忠犬男子が懐きすぎて異世界までついてきた「件」

竜弥

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最終章:崩壊王国の戦い

第177話 粛正の足音 前編

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 跳ね返した青雷は、そのままクザンの顔面を捉えた。

「……っ!」

 一瞬。ほんの一瞬だが、確かにクザンがひるむ。その隙を、玄太は見逃さなかった。

「今だ!タックルーーーー!!」

 床を蹴り、勢いのまま体当たりするように、てんぱいの身体へと飛びつく。青いツナギにしがみついて、ぐりぐりと顔を押し付ける。

「てんぱい!おれっす!玄太っす!!目を覚まして!でんばぁぁぁぁぁぁ!」

 捨てられた子犬のごとくすがりつく。

 ――その時。

 かすれた声が、すぐ耳元で落ちてきた。

「……玄太……」

 一瞬、世界が止まる。玄太。確かにそういった。小さな期待が芽生えて、顔を上げるより先に口が動いた。

「え!? てんぱい!? 今、玄太って――」

 だが、その小さな芽は一瞬で刈り取られた。

「へぇ……」

 間近で聞こえた声は、さっきとは質が違った。低く、含み笑いを帯びた、イヤな響き。

「玄太、って言うんだ。君」

 背筋のぞわっと同時に、身体がふわっと宙に浮いていた。足裏が床から離れ、抱きついていた腕が、強制的に引き剥がされる。

「なっ……!?」

 見えない力に絡め取られ、四肢が空中で固定される。身動きが取れない。クザンは、興味深そうに首を傾げた。

「ぐっ……な、なんだよ、これぇ……!!」
「……ふぅん」

 そして、玄太の右手に視線を落とす。空中に縫い留められたまま、ぐっと手を引き寄せられる。薬指の指輪を、クザンはじっと覗き込んだ。

「これかぁ」
「さ、触るなっ!!」

 指先で、軽く弾く。

「エレメタル……不愉快なアーティファクトだな」

 そのまま、指輪を摘まみ上げ、抜き取ろうと力を込める。

「や、やめろぉぉぉ!!」

 悲鳴に近い叫び。でも、指輪はびくともしない。むしろ――

「……?」

 クザンの指が、わずかに止まる。指輪は、玄太の指に深く食い込むように密着していた。外そうとするほど指の肉が抗い、抜ける気配がない。

「指がぷにってしてて……抜けない」
「う、うるせえ!!ジャストフィットなんだよ!!」

 玄太が顔を真っ赤にして叫ぶ。抵抗しようにも、空中に縫い付けられているせいで、足をバタつかせることしかできない。

「ふぅん……ジャストフィット、ねぇ」

 クザンは一瞬だけ黙り込み、それからじぃっと玄太の右手を見下ろした。指輪をつまみ、今度は、ゆっくりと優しく指をなぞる。

「ちょ、なんかくすぐった……! やさしくするな!!」
「え?乱暴にしてほしいの?」

 今度は打って変わって強引に、薬指の付け根をグイッと押し込まれる。

「うひゃっ……!?」

 クザンは淡々と指輪を抜こうと試行錯誤している。指輪を左右に揺らし、少し引いて、また戻す。

「締め付けが強すぎるな。……やっぱりキツい」
「当たり前だっての!お前なんかに簡単に奪われてたまるか!」

 クザンは指を離し、つまらなそうに溜息をついた。

「はぁ抜けない……ま、どうでもいっか」

 クザンが心底どうでもよさそうに鼻を鳴らす。

 ――そして。

「さってと……そろそろ」

 クザンの動きが、ぴたりと止まった。

「そうだ!玄太、だっけ?……良いこと考えた」

 にやり、と口元が歪んだ。それは笑顔というにはあまりにも温度がなく、好意や愉悦とは無縁の、悪だくみに他ならない表情だ。

「君、見たいだろ? 地上の様子」
「……え?地上!?何言ってんだよ!」

 玄太の頭はまだ、さっきまでの愛と誓いの攻防から切り替えられずにいた。そこへ突然「地上」と言われても、脳がついていけない。だがクザンは、そんな混乱などどうでもいいと言わんばかりに、手をなぎ払う。

