21 / 22
千年花
二
しおりを挟む
気付けば日の出が早まり、寒さも気のせいか前よりも棘が抜け、丸みを帯びてきた。
開花前になると、樹木医が櫻守に同行して、桜の木を見て回る。
樹木医は貴族だけで成立している庭師とは違い、平民も貴族も所属している。そもそも桜が病にかかった場合、直せるのは樹木医だけだ。彼らは日々知識を集め、その知識の元に桜に診断を施しているために、この時期にならなかったら櫻守でもなかなか彼らを捕まえることができない。
桜が開花したのを確認したら、それを朝廷に伝えるためにだ。
紅華が最後のひと仕事とばかりに、茂みを刈っていると、樹木医が弾んだ声を上げる。
「この数年、若木がちっとも育ってませんでしたけど、今年の若木は生命力に溢れていますねえ!」
それに紅華は胡散臭い顔をして見つめる。
「あたし、この間千年花が代替わりしないと、桜はやわいままだって聞いていたんだけど」
「ええ、たしかに数か月前まで検査をした若木は、それもこれも本当に弱く、いくら治療を施しても対処不能なほどに弱っていました。ですが、見てください」
枝を折れそうなほどに下まで曲げたあと、手を離す。しなった枝はぴぃーんと張りつめて、元の位置に戻った。本当に折れそうなほどに曲げたにもかかわらず、だ。
「これは枝が若いから、これだけよくしなるんですよ。柳みたいにしなるじゃないですか。若木の特権です」
「あれ……千年花の代替わりは」
騒ぎになっていたように思うのに、いつの間に行われていたのか。紅華の戸惑う声をよそに、樹木医は楽し気に語る。
「おそらく行われたんでしょうねえ。本来は帝が庭師を伴って大々的に儀式を行うんですけど、今回はいろいろと勝手が違いましたからねえ……さすがに私も朝廷の貴族たちの儀式の様子はよくわからないんですけど」
平民である櫻守と貴族である庭師の間に挟まれ、樹木医はどちらにも気を遣わねばならない立場なため、言い方が曖昧だ。
それに紅華と薄墨が顔を見合わせた。
なにも知らない内にはじまって、なにも知らない内に終わっていた。
本当に現場で精一杯桜の世話をする以外できない櫻守たちは、いつだって置いてけぼりだ。紅華はなんとも言えない歯がゆい思いをしていたら、樹木医は「そういえば」と口を開いた。
「庭師はこのところずいぶんと増長していたみたいですけど、大きく人事替えがあったそうですよ」
「なにそれ……?」
貴族の人事異動なんて、ほとんど平民には関与できない話題である。その話を向けてきた樹木医を怪訝な顔で見ていたら、樹木医は「ええ」と続ける。
「なんでも手柄を取るために、危うく麓の郷を消失させるところだったというので。このところ、親の七光りでまともに仕事のできない庭師が増えていて、こちらも仕事の際に大変に困っていましたからね。今回の人事異動で、ちょっとはまともになるといいんですけれど」
その樹木医の言葉に、再び紅華と薄墨は顔を見合わせた。
どう考えても、それは物の怪の巣に土足で足を踏み入れた挙句に、空腹の物の怪たちが暴れ回った事件だった。
物の怪たちが巣に戻ってくれたからよかったものの、危うく郷の人々が食われるところだったし、そのあとに食われた山肌の整備で、応援に来てくれた櫻守たちと、植樹を行わなければならず、普段の仕事に戻るまでにかなり時間を食ったのだ。
あれで余計な人々が現場から離れてくれたのなら、たしかに櫻守たちも働きやすくなるというもの。
その中、こちらのほうに人形《ひとがた》が飛んできたのに、樹木医は「おや」と受け取る。どうも人事異動で本当にまともな庭師たちで朝廷は構成されたようだ。報告、連絡、相談がしっかりしている。人形を広げて中の文面を読み、もう一度「おや」と言った。
「どうかしたかい?」
薄墨に尋ねられ、樹木医が「いやですねえ」と答えた。
「今年、帝が花見会を行うのは、この山だそうです」
「……この山?」
それにはさすがに薄墨も声を上げたし、紅華も驚いて目を見開いた。
花見会。山々の内のいずれかで、帝が貴族たちを伴って訪れ、櫻花国の桜が今年も健在だということを証明する。
