女と付き合い始めたらどうするんだよ。ただでさえ試合だ撮影だで最近会えてないでしょ。早く好きですって言って、柳の彼女になって、柳のことも安心させてやりなよ」

 東雲柳は意識的に、決定的結論を回避しようとしているのかもしれない。それが怖くて、怖くて仕方がない、のだろう。リリアは推察する。
 この友人は誰よりもまっすぐで、そして隠し事が下手だった。
 毎日、このかわいい顔を見ていればわかる。大きくはっきりとした色の瞳は、覗き込めばすべてがわかってしまいそうなほどに、如実に感情を表現してくれる。

「……あれでいて、柳もあんたのこと特別視してるのは明らかじゃん」
 肩にかかった髪をかきあげた。黒く太いこの髪と、褐色の肌。クリスタルとは全く別ベクトルの魅力があると思っている。母譲りの起伏に富んだプロポーションも、自分の体の特徴のなかでは、かなり気に入っていた。

「柳って、クリスが大事ってことは誰が見てもわかるだろ。ぜってー大丈夫だわ。アタシらが太鼓判押すって! なっ鞠也!」
「うん! そうだよ」

 どうしてさっさと言ってしまわないのか、リリアは理解に苦しむ。

 中庭から歓声が聞こえる。クリスはすぐにここからいなくなるだろう。
────だけど、柳も柳だ。
 驚くべきことに柳は、こんなにも明らかな好意をクリスが示しているにも関わらず、それを自分への恋愛感情と認識していないのだった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 昼休みの中庭は生徒たちの熱気で溢れ返り、バスケットコートはその情熱の中心地となっていた。

 長岡は男子バスケ部の中心選手として、身体能力とバスケへの情熱が一体となってコートを支配している。彼のプレーはその場の雰囲気を一変させるほどの迫力と魅力を放っており、プロのアスリートを彷彿とさせる。

 一方の柳も、公式にはバスケ部に所属していないながら、彼特有の技術と速さで長岡に挑戦していた。動きは繊細かつ効果的で、自然体の中にも計算された技巧を感じさせるものである。

 自分と同じクラスの東雲。彼はネオトラバース選手であり、普段から現実世界での肉体の鍛錬も欠かさない。先日、体育の授業中に、彼の驚くべき反射神経に驚嘆したことを長岡はよく記憶していた。
 彼は電脳世界の領域上での妨害をかわし続け、自らをゴールへと導くための速さを鍛え上げている。
 その評判においては、中学の頃から聞き及んでいた。当時はクラスが別であったが、長岡は彼と同じクラスのクリスに関心を持っていたため、伴って柳についても、クラスメイトたちよりも積極的に情報を得ていたのだ。

 そう。最初だからと、体育教師は三日前の授業でバドミントンのラケットと羽根を生徒たちに配布し、好きに打ってみろと言った。まずは、スポーツを楽しむこと。お互いの運動能力を知るには、ピクニックなどで行う軽く簡単なスポーツから始めようというのが、教師の方針のようだった。
 誰もが、東雲柳というアスリートが臨むその一投に注目している。柳は知ってか知らずか、視線の只中で真上へと羽根を放り、ペアの生徒に向けてラケットを振った────かに見えた。

 何と、彼の握ったラケットは高い音を立てて、空振りした。
 気まずい沈黙が流れる。体育教師は質問した。
「どうした、東雲? お前、アスリートなんだろ?」

 東雲柳は照れくさそうに笑顔を浮かべ、こう答えた。
「すみません。電脳世界での感覚で現実のスポーツをしようとすると、かえってスピードを合わせるのがむずかしくて……慣れるまで何度かやってみないといけないと思います」

 意外だった。
 つまりは、ラケットに羽根を当てるその瞬間、羽根の落下速度の緩慢さに、自らの反射神経を『緩く』調整する必要があるほどに、彼のもつスピードは達しているという意味である。

