忠犬男子が懐きすぎて異世界までついてきた「件」

竜弥

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最終章:崩壊王国の戦い

第184話 沈んだ世界の、その上で

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 水面に浮かぶ枯れ木に、二人の男がしがみついていた。

「ふたりじゃ沈む!無理だ!」
「だめだ、離すな!」

 声を上げた直後、枯れ木が沈んだ。水が一気に口に入り、男たちは同時に咳き込んだ。腕に力を入れるほど、身体が水に引かれる。

「このままじゃ二人とも……お前だけでも――」

 言い切る前に、また沈むふたり。青い髪の男は歯を食いしばり、掴んでいた手を離した。

「おい……!」

 もう一人が声を上げた時にはもう遅かった。水面にあったはずの姿が沈み、泡だけが弾ける。緑の髪の男は、手を伸ばしたけど何も掴めない。

「待てよっ!俺だけ助かったって……」

 枯れ木から手を放そうとした次の瞬間、水面が不自然に盛り上がった。同時に、沈みかけた青髪の男は大きな泡に囲まれて浮上すると、同時に緑髪の男の身体も、同じ泡に包まれる。

「はっ……!」
「……っ、息……!」

 むせ込みながら、二人は必死に空気を吸った。気が付けば、水面に立つ水の女王。手をかざして水泡の中に座り込む二人を浅い方へ押しやると、すでに視線を西の水面へ向けていた。

「た、助かったぁぁ!」
「……あ、ありがとぉぉぉ!!」

 セレヴィアは抱き合って喜ぶ男たちを見届けると、その左右に二つの気配が並ぶ。

「お母さま、行きましょう」

 ウォルの声に、セレヴィアは短くうなずいた。

「はやく……天貴に会いたいなあ」

 小さく漏れたミルルの声に、セレヴィアは前を向いたまま答える。

「わたくしは数百年前、何もできなかった。でも今度は、見過ごさない」

 三人の精霊は水面を滑るように進み始めた。進路は西。目指すはアルカノアだ。

 ――――そして、南の海からも同じくアルカノアを目指す者たちがいた。
 だが、その水位は山の中腹にまで達し、地上のほとんどを覆い尽くしたままだ。ガスケット海賊団の船は、今や「海」の上を進んでいるというより、沈んだ世界の上を漂っているようだった。

「……笑えねえな」

 舳先に立つ男が、かつて陸だったはずの場所を真下に見下ろす。屋根の先が水面から突き出し、木々の上半分だけが、点々と顔を出している。

「港が消えたって話は聞いてたが」
「皆とどころか、ほとんどの陸が水中ですぜ」

 誰も冗談を言わない。風も穏やかで、波も立っていない。それが余計に、状況の異常さを際立たせていた。

「アルカノアはまだか!」
「もう少し北です!風が弱くてなかなか進みませんぜ!」

 水平線を見つめるガスケット。見渡す限り水に沈んだ世界の中で、アルカノアだけが例外であってほしい――そんな都合のいい願いを胸に、男はしばらく黙って海を睨んでいた。
 波は穏やかだ。だが、その静けさがかえって不気味で、沈んだ町々の屋根や木々の名残が、ところどころ水面に影を落としている。

「ラクター!坊主!待ってろよ!!」

 腹の底から絞り出すように叫んだ、その瞬間だった。
 頭上で、帆がばさりと大きな音を立てて張りつめる。弛んでいた帆布が一気に空気をはらみ、索がきしみ、船体がわずかに身を震わせた。

「うお!急に風が!」

 甲板のあちこちでざわめきが上がる。それまで肌を撫でるだけだった空気が、はっきりとした力を持って流れ込んできた。遅れて、もう一つ。さらに、少し間を置いてもう一つ。高い場所から落ちてくるような三つの風が、時間差で帆を叩き、船を押し始める。

「待て……これ、山風だぞ」
「アルカ山の方から……?」

 誰かが内陸を振り返り、続いて視線が一斉に同じ方向へ向いた。見えるはずもない山頂。それでも、風の向きと重みだけで、皆が同じ場所を感じ取っていた。
 赤、青、緑。ほのかに色づく三つの風を受けて帆布がふくらみ、船体がふっと軽くなる。水を切る音が変わり、舳先が迷いなく進路を定めたのが、誰の目にも分かった。

