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第十二話・泣けば海路の日和あり(中編)
しおりを挟むその日の晩、シトリンのAランクでのハンター登録を祝って祝杯の二人。
「シトリン、おめでとう!」
「ありがとうございます‼」
マリンの料理に舌鼓を打ち、シトリンの鼓動は早まる。
「いよいよ……いよいよマリンさんの」
「待て待て待ちんさい、声に出ちょるけん!」
「あ……」
この後にやってくる『ご褒美タイム』を思い、妙なテンションになっているシトリンだけど。
(はぁ、なんであんな約束したんじゃろ)
と思いつつも、じゃあイヤかっていうとそうでもないマリンも複雑な心境だ。
(今ならまだ間に合うかも……)
ふとマリンの心の中に、鬼が囁く。
「ねぇ、シトリン?」
「はいっ、なんでしょう!」
「私はご主人様よね?」
「ですね!」
「明日以降は、ギルマス指名の大事なお仕事あるよね?」
「はい、二人でですね!」
ここから先を言うのに、どうしても躊躇してしまうマリン。訝し気にシトリンが首を傾げる。
「マリンさん?」
「つまりね?」
「はい」
マリン、唾をゴクリと飲み込んで意を決して。
「おっぱ……胸を揉むとかそういうことで、浮かれてるわけじゃないと思うんよ」
「……」
言ってしまった、そんな悔恨にも似た感情がマリンの中で産声をあげる。
「そりゃ約束はしたけど、明日に備えてというか浮かれている場合じゃないんよね」
要はマリンは、約束を踏み倒そうとしているのである(最低)。
「……はい」
「あれは、シトリンにやる気を出させるための方便じゃったんよ」
「え……」
「シトリンなら、わかってくれるよね?」
「はい……もちろんです……私、浮かれてました。申し訳っ……」
シトリンは目に涙を思いっきり浮かべて……唇がプルプル震えている。必死で涙が落ちないように頑張っていて。
だがシトリンもしたたかというか無意識なのかもしれないが、小動物の潤んだ瞳でマリンを凝視してその視線を外さない。いたたまれなくなって顔を背けてしまうマリンだったが、チラとシトリンに視線を戻し……。
(うっ、まだ見ちょる!)
またもやサッと顔を背けてしまった。そして――。
「……わかった、もう抗わんけん。好きに揉んでええけんっ‼」
そう言ってワインをがぶ飲みするマリン、すっかり陥落してしまった。
「‼ いいんですかっ⁉」
「約束じゃけん!」
それを、さっきまで踏み倒そうとしていたのはマリンである。
「う……やったぁ……」
シトリンは感極まって、ついに大粒の涙をこぼし始めた。
「そこまでなん⁉」
少しドン引きのマリンだが、
(私がひどいことを言ったせいじゃね)
と自省する。そしてずっと気になっていたことを、いい機会だから確認してみようと思い立つ。
「シトリンはさ?」
「はい」
「その、私に対してそういう、なんというかそのね?」
だがいざ口にしようとすると、どんな表現がいいやらとマリンは言い淀み。
「えーと、その、つまりね?」
シトリン、マリンが何を言いたいのか察して、
「まぁ私としては、最後までいければとは思っていますが」
とあっけらかんと言い放つと、唐揚げを一つ口に放り込んだ。
「えぇ……」
多分そうなんだろうなとは思いつつも、マリンは頬が上気するのを止められない。
「とっ、とりあえず今のところは胸で我慢して‼」
そして変な妥協案をシトリンに投げるマリン、相当混乱しているようである。
「はい、地道に行きます!」
「行かんでいいけん!」
料理も、もう残り少ない。シトリンに胸を蹂躙される(?)入浴タイムはすぐそこまできていた。
「ごちそうさまでした!」
「はい……」
そしてついに、そのときがやってきてしまう。
「じゃあ、先にお風呂で待っちょってくれる? お皿とか洗ってから行くから」
「あ、手伝います」
「ええんよ。シトリンのお祝いの席なんじゃし」
「……そう言って、先延ばしにしようとしてません?」
ジト目でそう指摘するシトリン、ギクッとマリンの肩が一瞬震えた。結局、二人で並んで皿洗いをすることになって。
「じゃあ洗うのは私がやるけん」
「はい、こちらで拭きますね」
そしてしばらく作業を続ける間、どちらも無言で。そしてその静寂を破ったのは、マリンだった。
「シトリン、よくよく考えるとね?」
「はい?」
「二人でお風呂入ってるとき、たまに洗いっこしてるよね?」
「ですね?」
「そのとき、結構揉まれてるような気がするんよ」
ふと漏らしたマリンの何気ない言葉に、今度はシトリンの肩がビクッと振るえる。お皿を拭くその手が、止まる。
「そ、そ、そ、そんなことは……あ、マリンさんの身体を洗うために不可抗力といいますか」
