真夏に降る雪・真夏の雪はあなたを狂わせる

グタネコ

文字の大きさ
18 / 34
第二章 悪夢

8

しおりを挟む
「麻生君、会議室」
 京子が受話器を耳に当てる前に、声が聞こえた。長沼だった。
「はい」
 京子は叫ぶように答え、席を立った。
 会議室は、緊張感で包まれていた。正面のスクリーンには東京湾の地図が写し出され、赤い矢印が小さな市を指していた。京子が市の名前を読んだ。
「浦積市……」
 聞いたことの無い地名だった。京子の実家は神奈川県だった。大学は東京。同じ関東地方と言っても、関心があるのは、家の近くと東京のオシャレな場所だけで、京子の意識の中では、千葉は外国と同じくらい遠い存在だった。
 石田がマイクを持った。
「先週、皆様にお集まりいただいた時に、お話しした奇病と同じ症状を持つ患者が、我が国でも見つかりました」
 スクリーンの地図が拡大された。浦積市だ。「これは千葉県、浦積市の地図です。東京から電車で一時間半。人口は四万五千人余りです。二日前、駅前にある大型スーパーのフードコートで無銭飲食をした男が、注意した店員に暴行し、取り押さえられ、浦積署に拘置されました」
 写真が写し出された。髪はボサボサで無精髭が伸び、目が異様にぎらついていた。
「川沿いのビニールハウス住むホームレスの男性だと思われます。逮捕時、非常に興奮した状況で、名前等の聞き取りが困難だった、と報告されています。翌日になると、状態はやや安定したものの、朝食を出した警察官の腕に噛みつき、さらに拘置が延長されました。そして、翌朝、死亡が確認されています」
 次に写し出された写真は、一枚目とは異なり、痩せ細った姿だった。
「一晩で急激に痩せ細っています。死因は不明。検死した医師の話では餓死ではないかということですが、食事は規則通り与えられています」
 ウイルスなどは検出されていない。暴れて、拘置し、痩せて、死んだ。他の事例と同じ経過をたどっている。
「浦積市では、ここ数日の間に、ファストフードやスーパーにおいて同様のトラブルが複数報告されています。これらが、何か関連があるかどうかは、現在調査中ですが、同じ症状の患者である可能性もあります」
 手が上がった。JCDCの男性研究員だった。
「近隣の市からは同様の報告はないのでしょうか?」
「現在、入っていません」
「複数件ということは、感染性があるということでしょうか?」
 石田が隣の男性を見た。自衛隊の人間だろうと京子が思った男だった。
「防衛省の立花です」
 男はマイクを取り、身分を明かした。
「他の例から考えて、感染が広がる恐れは、まずないと思われます」
「その根拠は?」
「詳しいことは、まだ調査中ですが、死亡した患者と接触した人間に症状が出た例は報告されていませんので、感染の危険性は考慮しなくても良いと判断しています」
 立花がマイクを石田に返した。
「と、いうことです。数日以内に、浦積市へ現地調査を実施する予定にしていますので、関連部署にご協力をお願いすることとなると思いますが、その際はよろしくお願い致します」
「何の調査を?」
「どのくらいの規模で?」
「必要な人員や装備は?」
 一斉に様々な質問が出たが、石田は全て無視し、
「後ほどお知らせします」と言って、会議を終了させた。
 会議終了後、石田と立花は二言三言小声で話し、国立感染研究所の大西を手招きし、何事か伝えた。大西は緊張した面持ちでうなづいていた。
 会議では知らされなかったが、防衛省には、警察庁から、別の報告が上がっていた。
 三日前、浦積市で幼稚園児が行方不明になり、正体不明の獣にかみ殺される事件が起きた。被害者は児童公園で遊んでいた五歳の男の子だった。
 行方不明になった次の日、市の南端、東京湾に面したテトラポットの間から、遺体は発見された。
 遺体はすぐに鑑識にまわされ司法解剖が行われた。その結果、遺体に残されていた歯形は、野犬や熊といった獣の物ではなく、人のものだと分かった。
 さらにもう一例。浦積市、堀江という地区において、住宅街にある公園の植え込みから、赤ん坊の遺体が見つかった。
 遺体は損傷が激しく、肉という肉が噛みちぎられていた。変質者が誘拐し、野犬が遺体を損傷させたと警察は結論づけた。
 遺体の写真と報告書は県警から警察庁に送られ、さらには、極秘の印が押されて、防衛省に送られていた。