『アルカノアへ向かう者よ――』

 声ははっきりとは聞こえない。ただ、風にまぎれ、帆鳴りと索のきしむ音の隙間を縫うように、確かに届いた。

『我らも、共に行こう』

 船はもう立ち止まらなかった。沈んだ大地の上を越え、風の精霊と共にアルカノアへ向かって進み始めていた。

 *****

 ザザーーーー……ザザーーーー……

 精霊たちが目指すアルカノアは、今や大海原に浮かぶ南の島状態だ。

 かつて大地だった場所ははるか下。それでも農場は巨大な船となって、しぶとく波間に浮かんでいる。沈んだ世界の只中で、ここだけが現実として残されているかのようだ。
 甲板の代わりに広がるのは畑。揺れに合わせて、作物の葉がざわりと音を立てる。その光景は異様だけど、ここでは見慣れた日常の延長だ。

 360℃見渡す限り水、水、水。それでも、ここで耕すことをやめる者はいなかった。足元が揺れても、潮の匂いが漂っても、畑に向かう手は止まらない。

「よし、みんな!ここまで終わったら休憩にしよ!」
「はい!アリスさん!」

 アリスが元気に声を張る。その声は、波音に紛れながらも畑の隅々まで届いた。

「天貴と玄太さんが戻るまで、踏ん張るわよ!あの二人が帰ってきたとき、びっくりさせるんだから!」

 そう言って緑色の大きな実をなでながら、くすっと笑う。その仕草は、今の状況を忘れさせるほど楽しそうだった。その空気を切るように、ラクターは荷台の上から見張り班に指示を飛ばす。

「流れてくる物資は全部回収だ!遠くに人影が見えたら声を上げろ!助けを呼ぶ奴がいたら、俺かコンバインに報告してくれ!」

「ラクターさん!了解です!」

 短い返事が重なり、男たちがすぐに四方へ散っていく。ラクターはそれを確認すると、視線を広く巡らせた。アルカノアの外。水に沈んだ世界の向こうまで、目を離さない。
 指揮をする男の隣にはでは、コンバインが鍬を肩に担いだままふと立ち止まった。作業の音が一瞬だけ、間を空ける。

「……隊長」
「どうした?コンバイン」

 コンバインは視線を落としたまま、言葉を選ぶように少し間を置いた。

「……あの、天貴たちは……本当に戻って来るんですかね?世界は、こんなになっちまって……」
「……うむ。しかしこの世界と、この状況。あいつらが、神の粛正をここで食い止めたのだろう」

 ラクターは鍬を地面に突き立てそのまま空を仰いだ。空と海の境目は曖昧で、遠くの水平線は揺らいで見える。

「俺の隣にお前がいる!人類は、完全にはリセットされなかった。それが、答えだろ?」
「うぉぉぉん!!!隊長ぉぉぉ……!!!」

 今にも抱きつきそうな勢いのコンバインと、それを警戒して構えるラクター。そんなふたりの様子に、小さな笑顔が広がっていく。呆れ笑いのシーダが苗を運び、その横でライラが水桶を持つ。グロウとベータは談笑しながら、畝を整え続けていた。

 甲板代わりの畑には、土を踏む音、葉を払う音、いつもと変わらない作業の音が流れている。

「みんな~~!がんばって~~!!」

 屋敷の窓から、リシェル王女が手を振っていた。それに気づいたミミが、思わず手を振り返す。

 ――その瞬間だった。

 ミミの耳が、ぴくりと跳ねる。アストラ・エコーハントが、いつもと違う揺れを真っ先に感じ取った。

「……アリス氏。なにかが、近づいてくるでふ」
「え?なに、ミミ。鳥?……じゃないわよね」

 ミミは答えず、南の方角へ顔を向けた。ゴゴ……ゴゴ……と、重く規則的な振動。畑の上を、言葉にできない緊張が、じわりと広がっていく。

「あっちの海の向こうから……」

 次の瞬間、遠くの水面が大きく揺れ、南の海から黒い影が現れた。突き出た船首と、空を切り裂くように立つ帆が、誰の目にもはっきりと見えた。

「……来たでふ!」

 声と同時に、何人もの視線が一斉に南へ向いた。柵の向こうに見えたのは、波を割って迫ってくる巨大な船体。無骨で荒々しい、ガスケット海賊団の黒船だった。そして、甲板の先。帆柱の下。腹の底から響く豪快な笑い声が、風に乗って畑まで届く。

