電車の男ー社会人編ー番外編

月世

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加賀さんと原田さん

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※このお話は同棲編番外編「青天の霹靂」以前のお話です。なお、「聖なる夜」を再読いただくとわかりやすいかと思います。




〈原田編〉

 俺は、加賀が好きだ。
 加賀は、面白い奴だ。だから大好きだ。
 人当たりがよく、要領がよく、顔面がよくて、仕事ができた。
 社員はみんな、加賀が好きだ。
 誇張でもなんでもなく、本当にそうだった。
 中には悪く言う奴もいたが、あいつはそういう手合いとも上手くやる。攻撃的だった男を、いつの間にか手なずけているのだ。牙を剥き出しにしてギャンギャン吠えていた狂犬が、腹を見せてクンクン鼻を鳴らす光景を何度も見てきた。
 空気清浄機のような男だ。
 そういう俺も、牙を抜かれた人間だ。入社当時はがっついていて、営業成績ばかりを気にしていた。何をやっても勝てない加賀に、八つ当たりをしたこともあった。正直言うと、最初は嫌いだった。
 女に騒がれても平然としていて、上司からは可愛がられ、取引先からの信頼が厚い。
 見た目がいいだけで、ちやほやされる。俺は妬んでいた。
 何か、なんでもいいからダメージを与えたい。黒い感情は次第に膨れ上がっていった。
 誰かのミスをかぶって、残業をするあいつを見たとき、今だ、と思った。意気揚々と、「バカじゃねえの」と吐き捨てた。
「なんでお前が尻ぬぐいしてんだよ。ほっとけばいいのに、だっさ」
「あー、だよな。腹減った、帰りてえ」
 笑ってそう返してきた。意外だった。もっとこう、「仲間だろ、困ったときは助け合わないと」とか「損はしてない。この経験は俺の糧になる」とか、偽善ぶった臭い科白を吐くと思っていたのに。
 こぶしを握り締めてぶつかっていっても、まるでクッションのように受け止める。
 なぜかほだされてしまい、俺は自発的に残業を手伝っていた。日付が変わる頃、二人で牛丼を食べた。いい思い出だ。
 話してみると、加賀は面白かった。思っていたのと違った。もっと「いい子」なのかと思っていたが、全然そんなことはない。
 綺麗な顔をしているくせに、気取らないし、下ネタも厭わない。とにかくノリがいい。意外だったのは、女を作らないことだった。
「ゲイなの?」
 二人で飲みにいったときに、訊いたことがある。モテないならともかく、異様にモテる。それなのに、つまみ食いさえしないお行儀のよさが俺には理解不能だった。
「ないない、え、なんで? ぽい?」
「総務のかわい子ちゃん、フったらしいじゃん? なんで断るのかって考えると、それしかない。ゲイだな? 別に俺は偏見ないし、いいぞ、カミングアウト歓迎」
「違うって。社内恋愛したくないんだよ。めんどくさいじゃん。あ、違う。社内に限らず恋愛がめんどくさい」
「お前、枯れてんなあ……」
 加賀は、ジントニックを飲み干して憂鬱そうに続けた。
「しばらく女はいいわ。仕事と私とどっちが大事とか、言われたくないっていうか、言わせたくないっていうか」
「はあ? そんな科白言われてみてえよ」
「はは」
 整った横顔。やけに綺麗な肌。腹が立つくらい、美しい男だった。
「でも、どうだろ。やってみないとわかんねえな」
 頬杖をつきながら、加賀が言った。
「何を?」
「男」
 肩に手が回る。無造作に、距離を詰めてきた。加賀の顔が眼前に迫り、思わず目をつむる。数秒待ったが唇に感触はない。目を開けると、加賀がバーカウンターに突っ伏していた。
「目ぇ閉じんなよ、気色ワリィ……」
「てめえ、俺の純情を弄ぶなよ」
「あー、鳥肌すげえ。無理、やっぱ無理。男無理。ていうか原田が無理」
「俺も無理だっつーの」
「キス待ちしといて何を」
「うるせえ、ちょっとドキッとしたわ」
 戯れていると、加賀の前にピンク色のカクテルが置かれた。
「え、何これ。頼んでないけど」
「あちらのお客様からです」
 バーテンが手のひらを向けた先を見ると、女がいた。「あちらのお客様からです」が現実に存在するとは。虚構の産物、都市伝説だと思っていた。女が男にやるなんて、もはや神話と言ってもいい。
