忠犬男子が懐きすぎて異世界までついてきた「件」

竜弥

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第7章:アルカノア農場戦記

第94話 雪に消えた王妃

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 ──その数時間前。

 私は、追放された。

「本気で言っているの?リゼリア、リシェル……あなたたちまで……!」

 玉座の間は、凍てついたように沈黙していた。

 あの椅子……いずれ私が座るはずのあの椅子。

 その横にはリゼリアが立っていた。銀灰の髪を揺らしながら、あの子はまっすぐに私を見つめている。まるで、私を見下ろすように。

 ……いいえ、違う。もう私は、あの子たちの下にいる立場なのだ。

 その隣には、信じられないことに農民風情が並び立っていた。

 あの若くて可愛らしい顔立ちの娘、アリスというらしい。王族でもないくせに、まるで当然のような顔をしてそこに立っていた。

(なんてこと!なんて、屈辱……!)

「王妃セリア。あなたは本日をもって、すべての権限を剥奪されます」

 リゼリアの声は冷たく、少しの揺らぎもなかった。

「なっ!?冗談でしょう!?私は、私はこの国の妃なのよ!」

 わからない。理解できない。いや、したくない。

 私はこの国の象徴。選ばれた存在のはずなのに、なぜこんな仕打ちを。

「母として、妃として、あなたはアグリスティアを裏切った。それだけです」

 その言葉は氷の刃みたいに鋭くて、胸の奥に突き刺さった。

「そ、そんなっ!」

 肩が震えた。その瞬間、玉座の間の扉がバタンと閉じた。重たく、冷たい音だった。

 石畳に足を踏み出すと、凍える風が頬をかすめ、雪が私の肩に落ちた。

「ええい!うっとおしい!」

 私は手を振り払った。

「誰か!ヴェールを持って来なさい!」

 声を上げ振り返っても返事はない。女官もいない。護衛も、馬車も、誰一人ついてきてなどいなかった。

 閉ざされた大扉。それが、私への答えだった。

(終わったの?こんな形で?)

 私は、王家にすべてを捧げてきた。誇りだった。生きる証だった。
 それが今、こんなにも簡単に、なかったことのように閉ざされていくなんて。

「いいえ、終わってない。まだ!」

 それでも、私は背筋を伸ばして歩いた。
 王妃として。最後まで、私の品位だけは捨てない。

 ***

 城門を抜けると、衛兵たちは無言で道を開けた。

 鋭い視線が突き刺さる。でも、誰ひとり言葉はかけてこない。

「なんなのよ。私を、誰だと思ってるの?」

 足が冷える。ドレスの裾が、雪と泥でずっしり重い。

 それでも、私は背筋を伸ばした。王妃として。誇らしく、堂々と。

(ゲドがここを取り戻せば、すべてが元通りになるわ。必ず!)

 城下町の人間たちが、道の両脇で私を見ている。

 ……けれど、誰も頭を下げない。声もかけない。ただ、見下してくるばかり。

「っく……見てなさいよ!」

 唇を噛みしめながら、その視線の中を抜けていく。

(私は王妃……!私はアグリスティアのクイーンなのよ……!)

 ***

「ゲド……ああっ!」

 思い出す、彼に抱かれたあの感触。

「もっとよ……ゲド!もっと私を見て……!」

 ゲドの若い身体に夢中だった。あの男の野心、熱……傲慢で無遠慮で、でもそれがたまらなかった。ベッドの上で彼が語る未来に、私は何度夢を見たか知れない。

『俺が帝国の上層部に行けば、お前にこの城を預ける』

「まぁ、ゲド!信じていいのね!?ああ、ゲド……」

『当然だ。お前ほどの女を、誰が放っておくかよ』

 その言葉に、私はすべてを預けた。抱かれながら、私は愛されていると信じていた。

(……それなのに、なぜまだ迎えに来ないの?)

 冷たい風。私は雪の中を歩いている。

 ふと、小さな村の片隅で二人の少女が視界をよぎった。

 ――リゼリア。リシェル。

 あの子たちは、美しかった。聡明で、素直でまっすぐすぎた。

(……思い出さないで。もう終わった話よ)

 でも、あのときの目は忘れられない。女王としてではなく、最後に母としての私を見た、あの目。

「母上は私たちを捨てたのですか…!?」
「ママはもう、ママじゃないの?」

(忘れるのよ、そんな言葉!)

 私は愛されたかっただけ。なのに、あの子たちは私を拒んだ。

(……なら、私も拒絶するだけ。娘など、いらないわ)

 母性なんて、押しつけられてやるものじゃない。必要とされない母に、価値なんてあるわけないでしょう?

 ***

 残り少ない貨幣を握りしめて、乗合馬車へ向かう。

「薄汚い民ども、皆降りなさい!王妃が乗るのよ!」

 車内のざわつきが一瞬止まって、その後、どっと笑い声が上がった。

「王妃~?何言ってんだ?」

「あんたが10人分払ってくれんならいいけどさぁ……その体で払うってか?」

「いやぁ、このおばさんじゃあ、せいぜい5人分ってところだぜ?」

「なっ……なんて無礼な!誰に向かって!」

「誰って、追い出された元王妃だろ?さっき広場で噂になってたぜ」

「あんたみたいな寝返りババァが王妃とか笑わせんなよ」

「それがこの婆さんかよ、傑作じゃねぇか!」

「ばっ……!ば、ばば……ッ!?」

 顔が熱くなる。怒りで体が震える。手を振り上げても、誰もひるまない。

(なぜよ!?なぜ誰も私を敬わないの!?私は王妃なのに!!)

「嫌ならさっさと降りろよ、婆さん」

「よ、寄るなッ!」

 掴まれそうになった腕を振り払う。でも誰も気にも留めず、笑い声だけが響いていた。

(よ、よくもこんな仕打ちを……!)

 ガタン、と車輪の音が遠ざかっていく。

 雪の中に、私は一人だけ取り残されていた。

 ***

 どれだけ歩いたか、もうわからない。ドレスは泥だらけ。髪も乱れて、化粧も崩れてる。

(それでも、私は歩く。ゲドが待ってるの……)

 やっと、帝国の門が見えた。

「あぁ……着いたわ……」

 門兵たちが私に気づいてざわめく。ひとりが内へ駆けていくのが見えた。

(やっとよ……ゲド。やっと、あなたのところへ……)

 私は歩く。胸を張って、顔を上げて。

(さあ、ゲド。取り戻すのよ!あの国を!あの玉座を!)

 帝国の門が開く。その先に広がるのは、黒く冷たい石の回廊。

(そして、もう一度私にふさわしい玉座を……)

 雪は、いつの間にかもう止んでいた。でも、濡れた頬だけは乾くことはなかった。
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