特に疑っていたわけじゃないのだけど、シトリンのその様子を見て合点がいったマリン、ニヤリと笑うと。
「シトリンは悪い子じゃねぇ? 私に気づかれんと思って」
「うっ……いや、決してそんなわけでは」
「まぁええよ。それでシトリンの活力になるんなら」
もうマリンは、諦め顔である。
「やっぱ堂々と揉んでいいのとでは違うんよね?」
「そうなんです!」
何故か我が意を得たりとばかりにパアァッと笑顔に花咲くシトリン、マリンのジト目に気づいて慌てて目を逸らす。
やがてお皿も最後の一枚。そわそわとしているのはシトリンもだが、マリンも同様だった。
「じゃ、じゃあお風呂……」
「は、はいっ」
思わず、声が裏返ってしまうシトリンである。
そして脱衣場で、二人。マリンは服を脱ぎ……一八〇センチを超す長身に鍛え上げられた筋肉。胸は標準サイズながら、高身長での標準サイズなのでその質感はなかなかの迫力だ。
思わずチラ見してくるシトリンの視線が気になって、いつもは隠さずにいるのだがついつい両手で隠してしまう。
「あんまり見、見んといて」
いつも堂々と見せているのに、今日だけは変な気分になってしまうマリン。
「あ、はい。あとでじっくり」
シトリン、多分自分が何を言っているのかわかっていない。
マリンは、三回に二回ぐらいはシトリンに身体を洗ってもらっていた。そして三回に一回ぐらいは、自分でシトリンの身体も洗ってあげていたのだけど。
「きょ、今日は自分の身体は自分で洗お。ね?」
「そ、そうですね。お楽しみは後で」
「シトリン、さっきから何言っちょるん⁉」
もうマリンの身体は、湯に入ってもいないのに湯でダコのように真っ赤に染まってしまっていた。
「何を期待したか知らんけど、もうお風呂あがったけん」
「マリンさん、誰に何を説明しているんです?」
いろいろあったお風呂上り。いつもと違うバスタイムを過ごして火照った身体を二人、冷たい牛乳で冷ます。
「明日はほうじゃね、とりあえず情報収取から始めんといけんけん」
「はい。どこから手を付けますか?」
「餅は餅屋、情報は情報屋から得るんが近道じゃろうね」
そう言ってマリンは、引き出しから携帯型の魔電を取り出す。そして、手早くダイヤル操作を行って。
「あ、ソラ姉ですか? マリンです」
メモを取りながら、いくつかをソラに確認。そして通話を終えると、ビッとメモを切り取って。
「まずは港じゃね」
「港、ですか?」
「そう。ギルマスは西から魔薬が流出している可能性があるって言ってたけど、ソラ姉が言うには一部は海から来てるっぽいんよね」
「海……」
ここフェクダ王国は、西がメラク王国と隣接している。南はメグレズ王国と隣接しており、北と東は海に面していた。
「どこかの国から、海を経由してやってきているってわけですか?」
「国じゃとして、どこなんじゃろうねぇ」
まだメグレズ、そしてその東のアリオト・ミザール・ベネトナシュには魔薬が上陸した気配がないとパールが言っていた。だが魔薬は海から来ているとなると……。
「その四ヶ国に拠点があるとは思えんのよね。自国に一切流さずにっちゅうのは、考えにくいけん」
「じゃあ東のメラクや帝都から、わざわざ海路を使って?」
「メラクとは通商が活発じゃけん、海路を使うメリットはないような気がするんよ」
「じゃあ?」
マリンは壁に貼ってある大陸全土の地図を見ながら、フェクダ沖の海上を指でなぞる。そしてその指が、ある小さな島の上で止まった。
「島かもしれん」
「島?」
「そう」
かつてフェクダは、メグレズと冷戦時代と呼ばれる関係だった時期があった。その時に、『魔薬兵器』を開発していたという都市伝説にも似た噂が出回ったことがある。
「魔薬兵器、ですか。魔薬を大砲で撃つんでしょうか?」
「バカとはさみは使いよう、ゆうてね」
陸続きの隣国ゆえに、『道』を選ばなければ密輸入はそう難しいことじゃない。それを悪用して、隣国を魔薬で汚染させて……という非道な手段だ。
「内部から汚染させる方法じゃね」
「戦争だからしょうがないとはいえ、よくそんな惨いことを思いつけますね?」
シトリンの表情が、歪む。
「まぁ結局、戦争にはならんかったんじゃけどね。それにあくまで噂じゃけん」
「はぁ」
だが、火のないところに煙は立たない。すでに冷戦は百年以上前に終結し、今ではメグレズとは友好条約を結んでいる。
「じゃけど……その噂が実しやかに今なお囁かれてるのは、不自然じゃと思うんよ」
「虚仮威しというか抑止力として、あえて噂を鎮火させてない可能性はないでしょうか?」
(シトリンもなかなか、クレバーな一面もあるんじゃね)
マリンは感心したが、
「メグレズとはもう百年以上、友好状態を保っちょる。何より現皇帝のカリスト陛下の代になってからは、怖いのは隣国じゃなくて皇室なんよ」