花見の季節になれば櫻花国にも他国から花見に人がたくさん訪れるため、その金が麓の人々に転がり込むことになっている。
中でも帝主催の花見会の見物には大量の金銭が動くために、それをまだかまだかと待っている山もあれば、日々の生活に精一杯で帝をもてなす算段が付かない山だって存在している。
ついこの間、物の怪のせいでさんざんな目にあったばかりなため、花見の季節ぎりぎりまで復興作業に明け暮れていた。食われた若木の植樹だって、やっと終わったばかりにもかかわらず、だ。
そんなこの山に帝を歓迎する資金なんて、当然ある訳がない。
薄墨は困った顔で樹木医を見つめる。
「そりゃあ選んでもらえて嬉しいが、うちの郷はどこもかしこも復興のために金を使っているんだから、帝をもてなす金なんて出せるのかね」
「むしろ逆ですね。今回は庭師の暴走のせいで、この山が甚大な被害を被ったため、花見の席も簡略化して、これで山に人を呼ぶのだそうです」
それにますます薄墨は、首を捻った。たしかに他国からの観光客を入れてもらえたらありがたいことにはありがたいが、せっかくそこで稼いだ金も、帝が訪れたもてないをしたら簡単に消えてしまう。
下手を打ったら、黒字にならないだけでなく、赤字になってしまうのが、花見会の難しいところであった。それくらいは、貴族社会には疎いが、現場で花見会に訪れる客の準備を行っている櫻守にだってよくわかる。
「そんなに上手く行くのかね……」
「なにぶん、今回の花見会の支度金は全て朝廷持ちですから」
それに紅華は目を見張った。ここまで太っ腹の花見会なんて、聞いたことはなかった。でもそれならば、たしかに郷に負担はかからないし、見物客の落としたお金はそのまんま郷の転がり込む。山自体の復興も進むし、悪い話ではないように思える。
「棟梁、いいんじゃないかい?」
「簡単に言うがなあ……まあ、この手の話は俺がどうこう言えねえから、郷ととっくりと話してくれや」
「ええ」
見上げれば、あれだけ涼し気だった桜の梢に、ぽつりぽつりと硬く引き結ばれた蕾が並んでいるのに気付く。
もうすぐ、春が来る。
開花前になると、樹木医が櫻守に同行して、桜の木を見て回る。
樹木医は貴族だけで成立している庭師とは違い、平民も貴族も所属している。そもそも桜が病にかかった場合、直せるのは樹木医だけだ。彼らは日々知識を集め、その知識の元に桜に診断を施しているために、この時期にならなかったら櫻守でもなかなか彼らを捕まえることができない。
桜が開花したのを確認したら、それを朝廷に伝えるためにだ。
紅華が最後のひと仕事とばかりに、茂みを刈っていると、樹木医が弾んだ声を上げる。
「この数年、若木がちっとも育ってませんでしたけど、今年の若木は生命力に溢れていますねえ!」
それに紅華は胡散臭い顔をして見つめる。
「あたし、この間千年花が代替わりしないと、桜はやわいままだって聞いていたんだけど」
「ええ、たしかに数か月前まで検査をした若木は、それもこれも本当に弱く、いくら治療を施しても対処不能なほどに弱っていました。ですが、見てください」
枝を折れそうなほどに下まで曲げたあと、手を離す。しなった枝はぴぃーんと張りつめて、元の位置に戻った。本当に折れそうなほどに曲げたにもかかわらず、だ。
「これは枝が若いから、これだけよくしなるんですよ。柳みたいにしなるじゃないですか。若木の特権です」
「あれ……千年花の代替わりは」
騒ぎになっていたように思うのに、いつの間に行われていたのか。紅華の戸惑う声をよそに、樹木医は楽し気に語る。
「おそらく行われたんでしょうねえ。本来は帝が庭師を伴って大々的に儀式を行うんですけど、今回はいろいろと勝手が違いましたからねえ……さすがに私も朝廷の貴族たちの儀式の様子はよくわからないんですけど」
平民である櫻守と貴族である庭師の間に挟まれ、樹木医はどちらにも気を遣わねばならない立場なため、言い方が曖昧だ。
それに紅華と薄墨が顔を見合わせた。
なにも知らない内にはじまって、なにも知らない内に終わっていた。
本当に現場で精一杯桜の世話をする以外できない櫻守たちは、いつだって置いてけぼりだ。紅華はなんとも言えない歯がゆい思いをしていたら、樹木医は「そういえば」と口を開いた。