 スツールから腰を上げ、カクテルを手に持ち、ヒールの音を響かせて、女がこっちに来る。背中が大きく開いた、布地のやたら少ないワンピースを着た女だった。
 女は、大ぶりのピアスを揺らして「こんばんは」と加賀のとなりに腰かけた。
「友達にドタキャンされちゃって。楽しそうだから混ぜて?」
 マジかよ、そんなことあるんかよ、と舞い上がる俺の横で、加賀が平然と返事をした。
「いいですよ」
 しばらく女はいいとぼやいていたくせに。だがわかる。いい女だ。
「やったぁ、嬉しい」
 ウフフと体をくねらせる女は、わかりやすく加賀しか見ていない。カクテルも、一つだけ。俺の分は? と内心で苦笑すると、加賀が立ち上がった。
「この人、かなり面白いですよ。楽しんで」
「えっ?」
 女が加賀を見上げ、目を丸くする。
「明日も仕事だし、帰るわ。おつかれ」
 テーブルに金を置くと、俺の肩を叩いて去っていった。取り残された俺と女は顔を見合わせた。女の顔が、崩れていく。絶望と、羞恥。
 俺は咳払いをして、主を失ったスツールに移動した。
「ごめんねー、あいつ本当に仕事人間でさ。こんな美女残して帰るなんて、人生損してるっていうか、男として失格、うん、でも、俺と君の出会いに乾杯」
 カクテルグラスを持ち上げて笑ってみせると、女はふてくされた顔で「キモイんですけど」と吐き捨てた。
 この女とは半年付き合って、今でもたまに会う。
 それはさておき、このことがあったから、俺は思い込んでいた。
 男は無理、とはっきり言ったし、嘘をついているようには見えなかった。
 加賀は、ゲイじゃない。
 数年後、加賀に彼女ができたと噂になったときも、信じて疑わなかった。「彼女」なのだと。
 社内運動会の応援に来て、毎年リレーの助っ人をする謎の若者。どこの誰かはわからないが、やけに加賀と仲が良さそうだとは思っていた。
「あの少年、加賀の男じゃない?」
 同僚の言葉に、俺は全力で否定した。あいつは絶対にゲイじゃないと、力強くフォローした。確かに、加賀が彼を見る目は特別な優しさにあふれていたが、俺は気づかないふりをした。
 だが、いよいよ認めざるを得なくなった。
 年を追うごとに濃厚になっていくのだ。
 加賀が、彼を見る目。彼が加賀を見る目。
 間違いなく、愛し合っている。見ていて恥ずかしくなるくらいのダダ漏れだ。好きという感情が、だくだくと、流れ出ていた。
「認めよう。あれは、付き合ってる」
 運動会のあと。仲間内での飲み会で、俺は降参した。ほら見ろ、遅えよと責められながら、「でも」と、性懲りもなくあがく。
「ほんと、ゲイじゃないって断言してたんだよ。俺はそれを信じてたから」
「ゲイじゃないのも、あの子と付き合ってるのも両方真実なんじゃない?」
 どういう意味かわからず、首をかしげた。
「ゲイじゃなくても性別に関係なく好きになること、あるだろ」
「あるか?」
「あるんじゃないか? 実際あったんだし」
 そんな馬鹿な、と思うがあるのだろう。
 もう、その辺のことは議論しても仕方がない。俺たちは加賀という一人の人間を尊重し、今まで通り変わらず付き合っていこうということになった。加賀が誰を好きでも関係ない。マイナス材料にはなりえない。
 全員の見解が一致したところで、俺は頭を抱えた。
「待て、やべえぞ……、思い出した」
 シークレットサンタだ。
 営業部内で、クリスマスのプレゼント交換をやった。あのとき、俺は加賀へのプレゼントを用意した。使う、使わないはどうでもよくて、単なるネタのつもりだった。出オチというか、開けたときにギョッとさせるのが目的で、決して深い意味はなかった。
 本当だ。
 とりあえず、謝っておこう。
「だいぶ前だけど、クリスマスのプレゼント、ごめんな、なんか」
 月曜の朝、出社して開口一番に謝罪をした。謝った直後に、やめればよかったとすぐに後悔した。謝ることによって、妙な気まずさが生じてしまうじゃないか。過去のことを今さら掘り返す意味は、何もなかった。
 加賀はポカンとしてから、ああ、と思い至った顔をした。
「あれ、めっちゃ使ってる。サンキュ」
「は? え? 嘘だろ?」
「嘘だよ。毛根引き抜いてやるからそこに正座しろ」
 これだから、俺は加賀が好きなのだ。

〈おわり〉
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