「なるほど」
「じゃから、フェクダがメグレズに対してそう仕かけてる可能性は低い。それにそれを本気にされたら、皇室を帝国を敵に回すじゃろうね」
そのディオーレ・カリスト皇帝とは、マリンは謁見したことがあった。その第一皇女であるクラリス・カリストとマリンは、この大陸で二人だけしかいないSSランクハンターゆえに親交があったのだ。
「そんな噂、フェクダとしては帝都には意識してほしくないんよ。じゃからこれまで、全力で鎮火に努めてきたと思うんよね」
「でも実際、噂は消えてなくならない」
「うん」
それが意味するのは、その種火が実際に燻っているケースだ。
「その魔薬を開発するのに使っていたとされるのが、ここ」
マリンは地図上の島を指さしたまま、シトリンへ振り向く。
「通称『毒島』。本当の名前はサルファー島いうてね。活火山が中央にあるんじゃけど、その火山ガスの影響で島の一部は立ち入り禁止になっちょるんよ」
「無人島なのですか?」
「いや、一部は観光地化しちょるね。遠くからその火山をウォッチングするので知られた観光スポットじゃね」
だが火山ガスに汚染された岩石は、島外へは持ち出し禁止になっている。もし違反すると、重罰がくだるのだ。
「まぁそもそも、立ち入りが可能な地域からはそれは採取できんのじゃけど」
「それが魔薬の元になっていると?」
「その可能性もあるんじゃけど、むしろ『木を隠すなら森の中』ゆーてね」
あえてシトリンに気づかせたくて、そこでマリンは口を噤む。
「木を隠す……森……えーと」
辛抱強く待っているマリンの態度で、シトリンも自分で考えろと諭されているのを察して。
「毒物を作る施設は誰もが近寄らない、毒に塗れている場所に?」
「可能性の一つじゃけどね」
思ったとおりの答えを引き出せて、マリンは会心の笑みを浮かべる。だけどその表情はすぐに曇って。
(誰も、そんなところに近寄りたくないけん。もしこの推論が当たっちょる場合は……)
「でも、自分たちもその中に紛れたら健康を害しちゃいませんか?」
「……」
「マリンさん?」
「猫獣人が本当にこれに関わっているとして、それは自発的なもんじゃろうか?」
マリンは、厳しい視線をシトリンに送る。
「どういう意味でしょう?」
「もし私が、『毒に冒されるのイヤじゃけん、シトリン一人で行ってきて』ってお願いしたらどうする?」
「行きますよ?」
当たり前のようにそう言ってのけるシトリンに、マリンは全力のゲンコツをシトリンの脳天に叩き込んだ。
「痛~い!」
「ほうじゃなくて! シトリンはもう参考にならんけど、つまり奴隷の可能性もあるんよ」
「あ……」
猫獣人の奴隷が、魔薬精製のために汚染された地域の中に放り込まれている。考えたくはないマリンだったが、いずれにしろ。
「海路で流入しとる以上、ここは要マークじゃね」
そして今さらながらに、シトリンを巻き込んだことを少し悔やむマリンだった。
それはとある港町。少し生臭い漁港独特の潮の、磯の香り。
「うぅ、ヨダレが出そうです」
出そうというかすでに出ている猫獣人の……シトリン。
「我慢しんさい。海鮮丼は私も楽しみじゃけ、とりあえず何かしっぽを掴めたら休憩しよ」
「うぅ、私のしっぽで我慢してくださいよぅ」
そう言って、ピコピコとしっぽを動かしてみせるシトリンだったけど。
「『帰れ』って命令しちゃおうかねぇ」
「ななななっ、なんでもないです! 頑張りますっ、ハイッ‼」
(やれやれ……)
そして二人、寂れた裏路地の一角を歩いていると。
「マリンさん」
「わかっちょる」
二人とも、小声で囁きあう。マリンもシトリンも、尾行されていることにとっくに気づいていた。
「ぶっ殺しますか?」
「シトリンてば……泳がせましょう」
「心得ました!」
そして歩き続けること数分、潮の香りが強くなってきた。もうあそこの角を曲がれば、広大な海が広がる絶景が見える。
当然ながらそこは『表』の世界で、多数の漁夫や船員たち、商人……衆人環視の元に晒されるわけで。
(どうやら、二人だけみたいですぜ?)
男が囁くように、誰かに伝える声が聴こえて。仕かけるならここが、最後のタイミングだ。
「ちょっと待ちな!」
二人が振り返ると、『いかにも』なチンピラが五人ほど。それぞれ手にナイフやら剣やら、各々の武器を携えて厭らしい嗤い顔でドヤッていた。
「何か御用でしょうか?」
マリンが冷静に……ではなく、ビクビクと怯える芝居で応じる。
「ちょっと来てくんないかなぁ?」
中央にいるリーダーらしき男が、ニタニタ嗤いながら手に持った剣の腹を手のひらにペチペチさせつつそう言いながら近づいてきた。
(マリンさん、猫獣人じゃなくて人間ですね?)
