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最終章:崩壊王国の戦い
第171話 アルカノア・避難所宣言
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最後の鈴音を置き去りにしたまま、閉ざされた扉の前でふたりはまだ立ち尽くしていた。扉が閉ざされた衝撃の余韻も、走り抜けた勢いも、涙で熱くなった呼吸も、そのままに。
「クータン、そろそろ行かないと……」
「……ふむぅ……」
反応はしてくれる。けれど、玄太の腕の中で暴れていたあの力強さは、もうない。
――あたりまえだ。さっきまで後ろにいた仲間が、消えたのだから。後ろから鳴っていたあの鈴の音も、もう聞こえない。
「まあ、元々おれらふたりだったんだし……な?」
玄太が小声で漏らすと、腕の中のクータンがひょいと顔を上げた。
その表情はいつもどおりの無表情だけど、視線だけがどこか違った。さっきまでそこにいたはずの仲間の気配を探すような、そんな目線。
「あやつも我と同じ、気まぐれで世に落とされただけの存在。まこと神というのは、かくも安易に命を生み出し、奪う。不愉快な道理じゃ」
命の脈動を感じない白く煤けた世界の中で、その言葉がやけに重く響いた。この領域でショコタンが生まれた事も、消えたことも、神にとってはたいして意味のない事なんだろう。
「クータン……」
玄太が声を落とすと、クータンは小さく鼻を震わせた。玄太は励ましも慰めも見つけられない。ただ無機質な事実――。
「クザンから……あやつを奪い返せるのは、うぬの他におらぬ」
それは命令ではなく、祈りでもない。その言葉の向こうに、小さな仔牛のひとつの願いが透けて見えた。
――悲しい命ばかり生む神を、止めてこい。そう言われているようだった。
「大丈夫…神だか何だか知らねえけどさ」
腕の中のクータンは、小さくても確かな温かさを返してくれる。そのぬくもりに触れていると、もう聞こえないはずの鈴の残響が、胸の奥でそっとよみがえる。
「後からしゃしゃり出て来た奴なんかにてんぱいは奪わせないっすよ、絶対」
そして二人が視線を見上げた先。そこにはまるで、侵入者を拒むように三つ目の扉が静かにそびえ立っていた。
*****
【崩壊王国・魔導研究室最奥部】
二人が突き進む、三つ目の門の、さらに先。
魔導研究室の深核部では、魔力を限界まで吸った天貴の身体が、その輪郭を揺らめかせていた。
「……よし、もう十分だ」
天貴の身体は、既に、単なるクザンの入れ物。持ち主の抵抗などとうに潰え、ただ膨れ上がる魔力を貯め込んだ、人の形をした器に過ぎない。
「さぁて、黙って世界を終わらせるのも興がない」
クザンが手を振り払うと、魔導研究室の内壁がまるで巨大な水鏡のように揺らぎ、世界中の情景が無数の窓となって次々と浮かび上がった。
そこには市場で笑う者、草原を駆ける子ども、港で荷を運ぶ労働者。どれも、何も知らずにいつもの一日を育む人々。
その光景を前に、天貴の唇がゆっくりと、クザンの笑みの形を取った。
「世界中に聞かせてやろう。これから起こる大天災、未来ある終わりを」
クザンが右手の拳を握ると、世界は誰も気づかぬまま静かに揺らがせた。
*****
【晴れ知らずの山・深層】
本来なら、鏡のように静かなはずの深層。その澄み切った水面を、ひとすじの波紋が走った。
「うん……?今、なんか震えた?」
ウォルが耳を震わせる。女王の間で、ゆっくりと瞼を上げた水の女王セレヴィア。その瞳が、かすかに揺れる。
「これは……この感じ、以前にもあった世界の異変と同じ……?」
精霊たちがざわつき、魚たちが一斉に水底へ潜り込む。水面にはふたたび静寂が戻ったが、湖の気配は明らかに歪んでいた。
「ウォル、覚悟なさい…」
