忠犬男子が懐きすぎて異世界までついてきた「件」

竜弥

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最終章:崩壊王国の戦い

第175話 魔導研究室 ― 深核 ―

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 参の禁門を後にした玄太。そして迎えた魔導研究室の扉の前で立ち止まった瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。間違いない。この向こうにてんぱいがいる。そう思った途端、口元が勝手に緩んだ。

「……ついた、じゃん」

 自分で言っておいて、声が少し震えた。
 長かった。遠かった。離れても、追いかけて、また離れて——それでも、ここまで来た。目の前の扉は、ただ重く、厚く、そこに立っている。てんぱいに会える嬉しさと、神と対峙する恐怖。色んな感情が、いっぺんに押し寄せてくる。

「この奥に、てんぱいが……」

 ここまで来たら、ゲームの知識なんていらない。役にも立たない。玄太は一度だけ、深く息を吸い——迷いを振り払うみたいに、扉に手をかけた。

 ――てんぱいと一緒に帰る。

 ただそれだけを胸に、魔導研究室の扉をゆっくりと押した。

 *****

 ゴゴゴゴゴ………。

「……え……なに?」

 クザンは、開くはずのない扉に振り返った。人が来るはずのない場所なのに、なぜ?その不可解に向けられた、純粋な違和感。
 そして、開いた扉の隙間からキョロキョロと入り込んだ、緑色のツナギを着た少し丸っこい人間のオス。

「……人間?なんで?」

 ありえない侵入者にくぎ付けのクザン。その視線は困惑でも敵意でもない。でも、ただ一人の人間ごときに、この目が奪われるなんて、初めての事だった。

「てんぱい……!」

 なに?てんぱい?こいつは何を言ってる?器の仲間か?でも人間って、たかが仲間のためにこんなところまで追いかけてくるものか?いや、その前に――――。
 
「どうやって入ったんだ?ここは、神の領域だぞ?」

 クザンの問いに玄太は、ゆっくり息を吐いた。視線は外さない。逃げる気も、隠す気もなかった。

「どうやってって……なんか、来れちゃった」

 すっとぼけた返事。でも不思議と怒りは湧かない。そんなクザンの視線が、玄太の肌をなぞる。骨格、呼吸、立ち方――そして、もっと奥。“何か”を探るように。

「……へえ」

 *****

 一方、終末の予感漂う地上では、避難所となったアルカノア農場に、どんどんと人が集まり始めていた。アリスが声を上げてからまだ時間はそう経っていないのに、畑の道には家族連れ、老人、子ども、荷車を押す商人まで列を作っていた。

「あの……なぜみんなを農場に?」
「ここなら助かるって、どういうことだ?」

 でも、誰一人として“安心している”顔はしていない。なぜ農場なのか。不穏な声が響いた世界で、畑に逃げてきて意味があるのか。押し殺したざわめきが、人の波の底でくすぶっている。

「そもそもさっきの声って何なのさ?」
「世界をリセットするってやつだろ?もし本当に神様なら何しても無理じゃね」

 小さな疑問が、次第に不安へと形を変え始めた、そのとき。

「――みんな、大丈夫!」

 畑の中央で、アリスが一歩前に出て、胸いっぱいに息を吸った。

「突然で混乱してるのは分かる。でも、ここは王国一のアルカノア農場よ。食べものも、居場所も、十分にあるわ!」

 そんな一言では納得はされない。それでも、アリスの明るい声が、人々の足を止めた。

「まあ、他に行くところもないしな」
「人が多いほうが心強いし、ね」

 困惑の中、ノーグが人の流れを指さし倉庫と畑を繋ぐ道へ誘導する。シーダは泣いている子どもにしゃがみ込み、母親と一緒に話を聞く。コンバインたち男衆はすごい勢いで、簡易キャンプを作り始めていた。

 そんな中。

「道を開けてくれー!王家一行の到着だ!」

 遠くから響いたリオックの声に、作業していた者たちの動きが止まった。大きな土煙を上げながら、馬車と騎馬の列が農場への道を駆けてくる。

「お父様とリオックさん、帰ってきた!」

 農場の中央まで馬を進めたラクターが手綱を引くと、後ろの荘厳な馬車の扉が開いた。先に降りたのはレミスたち王国の重臣。続いて、リゼリア王女とリシェル王女。その奥から、アグリスティア王自身がゆっくりと姿を見せた。

 王国の中心人物たちの姿に、農場の誰もが息をのむ。王族までもが農場に避難?その事実に言葉を失った。

「ほう、ここが将軍の農場か……」
「想像よりデカいな」

 脱サラならぬ、脱・士官した古い友が経営する農場を初めて見るセス卿とレミス卿。

「ラクター将軍よ。ここなら安全、そう言うのじゃな?」

 最後に馬車から降りた王の問いに、ラクターは大きくうなずいた。

「はい、陛下。この農場なら、守れます。襲撃の痕は多少残れど、食料も物資も、ここが一番強い」

 アグリスティア王は短く息を吸い、周囲を見渡した。
 集まった王都の民。戸惑いを抱えながらも受け入れに走り回る農場の仲間たち。そのすべてを一つ一つ目に焼き付けるように視線を巡らせ、やがて、深くうなずいた。