「庭師はこのところずいぶんと増長していたみたいですけど、大きく人事替えがあったそうですよ」
「なにそれ……?」
貴族の人事異動なんて、ほとんど平民には関与できない話題である。その話を向けてきた樹木医を怪訝な顔で見ていたら、樹木医は「ええ」と続ける。
「なんでも手柄を取るために、危うく麓の郷を消失させるところだったというので。このところ、親の七光りでまともに仕事のできない庭師が増えていて、こちらも仕事の際に大変に困っていましたからね。今回の人事異動で、ちょっとはまともになるといいんですけれど」
その樹木医の言葉に、再び紅華と薄墨は顔を見合わせた。
どう考えても、それは物の怪の巣に土足で足を踏み入れた挙句に、空腹の物の怪たちが暴れ回った事件だった。
物の怪たちが巣に戻ってくれたからよかったものの、危うく郷の人々が食われるところだったし、そのあとに食われた山肌の整備で、応援に来てくれた櫻守たちと、植樹を行わなければならず、普段の仕事に戻るまでにかなり時間を食ったのだ。
あれで余計な人々が現場から離れてくれたのなら、たしかに櫻守たちも働きやすくなるというもの。
その中、こちらのほうに人形《ひとがた》が飛んできたのに、樹木医は「おや」と受け取る。どうも人事異動で本当にまともな庭師たちで朝廷は構成されたようだ。報告、連絡、相談がしっかりしている。人形を広げて中の文面を読み、もう一度「おや」と言った。
「どうかしたかい?」
薄墨に尋ねられ、樹木医が「いやですねえ」と答えた。
「今年、帝が花見会を行うのは、この山だそうです」
「……この山?」
それにはさすがに薄墨も声を上げたし、紅華も驚いて目を見開いた。
花見会。山々の内のいずれかで、帝が貴族たちを伴って訪れ、櫻花国の桜が今年も健在だということを証明する。
花見の季節になれば櫻花国にも他国から花見に人がたくさん訪れるため、その金が麓の人々に転がり込むことになっている。
中でも帝主催の花見会の見物には大量の金銭が動くために、それをまだかまだかと待っている山もあれば、日々の生活に精一杯で帝をもてなす算段が付かない山だって存在している。
ついこの間、物の怪のせいでさんざんな目にあったばかりなため、花見の季節ぎりぎりまで復興作業に明け暮れていた。食われた若木の植樹だって、やっと終わったばかりにもかかわらず、だ。
そんなこの山に帝を歓迎する資金なんて、当然ある訳がない。
薄墨は困った顔で樹木医を見つめる。
「そりゃあ選んでもらえて嬉しいが、うちの郷はどこもかしこも復興のために金を使っているんだから、帝をもてなす金なんて出せるのかね」
「むしろ逆ですね。今回は庭師の暴走のせいで、この山が甚大な被害を被ったため、花見の席も簡略化して、これで山に人を呼ぶのだそうです」
それにますます薄墨は、首を捻った。たしかに他国からの観光客を入れてもらえたらありがたいことにはありがたいが、せっかくそこで稼いだ金も、帝が訪れたもてないをしたら簡単に消えてしまう。
下手を打ったら、黒字にならないだけでなく、赤字になってしまうのが、花見会の難しいところであった。それくらいは、貴族社会には疎いが、現場で花見会に訪れる客の準備を行っている櫻守にだってよくわかる。
「そんなに上手く行くのかね……」
「なにぶん、今回の花見会の支度金は全て朝廷持ちですから」
それに紅華は目を見張った。ここまで太っ腹の花見会なんて、聞いたことはなかった。でもそれならば、たしかに郷に負担はかからないし、見物客の落としたお金はそのまんま郷の転がり込む。山自体の復興も進むし、悪い話ではないように思える。
「棟梁、いいんじゃないかい?」
「簡単に言うがなあ……まあ、この手の話は俺がどうこう言えねえから、郷ととっくりと話してくれや」
「ええ」
見上げれば、あれだけ涼し気だった桜の梢に、ぽつりぽつりと硬く引き結ばれた蕾が並んでいるのに気付く。
もうすぐ、春が来る。
0
あなたにおすすめの小説
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる