電車の男ー社会人編ー番外編

月世

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帰り道

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〈倉知視点〉

 スーパーからの帰り道、前方の電柱にレジ袋が引っかかっているのが見えた。
 ゴミが、と思った瞬間、となりで加賀さんが言った。
「うわ、可愛い」
「え、何がですか?」
 買い物袋を持った右手の人差し指は、電柱のレジ袋を差している。
「めっちゃ白い、ふわっふわ。ひとりぼっちで迷子かな」
「加賀さん?」
 何を言っているのかまったくわからない。不安に陥る俺の横で、加賀さんが軽く口笛を吹いた。
 レジ袋が駆けてくる。アスファルトの上を、チャッチャッチャと音を立てて駆けてくる。
「い、犬だ」
 目はいいのになぜ見間違えてしまったのか。恥ずかしくて顔が熱くなったが、加賀さんは犬に夢中で気づいていない。
「倉知君、ちょっとこれ持ってて」
 俺に買い物袋を預けると、屈みこんで犬をわしわしと撫で始めた。
「すげえ、何これ、ふわふわ……、お前、わたがしか? わたがしなのか? このやろこのやろ、おまえー」
 子犬なのか小型犬なのかはわからないが、まあ確かに可愛い。随分人懐っこい。ふさふさの尻尾を激しく振って、地面に転がってみたりその場で回転してみたり、興奮した様子が可愛い。
 それより加賀さんがとにかく可愛い。
 犬好きだということは知っていたが、こんなふうにメロメロになるのかと感慨深かった。
 口元が緩みそうになるのを、唇を噛んで堪えた。
「お前、どこから来た? どこの子だ? どこのわたがしだ?」
「飼い主」
 声がものすごい勢いで裏返ってしまった。何事もなかったように、もう一度言い直す。
「飼い主、見当たりませんね」
「あ、首輪、なんか書いてある。わたがし……? え、これ名前? わたがしなの、お前の名前」
 犬がハッハッハ、と激しく呼吸をしながら「アン」と答えた。
「なんか、奇跡ですね」
「名づけのセンスがやべえ。あ、携帯の番号あるわ。掛けてみるか」
 加賀さんが犬を抱えて道路脇に寄ると、ポケットからスマホを取り出した。犬は加賀さんの腕の中で大人しくしていた。暑そうに舌を出して、俺を見上げている。
 なぜ見てくるのだろう。犬が怖いわけじゃないが、こういうときどうしていいかわからない。両手はふさがっているし、撫でることもできない。にこ……、と力なく笑うほかない。
 微笑んではみたが、犬はまばたき一つせず、俺を見てくる。
 今度は頬をふくらませてみた。
 犬に変化はない。
「飼い主、すぐ近くにいるって。何、その顔どうした」
「い、いえ、別に。あの、加賀さんほんとに犬、好きですよね。ちょっとなんか」
 嫉妬します、と言うのを我慢して、うつむいた。
「倉知君が何よりも誰よりも世界一大好きだよ」
 加賀さんが俺の顔を覗き込んでくる。犬と加賀さんの、ダブルの澄んだ瞳に見つめられ、たじろいだ。
「あ、ありがとう、ございます」
「はは、かーわい。どうだわたがし、俺のユニコーン、可愛いだろ?」
「犬にのろけないでください」
「あ、あの子かな?」
 加賀さんが俺の背後を見て手を上げた。わたがしー、と声がする。振り返ると、中学生くらいの女の子が泣き顔で駆け寄ってきた。
「すいません! ありがとうございます! 助かりました! 命の恩人です!」
 犬を受け取った女の子が、声を張り上げて何度もお辞儀をした。
「いえいえ、よかったね」
 女の子が、ハッとした顔で加賀さんを見た。犬を探して走り回っていたのだろう。汗だくの顔が、さらに真っ赤に染まっていく。
「バイバイ、わたがし」
 加賀さんが犬の耳の裏をくすぐるように撫でると、目を細めてうっとりとした表情になった。飼い主の女の子も、同じ表情でうっとりと加賀さんを見つめている。
 加賀さんはいつも優しくて穏やかだが、犬に対するときは砂糖みたいに甘くなる。放心してしまう気持ちはとてもよくわかる。
「犬、飼いたくなりました?」
 帰り道で訊いてみた。
「全然」
「あれ?」
「でも、わたがし食いたくなったな」
 俺が笑うと、加賀さんも笑う。

〈おわり〉
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