かつて、女王が幼いころに起こった大洪水。あの災厄と同じ“前触れ”が、水の底からまた立ち上がろうとしていた。
「天貴、玄太……!いま、世界のどこで……何が起きているの?」
セレヴィア女王と側に佇むウォルは、どこか遠くを見つめた。
*****
『――聞け。ボクが造りし、我が子たちよ』
クザンの声が、世界そのものに響いた。
その声色には善も悪もない。ただ世界で最も古い、創世の始祖となった者の意志に、虫も動物も、風さえも一斉に沈黙した。
『この世界を、あるべき姿に戻す……リセットだ』
空から降り注ぐ声は、アグリスティアの石畳、帝国の城下、海賊船の帆、遠い岬の灯台…世界中のあらゆる場所に同時に落ちた。
当然、アルカノアの畑にも。
「えっ…天貴…?」
畑の真ん中でアリスが空を見上げる。ノーグは設計図を手にしたまま窓から空を睨み、ラクターとコンバインが馬小屋から空を見る。
『この世界はボクの理想には程遠い……だから一度、すべてを洗い流す』
よく知った声。かつて救世主だと言って農場に現れた青いツナギの男の声。
「いえ、天貴さんじゃない!これっ…」
アリスとシーダが顔を見合わせながらそっと手をつなぐ。
「ええ、天貴じゃないわ……クザン・アストレイ!」
そして。
『では粛正を始めよう。あるべき姿を見失った命たちよ……安らげ』
*****
【帝国・商業区】
「い、今の……聞こえたか?」
「世界のリセットってなんだよ!?」
露店の果物がひとつ、転がり落ちる。売り子も客も動けない。誰も声の出し方を思い出せない。その沈黙を破ったのは、石畳の角に座り込んでいた占い師の老婆だった。
「言うたであろう!神の器に手ぇ出しゃ、世界が揺らぐと!」
老婆の震えた叫びに、人々がいっせいに騒ぎ出す。
「天啓だ!神がお怒りなのだ!もうおしまいだぁぁぁ」
「これはアグリスティアを、神の器を怒らせた報い……帝国はもう、終わりだ」
ざわめきは、すぐに帝都全域へ広がっていった。
*****
【アグリスティア王城・玉座】
「……お父様!今、空からおかしな声が!!」
「お姉さま!待ってってばぁ!」
リゼリアとリシェル。二人の王女が、側近が集う玉座に慌てて飛び込んでくると、無言でその言葉に頷いたセス卿。
「王よ、これはただならぬ事態にございます」
見上げた天窓から覗く空には、見慣れない紫色の雲が覆っている。だが王だけは、静かに両眼を閉じていた。指先だけを、わずかに震わせながら。
「レミス卿、これは文献にあった世界の揺り返し…」
「ええ、老人ルード。終末の…前触れです」
二人の重鎮のやり取りに、会議室全体の空気が一段低く沈む。そして、誰もが言葉を失ったその静寂の中、アグリスティア王はゆっくりと目を開けた。
「――至急、アルカノアへ速足を飛ばすのじゃ。ラクター将軍とリオック、神の器を招集せよ!」
そのひと言で、止まっていた空気が一気に流れ出した。セス卿は慌てて駆け出し、玉座の間の脇に控える衛兵に怒号を飛ばす。
「伝令を飛ばせ!目指すは農場、アルカノア農場だ!」
*****
【アルカノア農場】
「……みんな!聞いて!」
神の終末宣言に、風は止まり、家畜の足音すら遠くへ引いていくような静けさが支配する。その中で、アリスの声だけが農場全体にまっすぐ響き渡った。
「農場のみんな!すぐに集まって!話があるの!」
世界が揺れた直後の困惑を抱えたまま、畑で鍬を置いた者、小屋から顔を出した者、倉庫から走ってきた者が次々と集まってくる。
その顔には、緊張や戸惑いが混じっている。そんな皆の顔をアリスはぐるりと見渡して小さく息を吸うと、ぱっと明るく表情を上げた。
「みんなも聞いたわね!?世界を粛正って声!」
そのひと言で、あちこちから小さく息をのむ気配が走る。
「だから、出来るだけ多くの人をこの農場に呼んで…」