「――よかろう」

 その声は、想像以上によく通った。

「この王国の命、アルカノア農場にすべて委ねる!」

 鶴の一声に、周囲の空気が一気にほどけた。張りつめていた緊張が、ふうっと抜けるように、農場のあちこちから大きな息が漏れる。誰かが笑い、誰かが肩を落とす。

「その任、承りましたっ!」

 ラクターの威勢に、見惚れるコンバインと活気づく農夫たち。アリスは弾かれたように王女たちの元へ駆け寄ると、その手をぎゅっと握った。

「リゼリア様、リシェル様!ようこそアルカノアへ!」
「あ、アリス!」

 リゼリアはぱっと表情を明るくし、リシェルの手を引きながらアリスに駆け寄った。

「不思議ですわ。世界の終わりかもしれませんのに……私、なんだかワクワクしちゃうわ!」
「もう!リゼリアお姉さまってば、不謹慎なの!」

 慌てて止めようとするリシェル王女だったが、すぐに笑顔に変わる。

「……でも、リシェルも分かる気がする!ここ、なんか楽しそう!」
「でしょ?この際だし、ちょっと収穫作業でもやってみる?」

 くすくすと笑い合うアリスと王女たちの様子に、周囲の空気も少しずつ軽くなる。

「ははっ、やべえ状況だってのに、姫様たちは元気だな!」
「さすがアルカノアだ!俺たちもやれることをやろうぜ!」

 誰かのそんな声に、ラクターが胸を張って笑った。

「そうだ!泣くのはあとでいい!みな、今は備えるんだ。終末ってやつに!」

 畑の上を渡る風が、ほんの少しだけ明るく感じられた。

 盛り上がる王国民たちの後ろで、手の中を見つめるリオック。その手には、あの丘に咲いていた青い花。魔力が吸えずに萎れているが、そっと懐にしまうと丘の空を見上げた。

「頼んだぞ……玄太……!」

 *****

 そして、地上の世界がざわつき始めていることなど知る由もない玄太。いまの玄太には、目の前に立つ天貴の姿をした男のこと以外、なにも考えられない。

 青いツナギの背中。
 ちょっとぼさぼさなのにイケてる髪。
 少し力の抜けた立ち方。

 ――てんぱいだ。

 胸の奥が、ぱっと明るくなる。理由なんて考える前に、心臓がぽっと火が灯ったように暖かい。

「あ……ぁ……」

 会えた。やっと追い付いた。
 自動的に足が、一歩、また一歩と前に出る。見ているだけで、口元がゆるんでいるのが自分でも分かった。なのに、そのツナギが振り返った瞬間、その喜びに薄い氷みたいな違和感がすっと混じった。

「……人間?なんで?」

 大好きな眼と、目が合った。でも、おれを見るいつものてんぱいの目じゃない。敵とか味方とか、そういう次元ですらない。空とか、風景とか、そこに「在るもの」をただ確認するような視線。

 玄太の足が、そこで止まった。

(……あれ?)

 会えたはずなのに、距離が縮まらない。目の前にいるのに、逆に遠くなった気がする。それでも、目を逸らせなかった。だって、その姿は大好きな人だから。ずっと追いかけて来た背中だから
 何度も一緒に笑って、一緒に食って、手を伸ばしてくれた――あの人の姿まま。

「へえ……」

 天貴の口元が少し動いた。関心というか、興味というか、そういう感じの表情。

「おまえ……ひょっとして、この器を追いかけて来たの?」

 静かな声。責めるでもなく、試すでもなく、ただ事実を確かめるみたいに。
 玄太は、すぐに声が出せなかった。喉が詰まったまま、なんとか小さくうなずくのが精いっぱいだ。

「……ふうん」

 その反応だけで十分だったらしい。クザンは少しだけ首を傾け、玄太を観察するみたいに言葉を重ねた。

「正直、イレギュラーは嫌いなんだけど……」

 冷たくて低い声。

「でも君からはちょっと面白い匂いがする……嫌いじゃない」

 てんぱいが良く言う口癖。その言い方に、玄太の胸がわずかにざわつく。その顔で、その声で言われると、反射的につい嬉しくなる。

「ほら、おいで。この体が欲しくてここまで来たんだろうう?」

 予想外の展開に、心臓が強く鳴った。
 欲しい。否定できない。そのためにここへ来たんだ。その姿を、声を、全てを、もう二度と離したくないから―――。

「ボクの側にずっといなよ。最後の人間として、一生飼ってあげる」

 大好きな両手が広がる。いつも頭の中で想像してた、てんぱいとのラブラブワールドが頭の中でちらつく。他の人も、世界も、神も関係ない。てんぱいとずっと二人きりだなんて、そんなのって…。

 ——最高じゃん。

 昔やったゲームで囁かれる「世界の半分をやろう」より、よっぽど価値があるやつ。

「ほら、どうしたい?」

 めくるめく妄想が、勝手に脳内を走る。てんぱいが誰にも奪われない場所で、自分だけを見てくれて、自分だけが触れて、自分だけが抱きしめられる。
 そんな世界に落ちたっていい。むしろそっちのほうが、ずっと幸せなんじゃないか。

 ――全部、手に入る。心任せに揺らいだ、その瞬間。

「外側は君の好きにしたらいい。内側はボクが使うけど、ね」

 一瞬、音が消えた。

(は?)

 一拍遅れて、胸の奥に熱が落ちてくる。それは怒りなんて生ぬるい言葉じゃ足りなくて、踏み荒らされたものを、元に戻せなくなる感覚に近かった。

 ——内側?

 噛み砕くみたいに、その言葉を頭の中で繰り返す。

「……ちげぇだろ」

 玄太の声が、クザンに届くことなく低く落ちた。奥歯が軋む。拳に、じわりと力がこもる。

(内側も、なにもかも全部……)

 ——それは、お前のものじゃない。
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