  肉体への反映を行う瞬間の、避けられない現実世界の生物的限界が排除された電脳スポーツにおいて、現実世界で体を使うには、数度のテストを経てそのギャップを埋める作業を要する。
 クラスメイトたちはその意味を理解できる者から驚嘆し、ネオトラバースプレイヤーとしての彼の活躍の理由を口々に語り合った。
 もちろん、長岡もである。

 巧妙なフェイントと俊敏なカットは、長岡をもってしても見逃すことができない挑戦であった。
 隣に校舎がある未来ノ島高校の清宮と、ほぼ毎日のようにトレーニングジムに通う姿は、ジム近くのバスケ部練習施設に通う長岡にとって、日常の景色の一つとなっている。
 場所が違うにしろ、反射神経を鍛え上げ、鋭敏さの向上に真摯に挑む彼の姿勢に、同調する気持ちはあった。

 試合の熱気が中庭を包み込む中、東雲が機敏にボールをドリブルで運んでいく。その隙を狙って接近し、それを奪った。そして息を荒らげながら挑発するように言う。
「来いよ、東雲! 今度は抜かせないからな!」
 この一言には直球な挑戦の意志を込めた。今はただのゲームではなく、真剣勝負の瞬間だ。東雲柳は無言のままその瞳で返事をし、動き出した。

 ゲームは次第に柳との一騎打ちに焦点が絞られていく。遮る東雲のチームの生徒をかわそうとした瞬間、またボールを彼に奪われてしまった。しかし、ゴールには至らない。再びチャンスがやってくるのを待つ。東雲はチームメイトの位置取りを素早く確認するとパスを出し、駆け出して再びボールを受けた。
 そのまま彼が巧みにボールを扱いつつ守備を激しく試す中で、一瞬の隙を突けた。ボールが自分の手に渡る。
 その瞬間、東雲は短く息を吸い込み、闘志を燃やしているようだった。
「次は絶対取り返す……」
 ほとんど吐息のような小声であった。ボールはチームメイトにパスが通り、一点が入る。

 再び始まったゲームでは、再びボールを取ってスタートすることができた。

 東雲がフェイントと速さでボールをカットしてこようとするたびにその挑戦を受けて立ち、今まで数々の試合で獲得した経験値をフルに活用してはかったタイミングで、またボールを奪回する。そして、勝負の行方を左右するかのような瞬間が訪れる。
 今しかない。コートを疾駆し、力の限りを尽くしてシュートを放つ。

「……っうらぁ!!」
 ボールは気持ちよくバスケットを貫いた。

 コート内は瞬く間に友人たちの歓声で満たされていく。
「やった~!」
 チームメイトと喜びを分かち合うが、内心では東雲柳の技術に対する尊敬の念が芽生えていた。
 バスケ部に所属していないにもかかわらず彼が見せるカットの技術の高さに、「今のは危なかった」と心の底から感じていたのだ。

 昼休み終了の予鈴が静かな中庭に鳴り響き、プレイヤーたちは次々にコートを後にする。汗を拭きながら東雲に近づくと、彼から軽い言葉が投げかけられた。


「東雲こそ、バスケ部じゃねーのに、あのカットはすげーって。マジ敵わねー!」
「長岡、さすがだよ」
 すぐに感動を込めて返答する。あの時はやられた、さっきのあれは良かった。たった今得た興奮を互いに分かち合った。
 東雲は穏やかに自分を称賛してくれ、しかし笑顔で「次は負けないよ」と次の挑戦を約束する。またやりてーから、コートこいよ、と返答した。
 背中や肩を叩き合う。なんだ、よくわからないと思ってたけど、こいつちゃんと人間だったんだな。

「じゃ、俺は先教室行くな!」

「柳!」
 振り返り、桐崎クリスタルがこの昼休みの間に自分と東雲とのゲームを見ていたことを知った。
「クリス、ありがとう。」
 クリスは東雲に持ってきたドリンクを手渡し、花が咲くような笑顔で彼を見上げていた。ブルーの瞳は潤み、東雲柳に対する感情が溢れ出している。

 そんな顔をされたら、嫌だってわかる。長岡が知る限り数年間にわたり二人の関係性が変化を見せないことに、苛立ちを覚えるほどだった。
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