 京子が会議から席に戻ると、
「麻生さんにお客さんです」と受付から電話があった。
 誰だろう……。約束は無かったはずだ。
 京子は首をひねりながら、一階に下りて行った。
「よお」
「先生」
 待っていたのは、谷垣だった。
「どうしたんです?」
「西北大学に用事があって、近くまで来たから、ついでにと思って」
「えっ?」
「ほら、この前のアヒルの中のファイル」
「あっ、ええ、何か分かりましたか」
 京子は、アヒルのファイルと言われ、思わず、体を前に乗りだした。
「僕なりに調べて見たんだけど……」
 谷垣はバッグから百枚近いレポート用紙の束を出した。USBに記憶されていた城戸のファイルを印刷したものだった。
「すごいんだよ、これは」
「すごい? すごいって」
「歴史を変えるかもしれない研究なんだ」
「そんなに、ですか」
「ともかくね。この辺なんだけど」
 谷垣はめくろうとして、用紙の束を落とし、床に紙が散乱した。
「あっ、大変」
 京子があわてて拾い集めた。
「ごめん、ごめん。あわてちゃって」
「先生、向こうのテーブルで」
 京子は、受付の横にある来客用の部屋を指さして言った。
「ああ、そうだね」
 谷垣がうなずいた。
 簡単な椅子とテーブルが並べられているだけの部屋だった。JCDCは原則、部外者は立ち入り禁止になっていた。ウイルスや病原菌、流行性の感染症に関する情報は、外部にもれると、おかしな噂になって広まりかねない。来訪者との接触は受付の横に設けられた部屋で行われていた。
 壁に沿って、自動販売機が並んでいた。京子はコーヒーを買い、谷垣の前に置いた。
「ごめん、ごめん、ちょっと興奮していて」
 谷垣は拾い集めた用紙を揃えながら言った。
「そんなにすごい内容なんですか」
 京子が聞いた。いつも冷静な谷垣にしては、大げさな言い方だった。
「そうなんだよ。このファイルには、彼らが行っていた研究の詳細が、日付を追って記録されているんだ」
「ええ」
「この中には、その時々の感想も書かれていて、僕でも研究の進捗状況が分かりやすく追いかけることができるようになってる」
「そうですか」
「出発点はロバート・ブリッグスの論文からで、特定の遺伝子を導入することで、幹細胞を活性化し、免疫力を驚異的に上げられるのではないか、と考えたらしい。彼は、正確には七人で共同研究していたので、彼らは、になるけど、ともかく、彼は、様々な遺伝子を試した結果、候補となる遺伝子をみつけ、マウスによる実験を行い、実際に免疫力を上げることに成功したらしい」
 谷垣は印刷した用紙をめくりながら、京子に説明していった。
「すごいのは、ここからで、これを読むと、もちろん正しいとしてだけど、非常に簡便な方法で人間にも応用できる方法を確立させたようなんだ。レトロウイルスをベクターに使って、複数の遺伝子を導入し、免疫を司っている元々の遺伝子を活性化させて……難しすぎるかな?」
 京子が黙っているので、説明が難しすぎるのかと思い、谷垣が聞いた。
 レトロウイルスとは、感染した細胞内で自身のRNAからDNAを合成するウイルスのことで、ある遺伝子が欠けていて病気になっている患者に正常な遺伝子を入れる、遺伝子治療などに広く用いられている。
 京子が黙っているのは、説明が難しいのではなく、城戸の研究と奇病との関連性が強くなったように感じたからだった。
「だいじょうぶです」
 京子は首を振った。
 谷垣は説明を続けた。
「彼らは、培養したレトロウイルスを鼻炎スプレーのように噴霧するだけで、体の中に遺伝子を導入できるようにしたらしい。鼻にシュッとするだけで、病気が治ったらすごいよね。マウスでは成功して、どうやら人間でも試したみたいで、テオのニキビが消えて、自分の水虫も治ったと書かれている。アリサがよく食べるようになったのは、驚いたと書かれていて、どうやら、みんな健康になって食欲が出るらしく、食欲がありすぎるのが副作用だと書かれている。マウスも人間も同じらしい。それはそうだろうね、健康になれば、自然に食欲も増すだろう。僕だって胃炎が治れば、ステーキでも……どうかした?」
 京子がキョロキョロと周りを気にするような素振りをみせ、谷垣は言葉を切った。
「先生、実は……」
 京子は声を潜めた。
「なに?」
「その副作用なんですけど……」
「副作用? それがどうかした?」
「今、おかしな病気が問題になっていて……」
「おかしな病気?」
 京子は、急激に痩せて死亡する奇病の話を谷垣にした。そして、その奇病と城戸の研究に関連があるのではないかという疑念も打ち明けた。
「そう……そうだね」
 谷垣は腕を組んだ。
「もし、もしですけど。そのウイルスに感染した人がいるとして、遺伝子の影響を消し去ることはできるんですか?」
「消し去る……どうだろう。分からないな」
「無理ですか?」
「無理かどうか……普通は、どうやって遺伝子を入れた効果を維持するかを考えるからね、無くす方法は、何かあるのかもしれないけど。そうね……そうだ、友だちに詳しい男がいるから、聞いてみるかな……」
「お願いします」
「分かった。連絡を取ってみるよ」
 谷垣は、心配そうな顔をしている京子に、
「きっと、大丈夫だよ。健康になって、少し食欲がでるぐらいだから」
 と言って微笑んだ。
「ええ」
 京子も頬を緩めたが、不安は消えていきそうになかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...