(わかっちょる。でも仲間かもしれんけん、もうちょっと泳がせましょう)
マリン、そう言われたシトリンがちょっと考え込んでしまっているのを見逃してしまう。
「お二人のそのピアス、置いてってくんねぇかなぁ? フヘヘ」
マリンはアクアマリンのピアスを三つ、シトリンはシトリンのピアスを一つ。それぞれ一つ一つは、平民の月収の何倍もの価値がある宝石だ。
「あ、あのあげます! あげますから命だけは!」
マリンは迫真の芝居を演ってみせるのだが、シトリンはそんなマリンを見ながら腑に落ちない表情だ。
「マリンさん、何やってるんです?」
「シッ! じゃから泳がすんよ‼」
マリンが迂闊だったのか、シトリンがxxxだったのか。
だがとにかく『泳がす』の意味についてずっと考えていたシトリンに対し、マリンからの『命令』が成立してしまう。
「かしこまりました‼」
そして次の瞬間、『琥珀色の閃光』が光った。マリンでなければ、その動きは光にしか見えなかったかもしれない。
瞬時にして、男たちはもんどりうって倒れてしまう。さっきまでシトリンがいた場所には、もう誰もいなくて。
そして倒れた男たちの後ろからシトリン、その怪力を生かして五人をまとめて持ち上げた。
「では行ってきます!」
「どこへ⁉ 何しに⁉」
困惑するマリンを尻目に、シトリンは軽快に駆けていき波止場へと続く角に消えていった。
「シトリン、いったいどうしたん⁉」
マリンとしては、彼らの目的を探りたいというのが真意だ。ただのチンピラだったら、ボッコボコにすればいい。
もしどこかに拉致しようとするなら、大人しく拉致されておく。そして魔薬と繋がりのある奴らなら僥倖、そうじゃないならやはりボッコボコにして港湾兵に突き出せばいい。
「泳がせるって言ったのに!」
シトリンが、自分の指示を破って暴走するとは考えられない。では何故?
「シトリン、待ちんさい!」
そして慌ててマリンが追いかけた先、波止場の波打ち際。シトリンが、沖合の方向を向いたままこちらに背を向けて、一人で立っていた。
「シトリン、あいつらはどしたん?」
「え? あそこらへんです」
そう言ってシトリンが指さすのは、沖合十メートルほど先の海上。波が強いせいか、海に放り込まれた男たちは上手く泳げないでいる。
というか溺れている者もいるのだけど、マリンにとってそれはどうでもよくて。
「シトリン、なんで無茶したん⁉」
少し怒った表情でシトリンを諌めるマリンだが、シトリンはポカーンとした表情で。
「え、だって……『泳がせる』って、マリンさんが?」
「その『泳がせる』違ぁーうっ!」
思いっきり脱力して、マリンはシトリンの両肩を掴んだまま膝から崩れ落ちたのだった。
とりあえず男たちを救出して、港湾兵に突き出す。救出のために海に飛び込んだので、マリンは全身がびっしょりだ。
どこに放り投げたか、それとも海中に沈んだか……眼鏡が見当たらない。
「はぁ、眼鏡……まぁ無くてもなんとかなるけど」
波止場にある、船と岸とを繋げる係留柱に足を組んで座ったマリンが見下ろすのは……これまたびしょ濡れで、マリンの足元で正座して俯いているシトリン。
マリンと一緒に暴漢どもの救出にあたったので、シトリンもびしょ濡れなのだ。
「本当に……なんとお詫びしていいか……」
気の毒なくらい、シトリンは項垂れている。
マリンはそれほどには怒ってはいなかったというかほとんど怒っていなかったのだが、もし笑って許したらシトリンは逆に罪の呵責に苦しむだろう。
そう思って、あえて心を鬼にする決断をする。
『ガッ』
正座しているシトリンの膝を、マリンの素足が足の裏で蹴る。履いてた靴も、海中に落としてしまったためだ。
「靴も失くしてしもうたし」
そう言いながら、二度三度と蹴って。シトリンは黙って、それを無抵抗で受け入れている。
「シトリンだって戦闘奴隷だったんじゃけ、『相手を泳がす』の意味は知ってると思うんじゃけど?」
「はい、知っていました」
「なんで勘違いしたん?」
「私が……バカだからです。本当に申し訳有りませんでした。ですので、ご随意に……」
何か言い逃れをしようとしたなら、マリンだって楽だ。また、意味を知らなかったと言われれば逆にマリンが謝っただろう。
だがここまで潔くミスを認めて謝られると、マリンもこれ以上は責められない。
「しょうがないけん、今日は晩ごはん抜きで許してあげます。今度から、意味がわからんで迷ったら遠慮なく訊きんさい。いい?」
「かしこまりました。本当に申し訳ありま」
と言いいかけて両手をついてドゲザしようとするシトリンの両肩をガシッと掴み、頭を下げるのを阻止するマリンだ。
「私に対してドゲザは今後一切しないこと。これは『命令』です」
「はい……」
もう二度と顔を上げてくれないんじゃないかってほど落ち込んでいるシトリンを立たせ、
「今日の調査はここまでにするけん。宿に帰ろう」
