忠犬男子が懐きすぎて異世界までついてきた「件」

竜弥

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最終章:崩壊王国の戦い

第150話 拝啓・腹の上より

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 アルカノア農場・天貴と玄太の部屋

 くんくん……すぅぅぅ…………。

「あぁぁ~てんぱいの匂い!満ちるぅ!脳がよろこぶぅぅぅ!」

 玄太はまくらに顔をうずめ、鼻から思いっきり吸い込んだ。汗とよだれの混ざった、てんぱい成分100%の匂いが玄太の脳天を直撃する。

「はぁぁぁ……よし、補給完了っす」

 これは玄太の秘密の日課だ。昔から、天貴が目を離した瞬間はボーナスタイム。地球にいた頃からずっと続けてきたクセ。

 ――やめる気?あるわけがない。

「にしても、やばいって!てんぱいの匂い、薄くなってる!!」

 こういうのは鮮度が命だ。先週までは、ほんの少しでも吸い込んだだけで、背筋がゾワッと震えるほど濃かったというのに。

「あ~あ。こんなことなら、先週まくらカバー洗濯に出さなきゃよかったなぁ」

 ……ギシッ。

 ぼやきながら、ゴロンと天貴のベッドに寝転がった。わかってる。そもそも布越しじゃ限界があるし、本物には到底かなわない。

(…………)

 破れた天井の隙間から、夜の光が差し込んでくる。

 ――蒼い月。

 玄太は仰向けになったまま、瞬きもせずそれを見つめていた。

(おれ、明日からどうすりゃいいんだろ)

 奪われた大切な人。なのに、考えようとしても何も出てこない。怒りも焦りも、全部どこかに置き忘れてきたみたいだ。

「……て……」

 つい、呼びたくなる。

 でも今は、その名前を呼びたくない。呼んだって「おう!」は返ってこない。その現実を突きつけられるのが、一番きついから。

「はぁぁぁ……つら」

 月の青さがまぶしくて、思わず腕で光をさえぎった。手首に巻いた受信機が、ひんやりとおでこに押し当たる。

(……まだ期待してんのかよ、ばーか)

 馬鹿だと笑ってやりたいのに、指先は勝手につまみをまわしていた。ホワン……っと広がる波紋がブルーストライクを探知する。

「ブレるなよ……ちゃんと探せ」

 ピン……………。

(お……)

 ブ……ブブブ…………。

 しかし、反応した光点は何重にもブレて、位置が定まらない。

(だめかぁ)

 …………シュン。

 天貴はまだ、違う次元にいるらしい。 

「ってか、違う次元って!?」

 辿り着けない、届くわけがない、そう言われた場所。玄太はそれでも、そっと夜空に手を伸ばしてみる。

「それ、どこなんだよ……」

 青白い光の中で、自分の指先だけがくっきり浮かんで見えた。指の隙間から覗いた月が、玄太を覗き込むように、静かに見下ろしていた。

「そういやぁ、異世界(ここ)にも、月ってあったんだぁ」

 地球の夜にも、こんな色の月の日があったかもしれない。けど思い出そうとすると、形も光も全部ぼやけていく。ここで見ている月のほうが、もう本物みたいに感じる。

(……じゃあさ)

「地球って、異世界(ここ)と違う次元なのかな?」

 自分で言った独り言に、玄太の動きが止まった。

(あれ?)

 まばたきだけ、何度も繰り返す。

「そもそも異世界転移って、次元を超えてたんじゃ?」

 玄太は、自分が地球からこの異世界に飛んできた時の事を思い出した。

(クータンの、魔法陣……?)

「ね、ねえ!クータ……」

 隣のベッドに伸びた手。でもそれは、すぐに力なく降りた。

(何言ってんだ、おれ)

 ここにはもう、自分一人しかいないのに。

「そういやクータン……神にイレギュラーなんて言われてたけど、まさか殺処分とか……」

「……生きておるぞ?」

「うわぁぁぁぁ!」

(はぁ!?いま、返事が!)

 玄太は咄嗟に首を横に向けた。

 隣のベッド、空っぽ。

 壁。

 天井。

「…………異常なし」

(ってか、いるわけねえじゃん……)

 額に手を当てたその瞬間。

「ここに……おる……」

 聞きなれた仔牛の声が、もう一度した。

「……は?」

 玄太は、眉をひくつかせた。

 今のは確かにクータンの声だった。でも、あまりにも弱くて、遠くて……。耳で聞いたのか心で感じたのかも曖昧だった。

「いやいや……幻聴はやばいって、おれ」

 笑ってごまかそうとした瞬間、それは喉の奥で止まった。

(待て待て、落ち着け……おれ)

 わずかな可能性に欠けて耳を澄ませる。

「……思念体じゃ……」

(……し、ねん……たい……?)

 思わず口の中で復唱する。

「クータン!?どこ!?だって、なんも見えないっすよ!」

「ぬしの……ゆるい腹の上じゃ……」

「うっせ!……って、その毒舌、マジでクータンじゃん!!」

 そう言われたら、なんかお腹が重い気がする。玄太はビクッと跳ね起き、自分のお腹をまじまじと見下ろした。

「う、うっすぅぅぅ!めちゃくちゃ薄い!」

「……ふむ……声しかまともに……届かぬか……」

 かすれた息の混じった声だった。まるで、どこか底の見えない場所から引っ張り上げられてくるみたいに遠い。

(でもでも!だとしたらクータンGJ……いや、それより――)

 玄太の心臓がドクンと跳ねた。

「クータン!今どこにいるっすか!?てんぱいは!?てんぱいと一緒なんすか!?」

「我は……神の領域の……端っこじゃ……引っかかっておる」

「神の領域って……それ、どこなんすか!!帰れる!?こことつながってる!?」

 玄太は、自分のお腹に向かって畳みかけた。

「ってか、てんぱいは無事!?」

 その声は、外まで筒抜けだった。廊下を歩いていたアリスの足が、ぴたりと止まる。

「玄太さん……?」

 水を取り替えに来ただけのはずだった。けれど、この声は――。

(天貴も、クータンもいないのに……)

「誰と、話してるのかしら?」

 少し開いたドアの隙間から、そおっと覗き込む。

「そこ!どうやって行くのさ!すぐ行くから!」

 天貴のベッドの上には、自分のお腹に必死に語りかける玄太がいた。

 ぶわっ……。

 アリスの瞳に涙があふれる。

(い、いけない……!あの人、ついにお腹と話を始めた……!)

「げ、玄太さん……強く……強く生きてください……!」

 アリスは扉をそっと閉めて、涙ながらにその部屋を後にした。
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