「アリス様!何が起こるんですかい!?」
アリスの言葉を遮るように、不安の限界が突破した農夫たちが声を上げる。粛正の言葉の意味すら分からないまま、得体の知れない恐怖が農夫たちの間に伝染していく。
「ごめんなさい。正直まだハッキリとは……」
彼らの視線はアリスへ集中する。未来視の力を持つ彼女でさえ、この異変の正体を見通せていないのか、とその顔色を必死に読み取ろうとしていた。
騒ぎ始めた農夫たちに、戸惑い気味のアリス。すると、その横にすっと大きな影が立ち並んだ。
「お父様……!」
アリスの隣に立つ農場の主。その、そこにいるだけで安心する存在感が、自然とみんなの不安とざわめきを押し下げていく。
「みな、よく聞け。これはもう他人事じゃない。人類全体、いや、世界そのものの存在を揺るがす緊急事態だ!」
ラクターの落ち着いた声が、アリスに力を与える。
「そう、緊急事態!でも、この農場なら大丈夫だから!みんな信じて!」
集まった仲間たちの耳にその声が届くと、ざわめきはすっと静まった。だが、不安が完全に消えたわけではない。前方に立つ若い農夫が、おずおずと手を挙げる。
「本当にこの農場は安心で?砦とか、王城や砦の方が守りは固い気が……」
続けて、別の農夫も顔を見合わせながら声を漏らす。
「それに、そんなにここに大勢を呼んで大丈夫で…?食糧とか」
再びざわつきが広がりかけたその時、ノーグが前へ一歩進み出た。銀のメガネをくいッと直し、みんなを見回して、呆れたように言い放つ。
「まったく…あなたたちは何を心配しているの?後ろをよく見なさい!」
ノーグが手を広げた先には、風に揺れる大きな小麦畑。光を受けて金色に広がるそれは、この農場が持つ力そのものだった。ここは、王国一の食糧庫・アルカノア農場なのだ。
「お前たち!この農場が何度ゲドからの襲撃に耐えたと思ってんだ!?」
「そうよ!大船に乗ったつもりで、アルカノアに人を集めるの!」
コンバインの怒号とアリスの『農場・避難所宣言』に、仲間たちは互いに顔を見合わせた。次第に、農夫たちの張りついていた緊張がほどけると、自然と笑みが戻っていく。
すると、皆の後ろから静観していたリオックが、突然声を上げた。
「天貴殿も玄太も、どこかでこの異変と戦ってるのだ!ならば、俺たちもここで踏ん張らなくてどうする!今こそ、手を取り合うのだ!」
ラクターが深くうなずく。
「リオックの言うとおりだ。俺たちを守るのは、俺たち自身だ」
「隊長がこう言ってんだ!たとえ世界が終ろうったって、やれることをやって死ねれば悔いはねえってやつだ!」
アツい漢たちの声が農場全体に広がると、仲間たちは拳を握り、頷き、空を見上げる。世界が揺れていようと、アルカノア農場はまだしっかりと立っている。
そのとき、グロウとベータの駆け足が土を蹴った。
「ラクターさん!リオックさん!」
「王城から伝令です!」
ラクターとリオックが振り返る。
「よし、ここへ呼んでくれ!」
呼び声に応じ、伝令兵がすぐさま駆け込み、ラクターの前に膝をついた。胸の前で拳を握り、声を張り上げる。
「ラクター殿!リオック様!王より直々の招集です!神の器殿とともに、至急登城を!」
短い沈黙に、アリスが父を見る。
「……お父様……!」
ラクターは力強く頷き、胸を張った。
「ああ、分かってる。リオック、行くぞ!王家も側近も……王城まるごと連れてきてやる!」
「っは!ラクター殿!」
あまりにも豪快な返答に、農場全員が「えぇぇぇぇ~!?」と一斉にどよめいた。
「さすが俺の隊長だぜ!何もかもがデカすぎる!」
腕を組みながら見送るコンバインをよそに、農夫たちのどよめきは頭上の怪しい紫色の雲を押し返すように広がり、わずかに覗いた青空へと吸い上げられていった。
「クータン、そろそろ行かないと……」
「……ふむぅ……」