そう言って、シトリンの手を引き宿へ二人で向かう。シトリンはずっと俯いたままで、マリンに手を引かれるままに歩いてついていく。
間もなく日が暮れて、宿の風呂は狭いのでマリンが先にシャワーを浴びる。続いてシトリンがシャワーに向かい、部屋に戻るとマリンが一人でワインを呑んでいた。
「シトリン、ジュースくらいならええよ」
そう言ってマリンは、備え付けの冷蔵庫からジュースの瓶を取り出してシトリンに手渡そうとするのだけど。
「いえ、晩ごはん抜きですからお気遣いは御無用です……」
そう言って遠慮するシトリンの声量は、元気がなくて小さい。自分のポカに自分で呆れてしまっていて、マリンの顔をまともに見ることができないでいるのだ。
だから、もっと厳しい罰でも良かったぐらいで。
「まぁ喉乾いたら飲みんさい」
マリンは嘆息すると、ジュースの瓶をテーブルの上に置く。
「私もシトリンが判断に迷ってるのを見逃したけん、罰が必要じゃね。じゃから私も、晩ごはんは抜くけん」
「⁉ なっ、それはダ」
血相を変えて顔を上げたシトリンの唇を言葉を、マリンの唇が塞ぐ。
「その代わり、明日の朝は二人でお腹いっぱい食べよう。ね?」
そう言って笑いかけるマリンに、シトリンは感極まって何も言えなくて。
「本当に、申し訳有りませんでした」
なんとかそう言葉を紡ぎ出すシトリンに、
「うん」
マリンは笑って一言だけそう言って、シトリンの頭をなでくり回すのだった。
そして翌日以降も、捜査は困難ではなかったものの地道を極めた。『買い手』になりそうな者を尾行し『売り手』を突き止め、その『売り手』がどこから入手しているか。
そしてそれは、確かにパールの言うように『薬中毒となった廃人』で止まってしまう。仕方がないので衛兵に突き出すのだけど、その八割以上が猫獣人だった。
その過程に於いて、マリンはシトリンの様子がおかしいことに気づく。いや、おかしいというよりは……。
「ねぇ、シトリン」
「はい」
海中に落とした靴は新たに靴屋で買い直したものの、眼鏡は諦めざるを得なかった。近場に眼鏡屋がないのと、マリンの錬金術では武具の錬成は得意な反面で日常で使う品のデリケートな微調整は不得手だったからだ。
「何か、あったん?」
「……」
(やっぱり、何かあるんじゃね)
マリンは嘆息すると、
「私に言えんことなん? あ、安心しんさい。命令まではせんけ」
シトリンはちょっとだけ安堵した表情を見せたが、それでも意を決して口を開いた。
「これまでに逮捕された……いわば『上のほう』、もう中毒症状がひどくて自分の名前すら言えない状態になってる奴らですが」
「うん」
「私の生まれ育った村人たちなんです」
「‼」
シトリンの生まれ育った村、それは地図から消された『奴隷牧場』。
ポラリス山脈のフェクダに接する『どこか』であることは確かなのだが、シトリンは奴隷として売られるまでに村から出たことがない。
そして、初めて村から出られた……奴隷として売られて運搬される道中は外の景色の見えない馬車だったものだから、シトリンの記憶を頼りに探すのは不可能だった。
憎きブラッドを探す貴重な手がかりではあるものの、ポラリス山脈は毎年のように遭難者を出すほど広大で、その位置を把握するのは砂漠の中から一本の針を探すに等しいといっても過言ではない。
その村の獣人が、魔薬の売買に携わっている?
「それは確かなん?」
「はい……薬のせいか、それとも私が変わったからなのか。あちらは私には気づいていないようでしたが」
「? 変わったってどういう意味?」
これまで重い表情だったシトリンだけど、ちょっと恥ずかしそうに顔を赤らめて。
「あ、いや。マリンさんの元でたくさんのご飯を食べられて肉付きもよくなりましたし、ちゃんとした服も買ってもらえてオシャレできているし、幸せになったからそれが顔に出てるっていうか」
「あ、はい」
それを聴いて、マリンも顔が真っ赤になってしまう。
「黙っていてすいませんでした」
「うん、よく言ってくれたね。とりあえずこれは、私の胸にしまっておくけん。でもずっとは約束はできんよ?」
「わかっています」
そしてシトリン曰く。全員がそうでないものの逮捕された売人二十人余のうち、猫獣人は十七名。そしてシトリンの村出身の者が十五名とのこと。
「私も全員の顔を覚えているわけじゃないですし、薬に溺れて顔が変わってしまった者もいると思います。なので正確な数字じゃないんですが」
「シトリンの村、人口はどのくらいおるん?」
「そうですね……毎年のように子どもが売られていくので変動はあるのですが、平均して五十名ほどでしょうか」
毎年のように子どもが売られていく……シトリンは、その一人だった。
「そんな顔しないでくださいよぅ。私はむしろ売られて良かったんですから。こうしてマリンさんと出会えましたし‼」
「うん……」
笑顔で元気づけるように笑ってそう言うシトリンに、マリンも平静を取り戻す。
「それにしても、五十人中で大人がどのくらいおるかわからんけど……十五人は多いね」