 ――その仕草ひとつで、研究室の空間がぐらりと揺れた。玄太の目の前に、薄い光の膜がふっと浮かぶ。

「……な、なにしたっ!?」

 反射的に身をこわばらせた間に、光はすぐ形を取り、四角い窓のように固定された。続けて、左右にもう二枚。どれも無音で、勝手に並ぶように配置されていく。

「な……これ……テレビ……?」

 驚く玄太を待つこともなく、何枚も並んだヴィジョンは様々な景色を映し始めた。港町。山裾の町。帝国と思しき街。海上。そして、見た事のある城下町に王城。

「……なんだよこれ……」

 玄太の喉がひくりと鳴る。

「粛正の様子を見るライブ映像、ってところかな」

 クザンは淡々と言った。

「みたいだろう?この世界が粛正される様子を」

 その言葉と同時に、最後のヴィジョンにその景色が映し出されると、玄太の呼吸が止まる。

「……っ!」

 ――アルカノア農場。

 アリスが人々の前に立ち、なにかを叫んでいる。ラクター隊長とコンバインさんが何かを運び、リオックさんが王様たちと話をしている。

「み、みんな……」

 もはや懐かしさすら感じる、アルカノアの仲間たち。てんぱいと一緒に帰る場所。玄太と天貴が暮らしていく愛しい家と仲間たち。

「おい!こんなもの覗き見して何をする気だ!粛正ってなんだ!?」
「粛正?分かんないの?このアンバランスな世界を一度全て洗い流して、創り直すんだよ。楽しみだろう?」

 事情を知らない玄太に淡々と説明するクザン。

「洗い流……なに……!?アリスさん!!ラクター隊長!!逃げて!!」
「っぷ!人間て本当馬鹿だな。声は届かないよ」

 叫んでも、叫んでも、声は届かない。画面の中の彼らは、クザンの世界とは無関係に今日も普通の一日を過ごしている。 

「……やめろよ……そんなことに、てんぱいの体を使うな……!」
「何言ってるんだよ?そのためにこの器に、この力を与えたんだよ?」

 そう言うとクザンは、海の映像を指さした。

「じゃあ見せてあげる。この器が持つ、本当の力を!」

 波は立っていない。ただ、海は荒れていないのに、水位だけが上がっていく。波ではなく、海そのものが岸を乗り越え始めていた。

「君たち流に合わせてあげよう。スカイリンク……!!だっけか?」

 玄太の声が、喉の奥で震える。防波堤の縁に、水が触れた。次の瞬間、音もなく乗り越えてくる。

「――お前なにを……スカイリンクで、どんな天候を呼んでるってんだよ!」

 静かな声が続く。港のヴィジョンで、水位がひと目で分かるほど上昇した。

「知らないかい?天候、いや天災……ストームサージ。まだ始まりだけどね」

 その声と同時に、右端のビジョンが東の灯台に映像が切り替わった。さっきまで乾いていた岸壁が、じわりと黒ずんでいく。海面の高さそのものが、どんどん上がってきている。

「……う、そだろ……そんな天候ありかよ……」

 玄太は息を呑んだ。ビジョンの中の船が、浮き方を変えている。

「海上の気圧を一気に下げるんだ。水って、上から押されていないと、自然に盛り上がるんだ。ただそれだけの事」

 クザンは、説明しながら興味深そうに映像を眺めている。

「空気のフタが弱くなると……ほら、見えるだろ?逃げ場がなくなるってのが」

 防波堤の内側に、ゆっくりと水が入り込んだ。激しさはない。だからこそ、気づかない。止めようがない。

「さあ、問題!そこへ地上へ向けて延々と風が吹き続けるとどうなるでしょう?」

 クザンが片手を揚げると一陣の風が通り抜ける。

「そりゃ、押し上げられた海水が……全部陸に流れ込む……って……」

 言いながら、玄太の顔から血の気が引く。

「……だめだ……逃げろ……みんな逃げ……」

 玄太の喉から、掠れた声が落ちる。別のヴィジョンでは、港町の低い通りが水を被り始めていた。人影が呑まれる。荷車がひっくり返り、何かが流される。

「ほら。始まった」

 クザンの声は、どこまでも平坦だった。

「水はね、優秀なんだ。流し込めば隅から隅までしっかり流れ込む」

「……なにが……粛正だよ……」

 玄太は歯を食いしばる。

「いかにお前が創った世界でも、もうみんな一人で歩いてんだよ!勝手にリセットすんなよ!」

 クザンが、ちらりと背後を見た。スカイリンクに囚われた天貴の身体が、わずかに震えている。押し殺された呼吸。意識のないはずの指先が、かすかに痙攣した。

「てんぱい!起きてよ!!俺たちの……みんなの家が!仲間が!!」

 呼びかけても、答えはない。

「無理さ。もう粛正への歯車は回り始めた」

 クザンが言う。

「止めるなら、蛇口を閉めなきゃ」

 そう言ってクザンは天貴自身を指さす。海の映像では、水位がさらに一段跳ね上がった。

「でも――君には、その力はない」

 玄太は唇を噛みしめたまま、ヴィジョンを睨み続ける。

 静かに。
 確実に。

 世界の終末はド派手な異常気象じゃなく、地面からじわじわと始まっていた。
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