反応はしてくれる。けれど、玄太の腕の中で暴れていたあの力強さは、もうない。
――あたりまえだ。さっきまで後ろにいた仲間が、消えたのだから。後ろから鳴っていたあの鈴の音も、もう聞こえない。
「まあ、元々おれらふたりだったんだし……な?」
玄太が小声で漏らすと、腕の中のクータンがひょいと顔を上げた。
その表情はいつもどおりの無表情だけど、視線だけがどこか違った。さっきまでそこにいたはずの仲間の気配を探すような、そんな目線。
「あやつも我と同じ、気まぐれで世に落とされただけの存在。まこと神というのは、かくも安易に命を生み出し、奪う。不愉快な道理じゃ」
命の脈動を感じない白く煤けた世界の中で、その言葉がやけに重く響いた。この領域でショコタンが生まれた事も、消えたことも、神にとってはたいして意味のない事なんだろう。
「クータン……」
玄太が声を落とすと、クータンは小さく鼻を震わせた。玄太は励ましも慰めも見つけられない。ただ無機質な事実――。
「クザンから……あやつを奪い返せるのは、うぬの他におらぬ」
それは命令ではなく、祈りでもない。その言葉の向こうに、小さな仔牛のひとつの願いが透けて見えた。
――悲しい命ばかり生む神を、止めてこい。そう言われているようだった。
「大丈夫…神だか何だか知らねえけどさ」
腕の中のクータンは、小さくても確かな温かさを返してくれる。そのぬくもりに触れていると、もう聞こえないはずの鈴の残響が、胸の奥でそっとよみがえる。
「後からしゃしゃり出て来た奴なんかにてんぱいは奪わせないっすよ、絶対」
そして二人が視線を見上げた先。そこにはまるで、侵入者を拒むように三つ目の扉が静かにそびえ立っていた。
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【崩壊王国・魔導研究室最奥部】
二人が突き進む、三つ目の門の、さらに先。
魔導研究室の深核部では、魔力を限界まで吸った天貴の身体が、その輪郭を揺らめかせていた。
「……よし、もう十分だ」
天貴の身体は、既に、単なるクザンの入れ物。持ち主の抵抗などとうに潰え、ただ膨れ上がる魔力を貯め込んだ、人の形をした器に過ぎない。
「さぁて、黙って世界を終わらせるのも興がない」
クザンが手を振り払うと、魔導研究室の内壁がまるで巨大な水鏡のように揺らぎ、世界中の情景が無数の窓となって次々と浮かび上がった。
そこには市場で笑う者、草原を駆ける子ども、港で荷を運ぶ労働者。どれも、何も知らずにいつもの一日を育む人々。
その光景を前に、天貴の唇がゆっくりと、クザンの笑みの形を取った。
「世界中に聞かせてやろう。これから起こる大天災、未来ある終わりを」
クザンが右手の拳を握ると、世界は誰も気づかぬまま静かに揺らがせた。
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【晴れ知らずの山・深層】
本来なら、鏡のように静かなはずの深層。その澄み切った水面を、ひとすじの波紋が走った。
「うん……?今、なんか震えた?」
ウォルが耳を震わせる。女王の間で、ゆっくりと瞼を上げた水の女王セレヴィア。その瞳が、かすかに揺れる。
「これは……この感じ、以前にもあった世界の異変と同じ……?」
精霊たちがざわつき、魚たちが一斉に水底へ潜り込む。水面にはふたたび静寂が戻ったが、湖の気配は明らかに歪んでいた。
「ウォル、覚悟なさい…」
かつて、女王が幼いころに起こった大洪水。あの災厄と同じ“前触れ”が、水の底からまた立ち上がろうとしていた。
「天貴、玄太……!いま、世界のどこで……何が起きているの?」
セレヴィア女王と側に佇むウォルは、どこか遠くを見つめた。
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『――聞け。ボクが造りし、我が子たちよ』