むしろ、『村そのもの』が組織となっている可能性――。
「シトリンは、それを懸念しとるん? もしそうじゃったとしても、シトリンにはもう何の関係もないんよ?」
「わかってます。わかっているんですが、この疑念を突き詰めていくと……私の父や母、姉はどうなんだろうっていう」
「あ……」
確かに、シトリンの懸念は当然そこに帰結するだろう。
「つかぬことを訊くけど、シトリンは……家族を愛しちょるん?」
マリンは、家族を両親を愛していた。だからこそ、無念の死を遂げた両親の仇をもう十年近くも探し続けている。
だがシトリンは? 第二子以降の子どもを、奴隷として売るというのが『村の掟』となっていた狂った村で生まれて。
売るために産む、この悲しいサイクルを何百年も続けてきた環境にあってシトリンは? それを受け入れていたとは聞いたことがあるけど、両親に対してはどういう感情があるのだろうか。
「産んだ理由が理由ですから、産んでくれたことに感謝はしてません。育ててくれたのも、将来売る奴隷としてですし。ただ虐げられたわけじゃなくて、奴隷として売られるまでは普通に愛されて育ちました」
「うん、前にそう言っちょったね」
「だから憎しみのような感情は、不思議と無いんです」
普通なら憎んで、怨んで当然なのに。奴隷として売られた先で、違法の戦闘奴隷として殺し合いをさせられ、あまつさえ親友をその手にかけた。
リトルスノウことコユキが生きていたのはあくまで偶然の結果であって、シトリンのその悲しい過去が無くなったわけじゃない。
「もし、シトリンの家族が魔薬の売買に関わっていたらどうする?」
「私にはもう、家族はいませんよ」
シトリン、実に淡々とそう言ってのける。そこには哀しみも怒りも、マリンは感じなかった。
「そっか」
「ただ、最初にマリンさんに言ったように……猫獣人が迷惑をかけているのがイヤだなぁって。それが私の生まれ育った村っていうのは」
「んー」
何て声をかけてやればいいだろう。自分に関係のないことで責任を感じているように、マリンには見えた。
これを払拭してあげるにはどうしたら? 考えれば考えるほどドツボにハマり、正しい答えが見いだせないでしまう。
「ま、気を切り替えて明日じゃね。ただシトリンは、もうあの村とは関係ないけん。私の奴隷なんじゃけ、立場は盤石なんよ」
「そこは心配していませんよ。だって私、シトリン・ルベライトなんですもん」
「うん!」
その日は結局何ごともなく終わったが翌日、事態は急展開を迎える。
一寸先は闇とは言うが、その港もまた商売人や船員たちで賑わう一角を離れて道一本入るだけで、急激に空気が澱む。
マリンとシトリン、二人で目を光らせながらそのエリアを散策していたのだけど……。
「シトリン、あれ見てみんさい」
「こんなところに船を着けるのは、確かに不自然ですね」
道の終わり、その突き当りは何もない海辺で。マリンとシトリンは物陰に隠れて、その様子を見やる。
明らかに港とは違う、普通の海辺の道。海抜一メートルほどの何もない場所に、中型の船が横付けにされていた。
そして周囲を、どう見てもまともな商売をしてなさそうな商人と屈強なチンピラが一人。そして……猫獣人が何人か。
「どうします?」
「うーん」
強行突破か? でもそれだと『上』から見捨てられたら操作の糸も途切れてしまう。追う? 船を? どうやって?
「もぐりこめればいいんじゃけど……」
「監視役らしき奴がいますからね。ちょっと難しそうです」
「うん」
考えあぐねているうちに、『荷』を積み終えた彼らは次々と船に乗り込んでいく。
「シトリンは、泳げる?」
「? はい、大丈夫です」
「長距離はどうなん?」
「距離の長さは浅学なので数値で把握できていないんですけど、六時間くらいなら連続で泳げます」
マリン、無言で頷く。
「私が捕まるけん、泳いで船を追ってもらえる? 絶対見つからんように」
「……‼ その役目なら私がやります」
「シトリンの村が関係しとる以上、顔が割れとるけんそれは無理なんよ」
「あ!」
鼻息荒いシトリンだったが、これは『討伐』ではなくて『潜入』が目的なのだ。確かにシトリン本人がそれを担うには、予測不能なリスクを伴う。
「いざというときには助けに来てくれると信じちょるけん、任しんさい。ね?」
「……かしこまりました。ご武運を!」
「んっ!」
マリンはそう言って物陰から出ると、ゆっくりと船に近づいていく。そして、監視役の大男がマリンに気づいて。
「誰だ!」
「ごめんなさい! 何も見ていません、本当です! 命だけは助けてください‼」
普段の勇ましいマリンはどこへやら、青白い顔で腰を抜かして必死の嘆願をしてみせている。そして、
「ひいぃ……っ‼」
そう言いながら背を向けて、上手く立ち上がれない(という芝居)でカサカサとまるで虫のように這いずりながら逃走を図って。
「‼ どうやら見られたようです! おい、あの女を捕まえなさい!」
