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来る おまけ
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〈倉知編〉
胸に手を当てた。
動揺が、収まらない。
頬が火照り、全身に汗がにじみ、心臓は早鐘を打っている。
来たらいいなとは思っていた。可能性はあると加賀さんも言っていた。
でもいざ本当に学校で遭遇すると、驚くほど舞い上がってしまった。
営業用の加賀さんは、格別に美しい。柔らかい物腰に整った言葉遣い。どこかの王族かと思うほど気品に満ち溢れていた。
冷静になれない。階段を下りながら、何度もソワソワと振り返った。はしゃぐ生徒を周りに侍らせて、加賀さんが降りてくる。さながら王の帰還のようだった。
二階から一階へ下りる間に、あらゆる質問が飛んだ。どこの業者の誰で、年齢はいくつか、結婚しているのか。
「高木印刷の加賀と申します。年齢は、あれ、いくつだっけ」
あはは、おもしろーい、とみんながウケている。ふざけていると思われているようだが、加賀さんは自分の年齢を把握していない節がある。出会った頃からそうだった。
「あー、二十四だから今年三十四かな」
と、俺の顔を見て答えた。ぶわっと首筋が粟立った。自分の年齢を忘れても、俺の年齢は覚えている。もう、どういう顔をしていいのかわからない。口元を手で覆い隠し階段の踊り場に駆け下りた。
「何それー、二十四? 三十四? どっち?」
「どっちにしても、彼女いますか?」
「え待って、やっぱり結婚してる」
生徒が加賀さんの指輪に気がついたらしい。みんなの視線が一か所に集中した。
「一応新婚です」
加賀さんが左手をかざす。生徒たちが一斉に、フウーゥとかヒューウ、みたいな声ではやし立てた。
「おめでとうございまーす!」
「奥さんうらやま」
「やっぱ、いい男は全員既婚者かあ。倉知先生も新婚だしさあ」
階段を踏み外すところだった。加賀さんと目が合った。すごく、ニヤニヤしていた。
目を逸らし、足早に階段を下りきった。
「加賀さん加賀さん、今度はいつ来ますかあ?」
「加賀さんにまた会いたいー」
職員兼来客用玄関で靴を履く加賀さんを、廊下に並んでみんなが見守っている。浮世離れした美形なのに、話しやすいせいでこうなってしまう。いまだかつて、業者の来客がこんなにも生徒の関心を集めたことはない。
「どうかな、うん、来れたら来るわ」
「あーん、それ来ないやつ」
わあっと笑いが起きた。
「それでは倉知先生、失礼いたします。本日はありがとうございました」
加賀さんが俺に、右手を差し出してきた。その手を握りながら内心で「この握手は不自然では?」と思ったが、生徒たちは特に気にしていない様子だった。外いこ、靴履こ、急げ、とバタバタと走り去っていく。
「ごめんな、急に来て」
ひとけが消えると加賀さんが小声で言った。手を握り合わせたままで、「いえ」と首を横に振る。
「あの、すごく、嬉しくて。びっくりしたけど会えた喜びのほうが大きいです」
「はは、なんか嬉しいよな、外で会うの」
「はい、ほんと、ですね。加賀さん」
「ん?」
周囲を見回し、声を潜めた。放課後はとても騒々しい。一日の授業から解き放たれた生徒たちが、けたたましく笑いながら廊下を通り過ぎていく。彼らの姿が見えなくなるのを待って、口を開いた。
「離したくない」
加賀さんが目を細め、優しい顔で笑った。
「俺も」
何か重大な商談が成立したみたいに、握った手を満面の笑みで上下に振る。
「倉知君、離して」
「え、加賀さんがお先にどうぞ」
「じゃあせーので離すぞ。せーの」
パッと手が離れると、顔を見合わせて笑った。
「先生してる倉知君、見れてよかった」
加賀さんが俺の首元に手を伸ばし、ネクタイを直してくれた。
「でもあの、いつもはもっとキリッとしてるんです」
「はいはい、わかってるよ」
俺の胸をポンポン叩くと、「あ」と声を零した。
「外、めっちゃ出待ちしてる」
さっきの生徒たちが玄関のガラスの向こうから、こっちを覗き込んでいた。
「加賀さん、大人気ですね」
「倉知先生には負けると思う。ここでいいよ、おつかれ」
玄関のガラス戸を押し開けて、加賀さんが外に出た。ここでいいと言われても、そうですかというわけにはいかない。靴を履き替え、後を追う。
「君たち、寄り道しないで気をつけて帰ってね」
「今からカラオケ行ってー」
「ゲーセン行ってー」
「締めはラーメンでーす」
「お、おう。自由でいいな」
来客用の駐車スペースに、高木印刷の社用車が停まっている。生徒たちは、加賀さんについていく。その後ろを、俺もついていく。
加賀さんが社用車に乗り込むと、みんなが一列に並んで「さようなら」と手を振った。運転席で手を振り返す加賀さんが、俺に気がついた。
ウインドウを下げ、にこ、と可愛い顔で笑って、敬礼。
キャーッと飛び跳ねる彼女たちの背後で、笑って敬礼を返した。
テールランプを見送って、よし、と気合を入れる。