クザンの声が、世界そのものに響いた。
その声色には善も悪もない。ただ世界で最も古い、創世の始祖となった者の意志に、虫も動物も、風さえも一斉に沈黙した。
『この世界を、あるべき姿に戻す……リセットだ』
空から降り注ぐ声は、アグリスティアの石畳、帝国の城下、海賊船の帆、遠い岬の灯台…世界中のあらゆる場所に同時に落ちた。
当然、アルカノアの畑にも。
「えっ…天貴…?」
畑の真ん中でアリスが空を見上げる。ノーグは設計図を手にしたまま窓から空を睨み、ラクターとコンバインが馬小屋から空を見る。
『この世界はボクの理想には程遠い……だから一度、すべてを洗い流す』
よく知った声。かつて救世主だと言って農場に現れた青いツナギの男の声。
「いえ、天貴さんじゃない!これっ…」
アリスとシーダが顔を見合わせながらそっと手をつなぐ。
「ええ、天貴じゃないわ……クザン・アストレイ!」
そして。
『では粛正を始めよう。あるべき姿を見失った命たちよ……安らげ』
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【帝国・商業区】
「い、今の……聞こえたか?」
「世界のリセットってなんだよ!?」
露店の果物がひとつ、転がり落ちる。売り子も客も動けない。誰も声の出し方を思い出せない。その沈黙を破ったのは、石畳の角に座り込んでいた占い師の老婆だった。
「言うたであろう!神の器に手ぇ出しゃ、世界が揺らぐと!」
老婆の震えた叫びに、人々がいっせいに騒ぎ出す。
「天啓だ!神がお怒りなのだ!もうおしまいだぁぁぁ」
「これはアグリスティアを、神の器を怒らせた報い……帝国はもう、終わりだ」
ざわめきは、すぐに帝都全域へ広がっていった。
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【アグリスティア王城・玉座】
「……お父様!今、空からおかしな声が!!」
「お姉さま!待ってってばぁ!」
リゼリアとリシェル。二人の王女が、側近が集う玉座に慌てて飛び込んでくると、無言でその言葉に頷いたセス卿。
「王よ、これはただならぬ事態にございます」
見上げた天窓から覗く空には、見慣れない紫色の雲が覆っている。だが王だけは、静かに両眼を閉じていた。指先だけを、わずかに震わせながら。
「レミス卿、これは文献にあった世界の揺り返し…」
「ええ、老人ルード。終末の…前触れです」
二人の重鎮のやり取りに、会議室全体の空気が一段低く沈む。そして、誰もが言葉を失ったその静寂の中、アグリスティア王はゆっくりと目を開けた。
「――至急、アルカノアへ速足を飛ばすのじゃ。ラクター将軍とリオック、神の器を招集せよ!」
そのひと言で、止まっていた空気が一気に流れ出した。セス卿は慌てて駆け出し、玉座の間の脇に控える衛兵に怒号を飛ばす。
「伝令を飛ばせ!目指すは農場、アルカノア農場だ!」
*****
【アルカノア農場】
「……みんな!聞いて!」
神の終末宣言に、風は止まり、家畜の足音すら遠くへ引いていくような静けさが支配する。その中で、アリスの声だけが農場全体にまっすぐ響き渡った。
「農場のみんな!すぐに集まって!話があるの!」
世界が揺れた直後の困惑を抱えたまま、畑で鍬を置いた者、小屋から顔を出した者、倉庫から走ってきた者が次々と集まってくる。
その顔には、緊張や戸惑いが混じっている。そんな皆の顔をアリスはぐるりと見渡して小さく息を吸うと、ぱっと明るく表情を上げた。
「みんなも聞いたわね!?世界を粛正って声!」
そのひと言で、あちこちから小さく息をのむ気配が走る。
「だから、出来るだけ多くの人をこの農場に呼んで…」
「アリス様!何が起こるんですかい!?」