と慌てた様子で商人が叫ぶ。
「おい待て、女‼」
いきり立った表情で、大男が駆け寄る。
「いっ、いやぁ! 来ないで‼ だっ、誰か助けてぇ!」
泣きわめきながらマリンが四つん這いで逃げるものの、手足がもつれて上手く走れないでいた。
そしてシトリンは物陰でマリンのその様子を見ながら、声にならない声で笑い死んでいた。
そして無事?捕獲されたマリン、いやいやをしながら無駄(そう)な抵抗をしてみせる。
「大人しくしろ‼」
そう言って、大男はマリンの髪を掴み手を高々と上げて吊るした。マリンも長身だが、大男は二メートルを超す。さすがのマリンも吊るされるほかなく。
「痛いっ!」
思わず両手を頭にやる(芝居をする)マリン。がら空きになったマリンの無防備な腹に、男の太い拳が埋まった。
「ぐふっ……あ、あがっ‼」
そしてマリン、泡を吹いて気絶してしまう(芝居)。速やかにマリンの足首が縛り上げられ、手首は背中側で縛られて拘束されてしまう。
身動きの取れなくなったマリンを無造作に肩に担ぎあげると、大男はそれを船のデッキに放り投げた。マリンは気絶している(という設定な)ので、特に声は上げず。
ただ……マリンは内心、ドキドキしていた。
(シトリン、ダメじゃけ! こらえんさい‼)
二人が隠れていた物陰から、禍々しい琥珀色の殺気が漂ってきているのだ。
とりあえずシトリンは我慢してくれたみたいで、船はそのまま出航。マリンは布で目隠しをされて、船底にある荷物倉庫に移されてしまった。
(とりあえず潜入は成功じゃね……シトリンは、ついてきとるじゃろうか)
マリンが自分をよそにそんな心配をしていると、扉を開ける音がした。目隠しをされているのでわからないが、三~四人ほどの気配がするのをマリンは感じ取る。
「ほぅ、これはなかなかの上物ですね」
(この声は……あの商人?)
「へへ、コンドライト様。これ、あっしらに下げ渡してくれませんかね?」
「美味そうだな、うひひ!」
(船員かな……二人、いや三人? コンドライトっちゅーのは商人の名前じゃね)
マリンは気絶しているふりをしているので、下手に身動きはできない。後になってそうしていたことを後悔するのだけど、マリンはまだそれを知らなかった。
(あの大男は、おらんようじゃね)
まぁいてもいなくても関係ないが、ここでひん剥かれるのは御免こうむりたい。もちろん芝居とはいえど、女性として守るべきものを売り渡してまでとは考えてはいなかった。
(あと一人……イヤな気配じゃね)
まだ声を発してないもう一人、恐らくだが船に積まれるまでは見かけていない人物のはずだ。そして――。
「無駄口は叩くな。そのロープは解かず、この手枷と足枷を手首と足首にはめろ」
初めて、その男がしゃべった。
「へ、へい!」
そして、縛られたままの手足にさらに手枷と足枷がはめられる。
「ちゃんとはめたか? そしたらロープは取っていい。うっ血してるじゃないか、壊死したら切断しなくちゃならないから売り物にならんぞ」
「わかりやした」
(この声……?)
どこかで聴いた記憶が、マリンにはあった。
「ふん、久しぶりだな。アクアマリン・ルベライト。失神したふりは、もうやめたらどうだ?」
「⁉」
思い出した、この声。マリンの表情が、憤激で気色ばむ。
かつて『闇の錬金術師』として数多もの不法行為に手を染めていて、人を人とも思わぬ残虐行為で多くの罪なき人を屠った罪人。
この男の逮捕に、ハンターギルドは賞金をかけたのだけど……誰もが返り討ちに遭い、生きて帰ることができなかった。
三年ほど前にマリンが逮捕したのだが、その錬金術を駆使して脱獄。大陸全土に指名手配をされてはいたものの、その行方は杳として知れないままで。
その男はマリンの手枷足枷がちゃんとはまっているのを確認すると、マリンの前でしゃがみこんで目隠しを取る。
「ほぅ、やっぱり目覚めてたか」
「貴様、モリオン!」
そしてマリンは、すぐさま後悔する。この男の逮捕に至るまでには、モリオンの特殊なスキルのせいで少し手こずった経緯があるのだ。
チラと自分の足枷を見やる。
「まさか……『無効化』⁉」
「ご名答~、クックック!」
そう言ってモリオンは、マリンの両脚の靴を脱がせて無造作に後ろに放り投げた。
むき出しになった自分の足指を見やり、試しに動かそうと試みるマリンだったが……。指先すらまったく動かないそれに、マリンの表情が屈辱で歪む。
「い~ね~? その屈辱に塗れた表情‼ 今日はこれをおかずに、飯が二杯食えそうだよ、フハハハ!」
「三杯くらい食べんさいよ!」
そんな悪態をついてモリオンの意識を逸らせておき、手枷のほうを確認する。やはりこちらも、指先一つ動かせなかった。
(しまった……)
モリオンの錬金術によって生み出されたそれは、拘束されたその部位を『無効化』するのだ。これにより多くのハンターが手足も出せない状況に追い込まれ、無残にもその命を蹂躙させられてきた。
(シトリンを呼ぶ?)