「がっはっはっは!!おい、ラクター!畑が浮いてやがるじゃねえか!!なんだこりゃあ!!」

 双眼鏡を乱暴に下ろし、ガスケットが吠える。

「っふ……ガスケットか。まあ……説明すると長いな」

 ラクターは顔を上げ、コンバインの肩に腕を回し余裕ぶる。その様子は、古き友が駆けつけてくれた嬉しさと、ガスケットを驚かせてやった、という少しの優越感がにじみ出ている。

「なんだ?と言われりゃぁ、沈まねえためだ。それ以上の理由はない!」
「違げえねえ!!しかし、相変わらずとんでもねえな、お前は!」

 そのやり取りを遮るように、空気がざわりと揺れた。風向きが、はっきりと変わる。

「おい……あれ!黒船の上を見ろ!!」
「帆の上に何かいるぞ!?」

 黒船の上空には、常人には見えないはずの風の流れが、確かにそこに集まっていた。暴風、旋風、突風、三つの風が周囲の風を巻き込みながらゆっくりと畑に舞い降りてくる。

「風の精霊たち……来てくれたのね!」

 アルカ山の風に気づいたアリスが、思わず息を呑んだ。三つの風はその声に応えるように、ゆっくりと高度を下げてくる。周囲の空気を巻き込みながら、次第に人の形を持ち始めていった。

『甘乳パン……供物の危機にて……参上……』
『ほほほ。大事な取引相手が心配でな?』
『娘よ。我がアルカウッドが、この大地を浮かせたのか?』

 まさかの精霊の登場に驚きに包まれる畑の中で、アリスは一歩前に出た。
 天貴が神に乗っ取られたこと。その神がこの世界をリセットしようとしたこと。玄太が次元を超えて天貴を助けに向かったこと。そして、世界が――かろうじて踏みとどまったこと。
 一つずつ、皆も分かるように丁寧に説明していった。

『あの男、神の器……か……』
『粛正……想定外……』

 低く落ち着いた風が畑に吹いた。ざわついていた空気がすっと落ち着く。アリスの説明が終わると同時に、東の柵の向こうから、透き通った声が響いた。

「その話、本当ですか?」

 声の主に、視線が集まる。畑の東端の柵の向こうで、水面がゆっくりと持ち上がっていた。次第に水が道を作り、形を与えられていく。揺れる水の上に、静かに足を乗せる影が三つ。

 ―――水の精霊たちだった。

「はぁい、アリス。元気そう……とは言えないわね」
「ウォル!……ええ、まあ、見ての通りよ」

 苦笑いするアリスの横を、ミルルが小走りに抜けて畑を見回した。

「すごい!ここがアリスのおうち?」
「ええ、そうよミルル!ようこそアルカノアへ」

 ミルルの頭をなでるアリスの前に、セレヴィアが静かに立った。その透き通るような美しさに、周囲の音が、ほんの一瞬だけ遠のく。

「生き残る道を、選んべたのですね」
「はい。この未来は止められなかった。でも……終わらせない道は、見つけました」

 その言葉に、セレヴィアは深く息を吐いた。

「良かった……本当に、良かった……」

 ザザーーーー……

 アリスを抱きしめるセレヴィア。波の音だけが、ゆっくりと流れる。

「でも、女王様。この沈んだ世界に、私たちはこれから、どうしたら……?」

 アリスの問いに、セレヴィアは一度、風の精霊たちへ視線を向けた。そして、静かに一礼する。風の精霊たちも嬉しそうに一礼で返す。
 すると、4人の精霊が一斉にアリスへ向き直った。思わず直立で不動になるアリス。

「アリス、聞きなさい。この世界を守る風と水が、今ここに揃っています。それは……この世界が生まれて以来、かつてない奇跡」

 静かに微笑むセレヴィアが、言葉のバトンを風の精霊に託す。

『水と風、重なる時――』
『その、双方の力を操る力があれば――』
『世界を、あるべき姿に戻せるやもしれぬ――』

 風と水が、静かに共鳴する。

「双方の力を操る……それって……」

 アリスは言葉を飲み込み、青く澄んだ大空を、ただ見上げていた。
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