独裁者・武田信玄

いずもカリーシ

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【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す

第六十話 器用な息子、武田四郎勝頼

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徳川家康が、武田信玄にめられる少し前のこと。

武田軍の補給線は……
駿河国するがのくにから遠江国とおとうみのくに[いずれも現在の静岡県]に至る1本のみであった。
現在の国道1号線に相当する。

これに信玄の息子・四郎しろう勝頼かつよりの活躍で2本目が出来た。
別動隊を率いて信濃国しなののくに高遠城たかとおじょう[現在の長野県伊那市高遠町]から杖突つえつき街道と秋葉あきば街道を南下して遠江国とおとうみのくに二俣城ふたまたじょう[現在の浜松市天竜区]の攻略に成功したからだ。
現在の国道152号線に相当する。

二俣城は難攻不落の城で有名であったが……
冴え渡った勝頼の采配によって水の手を断たれ、あっという間に陥落してしまう。
続いて勝頼は、これまたあっという間に大規模な『兵站へいたん拠点』を築いた。

 ◇

兵站拠点とは何だろうか?

答えから先に言うと、兵糧や武器弾薬を大量にたくわえておく拠点のことだ。
このような拠点は、戦場の兵士に兵糧や武器弾薬を補給する上で必要不可欠である。

攻めて来る敵から自分の領地を『防衛』している場合……
戦場が自分の領地内で非常に近く、そもそも補給を考える必要はない。

一方で、今回の武田軍のように敵の領地を『攻略』している場合……


補給を整えることをおこたれば、戦場にいる兵士たちに兵糧や武器弾薬が届かなくなる。
戦闘中に弾薬切れを起こして『敗北』する可能性が高まる。

仮に勝利できても、襲い掛かって来る激しいえを避けることができない。
兵士たちは生き延びるために食料の現地調達を余儀よぎなくされる。

要するに『略奪』の始まりだ。
これでは現地の人間からの敵意を増幅させるだけであり、次の勝利は覚束おぼつかないだろう。

一度は補給を整えたとしても……
攻略が進めば進むほど、自分の領地から戦場が『遠ざかって』いく。


要するに。
攻略戦で勝利を収めるためには、補給に要する時間を『短縮』することが絶対条件となり、できるだけ戦場の近くに兵糧や武器弾薬をたくわえる拠点を築くことが必要不可欠となるのだ。

こう考えると……
四郎勝頼が敵の総大将・徳川家康の居城のある浜松城からほど近い二俣城ふたまたじょう[どちらも現在の浜松市]に兵站へいたん拠点を作ることに成功したことは、戦局を有利に進める上で非常に大きな貢献を果たしたと言える。

これで武田軍の補給は盤石となった。

 ◇

四郎勝頼が率いる別働隊の動きは異常なほど早い。

難所を越え、難攻不落の城を落とし、大規模な兵站拠点を築く……
本来ならばどれも面倒なことを『手早く』済ませてしまった。

三方ヶ原みかたがはら合戦の直前。
想定よりもはるかに早い合流を果たす息子を見て、さすがの父も驚きを隠せない。

こう漏らすほどであった。
「息子よ。
どれも面倒なことであるのに、これほど手早く済ませてしまうとは……
見事であるぞ」

「有難きお言葉。


「正確さを後回しにしている割には……
十分に正確であったと思うが?
そなたは随分と『器用』だな」

父は、息子の尋常じんじょうならざる実力の片鱗へんりんを見たような気がしていた。

 ◇

ここから勝頼は、父の側で補佐することとなる。

三方ヶ原みかたがはらの台地に上がると……
父は突然、全軍に命令を出した。

「行軍を停止せよ。
そして、急ぎ布陣せよ」
と。

これを見た勝頼は、こう読んでいた。
「徳川家康は必ず追い掛けて来るだろう。
多くの城を落とされ、何とか我らに一矢報いっしむくいたいはずだ。
織田の援軍はたった3千人のようだが……
鉄砲の弾丸と火薬を大量に持ってきたとか。
これを最大限に生かした戦法を使ってくると考えるべきだろう。
一撃離脱戦法いちげきりだつせんぽう』だな」

続けてこう読む。
「このあたりは家康にとって庭のようなものだ。
奴の頭の中には全ての地形が入っている。
我らを狙撃するのに有効な場所をことごとく熟知していると考えた方が良い」

問題はここからであった。
「一撃離脱戦法。
これは……
我ら武田軍にとって厄介極やっかいきわまりないぞ?
行軍中でも、休憩中でも、食事中でも、睡眠中でも、突然に徳川軍から狙撃される。
いつどこから狙撃されるか分からない。
常に気が抜けず、夜もおちおち眠れない。
兵たちは体力も精神も消耗して、士気は大きく落ちるだろう。
父上はどう対処するつもりなのだろうか?」