いや、シトリンを危険な目に遭わせるわけにはいかない。
「どうだ、手足を捥がれた感想は?」
「……」
「何も言えんか? そうか、くっくっく……」
そう言ってモリオンは、乱暴にマリンの胸のブラウスを左右に引きちぎる。
「何をするんっ⁉」
マリンのその声には応えず、今度はブラにも手を伸ばす。フロントホックのブラはあっけなくその留め金を千切られ、マリンの形のいい胸が露出した。
厭らし気な表情を浮かべながら、モリオンの両手がマリンの胸を揉みしだく。
「ふん、声も立てんとは面白くない女だな」
「……」
「まぁいい。お前の『楽しみ方』はこれからゆっくり決めるとするか」
そう言ってモリオンは立ち上がると、
「お前らは出てろ」
と声をかける。マリンの顕わになった両胸を凝視しながら、コンドライトと呼ばれた商人と船員たちが名残惜しそうに倉庫を出て行って。
「モリオン! お前が魔薬組織の頭なん⁉」
「いや、頭じゃないがな。まぁ、金儲けに一枚噛んでるってところだ」
そう言ってモリオンは、懐から皮製のペンケースのような物を取り出した。
そしてそれをおもむろにパカッと開けると……中に入っていたのは、親指ほどの大きさの小さなボトルに入った透明な水。そして――。
「なっ、何する気⁉」
モリオンの右手には、注射器が握られていた。無言のまま、その注射器に小瓶に入ったソレを補填していく。
(まさか……『キャットボイス』⁉)
そして身動きのできないマリンの片方の乳房をガッと掴むと、色が浮いた静脈に素早く注入。マリンは抵抗もできず、無念の表情を浮かべるのみで。
「魔薬の世界へようこそ?」
(猫……の声?)
そう言って高笑いしながら倉庫を出て行くモリオンを、意識が朦朧としているマリンはただ見送るしかできなかった。
その船より少し距離を置いた海面に、時折ピョコピョコと浮かぶレッドタビーの猫耳。海中でシトリンはその筋力を駆使して船から付かず離れず、一定の距離を保ちながら追尾する。
そして船はやがて、小さな島に近づくと減速を始めた。
(あの島かな?)
サルファー島、通称『毒島』。島の近くでは海水も汚染されているかもしれないから十分に注意してとマリンから言われていたので、見つからないように鼻から上を海上に出す。
(マリンさん、大丈夫かな?)
遠くに少し規模の大きい港が見えるが、船はそちらを避けるように進航していく。そして出発点と同じように寂れた、申し訳程度の桟橋があるそちらへゆっくりと近づいていく。
船が着岸するのを、五十メートルほどの沖合から顔半分だけ海上に出して観察するシトリン。そして荷物とともにマリンが大男の肩に担ぎあげられていくのを視認すると、再び海中に潜って弾丸のように岸へと向かう。
(マリンさん、グッタリしてたな……失神してる芝居なんだよね?)
実際はそうじゃなかったが、このときのシトリンはマリンに危機が迫っているとは夢にも思っていなかった。
男たちは、しばらく歩くと森の中へと入っていく。それを足音一つ立てず、シトリンが尾行。
シトリンは靴を履いてきてはいたが、尾行中だけは足音を消すために靴を脱いで裸足だ。
膝から先はレッドタビーの被毛に覆われていて、人間とは違うその足指には分厚い肉球。これがシトリンの足音を消している。
(あそこの建物かな?)
寂れた工場のような、少し大きい建物に男たちは入っていった。そしてシトリンの嗅覚だからこそわかる、建物の方角から風に乗って鼻腔を刺激する『獣臭』。
(マリンさん、私のことも臭いって思ってるのかな)
変な心配をしながら、シトリンは建物の外から中を伺う。ちらと覗いた窓から見えるそこには、何十人かの猫獣人が並んで『作業』をしていて。
手元がよく見えないが、何やら人の頭大ほどの大きな固形を削っているようにシトリンには見えた。
(あれが魔薬?)
そしてシトリンの顔が、忌々し気に歪む。作業にあたる猫獣人の顔は、どれもこれも見覚えのある顔ばかりだったからだ。
「やっぱり村まるごとが……」
だが、どの猫獣人にも奴隷環が装着されていない。
つまり、不当に奴隷落ちさせられていないということだが、それは逆に言うと自らの意思でそれを行っていることを意味した。
そして隣同士でおしゃべりをしていた猫獣人二人に、後ろから近付いてきたのは中年男性の猫獣人。
「おい、おしゃべりしてたら陽が暮れるぞ。口じゃなくて手を動かせ、手を!」
「すいません!」
「気を付けます!」
どうやら、作業員たちをまとめるポジションにあるようだ。そしてその猫獣人の顔を確認して、シトリンの目から大粒の涙が零れる。
「パパ……なんでだよぅ……」
無理やり使役されているなら、助けてあげるのは吝かではなかった。何よりマリンのハンターギルドとしての仕事なのだから、シトリンが助ける対象はマリンなのだ。
だからマリンが助けるつもりなら自分も助ける、ただそれだけ。だが今、シトリンの父は『組織側』に立っているようにシトリンには見えた。
これはつまり、ギルドマスターのパール曰く『黒幕の捕縛。ただし生死は問わない』の対象になる。願わくば、母と姉は無関係であってほしい。
シトリンは、ただひたすらに祈り願うしかなかった。
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