アリスの言葉を遮るように、不安の限界が突破した農夫たちが声を上げる。粛正の言葉の意味すら分からないまま、得体の知れない恐怖が農夫たちの間に伝染していく。
「ごめんなさい。正直まだハッキリとは……」
彼らの視線はアリスへ集中する。未来視の力を持つ彼女でさえ、この異変の正体を見通せていないのか、とその顔色を必死に読み取ろうとしていた。
騒ぎ始めた農夫たちに、戸惑い気味のアリス。すると、その横にすっと大きな影が立ち並んだ。
「お父様……!」
アリスの隣に立つ農場の主。その、そこにいるだけで安心する存在感が、自然とみんなの不安とざわめきを押し下げていく。
「みな、よく聞け。これはもう他人事じゃない。人類全体、いや、世界そのものの存在を揺るがす緊急事態だ!」
ラクターの落ち着いた声が、アリスに力を与える。
「そう、緊急事態!でも、この農場なら大丈夫だから!みんな信じて!」
集まった仲間たちの耳にその声が届くと、ざわめきはすっと静まった。だが、不安が完全に消えたわけではない。前方に立つ若い農夫が、おずおずと手を挙げる。
「本当にこの農場は安心で?砦とか、王城や砦の方が守りは固い気が……」
続けて、別の農夫も顔を見合わせながら声を漏らす。
「それに、そんなにここに大勢を呼んで大丈夫で…?食糧とか」
再びざわつきが広がりかけたその時、ノーグが前へ一歩進み出た。銀のメガネをくいッと直し、みんなを見回して、呆れたように言い放つ。
「まったく…あなたたちは何を心配しているの?後ろをよく見なさい!」
ノーグが手を広げた先には、風に揺れる大きな小麦畑。光を受けて金色に広がるそれは、この農場が持つ力そのものだった。ここは、王国一の食糧庫・アルカノア農場なのだ。
「お前たち!この農場が何度ゲドからの襲撃に耐えたと思ってんだ!?」
「そうよ!大船に乗ったつもりで、アルカノアに人を集めるの!」
コンバインの怒号とアリスの『農場・避難所宣言』に、仲間たちは互いに顔を見合わせた。次第に、農夫たちの張りついていた緊張がほどけると、自然と笑みが戻っていく。
すると、皆の後ろから静観していたリオックが、突然声を上げた。
「天貴殿も玄太も、どこかでこの異変と戦ってるのだ!ならば、俺たちもここで踏ん張らなくてどうする!今こそ、手を取り合うのだ!」
ラクターが深くうなずく。
「リオックの言うとおりだ。俺たちを守るのは、俺たち自身だ」
「隊長がこう言ってんだ!たとえ世界が終ろうったって、やれることをやって死ねれば悔いはねえってやつだ!」
アツい漢たちの声が農場全体に広がると、仲間たちは拳を握り、頷き、空を見上げる。世界が揺れていようと、アルカノア農場はまだしっかりと立っている。
そのとき、グロウとベータの駆け足が土を蹴った。
「ラクターさん!リオックさん!」
「王城から伝令です!」
ラクターとリオックが振り返る。
「よし、ここへ呼んでくれ!」
呼び声に応じ、伝令兵がすぐさま駆け込み、ラクターの前に膝をついた。胸の前で拳を握り、声を張り上げる。
「ラクター殿!リオック様!王より直々の招集です!神の器殿とともに、至急登城を!」
短い沈黙に、アリスが父を見る。
「……お父様……!」
ラクターは力強く頷き、胸を張った。
「ああ、分かってる。リオック、行くぞ!王家も側近も……王城まるごと連れてきてやる!」
「っは!ラクター殿!」
あまりにも豪快な返答に、農場全員が「えぇぇぇぇ~!?」と一斉にどよめいた。
「さすが俺の隊長だぜ!何もかもがデカすぎる!」
腕を組みながら見送るコンバインをよそに、農夫たちのどよめきは頭上の怪しい紫色の雲を押し返すように広がり、わずかに覗いた青空へと吸い上げられていった。
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