忠犬男子が懐きすぎて異世界までついてきた「件」

竜弥

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最終章:崩壊王国の戦い

第172話 魔導研究室 ― 参ノ禁門 ―

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【アグリスティア東部・海域】

「ガスケット船長!海が……なんか違いますぜ!」

 船縁から身を乗り出した船員の声は、波音を押し返すほど切迫していた。
 海面の色も、波の高さも、見た目にはいつも通りだ。素人には決して分からない。だが、感じた事のない、浮くような縦揺れ。舵から伝わる微妙な重さ。下から突き上げるような潮の流れ。海の男だけが気づく異常。

「おいおい……こりゃ、満ち潮なんてもんじゃねえぞ」

 ガスケット船長は額の汗を拭いもせず、飲みかけのワインボトルを海へ投げた。ボトルは沈むより先に、潮にさらわれるように滑り、異常な速さで海原の向こうへと消えた。

「さっきのおかしな声といい、いよいよ世界の終わりってやつかぁ」

 船員たちが一斉に息を呑む。理由も、何が起こるのかもわからない。だが全員が、本能で理解していた。

「舵を取れ!アルカノアへ向かうぞ!」

 髭面のボスのひと声で甲板が一斉に動き出す。
 旧知の友の元へ向かうその間も、海は静かなまま、底からじわじわと船を押し上げ続けていた。

 *****

【崩壊王国 魔導研究室・参ノ禁門】

「ぬしよ。我はここへ置いて行け」
「馬鹿言ってんじゃねえっす!どうせすぐ腹減るくせに!」

 玄太はゆっくり歩き出した。ショコタンを置いてきた胸の痛みはまだ刺さる。でも、ここで止まったら一生動けなくなる気がした。

「さ……クータン、もう行くっすよ」

 目の前には三つ目の扉――禁門。
 これを見ただけで思い出す、ゲーム画面越しでも胃が冷えた、あの最終門の手前の地獄。

「……なんじゃこの気配は?」

 クータンが玄太の腕にしがみついてくる。

「最後の門番っすよ……こいつは誤魔化しも効かないし、ラッキーも無い。マジのガチンコ……」

 ゲームで何十回、何百回と殺されたアイツが、今は本物の肉体を持って存在している。そう思うだけで、玄太の手の汗が止まらない。

 ドォ……ッ ドォ……ッ。

 扉の向こうから呼吸音がした。奴がただ息しただけで、扉がたわむ化け物。
 これがゲームならキャラクターを強化すればそんな奴でも渡り合える。HPと防御力を盛ればどんな攻撃だって耐えられる。でも、ふたりの身体はただの人間と仔牛。

 ガンッ!!

 扉が内側から拳で殴られたように盛り上がった。

「……ひぎっ?なんじゃこれは」
「まだ開けてねえのに、やる気満々ってか!?」

 その瞬間、玄太とクータンを支配していたショコタンへの悲しみが、一瞬で散った。悪い言い方かもしれないけど、『ショコタンを悲しんでる場合じゃなくなった』のだ。

「ぬ、ぬしよ……我のもふもふが逆立っておる」
「マジの恐怖っすよ……おれたちの本能が……やべえって叫んでる」

 下手したら、次に消えるのは自分たち。悲しんでたはずの自分が、あっさりショコタンの後を追うなんて、笑い話ですら済まない。でも、ふたりには逃げる選択は最初から存在しない。

「でもねクータン。恐怖って、便利なんすよ」
「……その心は?」

 クータンの瞳がわずかに揺れる。

「悲しみも、迷いも……全部まとめて黙らせてくれるっす。死ぬかもしれねえって、それだけで頭の中がまっさらになる。――だから、前に進める」

 その時だった。

 バギィィィィィィンッ!!

 禁門の入り口が、爆風とともに半壊した。扉の破片が通路に散り、地鳴りのような脚音が玄太に迫る。

 ドォン……ドォン……ドォン……!!

