忠犬男子が懐きすぎて異世界までついてきた「件」

竜弥

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第3章:忠犬はてんぱいを追って

第38話 父の記憶と母の味

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 その日の午後。

「はい、てんぱい!労働後の一本っす!」

 早めに作業を終えた俺と玄太とクータンは、屋敷の裏にあるベンチで甘乳パンをかじっていた。襲撃の傷跡はまだ残ってるけど、こういう空間が好きだ。

「ところでさ、玄太」
「なんすか?」

「異常気象って、ダウンバースト以外にどんだけ調べてきたんだ?」

 すると、玄太はパンをかじったまま得意げに胸を張った。

「そりゃもう、雨系、風系、熱系、氷系、なんでもあるっすよ!」

 指折り数えながら、まるでコレクション自慢みたいに言うその顔に、クータンが首をかしげた。

「それほどの天候を心得ておるのならば、なぜ早々に伝達せぬのじゃ?」
「いつでも使えそうなやつはおいおい伝えるっすけど、全部はすぐに言えねえっす!」

「まぁ、確かに一気に聞いても覚えらんねえけどな」
「それもありますけど、一番大事なのは臨機応変と適材適所!てんぱいはそういうの得意じゃないっすからね!」

 なるほど、さすがゲーマー玄太の説得力。

「今後おれがじっくり時間をかけて、てんぱいをプロデュースしていくんす!」
「っぷ!なんだよそれ?」

 甘乳パンをもごもごしながら聞き返すと、クータンも真面目な顔で聞いてきた。

「プロジュース?それは、美味なのか?」
「そりゃ最高っすよ!てんぱいの魅力を最大限に引き出すのが役目なんで!」

 まかせろって感じでドンと胸を叩く。

「でもプロデューサーはアイドルに戦略全部は話さないもんなんす!」
「誰がアイドルだよっ!」

 思わず口を拭きながらツッコむと、玄太がキラキラした目で言い切った。

「だって、てんぱいはおれの推しっすから!おれのアイドルっすよ」
「な、なに言ってんだよ…」

 言葉ではそう言いながら、なぜか顔が赤くなる。

「む、推しというのは“担ぐ神”のような意味合いか?」
「お、めずらしく正解!まさにそれっ!命賭けてでも守る感じっす」

 俺たちがわははと笑っていた、その時だった。

 ザッ……ザッ……ザッ……。

 ベンチの向こうから、重くてどこか安心する足音が近づいてくる。

「ここにいたか。ずいぶん楽しそうだな」

 振り返ると、ラクターさんが立っていた。いつものどっしりとした姿だけど、今日は少しだけその表情に影が差しているように見えた。

「俺たちになにか?」
「うむ。君たちに話しておきたいことがあってな」

 ラクターさんはゆっくりと俺たちの隣に腰を下ろした。午後の穏やかな風が吹き、空気がしんとする。

「我が娘のことだ」
「我が娘って……アリスの?」

 改めてアリスの話なんて、ラクターさんの口から語られるのは珍しい。クータンも、ぴくりと耳を動かしていた。

「あいつが産まれたときのことだ。あいつはミルクを一切口にしなかったんだ」
「え……?」

 玄太の声が小さく震える。胸の奥がざわっとして俺も何かを感じていた。

「母乳も、乳粥も、どんな流動食もすべて拒絶した。けれど……」

 一瞬、呼吸が止まる。

「けれど、言葉を喋ったのだ」
「しゃべった……?産まれたばかりで?」

 そう言うと、俺は心に芽生えた心当たりにハッとする。

「産声ではない。それは……予言というやつだ」
「……っ!?」

 玄太の瞳が揺れる。俺は息を呑んだ。

「予言をしゃべって、何も食べない?てんぱい、それってくだんと同じ…!?」

 思わず声を上げた玄太に、ラクターさんはゆっくりと視線を向ける。

「くだん…?やはり君たちは、訳知りなんだな?」

 ラクターさんはそっと空を見上げた。重たい沈黙。誰も口を開かない。遠く聞こえる鳥の鳴き声が、かすかに耳に残る。