あと少し。
もう少しで、また会える。
〈おわり〉
胸に手を当てた。
動揺が、収まらない。
頬が火照り、全身に汗がにじみ、心臓は早鐘を打っている。
来たらいいなとは思っていた。可能性はあると加賀さんも言っていた。
でもいざ本当に学校で遭遇すると、驚くほど舞い上がってしまった。
営業用の加賀さんは、格別に美しい。柔らかい物腰に整った言葉遣い。どこかの王族かと思うほど気品に満ち溢れていた。
冷静になれない。階段を下りながら、何度もソワソワと振り返った。はしゃぐ生徒を周りに侍らせて、加賀さんが降りてくる。さながら王の帰還のようだった。
二階から一階へ下りる間に、あらゆる質問が飛んだ。どこの業者の誰で、年齢はいくつか、結婚しているのか。
「高木印刷の加賀と申します。年齢は、あれ、いくつだっけ」
あはは、おもしろーい、とみんながウケている。ふざけていると思われているようだが、加賀さんは自分の年齢を把握していない節がある。出会った頃からそうだった。
「あー、二十四だから今年三十四かな」
と、俺の顔を見て答えた。ぶわっと首筋が粟立った。自分の年齢を忘れても、俺の年齢は覚えている。もう、どういう顔をしていいのかわからない。口元を手で覆い隠し階段の踊り場に駆け下りた。
「何それー、二十四? 三十四? どっち?」
「どっちにしても、彼女いますか?」
「え待って、やっぱり結婚してる」
生徒が加賀さんの指輪に気がついたらしい。みんなの視線が一か所に集中した。
「一応新婚です」
加賀さんが左手をかざす。生徒たちが一斉に、フウーゥとかヒューウ、みたいな声ではやし立てた。
「おめでとうございまーす!」
「奥さんうらやま」
「やっぱ、いい男は全員既婚者かあ。倉知先生も新婚だしさあ」
階段を踏み外すところだった。加賀さんと目が合った。すごく、ニヤニヤしていた。
目を逸らし、足早に階段を下りきった。
「加賀さん加賀さん、今度はいつ来ますかあ?」
「加賀さんにまた会いたいー」
職員兼来客用玄関で靴を履く加賀さんを、廊下に並んでみんなが見守っている。浮世離れした美形なのに、話しやすいせいでこうなってしまう。いまだかつて、業者の来客がこんなにも生徒の関心を集めたことはない。
「どうかな、うん、来れたら来るわ」
「あーん、それ来ないやつ」
わあっと笑いが起きた。
「それでは倉知先生、失礼いたします。本日はありがとうございました」
加賀さんが俺に、右手を差し出してきた。その手を握りながら内心で「この握手は不自然では?」と思ったが、生徒たちは特に気にしていない様子だった。外いこ、靴履こ、急げ、とバタバタと走り去っていく。
「ごめんな、急に来て」
ひとけが消えると加賀さんが小声で言った。手を握り合わせたままで、「いえ」と首を横に振る。
「あの、すごく、嬉しくて。びっくりしたけど会えた喜びのほうが大きいです」
「はは、なんか嬉しいよな、外で会うの」
「はい、ほんと、ですね。加賀さん」
「ん?」
周囲を見回し、声を潜めた。放課後はとても騒々しい。一日の授業から解き放たれた生徒たちが、けたたましく笑いながら廊下を通り過ぎていく。彼らの姿が見えなくなるのを待って、口を開いた。
「離したくない」
加賀さんが目を細め、優しい顔で笑った。
「俺も」
何か重大な商談が成立したみたいに、握った手を満面の笑みで上下に振る。
「倉知君、離して」
「え、加賀さんがお先にどうぞ」
「じゃあせーので離すぞ。せーの」
パッと手が離れると、顔を見合わせて笑った。
「先生してる倉知君、見れてよかった」
加賀さんが俺の首元に手を伸ばし、ネクタイを直してくれた。
「でもあの、いつもはもっとキリッとしてるんです」
「はいはい、わかってるよ」
俺の胸をポンポン叩くと、「あ」と声を零した。
「外、めっちゃ出待ちしてる」
さっきの生徒たちが玄関のガラスの向こうから、こっちを覗き込んでいた。
「加賀さん、大人気ですね」
「倉知先生には負けると思う。ここでいいよ、おつかれ」
玄関のガラス戸を押し開けて、加賀さんが外に出た。ここでいいと言われても、そうですかというわけにはいかない。靴を履き替え、後を追う。
「君たち、寄り道しないで気をつけて帰ってね」
「今からカラオケ行ってー」
「ゲーセン行ってー」
「締めはラーメンでーす」
「お、おう。自由でいいな」
来客用の駐車スペースに、高木印刷の社用車が停まっている。生徒たちは、加賀さんについていく。その後ろを、俺もついていく。
加賀さんが社用車に乗り込むと、みんなが一列に並んで「さようなら」と手を振った。運転席で手を振り返す加賀さんが、俺に気がついた。
ウインドウを下げ、にこ、と可愛い顔で笑って、敬礼。
キャーッと飛び跳ねる彼女たちの背後で、笑って敬礼を返した。
テールランプを見送って、よし、と気合を入れる。
あと少し。
もう少しで、また会える。
〈おわり〉
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