 現れた真紅の豪腕と、黄金に輝く猛牛の四肢を持つ、参ノ禁門の門番。その真っ赤な上半身は肥大した筋肉の豪戦士。下半身は四本の脚が金剛石みたいに輝く、黄金の猛牛。その蹄が踏みしめるたび、白い床石が悲鳴を上げる。

「出たな……ゴルド・タウロス……!」

 熊のような剛腕戦士と、獅子の如き猛牛のかけあわせ。それはもはや1+1じゃない。モーちゃん自慢の相棒ミノ太ですら仔牛に見える、狂魔導士の最高傑作の魔改造。

 ブォォォ……ッ!!

 ゴルドは玄太を見下ろすだけで、地鳴りのように鼻息を吹き出した。

「なんじゃこの巨牛は?我が赤子に見えるではないか」
「いや、お前はそもそも赤子だろ!」

 クータンのしょうもないボケも吹き飛ばす威圧に、玄太も視線を逸らせないまま唾を飲み込む。てんぱいは、この先にいるんだ。ここまで来てGAME・OVERはゲーマー玄太の名が廃る。

「絶対に絶対に、絶対に!……ここを越えてやる!!」

 玄太の叫びに呼応するように、ゴルド・タウロスの四脚が黄金の火花を散らす。次のまばたきの瞬間、その巨体が一気に視界いっぱいに広がった。

 ドガァァァァンッ!!!!

 黄金の肢体が駆け抜け、衝撃波が通路を切り裂いた。玄太はゲームの癖でとっさに右に飛び退いたけど、やつが駆け抜けた余波だけで、身体ごと壁に叩きつけられた。

「ぐ、ぶっ……うぁ……!」

 視界が揺れ、耳の奥でキーンッと金属音が鳴る。クリーンヒットはしていない。そう思って立とうとしたけど、膝からがくりと崩れた。一撃かすっただけでこれ。これが人体のもろさの現実。

「ぬしよ、気は確かか!」

 小さすぎてかすりもしなかったクータンが、必死に玄太へと駆け寄る。

「……クータン……これは……無理だ……相性とか……そういう問題じゃねえ……お前だけでも……逃げ――」

 呼吸が荒くなり、視界は白く霞む。その小さな蹄が玄太の頬に触れた瞬間、玄太の身体は限界を超えたようにぐらりと倒れる。

「……否じゃ」

 クータンの声が弾けるように響いた。

「ぬしはショコタンとは格が異なるのじゃ。天地がひっくり返ってもあり得ぬ」

 玄太は何か言おうとしたが、唇が動かない。そのまま意識が深みに沈んでいくのを止められない。

「ぬしよ――うぬはここまで、よう頑張った。少しだけ寝ておれ」

 クータンは玄太の頭をそっと瓦礫にあずけ、立ち上がった。そして、ゆっくり振り返ると、そこには「まだまだこれからだ」と言わんばかりのゴルド・タウロスが、地鳴りのような息を吐いていた。

「ブォォ……ブォォォォッ!!」

 クータンの小さな身体が震える。だが、その震えは恐怖ではなく、覚悟だった。

「よかろう!牛なら牛同士、一対一で正々堂々勝負じゃ」

 その宣言に、ゴルドの黄金の瞳がわずかに揺れた。クータンを一匹の戦士として認めた、そんな気配すらあった。

「ぬし……聞こえておるか……?」

 小さな背中の後ろで倒れたままの玄太に、この声はもう届いていない。でも構わない。

「恐怖は……悲しみも迷いも、一息でかき消すと言うたな?」

 小さな胸を大きくふくらませ、続けた。

「我がいま、そうであるように……ぬしを失う恐怖が、今の我を奮い立たせるのじゃ」

 ドンッ!!!

 黄金の蹄が鳴り、ゴルド・タウロスが突進の構えに入る。

「来るがいい。ぬしの突進ッ、すべて我に向けてみよ!」

 白い床石が砕け散る。黄金の巨牛の影が迫る。

 仔牛 vs 黄金の猛牛――

 参ノ禁門の一騎打ちが、いま始まる。
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