 ◇

父が行軍を停止させた直後。

徳川軍が、浜松城を出たとの情報が入った。
予想通りの展開であった。
父もまた、同じように読んでいたのだろう。

布陣を命じたということは……
ここで一気に叩いておこうということか。

ところが!
布陣する陣形の名前を聞いて呆気あっけに取られてしまった。

「ん!?
魚鱗ぎょりんの陣』?」

魚鱗の陣は、大軍が使うべき陣形ではない。
むしろ大軍の利点を生かせる『鶴翼かくよくの陣』を組む方が兵法の常識だろう。

さらに驚いたのが……
武田軍最強との呼び声高い山県昌景やまがたまさかげ隊と、その昌景も一目置くほどの名将の内藤昌豊ないとうまさとよ隊を後方に配置したことだ。
これだけ強力な部隊を予備にするなど有り得ない。

父は一体、何を考えているのだろうか?

 ◇

父の武田信玄は、武田家における『独裁者』である。

「逆らう者は厳罰に処す」


数年前。
四郎しろう勝頼かつよりが尊敬していた兄であり、かつ父の嫡男ちゃくなんにして後継者である太郎たろう義信よしのぶが、謀反の疑いを掛けられて厳罰に処せられた。
父を追放して武田家当主の地位を奪い取るくわだて、つまり『義信事件』の黒幕としてであった。

「父以上に並外れた純粋さを持ち、なおかつ『不器用』でもあった兄が、父上を追放するくわだてを練り上げたと申すのか?
そんな馬鹿な!
兄が黒幕など、絶対に有り得ない。
やるなら正々堂々とやるはずだ!」
勝頼は、こう疑問を抱いていた。

そして。


兄は、隣国の駿河国するがのくに遠江国とおとうみのくに[合わせて現在の静岡県]を治める今川義元いまがわよしもとの娘を妻にしていた。
政略結婚で結ばれた夫婦ではあったが、兄は妻を一途に愛していたらしい。

一方。
兄のしゅうとである今川義元は……
嫡男ちゃくなん氏真うじざね凡人ぼんじん[普通の人という意味]に過ぎないことが頭痛の種であった。

「息子の代になれば武田信玄から侵略されるぞ!」
疑心暗鬼ぎしんあんきに陥った義元は、ある『命令』を出す。

桶狭間おけはざまの戦いで義元よしもとが討死したことで、命令は実行に移された。
あらかじめ武田家中かちゅう国衆くにしゅうや家臣の中にいる、欲深い愚か者どもを『買収』しておけ。
わしに万が一のことがあれば……

と。

事件の黒幕は、兄の太郎たろう義信よしのぶではなかったのだ!
あの海道一かいどういち弓取ゆみとりとも呼ばれた実力者・今川義元いまがわよしもとしんの黒幕と考える方が、はるかに納得がいく話ではないか!

それなのに、不器用な兄は……

 ◇

「わしは……
おのれの信念を貫いた結果として謀反人となるのは一向いっこうに構わない。
だがな!
どうしようもない奴らに利用され、謀反人に仕立て上げられるのだけは御免だ!
利用されるくらいならば!
自ら正々堂々と父上に挑み、敗れて謀反人として処断される方が、男として何百倍も素晴らしい『最期』ではないか!」

こう言った兄の太郎たろう義信よしのぶは、その後……
何の弁明もせず自害して果てた。

実際のところ。
くわだてに参加した者たちは、買収された欲深い愚か者ばかりではなかったようだ。
飫富虎昌おぶとらまさ長坂昌国ながさかまさくに曽根虎盛そねとらもりなど……
純粋に義信個人に対して忠誠を誓っていた家臣も少なからずいたらしい。

ただし。
誰が純粋で、誰が欲深いかを正確に区別することはできない。
飫富虎昌おぶとらまさら主だった者たちはことごとく処刑され、それ以外の者たちは領地と財産を没収された上で追放された。

こうして謀反人と見なされた者たちは徹底的に『粛清しゅくせい』されたのである。

 ◇

「逆らう者は厳罰に処す」

この厳格さは軍においても同様であった。
指揮官の命令に逆らう兵士は、その場で首をねられるのだ。

魚鱗ぎょりんの陣に布陣せよ」
父の命令はあまりにも非常識であったが……
誰も文句を言わず、瞬く間に完成した。

これを見た徳川・織田連合軍は、鶴翼かくよくの陣に布陣する。
本陣にいる武田一族の者たちがこう言い始めた。

「ははは!
敵は、兵法を知らないのか?
少数のくせに鶴翼の陣に布陣するとは……
馬鹿だな。
そんなに中央を突破されたいのか」

こう反論したかったが我慢した。
「十字砲火を狙っているのが分からんのか。
鹿鹿?」
と。


【次話予告 第六十一話 敵を欺くには、まず味方から】
合戦が開始すると……
四郎勝頼は、再び非常識な命令を聞きます。
「鶴翼の陣へ陣立てを変えよ」
と。
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