「正直、三日ももたないと思った。王宮の薬師や産婆を呼んだが、誰一人として何もできなかった」

 ラクターさんの手が、膝の上でぎゅっと握られている。そのときの絶望が、少しだけ伝わってくる。

「俺は王国の書庫にこもって、古い文献を片っ端から読み漁った。そして夜通し探して見つけたボロボロの紙束に、こんな一節があった」

 そこで、ラクターさんは少しだけ間を置いた。

「搾りたての乳を煮詰め、はちみつや糖を加えた栄養濃縮乳。とても赤ん坊には向かない、むしろ強すぎる代物だ」
「練乳……」

 俺が思わず、呟いた。

「藁にもすがる思いだった。匙にほんのひとすくい。それを、アリスの口元に運んだ」

 玄太からゴクリと唾をのむ音が聞こえる。

「すると、あいつは初めて目を動かし、ゆっくりと、舐めたんだ」

 それはまさに、クータンの誕生秘話と一致していた。まぁ、クータンは産後から速攻で甘乳パン食いまくってたけどな。

「ラクターさん、さっきそれを思い出したんすね」

 ラクターさんは静かにうなずいた。

「そして…三日が過ぎると、アリスは予言をやめ、何事もなかったかのようにミルクを飲んだ。まるで産まれ直したように、普通の赤ん坊になっていた」
「……同じだな」

 俺がつぶやくと、クータンが「ふむ」と鼻を鳴らした。

「そしてあいつには予見の力だけが残った」

 ラクターさんは立ち上がって、俺たちの甘乳パンをじっと見つめた。

「お前たちが作ったその味。それを知っている者は、俺以外にいないだろう。君たちを除いて、な」

 その言葉が、ずしんと胸に響いた。

「だから俺たちに、話してくれたんですね」

 俺の言葉に、ラクターさんはゆるくうなずいた。

「あの子が今、元気で笑っているならそれでいい。だからこのことは、胸の中にしまっておいてくれ」
「…わかってるよ、ラクターさん」

 俺たちは、静かにうなずいた。やがてラクターさんは工房の方へ向かって行った。その背中は、いつもより少しだけ小さく見えた。
 残った甘乳パンをひと口でほおばると、ほのかな甘さが胸の奥にじんわりと沁みていく。

「件って、一体何なんだ?」

 つぶやいたその言葉は、誰の返事もなく、青空に吸い込まれていった。


 *****

 リビングに戻ると、ライラが灯した明かりの下で、アリスが湯上がりの髪をタオルでぬぐいながら出迎えてくれた

「おかえり~!まだ早いけどお風呂沸いてるわよ!今なら貸し切りよ」
「うっしゃーっ!てんぱい、風呂っす!」

 玄太がぴょんと足取り軽くリビングから飛び出しかけたその時。

「かたじけない、姉上」

 その一言が、涼やかに響いた。

「…え?姉上って?どういうこと?」

 アリスがぴたりと動きを止めて、顔だけゆっくりこちらを向いた。

「い、いや、そのさっ!アリスさんって姉ちゃんっぽいオーラあるっすよね!?って事っす!」

 玄太が全力で手を振り、俺は俺でめちゃくちゃ曖昧な笑みを浮かべながら、

「そうそう、アルカノアの頼れる姉貴!って意味だよ、な?な?」
「……ふ~ん」

(いや。さすがにこんな言い訳、不自然さバレバレか)

 アリスがタオルを肩にかけながら、じっとクータンを見つめる。爆弾発言の張本人は、すっとぼけた表情で玄太の肩にしがみついていた。

「姉上って呼び方、なんか弟ができたみたいで嬉しいわね」
「……へ?」

「昔、ぬいぐるみにテレスって架空の弟の名前をつけてたくらいだもん」

 俺と玄太は、顔を見合わせてから、同時にホッと息をついた。

「そ、そりゃよかったっす」
「そう、だな……ははは」

(てかクータンお前!内緒だっていっただろう!)

「ふむ。話が分かる、さすが姉上」

(まだ言ってるー!!)

「かわいいじゃない、クータン。ふふっ」

 笑うアリスをよそに、慌てて風呂に向かう俺たちだった。
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